御石神(みしゃくじ)の由来

 今は昔のことでございます。


 武蔵国むさしのくに西方さいほうに、石神いしがみという村がございました。


 その名の由来は、北側に位置する山の中腹ちゅうふくに、巨大な石柱せきちゅうをまつったお寺があったからなのです。


 いったいいつ、どこからやってきたのかはわかっていませんでしたが、村人たちはその石柱を『石神いしがみさま』と読んで、厚く信奉しんぽうしていたのです。


   *


 ところでこの石神村では、昔から若く美しい女性ばかりが忽然こつぜん行方ゆくえをくらます『神隠かみかくし』がたびたび起こり、村人たちにとってはこれが大きな悩みの種でした。


 しかしあるときから、一年に一度、秋の収穫祭しゅうかくさいのときにだけ、石神さまに『人身御供ひとみごくう』として、そのときどきの村一番の美女を生贄いけにえとして差し出すと、神隠しはすっかり起こらなくなりました。


 人身御供に出される娘たちや、その親族にとっては悲痛きわまりないことでしたが、村のためだとみながあきらめて、毎年この陰惨いんさん儀式ぎしきおこなっていたのです。


   *


 さて、今年もその儀式の季節がやってまいりました。


 今年選ばれたのはおはなという娘で、身寄りがなく、生まれついて目が不自由だったのですが、容姿ようしは非常に美しく、心もやさしい、可憐かれんな少女だったのです。


 彼女は育ててくれた法師から按摩あんまを習い、それを生業なりわいとして細々ほそぼそと暮らしておりました。


 しかし「自分のこんな命でよければ」と、村のため、喜んで人身御供になる覚悟だったのです。


   *


 ある日の夕暮のことです。


 いつものように按摩の仕事をした帰り道、お花がつえをつきながら、村はずれの蛇骨ヶ池じゃこつがいけという、大きな池のほとりを歩いていると、なにやら彼女に話しかける声が聞こえてきます。


「これこれ、お花さん」


「はて、どちらさまでしょう……?」


 その声はうら若い女性のものでした。


 目が不自由とはいえ、それでむしろ気配に敏感なお花は、どこからともなく響いてくるその声を、とても気味悪がりました。


「わたしはこの蛇骨ヶ池に住む、カガシの女房にょうぼうという者なんだけれど、石神さんのところのお寺で、厨子王丸ずしおうまるという者が待っているから、すまないがちょっと、このふみを届けてくれないかい?」


「はあ……」


 杖を持っていないほうの手に何かが当たったので、お花がそれをつかんで指をすべらすと、確かにそれは、紙でできたふみのようなのでございます。


「あの、もし……」


 お花は問いただそうとしましたが、その女の声が返ってくることは、もうありませんでした。


「はて、なんとも奇妙な……」


 彼女は背筋せすじが寒くなりましたが、頼まれてしまったからという理由で、片手にその文をたずさえ、石神さまのお寺へと向かったのです。


 ところでそのふみには、こんなことがしたためられていたのです。


―― このおなごは今年の人身御供に選ばれたお花という者じゃが、お前さん、えらく腹が減っておると言っておったの。いますぐお前さんのところへやるから、祭りなんぞ待たずに、食い殺してしまえ ――


   *


 お花が寺の境内けいだいについたとき、あたりはすっかり薄暗くなっていました。


 石神さまのまつられている本堂のほうへ、杖をつきながら歩いていくと、どこからかまた、今度は野太のぶとい男の声が聞こえてきました。


「お花よ、よく来たな。さあ、こちらへおいで」


 その声はどうやら、本堂のかたわらに備えつけられている、石燈籠いしどうろうのほうから聞こえてくるようなのです。


「くくく、カガシの女房め、さっそく送ってくれおったか」


 お花はこわくなって、逃げを打とうと考えましたが、なんと体が勝手に動きだして、声のするほうへと、引き寄せられていくではありませんか。


「お花よ、俺は腹が減っておる。ふふっ、お前を食い殺させてもらうぞ?」


 その言葉にお花はゾッとしました。


「あ、では、もしやあなたが……」


「おうよ。俺がこの山のぬし、厨子王丸よ。俺は若く美しいおなごが好きでな。毎年ひとり、この村からいただくことにしておるのだが、今年はどうにも腹が減っての。もうがまんがならんと思って、蛇骨ヶ池のぬしであるカガシの女房に、使いを頼んだというわけよ。ふふ、あやつは池の奥底おくそこひそんでおる大蛇だいじゃのあやかしぞ? そうとも知らんで、おろかな娘よなあ、お花?」


「で、では、まさか……」


「おうよ。毎年祭りのときにささげられる娘どもを食らっておるのは、この厨子王丸様よ。村の連中は、本堂の中に転がった石神の仕業しわざだと思っておるだろうがなあ」


「な、なんということを……」


「ああ、それと、そもそも『神隠し』をやっておったのもこの俺よ。そうとも知らず、くく、バカな村人どもよなあ。はは、おかしやおかし。すべてはその石神の『せい』になっておるのだからな。そこのうすのろは動けもせんし、しゃべることもできん。俺といっしょに天から降ってきたというのになあ」


「天から、いっしょに……?」


「おうよ。俺とそいつは、もともとはひとつの石だったのよ。この地に落ちて二つに分かれ、半分は俺、もう半分はそいつになったというわけさ。それがこの村の連中ときたら、俺の体をけずって燈籠とうろうなんぞに変えてしまいやがった。だから俺はこうして、にくたらしい村人どもをいたぶって、楽しんでおるのよ」


「あ、あ、誰か、お助け……」


「無理だなあ、お花。おまえはこのまま、俺がたらふくいただいてやると決まっておるのだ。さあさあ、こっちへ来い、お花」


「あ、あ……」


 お花の足は引っ張られるように、石燈籠のほうへと近づいていきます。


 もうダメだ。


 お花がそう思ったとき。


「ぬぐっ!?」


 どうっと風が吹いて、お堂のとびらがぱっくり開いたかと思うと、お花を中に吸い込み、再び扉をバタンとめてしまいました。


「あ、いったい、何が……」


 本堂に閉じ込められたお花は、ハッと思ったのです。


 石神さまだ。


 きっと石神さまが助けてくださったに違いない。


「ああ、石神さま……!」


 お花はゆかうようにして、石神さまのご神体しんたいのほうへとすがりました。


「石神さま、どうか、どうか、お助けください……」


 正座をして手を合わせ、彼女は必死にそう念じました。


「おのれえ、木偶でくがあ……許さん、許さんぞお……!」


 本堂の外から、厨子王丸のおそろしい声が響いてきます。


「はあっ、石神さま! どうかお助けください!」


 お花はいっそう強く、石神さまにいのりを捧げました。


「くそう、ここをけんかあ! その娘を俺に渡せえ!」


 外からお堂を壊そうとする音が聞こえてきます。


 気の触れてしまいそうなその響きに、お花はひどくおびえました。


「ああ、石神さま、石神さま!」


 お堂の扉に亀裂きれつはいり、そのすきまから、厨子王丸のおそるべき姿があらわになりました。


「お花あ、こっちへ来い! 俺はお前を、食い殺すのだあ!」


 なんと、ごつごつとした石燈籠から「手足てあし」が生え、そのほのおは「目玉めだま」となって、爛々らんらんと赤くさかっているのです。


 正体を現した厨子王丸は、大きな手でお堂の扉をなぐり、中へはいってこようとします。


 お花は恐怖のあまり、体がすくんでしまいました。


「あ、ああ……」


 自分はもう終わりなのか?


 石神さま、どうか、助けてください。


 お花は最後の力をふりしぼって、さけびました。


「い、石神さまあああああっ……!」


 彼女がそう絶叫ぜっきょうした次の瞬間――


「あ、ぎゃあああああっ!」


 厨子王丸の全身に、空からかみなりそそいだのです。


 巨大な石燈籠のバケモノは、おぞましい声でもだえ苦しみました。


「おのれ、まだこんな力が、残っておったか……」


 あっというに厨子王丸の体は、粉々こなごなくずってしまいました。


「おのれ、おのれ……死ないでか、まだ、死ないでか……」


 ボロボロになった石燈籠から、炎の目玉だけが飛び出しました。


「知らせねば、知らせねば……! わが命、きる前に……! 西は打鞍うちくら鬼熊童子おにくまどうじに聞いたこと、東は三日干みかぼし大鎚御前おおづちごぜんに知らせねば……!」


 炎のかたまりとなった厨子王丸は、そう叫びながら、はるか東のほうへと飛んでいったのです。


   *


 お寺への落雷らくらいに、なにごとかと村人たちがけつけたとき、お花は石神さまのご神体の前で、気を失って倒れていました。


 息を吹き返した彼女の口から、ことのあらましが伝えられると、村人たちはおそれおののくと同時に、もう『人身御供』はしなくて済むという事実を、とてもうれしく思いました。


 その後、粉々になった厨子王丸の破片はへんは手厚く供養くようされ、石神さまはといえば、ますます強い信仰しんこうの対象となったのです。


 そしていつしか、この石神村のあった土地は、『御石神みしゃくじ』という名前で呼ばれるようになり、お花の子孫はのちに、『石神いしがみ』のせいを名乗るようになったということでございます。

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朽木九区の由来 朽木桜斎 @kuchiki-ohsai

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