開けてはいけない匣の話

四ノ瀬 了

開けてはいけない匣の話 ~開封の戯~

 『流行作家S氏の不審死、妻K子氏にも疑惑が……!?妻K子の友人に独占取材!!』(週刊パンゲア 2022/6/12刊行)


 昨月末、突然死を遂げた直木賞作家S氏。

 S氏本人の運営していたと思われるX(旧Twitter)にて、氏の訃報が突如として妻と思われる人物、K子氏より公表されたことは、記憶に新しい。


 以下、投稿の全文である。


 『皆様


 平素より大変お世話になっております。


 この度、Sが自宅にて、急逝したことをお知らせいたします。 

 突然のご報告となってしまい申し訳ございません。


 当方も未だ整理がついていない状況で、このような発表の仕方となってしまい

 大変心苦しく思いますが、どうか、お許しください。


 いままで、Sの作品を愛していただきありがとうございました。

 Sが居なくなっても、作品が愛されてこの世に残り続けることを、

 S自身、生前望んでおりました、どうか、彼共々愛してください。

 すべて、わたしが、わるいのです。


                                 K子 』

 

 マスコミ各社が、氏の作品を刊行する出版社に殺到したことは言うまでもない。氏の作品は出版不況と言われる昨今でも、出せばたちどころにベストセラーとなり、売れに売れている。氏の作品が1か月どころか3か月連続売り上げ1位であったこともあり、最早、氏の本を置いていない本屋は全国どこにも無いと言っても過言ではない。映画化した作品も多く、有名俳優が競って主演をはりたがり、開幕週の興行収入ランキングは必ず1位。今ノリに乗っているS氏。氏が完全に自らの手で脚本を監修する映画の計画も進んでいた。その矢先の謎の訃報である。訃報前、氏自らによるXの投稿は1週間前、生前最後の書き込みは以下である。


『やってくれた』

『K子』

『このよには、あけてはいけない、ものがある。』


 元から氏のXの投稿には、意味深なものが多かった。これは話題性のための氏の戦略とも言えよう。上記の投稿は、投稿時は、さして話題にもならなかった。氏の作風として、サスペンスやホラーを多く手掛けることから、次回作に関する何らかの伏線では無いかとファンの間で少し話題になった程度のようだ。


 現在、訃報以前のS氏の投稿は上記の投稿も含めて全て削除されており、有志によるスクショが残されているのみである。


 この訃報は、氏の作品を刊行する出版各社にも寝耳に水であったらしい。Xに訃報を投稿したのは、署名にある通り、氏の妻であるK子であろうと言われているが、これも事実は定かではない。事実確認が取れていないからである。


 実はこの妻K子、現在行方不明なのである。それでは、S氏も身をくらませただけ、単なる失踪ではないか、そして、この投稿自体が、氏のたくらみで、我々は踊らされているだけではないか、との意見も当初は錯綜していた。


 しかし、我々の調査で、実際に某葬儀場で氏の葬儀が行われた事実を、葬儀会社から確認することができた。葬儀には、存命であるS氏の両親、兄、数少ない知古の人物が立ち会ったという。しかし、そこに妻K子の姿が無かったことを葬儀関係者は語り、喪主もK子では無く、氏の兄であったことを語った。


 我々は、氏の親族から直接事実確認をしようとしたが、叶わなかった。


 そしてつい、先日、警察に動きがあった。警察が、この妻K子の行方を追っていることを公表し、全国に呼びかける形となったことはご存じの通りである。マスコミ各社も、氏の訃報が真実であること、そして氏の突然死が病死や事故死ではなく事件性がある可能性があることで調査を進めている状況である。


 訃報の最後の一文「すべて、わたしが、わるいのです。」も意味深である。


 こうなってくると、氏の生前最後の書き込み『やってくれた』『K子』『このよには、あけてはいけない、ものがある。』が、ダイイングメッセージのように感じられるのは我々だけでは無いだろう。はっきりとK子と名指しされた謎の投稿だ。


 我々取材班は、妻K子の古い友人であるA氏に直接取材を取り付けることに成功した。以下はそのインタビューである。また、A氏は今回取材を受けるための条件として、インタビューの内容を極力編集を加えず、そのまま載せること、それから、掲載前に原稿をA氏の方で見直すことを条件とされた。当社では、問題のある個所や個人を特定できる箇所を除いて、A氏の語った全てを載せる方針とし、今掲載されている文面は全て、A氏の許諾を得て掲載されている。


『K子さんが失踪する直前にお会いになったとお聞きしましたが、その時のK子さんんの状況やご様子をお聞かせ願えますでしょうか。』


A『はい。私もK子の友人であると同時に、Sさんのファンでして、あの投稿を見てすぐ、彼女に電話したんです。普段なら彼女、私からの電話ならすぐに出るのですが、なかなかつながらず、家も遠くありませんでしたし、心配で居ても立っても居られないで、そのままお宅に向かうことにしました。ダメもとでインターフォンを押すと、反応がありました。インターフォンの向こう側から呼吸するようなひゅう~ひゅう~というか細い息遣いが聞こえたのです。私は思わず「K子!K子でしょう、私ですよ、大丈夫ですか?開けなさい!」と叫んでいたように思います。気が付くと、カチ、と電子キーの解除される音がして、門が開き、私は家の中に通されました。玄関で、K子が蹲って、そのまま頭を前後に震わせており、ここにきて、私はSが亡くなったのはおそらく本当のことだろうな、と思いました。取り乱した彼女が、あの投稿をしたのだというところまで直感し、彼女を抱きました。K子はSを、非常に、愛していました。だから責任を感じて、あんなことまで書いて……、とにかく、K子は誰よりもSのために生きていたし、私と話す時も話の半分以上はSとの愉しい生活のことでしたし。私の中で、K子は震えだし、嗚咽し始め「わたしが、わたしがぁ!!ああああ!!!!うああああああ!!!!」と半狂乱になり、暴れかけたので、強く抱きました。彼女にはたまに激情するところがありましたからね。……、(ここでA氏は意味深な微笑みを見せた。)おそらく、あなた、今の話に、喰いついたでしょうね。激情に駆られてK子がSに何かしたのでは、そう、殺したのでは、とね。ライターさん、隠さなくていいですよ、今のマスコミの風潮では、そう思われても当然です、でも、K子に、そんなことする度胸が、ありますか。それにSはK子のそういう気性も気に入っていたのです。激情的な喧嘩も日常茶飯事でしたが、喧嘩するほど仲がいいとは、この二人のことだと良く思ったものです。ほら、彼の作品に出てくる女は皆、気性が荒いでしょう。もともとの、彼の好みなのです。激情した彼女は、周りに当たり散らした後、いつも、自分にさらに強くあたるのです。ああ、脱線しましたね。私が強く抱いていると、ふっと彼女の身体から力が抜け「わたしがわるいの」とまた呟くのでした。私が「何があった。」と問いかけると、じょじょに彼女は冷静さを取り戻していったようでした。ここからは、私にもK子の錯乱か事実か、判断できかねます。ただ、最初に申しました通り、適当に編集して記事にするようなことは決してしないで下さい。これは、大事なことですから。いいですね。適当にするくらいなら、最初から載せるのを止してください。おそらく、危険ですからね。……私が、貴方方の取材なら受けようと思ったのも、貴方方の雑誌が、キワモノでも何でも載せる、”三文雑誌”だからですよ。文夏さんや朝陽さんなんかも、来られましたよ。金はね……貴方方の百倍ほど、つまれましたがね。でも、全てお断りしました。金よりも、信用ってことです。』


『ありがたいことです。我々は、約束は守ります。』


 A氏の言う危険とは何か。A氏の口から続く物語は、我々にはとても信じられないものであり、A氏自身も懐疑的な調子で次のように、語ってくれた。


A『K子は取り乱しながら私に語ったことを要約すると、「私が開けてはいけない物を開けて、そのせいでSが死んだ。」とのことでした。だから私はまず、殺虫剤や殺鼠剤の分量を間違えた、もしくはガス漏れなんか、で、意図せずに密室状態にいたS氏が、事故死した可能性を考え、本人に聞かせましたが、彼女は首を横に振り、顔をますます青くして「浦島太郎の箱と同じような、いやもっと最悪な箱だった。」と言いました。それは今どこにあるのか、と、聞くと、わからない、気が付くと、無くなっていた、主人が持って行ってしまった、と、か細い声で言い、茫然自失としていました。私は質問を変えることにしました。その箱は誰が何のためにこの家に持ってきたのか、と。私は作家としてのS氏のアンチによる贈り物。毒物の可能性を考えました。有名人の元には時折そういった物が届けられますからね。毒物を密閉した容器に入れ、開いた瞬間に毒物が空中に散布されるような、そんな仕掛けです。しかし、そうするとおかしいですよね。だってその箱を開いたのはどうやら、K子のようなのですから、普通、K子がまず先にその毒を吸うはずで、あるとしても、その後に、Sが吸う順番になるはずです。K子に毒物耐性があるとも考えにくい。K子は、その箱は、S自身が持ってきたと言いました。大きい弁当箱ほどの大きさがある、美しい珍しい箱だったそうです。螺鈿細工も施され、箱自体が工芸品といった様子だったそうです。しかも、Sはその箱を、どうにもK子から隠すように持っていて自分の書斎の奥に隠したのだそうですよ。K子は、抜け目のない女です。なので、S氏が何かこそこそしていようが、大体ばれていて、K子の口から私の元に、愚痴と言う形で聞かされることになっているのです。S氏がK子が知らないだろうと思っている秘密も大体K子は知っています。逆はどうでしょうね、Sは案外抜けてましたから、職業柄ミステリアスを装っていても、プライベートでは、裏表のない人間だったと私には思えますよ。K子は影から様子を見ていましたが、Sが箱の存在を気が付かせないように振舞っているのを悟って、普段通りの出迎えをしたようでした。K子はできることなら、S氏の信頼を裏切りたくないと思っています。だから、K子に見せようとしなかったものを、見るのは裏切り、と考え、途中まで自制して居たようですが、ここにきてK子の激情の悪い癖が出て来たそうなのです。何か、自分以外の女からもらったプレゼントか、他の女にでもやろうとしているプレゼントなのではないか、とね。一度疑念が生じると、彼女はもうそのことしか、考えられなくなる癖があります。今にして思えば、ここで一度私に相談してくれていれば、と思うのですが、激情した彼女を止めることが出来る者など、この世には無いのです。K子は、箱と、その中身を確認するくらいならば、良いだろうと考え、その箱を、開けてしまったそうなのです……。箱には丁寧に、そして随分変わった結び方で美しいリボンまで飾りかけられていたといいます。彼女はそのリボンの端を引いて、開けました。ねぇ、何が入ってたと思います、その箱。』


 A氏はここまで一気に語ると、失礼と言って煙草に火をつけ、暗い瞳をテーブルの上に落とし、少し物思いにふけるような仕草を見せた。次に顔を上げた時、そこには先ほどと寸分変わらない少し冷めた調子の瞳で、からかい半分と言うように、我々取材班を見やり、答えられないでいる我々取材班に「ほら、何でもいいから、いってごらんなさいよ。」と呟き、煙を吹きかけた。


『大金、でしょうか。』


 A氏は一転して声を上げて笑ったかと思うと、馬鹿にしたような目で我々を見た。


A『馬っ鹿だなぁ、それで、人が死にますかい。ああ、まあ、貴方方みたいな相当な貧乏人なら腰抜かして、まあ死ぬかもしれませんがね、弁当箱程の箱だって言ったじゃありませんか。現ナマだったら五百万がいいところだし、純金や小切手だとしてもね。S氏もK子も、私やアンタ方とは違って、金は捨てて履く程、有り余る程、あるんですよ?あ~あ~、これだから三文文士は、想像力も乏しくまったく人の話聞いてないんだからな。まあ、レコーダー回してるようですから、頭の方で記憶できなくても、いいのか。まあいいですよ。入っていたのは、どうやらね、人間の、人体の一部、だったようなのです。もちろん、本物です。K子は、サスペンスやホラーを描くSが、何らかの準備のため悪戯で作らせた可能性も考えました。あまりにも悪趣味ですがね。しかし、それにしては、臭いまで、半ば肉の腐ったような強烈な異臭を発しており、また複数ある人体それぞれに、差異があるようなのです。ところどころしなびて、よく見なければ、原型さえわからないものもあったそうですよ。』


 ここにきて、衝撃の展開である。S氏の死亡の前に、別の事件が、S氏邸の中で巻き起こっていた。S氏が人体の一部を家に持ち帰り、それを妻のK子が発見したというのである。


A『S氏は、箱の中身を見てK子が半狂乱になっているところに帰宅したようです。そして、ここからが面白いのですが、どうやらS氏もその時、初めて箱の中身を見たようなのですね。それでトイレにこもり、嘔吐して、しばらく出てこなかったようです。先ほども言いましたが、それは人体の一部、しかも限られた一部、複数人の抉られた”眼球”、そして、複数のむしりとられ毛までついた”男根”だっていうのですから、笑えますね、聞いている分には。あまりにも非現実すぎて。「なんであけた!!なんであけた!!なんであけた!!なんであけた!!ああああ!!!!!」と……、K子と違って普段激昂なんかしないSが、叫んだって言うのも、無理もない話ですよね。それで、K子が箱の中身と普段と全く違ったSの様子に呆然としている内に、Sはその箱を元の通り密閉して、あの異様に美しいリボンもそれらしく結びなおし、しかし、どうもそれは元の通りには結べていなかったようです、何しろ特殊な結び方だったとK子は言ってましたからね。それで、Sは、そのまま、家を飛び出していったというのです。K子はリビングで呆然としたまま、S氏の帰りを待ちました。S氏は、帰ってきました。K子と同じような呆然とした顔をして。しかしその手にもうその箱は無かったそうなのです。その日から、S氏は、高熱を出し、寝床からまったく動けない状態になって腐臭まで放ち始めた、そうあの箱から出てきたのと同じような、臭いまで放ち始めた、といいます。K子の必死の看病むなしく、S氏はK子に「おまえのせいだ」と目を見開いて、はっきりと言ったそうです。まるで本人の声ではないような、悪魔のような声だったそうですよ。「おまえがおまえがおまえがおまえがおまえがおまえが」「あけたからあけたからあけたからあけたから」最後の方は、こんなうわごとを言って半ば発狂した状態で、亡くなったそうなのです。あまりの様子に医者を呼ぶのもはばかられたというのだから、相当なことだったのでしょうよ。その形相の凄まじいことと言ったら、筆舌に尽くしがたいものがあったそうですよ。あなたがた、葬儀会社にもどうせ取材に行くのでしょう、一寸どんな顔だったか聞いてきて……、何、もう取材には行ったが教えてくれなかった?なるほどね、そりゃあ相当酷い顔だったのでしょうな。まあそれで、K子は立ち直れないまま、とにかく、訃報を打ち、家の中で途方に暮れていたところに、私が現われたというわけです。ご満足いただけましたか。これで私の話は終わりです。』


『それで、K子さんの行方は……?』


A『知りません。私も探しているのです。K子は私に一連の話をした後、語ったことで、だいぶ落ち着きを取り戻したようでした。しかし、やはり、自責の念に堪え切れない様子でしたから、私としては、誰かに彼女を見張らせる必要があると感じていました。私がその役目を買っても良かったのですが、仕事がある間は見ていられない。私は彼女の親族に電話をかけ、状況を話しました。すると、その隙に彼女は姿をすっかり消してしまったのです。私も、迂闊でした。だから、何か情報があれば、私も知りたいのです。K子の行方も、そして、あの箱が一体、何だったのかも。』


 A氏はそれきり物思いに沈んだようになって、しばらく黙っていたが、何かわかったらまた此方からも連絡する、あなたがたも、K子の居所をどうかつきとめてほしい、と深々と頭を下げてから、我々の前から去って行った。


 我々は、今回の取材で初めて知られることとなった、謎の箱、それからK子の居所について、引き続き調査を続けていく所存である。


 謎の箱についての見解。実際に人体の一部が腐敗した状態で、しかも複数量入れられていたと仮定すると、腐敗した肉より毒素が流出し、それを大量に吸い込んだS氏が病に侵された可能性も否定はできない。過去に「呪い」とされた方法の中には、生物兵器として働いた物もある。たとえば、箱の中身に鼠等の死体を封じ、家の軒下などに置くことで、家族に知られぬうちに菌が軒下で大量繁殖し、そこに住む人間の具合が原因不明のまま、徐々に悪くなっていくという具合である。


 S氏の遺体が事前に司法解剖等されていれば、事実の照合は可能かと思われる。しかし、その箱の入手経路、人体の一部だとしたら、それは誰のものか、大量殺人があったのか、そしてS氏がどうやってその箱を処理したのかは未だ謎のままである。



 K談社にて、大売り出し中の作家、笹川良治の担当編集者であった森山悟は、自宅のマンションの一室、ソファの上で横たわりながら、週刊パンゲアの笹川の突然死に関する特報記事を読み通して、ふ、と引きつった笑みを浮かべ、雑誌を放り投げた。


 森山の元にもマスコミがちょこちょこと現れたが、何も知らぬ存ぜぬで通している内に、次第に数も減ってきていた。


 森山は、閉め切ったカーテンをほんの少しだけ開き、マンションの階下、夜、外灯がぽつぽつと光る薄闇の道を見降ろした。立ち並ぶ外灯の一番隅に一瞬、ほんの一瞬、何か見たような気がしたが、瞬きする頃には、何もなくなっている。背中に一筋、汗が流れた。森山はキッチンの方へ勇み足に進み水を汲み、ごくごくと飲んだ。何でもない、何でも無いんだ。


 森山は、ソファの周りに散乱する雑誌や新聞の束を見やり、最後に、さっきまで手にしていた週刊パンゲアに目をやった。笹川に関する記事は、ほぼすべて目を通したが、一番真相に近いのが、あのしょうもない、いつ潰れてもおかしくない中小オカルト雑誌とは、と苦笑いした。森山の属する大手K談社の報道部は、おそらく永遠に真相に辿り着かない。同期で報道に行った酒井から根掘り葉掘り聞かれたが、結論ありきの質問ばかりだ。そういえば、と、森山は先ほどのパンゲアの記事の最後に書かれたライターの名前を思い出した。どこかで見たと思っていたが、同じ大学のゼミで、かなり変わった先輩が一人いた。その名前だ、と、懐かしい気持ちになった。そもそもあの人、結局大学をちゃんと出たのかさえ怪しい。


 森山は、笹川が最近オカルトに凝りすぎていることを心配していた。元々ミステリーで売れ、サスペンスで売れ、最近では、猟奇、ホラーにまでその才能の華を咲かせていた。笹川は元々凝り性で、取材も入念にやりたがる、それゆえに面白いものができる。森山はたびたび、笹川の取材旅行につきあわされていた。特にここ数年はオカルト関連の取材が多く、オカルト耐性のあまり無い森山は、担当を変わりたいとまで思ったが、笹川からすると、オカルト耐性がある人間と取材したってつまらないじゃないか、何が怖いか、君の反応、それも取材の一部なのさ、という話であった。ふざけるな、と、激昂する気も削げる。それほどに実際仕上がってくる作品は、オカルトが苦手な森山が読んでも面白い。何を書かせても、神的に面白いのだから。


 森山は再びソファにうつ伏せに寝ころぶと、スマートフォンの古い連絡先を探っていった。もう何年も連絡を取っていない。今回のパンゲアの記事を書いたらしい男、二矢巡の電話番号を見つけ、しばらく悩んだのち、電話をかけることにした。


『随分珍しい奴からの電話だ。』


 二矢は開口一番そう言って、森山が何か言うより先に『笹川の件だろ。』と涼しい声で言って、森山の焦燥をわかっているかのように、電話の向こうでいやらしい忍び笑いをしていた。変わっていないこの男。


「もしもし、でしょうが、最初は。」

『説教?切ってもいいんだぜ、こっちは。』

「……。」

『アハ、ハ、嘘、嘘、本当に真面目君だな、お前って、だからK談社もとってくれたんだよな、いいなよァ~俺なんか書類さえ通ってないんだからそれに給料だって』

「そんな話はいいでしょう、……、先輩。」

『そうだな。俺もお前に聞きたいことがあるから、待ってたんだ。今から行って良いか。そうだな、30分位で着く。』


 ……何で、ウチを知ってんです?と口先まで出かけたが、止め、許諾した。


 二矢は薄手の光沢の入った黒いコートに全身を包み、玄関先に現れ「やぁ」と爽やかに笑んだ。これから、人死にの記事について話そうっていうのにそぐわない笑顔だ。しかし、その人懐っこい笑みと二つ並んだ涙黒子が、何となく彼を憎めなくさせる。


 森山は、黙ったまま彼を中へ入れた。二矢は一瞬土足で入りかけたのを、ああ、と言って脱ぎ、コートの下は煌びやかなスーツ姿で、今まで一体どこに居たのか、舞踏会かパーティーか何かにでも出ていたのかという華やかさである。仮装と言っても差し支えない程煌びやかなその服が、どうしてか彼にはよく似合ってしまうのだった。  


 森山は、キッチンでいれかけになっていたコーヒーを2人分いれて、単刀直入に事件の話に入った。


「呪い、存在すると思います?」


 二矢はさっきまで森山が座っていたソファに寝そべり、新聞を拾い読みながら「あるっちゃあるし、無いっちゃないね。」と箸にも棒にも掛からぬようなことを言った。


「俺は、ちょっと、信じたくなりましたよ。今回の件で。」

「お前は笹川氏の担当だろ、見たのか、その例の箱とやらを。」

「いや、ただ……」

「ただ?」


 二矢は、興味深げにソファの上から森山を見上げ、微笑んだ。そこには、純粋な好奇心、そして何を言ったとしても、共感を覚えてくれそうな純粋の瞳があった。他の人間なら信じてくれないだろうことでも、この人なら、ああ、そうなんだね、と信じて受け入れてくれそうな瞳である。


 今回の件は、会社の人間には、口が裂けても言えない。森山の心労は顔に出で目に見えてやつれていた。上司は、無理も無いことだ、と、休みをくれたが、もし今回のこと、今話そうとしていることを言えば、精神病院を勧められもっと長期の休みを強制的に取らされることになり、今の部署にもいられなくなるのは確実だった。


「……先輩にだから、話すんですよ。」

「うん。聞かせてくれよ。その為に来たんだもの。」

「俺、笹川先生と良く取材旅行に出かけさせられてたんです。最近はオカルトに凝ってたから、民間信仰とか辺境の土地まで同行させられてたんですよね。それでたまにちょっとした霊障なんかも起こって。先生はテンションを上げてましたけど、俺は最悪でしたよ。しかもあの人、脅かすつもりか本当か知らないけど、最近、ほらそこにいるだろ、なんて言って俺を脅して笑うんですよ。まあ、それでもイケイケですからね。常に今が一番売れていると言って過言でもなかった人です。まぁ、取材自体が、執筆仕事で家にこもりきる反動と言うか、息抜きになっていたところもあったみたいなんです。今回、というか、最後になった取材旅行ですね、先生の最新作の『大惨劇』がバカ売れした結果、ウチの会社からねぎらいで、取材旅行費を結構な額出してくれたんです。それで三週間ほど日本のへき地を放浪している間に、所謂霊能者にも何人かあったんです。今までも取材で何度か会いましたが、ほぼほぼ偽物。でも、今回のは結構本物って感じしたんすよね。ああ、なんか雰囲気で話してしまってすみません、俺はついていっただけで、何の興味も無いもんで、そんな俺でも本物かも、と思ってしまう位の雰囲気がその人や場所にはあったわけですよ。とはいえ、旅行自体は無事に終わったんですよ。何事も無く。ただ、旅行の後、空港から先生の家までタクシーで帰る途中に、その、箱の件が、起きたんです。」


 森山はそこまで話して、ふぅと一つため息をついた。こうして話していると、身体の中にため込んでいた毒が抜けていくようで、心地が良かった。二矢は黙っていた。森山が続きを話せるようになるのを、のんびり、まっているようだった。森山はぬるくなったコーヒーを一口飲み、続けた。


「止めてくれ、急に先生がそう言ったんです。まぁ、深夜で他に車も居ませんでしたから、タクシーは止まりました。何もない、車道しかない橋の上でです。景色がいいわけでもなく、そもそも夜で周りも何もなく外灯の灯しか無い。そんな場所で。先生は、黙ってタクシーを降り、俺は当惑するタクシー運転手を適当に宥めながら、視界の端で先生の様子を見ていました。……先生は橋の欄干のすぐそばで、立ちすくんでいるように見えました。それも、橋の行きつく先の方を向き、そしてよく見ると、何か口が動いて……、喋っている……。身振り手振りまでしはじめ、俺はその時、あ、あの人ついに、目に見えない何かと直接話し始めた、と直感したんです。最近の先生の売れっ子の勢いと共に、先生のそういった奇行が何かと噂されるようになってきていました。でも天才という一言で、帳消しにされる。もしかすると、先生の神的な筆力に、そういった人智を越えた何かが共鳴していたのかもしれません。とにかく、俺はもう怖くて、黙って見ているしかなかったし、タクシー運転手に気味悪がられるのも嫌で、運転手の気をこちらにとどめるのに必死でした。ちら、と再び先生の方を見た時、何か先生は、その目に見えない何かから受け取るような動作をしていました。しばらくして、先生は何事も無かったかのように戻ってきましたが、今にして思えば少し、ジャケットの下が膨らんでいたように思えます。俺は、タクシー運転手のことは憚らず、つい、聞いてしまいました。……。」


 二矢は、森山の口元が強張り、顔が青くなり、手が震えているのを見て「聞いてしまったんだねぇ。」と優しい声を出し、森山に向かい合って微笑んだ。


「君は、そこで、先生がその箱を受け取ったことを、つい、聞いてしまったんだねぇ……」


 森山は、ハッと我に返ったようになって、「そう、そうなんです、」と続けた。顔色がまた元のように戻ってくる。


「先生はあっけからんとした様子でした。古風な女性が私に呼び掛けてきて、頼みごとをして来たんだ、箱を渡して欲しいと、と、俺に言いました。話によれば、帰る途中に、もう一つ別の大きな橋の上に別の女性が待って居るから、その女性に箱を渡し、届けて欲しいのだと、頼まれたのだそうです。そして、その途中で、箱の中身を見てはいけない、とも言われたそうで。不思議な話だとしか思えませんでしたし、とても怖くて、その箱を見せてくれとは言えませんでした。だって、先生の得意の、おとぎ話だって、信じたかったから。俺を脅かして愉しむための、おとぎ話だってね。実際、タクシーはそのまま先生の家に直行し、それから俺の家に向かったわけですから、先生はそのこの世のものならざる女の願い事を聞かないで、帰ったはずなんです。」


「なるほどね、とりあえず入手経路がわかったのと、箱の目的も多少はわかってきて少しスッキリしてきたぞ。で、結局のところ、その中身は、人体の一部だったと。そして、先生、いや、先生の奥さんがその箱を開けてしまったという顛末か。」


「……先輩の取材が本当なら、そういうことになります。」


「謎なのは、開けた本人、つまりK子が死なず、笹川の方が死んだことだな。やはりそのこの世の者ならざる者と口約束でも契約したのが、笹川だったから、災厄も彼の身に降りかかったという訳だ。森山君、理不尽なことだと思うか。これが。」


「それもそうですし、未だ訳が分かりません。大体、なんです、男根と眼球って。誰の、それも複数のだって話じゃないですか。」


「俺の記事にも書いた通り、腐ったものが多ければ多い方が人体に影響が出るような毒素が多く出るのは確かだ。眼球なんかは、液状の部分が多いから腐りやすい。男根も海綿体だ、骨が無いから腐肉としては指なんかより腐りやすいのさ。これも一つの理由だよ、生理学的なね。何故、男根と眼球かというね。でもどうも、それだけじゃなさそうだよな、君の話では、笹川は女から別の女へ、その箱を渡すように頼まれたそうだな。切り取られた複数の男根、まるで女の男への恨みの象徴みたいだと思わないか。俺はそう感じたね。しかもその切り取られた男根を、おそらくその男根の持ち主の目が睨みつけている訳だろう。どんな気持ちだろうねぇ、ふふふ。」


 二矢が涼しげに笑ってコーヒーを飲むのと対照的に、森山は想像して吐気をもよおし始め、そういえば今日はじめて口にしたのが今目の前にあるコーヒー一杯だけだということに気が付いた。


「おい、軽く飯でも食いに行こう。この時間でもやっている店を知ってる。」


 二矢が立ち上がる。森山はとてもそんな気力は無かったが、今こうして立ち上がって立ちくらむのも、ここ数日心労でろくに食べていないからなのである。ふらついた身体を、おっと、と、二矢に支えられ、マンションを出た。駐車場に彼のカローラが停車されていた。緑色ををした、まるでカナブンのような車だ。二矢のきらびやかな謎の仮装、服装と全くあっていなくて、思わず森山は、ふ、と笑ってしまった。


 助手席に、ささやかな花束が置いてある。貰ったのだろうか。


「先輩、俺の車で行きます?」

「お前は今運転できないだろ、黙って助手席に乗りな。ああ、その花束は大事なものだから、後ろに置いておいてくれ。まあ、中産階級車だから、高給取りのお前にはさぞ乗り心地が悪いだろうけどな。」

「あ、いや、」

「誤魔化さなくても顔に出てる。いいから早く乗れよ。これ以上お前の顔を見てると轢き殺したくなってくる。」


 二人を乗せた車は深夜の道を飛ばした。あまりに飛ばし過ぎていて、空腹と不安でぼんやりしていた森山の頭も少しずつはっきりし始めて来ていた。

 あ?飯を食いに行くんじゃないのかよ、と、森山は思ったが、黙っていた。車は全く停まらないままに十分も二十分も走り続けている。途中ファミレスやファーストフード店がいくらでもあったのに、すべて無視、繁華街、飲み屋街、商店街まで無視、コインパーキングも無視して、走っていく。それでも森山は黙っていた。


 いつの間にか車は、森山が笹川とタクシーで通った道を走って、件の橋の上まで来ていた。森山は疲れ果てた口調で「ああちくしょう、そういうことかよ、先輩っ、そうだよ、ここだよ、っ、ここっ」と吠えた。運転席で、「だろうな。」と、くすくす笑いながら二矢が言った。


 車はスピードを落としながら橋を渡り切った。何も起きない。渡り切ると再びスピードを出し、そっくりそのまま、あの夜と同じ帰路を辿っていく。


 森山は何となく眠く、うとうととし始めていた。そういえば、あの日も同じように、うとうと、と……。


「おい、起きな。」


 二矢の声に頭を上げた。大きな橋が見えた。森山は思わず「あっ」と声を出した。


「もう一つの橋、笹川の家に帰る途中にある、もう一つの大きな橋はここだけだ。本来はあの橋に居るもう一人の女に、密封したままの箱を渡す手はずだった。それをどうせ、取材旅行で疲れてて寝ちまってたかなんだかしたんだろう。で、家に一旦持ち帰り、後でここに来ようとでも、してたんじゃないか。そうすれば、笹川が、奥さんが一度開けちまった箱を、どこにやったのかも自然とわかるもんだ。」


 二矢はまたスピードを落として橋をゆっくりと渡り、渡り切ったところで路肩に車を停車した。降りる二矢を自然、森山は追って車を降り、近づこうとしたが、ふと、何かを感じて、足を止めた。


 『降魔橋』


 橋の欄干に、そのように彫られている。

 森山は車のそばに立ったまま、阿保のようにその文字を見ていた。


「お嬢さん。いらっしゃいませんか。」

 

 二矢の声が暗闇の中に響く。二矢は、懐中電灯を片手に、橋のすぐ側の草むらの方へと歩いていった。二矢の地面を踏みしだく音だけが、聞こえていた。草むらの影に川へと下る石段が見えた。二矢は石段の上で屈みこみ、長い間手入れされないで、生い茂る草を躊躇なく素手でがさがさと探り「ああ、いらっしゃった。ごきげんよう。」と囁いた。二矢は一度、森山の方を振り見た。


 森山は既に恐怖でその場から動けなくなっていた。二矢は無理して来なくていいよとでもいうように微笑み、指を一本立て、そこにいろ、と指さし、再び目の前に有る物の上に屈みこんだ。


 二矢の前に古び朽ちた道祖神のような石塊があった。石塊の目の前の土だけ、新しく掘り返したような跡があり、その土の隙間に何か光り輝いているのが見えた。おそらく、件の箱がそこに埋まっている。二矢はそこを掘り返すことはせず、石を磨き、そこに水と華とを備え、しゃがみ込んだまま頭を下げた。


「この度は、笹川が大変なことをしでかし、申し訳ございませんでした。彼の命ごときは、貴方方に捧げられて、当然のことと思います。約束を破らぬ男と言うのはいつの時代でも下衆でございますからね。私も、学ぶことが多々ございます。箱を開いたか開いていないかは、貴女方なら一目もせずともわかると思いますが、我我人間には、リボンの結び目で、わかる。笹川は、最後の最後まで、誤魔化したのでしょう。もしかして、正直に開いて持っていったなら、慈悲深い貴方なら許してあげたのでは?でも、そんな屑の話は今さら至極どうでもいいことなのです。でも、どうか、どうか、K子さんを、こちらに、返してはいただけないでしょうか。きっと、貴女方の気に入ったのでしょう。K子さんも貴女方に、親しみを覚えていることでしょう。もしかすると、そちらの方が、居心地がいいと言っていらっしゃるかもわからない。しかし、今こちらに、K子さんを素直な気持ちで、影より、探していおられる方が、いらっしゃるのです。その人は、嘘をつきません、彼女の前では、おごりません、今後も彼女のことをだますようなことは、決して、しないでしょう。ですから、どうか、どうか、お願いします。貴女方の、不誠実な者を間引く儀式はどうかこれからもお続けくださって、全く問題ございません。寧ろ、心より、応援しております。それから、私はしがない売文屋でございます。差し出がましいとは思いますが、貴女方のことを1つの記事にして世に広めてさしあげることができます。というか、大変申し訳ありませんが、それくらいの些末事しか、私にはできることがございませんのです。私のようなこの世の霞のような人間の影響力など大したことがございませんが、私は人間などより、貴女方が、好きな、変わり者なのでございます。それではごきげんよう、お嬢様方。」


 二矢が言葉を発し始めてから、今まで静かであった川面が、揺れはじめていた。風の吹く加減によって、二矢の言葉のところどころが、調子を崩した森山の耳に聞こえて、それがどうしてか、心地が良かった。そして、彼が呟くたびに、どことなく重かった橋の周りの空気が、軽くなっていくように感じたのであった。


 気が付くと、森山のすぐ側に二矢が立って、さっきとは打って変わって、車のボンネットに手を付き、森山を白々と見下していた。そして、さっきまでの丁寧が過ぎる程の口調とは全く真逆に「ああ、全くもって役に立たんな、お前。それでよく笹川の助手なんかやれたもんだ。」と吐き捨てるように言ったかと思うと、さっさと車に乗り込んでしまった。


「助手なんかじゃありませんよ、一介の編集者として、」


 車は助手席のドアが閉まるより早く乱暴に発進し、森山は思わず叫び声を上げた。


「五月蠅いよ。ところでお前、せめて、食事の趣味位、マトモだろうな。」

 返事の代わりに、森山の腹が音を立てた。

「ああ、はい、今なら何だって」

「ほぉ、何だって喰うの?じゃ、これから俺の行きつけの店にでも連れてってやろう、薄給の俺が、先輩のよしみで、高給取りのお前におごってやろうっていうんだから、吐くなよな。森山君。」


 これから連れていかれる先の店で、睾丸料理と眼球料理が出されることを、この時の森山はまだ、知らない。


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開けてはいけない匣の話 四ノ瀬 了 @seekxx

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