スフィグモマノメーター

与野高校文芸部

スフィグモマノメーター

 蛇口を捻り、溢れ出る水の流れを止めたとき、一滴の雫が水栓柱の金属板に墜落した。

雫はジュッという音とともに煙を出しながら消滅した。

炎天下、四十度を超えてしまいそうな勢いで太陽が灼熱の熱波で周囲を酷く歪ませている。そして、私は誰一人として残っていない公園の砂場に影を潜めているダンゴムシを血眼になりながら貪るのだ。

砂場に踵を返すと辺りは陽炎でぐにゃぐにゃと動いて見えた。そんな事お構いなしに、真っ黄色の砂の上で足を大きく開き、腰を曲げて獲物を捕食すべく、睨みを利かせて砂を右左に掻き起こす。六回ほど掘り返したのち、早速ヤツを見つけた。そいつは防衛態勢でパチンコ玉のように丸まっており、それをそのまま少しの砂と一緒に口の中に放り込む。バキリと鼠色の殻が裁斷されるくぐもった音が口内で響いた。細かな足が一つ一つ分裂し、舌に乗っている感触がする。腕を大胆に動かしながら諸共飲み込んでいく。

次からまた次へと湧いてくる黒い塊は私の糧となり、食費が浮くのである。

食事を続けていると、公園の外から一人のお婆ちゃんが汗で帽子を濡らしながら此方を覗いている。                              其方に一瞬だけ目をやると、お婆ちゃんは気味が悪いかのように顔を顰めて足早に去って行った。

何となく、頭から鈍痛がした。景色が揺らいで見えるのは、陽炎だけが原因ではないと解った。

頭は軈て鉛のように重くなり、私は砂場にザブンと頭を突っ込んでしまった。

暑苦しい砂の中で皮膚から汗がどくどく澱み出るのが分かった。

意識が遠のいていく中、最後に救急車のサイレンを聞いた。

「あ、起きた。」

私のすぐ横で声がした。少し冷たい、グレーな声。

私の視界はまだうねうねしていて、目に映る景色が形を成していなかった。

「急に訊いて悪いんですけど、なんで砂場なんかに頭突っ込んでたんですか?」

私の第一声を遮るかのように男はそう言った。

「あの、ここは……」

その言葉を放ったと同時に、私は知りもしないソファーで薄い布を掛けられて寝ていたことが解った。助けてもらったのは救助隊でも何でもなく、見ず知らずの男だった。

「質問を質問で返すな」

と、男は何故か呆れたように言い放ち、立ち上がってキッチンへと歩いて行った。

初対面の男に軽く諫められ、若干怖気づいた私は、ただ男の背中を見守ることしか出来なかった。

「で、なんで頭突っ込んでたの?」

暫く経ったのち、戻ってきた男が木製の丸テーブルにコップを置いた。

「ダンゴムシを、食べてたんです。」

私はテーブルに置かれたコップを持ち上げながら答えた。コップの中身は‥水だ。仄かに無機質な匂いがする。多分、水道水だろう。

「は?」

男の腑抜けた声がすぐ横から聞こえた。

「え、ダンゴ‥ダ、は?」

男が目に見えて困惑している。構わず水を喉に流し込んだ。

男は私の上下する喉仏を見ながら、呟いた。

「正気じゃねぇ‥‥絶対に……」

刹那、男は私の着ていたシャツの襟を引っ張り上げた。まるで汚い野良猫を片手で持ち上げるように。

首だけ回して男の腕を見ると、図太い神経が幾つにも複雑に絡み合って浮き出ていた。

バンッ、と扉を蹴る音がして、身体が急に軽くなった。

外の世界は男の家より何倍も眩しく、世界が白く煌々としていた。

ふと、感覚のする方へ目を向けると、膝を擦り剥けたのか、血が滲み出ている。

ポタッ、と赤い雫が一滴、灰色のコンクリートに墜ちた。

あの時の光景が再び迫ってくる。あのとき確かに見た、熱さに煙を巻かれた雫を。

ジュッ、と静かな音を最期に消えたアイツは元気にしているだろうか。

目を閉じて、真っ黒な世界を見つめる。

頭が痛い。ビキビキと頂点から足の付け根まで稲妻が伸びていく感覚がする。

ああ、またか、と思った。実際、こうして家を追い出されてしまうことが、よくある。

きみが、わるいのだろう。

そう思った。食事をしていて暑さで気を失い、助けられたのは良いものの、問題はいつもその後にあった。

ふう、と溜息を吐き、歩き出した。

ここは何処なのだろうか、マンションの長い廊下を見て思った。

階段を降り、辿り着いたその場所には、公園があった。自然を基調とした緑あふれる公園。木々が生い茂り、茶色いレンガの花壇には多くの花が顔を覗かせていた。綺麗だな、と思った。

思いたかった。それよりも、あの砂場の優しい肌色をした砂から目が離せなかった。理性が仕事をしていない。

私の身体が勝手に動いていた。目を大きく見開いて、汗を垂れ流し、狂った声で泣き叫んでいたと思う。

砂を掻き分けるどころか、殴るように、滅茶苦茶にしていた。

噴き上げられた砂は酷く空中を舞って、私の至るところに衝突し、侵食した。打ち上げられた幾つもの小石が肌を傷つけた。精神的に参っていたのだろう。自分でも何をしているか分からない。でも、これは私だ。虫でも鳥でも人間ですらなくても、紛れもなく私だ。この世に生まれ墜ちた以上、私は私として、生きようとした。舞い上げる砂で視界が悪くなる。見えなくなる。道は自分が決めるものだと、思っていた。腿に何本か血が伝う感覚がする。

昔、好きで描いていたダンゴムシの絵。気持ちが悪いと、黒のクレヨンでぐちゃぐちゃにされた。あの日から私の線路の雲行きは怪しくなっていたのかもしれない。ポツポツと、小雨が上から降ってくる。鋭く尖った一本一本の雨が、腰を大きく曲げた私の背中を劈く。その雨たちは私の背中に突き刺さったまま。空を見上げると、幾つもの黒く濁った雨雲が頭上で乱舞している。ぱちぱち、と顔に水が飛び込んでくる。

頬を伝ったのは、涙なのだろうか。

水を含んで黒くなった砂たちの上で、私は膝を曲げ、姿勢を落とした。脚に気持ち悪い砂の感触を感じながら、うつ伏せになって砂に潜った。それでも私は好きだったから。

砂の中に蹲り、息を止める。迎が来るのを待った。

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