必ず戻る傘
大田康湖
必ず戻る傘
「おかしいな、ここに置いたはずなのに」
金曜日の放課後。
「どうしたんだい」
眼鏡をかけた長身の少年、
「俺のビニール傘がなくなってるんだ。今日は午後から雨だっていうので持ってきたのに」
涼は学校の玄関を見た。外では梅雨の走りのような激しい雨が降り注いでいる。達紀が言う。
「ビニール傘がまだ残ってるけど、君の傘と間違えたのかな」
「俺の傘は何もないけど、ここにあるのはシールが貼ってあるから」
涼は傘の柄を指し示した。
「参ったね。とりあえず僕の傘に入ってくかい」
達紀は傘立てから紺色の傘を取り出した。
「達紀の家はうちと逆だろ。途中でコンビニ寄って傘買っていくよ」
「それじゃコンビニまで一緒に行こうか」
二人は達紀の傘に入って歩き出した。
涼と達紀は中学校近くの商店街にやってきた。ここも住民の高齢化が進み、あちこちにシャッターの閉まった店舗がある。
コンビニに入ると、涼はコーラとビニール傘、達紀は緑茶のペットボトルを買い、イートインコーナーで一休みすることにした。
「まったく、傘がなくなるのはこれで三回目だよ。もう面倒だからビニール傘にしてるけど、達紀は心配じゃないのか」
コーラのペットボトルを開けなから涼が話しかける。
「僕の傘には戻ってくるおまじないがかかってるからね」
達紀はすまし顔で緑茶を一口飲むと話し出した。
「このコンビニの先にある店、金物屋だったけど、今貸しスペースになっててさ。そこに先週、『おまじない屋』って店が出てて、おばあさんが店番してたんだ」
「『おまじない屋』って、RPGみたいな札でも売ってるのか」
コーラを飲みながら涼が尋ねる。
「僕も冷やかしで入ったら、いろんなおまじないシールを売っててさ、目に付いた『戻ってくるおまじない』ってシールを買ったんだ。今、傘にそのシールが貼ってあるよ」
「お前、本当に信じてるのか」
涼はいぶかしむように尋ねる。
「シールを貼ってから盗まれたことがないから分からないな」
「それじゃ俺が試してみる。俺が達紀の傘で帰るから、達紀は俺の買ったビニール傘を使ってくれ」
達紀は涼の提案に乗った。
「ああ、僕もどうやって戻ってくるのか気になってたからね」
「何もなかったら明日、学校に持ってくから。じゃあな」
涼はコーラのペットボトルをスポーツバッグにしまうと立ち上がった。
コンビニの前で達紀と別れた涼は、家へ向かって歩き出した。左手には達紀の傘を差している。
(特に変わったところはないけどな)
ワンタッチ傘の柄の先には黒い丸型シールが貼られている。これが「おまじない」のシールなのだろう。
涼が川下家に帰り、玄関で傘を閉じようとした時、異変が起こった。いくら力を入れても傘が閉じないのだ。
(ちくしょう!)
涼はあわてて傘を両手で閉じようとするが、左手から傘が離れない。手を伸ばしても手のひらにぴったりと貼り付いているのだ。気がつくと、黒かったシールが白く光っている。
(これが『おまじない』の力だってか?)
その間にも雨は降り注いでいる。どうしようもなく立ちすくむ涼は、傘を返しに達紀の家へ向かうことにした。
涼の家から達紀の家までは15分ほどかかる。涼は傘を差しながら急ぎ足で歩いていった。その間にも傘の柄は涼の手から離れない。シールは相変わらず白く光っており、柄が熱を持っているように感じる。
(このままずっと持ってたら火傷しちまう。早く手放さねえと)
涼は足下が濡れるのもかまわず、思わず走り出した。
ようやく雨宮家に着き、玄関のインターホンを鳴らすと達紀の母親が顔を出した。涼は焦りながら尋ねる。
「おばさん、達紀君は?」
涼の手に持つ傘を見ながら達紀の母親は答えた。
「塾に行ってるけど。もしかしてその傘、達紀から借りたの」
「い、いえ、なんでもないです」
涼はあわててドアを閉めた。
(そうだ、達紀は今日塾の日だった)
涼は仕方なく、達紀が帰るまで雨宮家の前で待つことにした。
ようやく塾から戻ってきた達紀に、涼は傘を差しだした。
「傘が手から離れないんだ、なんとかしてくれ」
「本当かい」
達紀が傘の柄を掴むと、ようやく涼の手から傘が離れた。
「参った参った」
ようやく自由になった左手で涼は頭をかく。
「こいつは『戻ってくるおまじない』じゃなくて『戻ってこさせるおまじない』だよ」
「でも本当におまじないがかかってたなんて。もっと買っとけば良かったな」
残念がる達紀に涼は呼びかけた。
「そうだ、俺もその店に連れてってくれよ」
「それじゃ、明日一緒に店に行こう」
涼の頼みに達紀はうなずいた。
翌日、土曜は雨も上がり、明るい太陽が空を照らしている。涼と達紀は商店街の「おまじない屋」に向かって歩いていた。
「今朝、乾かしてた傘をしまおうとしたら、シールが消えていたんだよ。あれは一回きりの効き目だったみたい」
残念そうに言う達紀に涼はあっけらかんと答えた。
「それじゃ、俺と一緒にまた買えばいいさ」
しかし、貸店舗は既に入れ替わっており、若い店員が古着を販売していた。
「どこに行ったか知らないか」
涼は店員に尋ねるが、店員は前の賃貸人については知らないと言うばかりだった。
「折角『おまじないシール』買おうと思ったのに」
「また『おまじない屋』が開店したらすぐに教えるよ」
達紀は涼になぐさめるように言った。
月曜日、涼が学校に着くと、下駄箱でビニール傘を持った女生徒が立っていた。クラスメイトの
「あの、川下君、金曜日、もしかして傘がなくなってませんでしたか?」
「あ、ああ。俺の持ってきたビニール傘がなくなっててさ」
ひかりは頭を下げてビニール傘を差し出した。
「私、図書館に本を返しに行くため急いでてて、家に帰って傘を干そうとした時に、自分の傘の柄につけた目印のシールがないのに気がついて取り違えに気づいたんだけど、もう遅くて学校に戻しに行けなかったんです」
すまなそうに頭を下げるひかりに、涼は手を振って答えた。
「いいんだよ。金曜は達紀が持ってきた傘に入っていったからさ」
「雨宮君にも迷惑かけてしまったんですね。ごめんなさい」
涼はひかりの手からビニール傘を受け取った。
「今度は間違えないよう、俺の傘にもシールを貼っとくよ」
そこに達紀が登校してきた。
「おはよう」
「達紀、俺の傘が戻ってきたぞ」
ビニール傘を掲げる涼を見て、達紀は笑顔で答えた。
「おまじないをかけなくても戻ってくるなんて、すごいじゃないか」
「金曜に六角さんが間違って持ってたんだってさ」
涼はひかりを見やった。さっきまでの所在なさげな雰囲気は消え、いつもの穏やかな表情に戻っている。
「今日は降らないと思うけど、とりあえず傘立てに置いておこう」
「あの、もし良かったらこれを」
ひかりは涼にシールの入ったパックを差し出した。
「好きなのをあげるので、良かったら傘の目印に使ってください」
「ありがと。それじゃ一つもらうか」
涼はひかりからシールパックを受け取ると、白い丸型のシールにボールペンで「R.K」と書いてから傘の柄の頭に貼った。
「そろそろ始業のチャイムが鳴るから、先に行ってます」
ひかりはシールをカバンにしまうと、足早に教室へ戻っていった。
「良かった。これが本当の『雨降って地固まる』だね」
達紀が涼の肩を叩く。
「何言ってんだ、梅雨はこれからだぞ。こいつにも活躍してもらわなくちゃな」
涼はビニール傘を叩くと、傘立てに勢いよく投げ入れた。
おわり
必ず戻る傘 大田康湖 @ootayasuko
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