死ぬ度に、死ぬ直前まで巻き戻る私

こう

死ぬ度に、死ぬ直前まで巻き戻る私


 わたくしはその日、婚約者のユージーン第二王子殿下から学園の講堂に来るよう申しつかった。

 指定されたのは休日で、王妃教育も執務もない日。

 彼なりに、こちらのスケジュールを気にしてのことだったのでしょう。わたくしは指定された日に、爽やかなお日様の光を浴びながら学園の回廊を進み、講堂へと向かいました。

 休日ですが、学園ですから学生服。学生なのだから、ドレスに合わせた髪型にする必要も無い。下ろした黒髪が風をはらんで靡くのを感じながら歩を進めた。


 学園の講堂は、本館から離れた場所にあります。普段の授業を受ける本館と回廊で繋がっており、講演、催し物などを行うための演説壇のある大きな建物です。普段は鍵がかけられており、本当に催しがあるときにしか使用致しません。

 指定された十一時より早く着くよう出発しましたが、講堂からは人の気配がします。恐らく彼…彼らは、既に講堂の中にいるのでしょう。

 まあ、予想通りです。わたくしは両開きの扉に手をかけました。


 音を立てて開かれる扉。

 全生徒が入室できる広さのホール。その奥に壇上があり、壇上付近には人影が四つ。


 壇の下、右端には学生魔術師。彼はくるくるした銀の髪に丸い緑の目の幼い容貌で、いつも学生服の上に魔術師のローブを身に纏っている。今もローブを纏いながら、怯えたように肩を竦ませて立っていた。

 壇の下、左端には学生騎士。銀の短髪に鋭い緑の目厳かな顔立ちの彼は、魔術師様の弟君。普段は丸腰なのに、本日は学生服で帯剣し、厳しい目付きでわたくしを警戒しながら立っている。

 そして壇上には、二人の男女。

 燃えるような赤毛を背中に流し、同じ色の苛烈な瞳をしたユージーン第二王子殿下が、桃色のふわふわした髪と琥珀色の丸い目をしたソニア・フローリン男爵令嬢と一緒に立っている。彼は男爵令嬢を背中に庇いながら、こちらを睥睨していた。


 そしてそのさらに奥。

 そこに飾られているのは「正義の審判」の彫刻。

 右手に剣、左手に天秤を掲げた女神の彫刻は、この講堂が持つ別の意味を象徴していた。


「システィーナ・ブシドゥー伯爵令嬢! ここで貴様の罪を告発する!」


 この講堂は、学園内で起ったもめ事を裁く場として利用される。

 つまり、学園の裁判所である。

 この場所に来るようにと申しつかったときからもしやとは思いましたが、本当にそのつもりでわたくしを呼び立てましたのね。


 わたくし、裁かれる覚えがまったくありませんが。

 身に覚えがありませんが、ユージーン様は怒鳴るように罪状を並べていきます。


「お前はソニアに向かって、恐ろしい言葉をかけ続けたそうだな」

「恐ろしい言葉だなんて…わたくしはただ、殿方の腕に縋り付くのではなく、殿方の三歩後ろを歩くよう忠告しただけです。ええ、女は男の三歩後ろに付き従い、腹が立ったらその背中を刺して抗議する。男は女に刺されぬよう警戒心と立ち振る舞いを養うのだと教えただけです」

「その物騒な思考を他者に押しつけるのをやめろ! ソニアはか弱い令嬢だぞ! 脅迫罪だ!」


 恐ろしいのではなく物騒が正解でしたか。


「そしてお前はあろうことか、彼女の装飾品を目の前で踏み潰したそうではないか! これは粉々にされた髪飾りの前で泣き崩れるソニアを複数の生徒が目撃している! 向かい合うお前の姿も同様にな!」

「それは誤解です。わたくしは彼女に『他の殿方から貢がれた装飾品を身につけて殿下に会うのはどちらに対しても不誠実ですので一人に絞りなさい』と忠告しただけです。顔を真っ赤にして髪飾りを床に叩き付け、踏みつけ破壊し泣き崩れたのはそちらです。わたくしは突然の凶行に彼女の情緒を心配していただけです」

「ソニアがそんなことをするわけがないだろう! 他人の物を破壊する所業は器物破損に値する!」


 壊したのは彼女ですので、値しません。


「更にお前は俺の婚約者であることを盾にして、令嬢達にソニアを茶会に呼ばぬよう根回ししたな! そればかりか令嬢達で結託し、誹謗中傷の嵐でソニアを責めた!」

「新たに得たお友達とのお茶会ですか。男爵令嬢に婚約者を寝取られた同盟のお茶会にご本人は呼べませんし、恨み辛みのある方々の暴走は止めきれませんでした。止める理由もありませんし」

「でたらめを言うな! 名誉毀損だ!」


 こちらの名誉が傷つけられていますが。


 他にもあれやこれやと言われていますが、身に覚えのあるものから全く無いものまで様々です。身に覚えのあるものも、こちらとあちらで受け取り方が異なっているものが多いです。

 しかしどれもこれも、意図的にわたくしが悪く見えるよう証言されたものですね。

 一応裁判の形をとってはいますが、一方的な断罪にしか見えません。わたくしの弁護人も、公平な裁判官もいませんから。


 裁判と言ってくだされば証拠を持って参りましたのに。

 一人で来いと言われたので素直に命令に従ったわけですが、ちゃんと証拠を持参すべきでした。

 ええ、婚約者、ユージーン様の浮気の証拠を。

 裁判をするならまずそちらからですよね? 明らかな契約違反はあちらですし。

 わたくし、こんなに嫌われていますが、歴としたユージーン第二王子殿下の婚約者です。


 婚約が決まったのは五年前。わたくしが十二歳の頃。

 王家の方から、第二王子との婚約打診が届きました。

 ブシドゥー伯爵家にとっても青天の霹靂。王家に対する忠誠には自信がありましたが、伯爵家と位の低い家から王子妃が選ばれるなどあり得るのか。ええ、王子妃です。第二王子の婿入り先ではなく、わたくしが嫁入り。

 何故に?

 自分で言うのもなんですが、ブシドゥー伯爵家は、王家の仲間入りをするほど格式高い家ではありません。

 家族全員で首を傾げましたが、王家への忠誠故に拒むこともありませんでした。誠心誠意仕えるようにと厳命され、わたくしもそれを受け入れておりました。

 しかし第二王子殿下のユージーン様ご本人が大層ご不満だったようで。


『何故俺の妃が伯爵家の、こんな人形のような娘なのだ! まったく俺に相応しくない!』


 と、婚約が結ばれた時から不満爆発でありました。

 それはそう。

 わたくしは粛々と主君に仕える臣下として、主君の不満を受け止め続けました。婚約者というよりも王家の方は主君です。ご機嫌を取ることはできませんでしたが、王子妃となるための教育には力をいれて参りました。

 表情を出してはならない。顔色を悟らせてはならない。夫となる男性に反論してはならない。それらは教わったとおりできていたと思います。もとより、表情が乏しいと言われていましたし。逆に笑顔をがんばろうと言われるくらいでした。

 ちょっとした問題点はありましたが、両陛下とは問題なく交流できました。王太子殿下とも数度言葉を交わす栄誉を賜り、その婚約者様ともお茶会で交流することが許されました。

 肝心の婚約者、ユージーン様とは没交渉のままでしたが。

 そろそろどうにかしなくてはと周囲がため息をついている中、この騒動です。


 そう、第二王子の遅い初恋。

 この学園でソニア・フローリン男爵令嬢と出会い、殿下は恋に落ちました。


 そこから多少あった王族としての尊厳が、一人の女性に惑わされて見る影もなく…。

 そこからもう坂道を転がり落ちる石のように…周囲を巻き込みながらガランゴロンと暴落の一途です。

 わたくしも何度か忠告しましたが、それも嫌がらせの一部として数えられてしまいました。


 たくさん罪状を、男爵令嬢から聞いたわたくしの罪を並べ立てた殿下は、厳しい顔をしてわたくしを睥睨しています。


「罪を認めるまでここから出ることを禁ずる」


 それは裁判ではありません。それこそ脅迫です。

 弁護人もおらず、十分な証人もおらず、証拠不十分で裁判の形をした茶番にしか思えません。

 ですが彼は王族ですので、その言葉には強制力があります。人に命令し、従えることを当然としている傲慢な声です。そしてその傲慢さがあってこそ人の上に立てる。謙虚なだけでは人の上には立てません。

 なので別に、傲慢さは歓迎すべきことなのですが…頭の足りない傲慢はただの馬鹿です。

 ユージーン様、ただの馬鹿になり果てましたか。

 彼は初恋に焦がれて正常な判断ができなくなっているのでしょうね。わたくしの言葉は、全て悪く聞こえるようです。


「…何を言っても届きませんのね」


 欲しい言葉以外、受け付けなくなっているのでしょう。

 嘆かわしい。

 わたくしは王家に忠誠を誓っております。なので、道を誤っていると思ったら即忠言。偽りもせず申して参りましたが、それが疎まれるならば言葉にはもう意味がない。


「わかりました。弁明はもう致しません」

「そうか。ようやく認めるのか」

「いいえ。わたくしは嘘をつけませんので」

「もう弁明しないというのが嘘ではないか!?」

「嘘ではありません。偽りの罪を告白するくらいなら、わたくしは」


 言いながらスカートをたくし上げた。

 壇上の殿下がぎょっとして、男爵令嬢が目を丸めて、騎士様が顔を強ばらせ、魔術師様の顔色が沸騰した。


「いきなり何を――――!?」


 彼らの反応を気にせず、わたくしはガーターベルトに挟んでいた…護身用にと持たされていたナイフを取り出した。手の平に収まる、とても小さなナイフを。

 気付いたユージーン様が男爵令嬢を守るよう背に庇い、騎士様がわたくしに迫る。

 ですがそれはどうでもよいのです。

 わたくしは長い黒髪を掻き上げて、露わになった首筋に刃をあてた。


「真実の証明に、命を賭けます」


 鐘が鳴る。

 十一時を告げる鐘が鳴る。


「そしてそれを、この身をもって最期の諫言と致します」

「システィーナ!?」

「ごきげんよう」


 切り裂いて噴き出る血しぶき。甲高い悲鳴。

 首筋に感じた灼熱。目を見開く彼ら。


(申し訳ありませんお父様、お母様。システィーナはシスティーナの正義を貫いて死にます)


 殿下に言葉は届かぬので、行動で示すほかありません。

 間違いを正すためにも、わたくしは冤罪を認めるわけには――――…。


 ぎにゃり。


 耳障りな音を立てて、噴き出した血が捻れた。

 時が凍る。

 ぎゅるりと逆巻く時空。


 噴き出た血が切り裂かれた首筋に戻り、切り裂かれた首筋が復元する。

 何事もなかったかのように、わたくしはそこに立っていた。


「え?」

「え?」

「え?」

「…え?」


 呆然とする周囲。きょとんと目を丸くするわたくし。不気味な静寂が続き。

 十一時を告げる鐘が鳴った。

 先程鳴ったのに。

 何故。


「えいっ」

「いやああああああ!」

「うわああああああ!」


 もう一回やってみた。

 周囲からまた甲高い悲鳴が上がる。

 しかし血が噴き出たと思ったら、耳障りな音を立てて逆巻く事象。

 わたくしは、自害したのに傷一つなくなっていた。

 何故。


「…わたくし、確かに自害しましたのに…」


 そしてまた、十一時を告げる鐘が鳴る。

 本日三回目の、十一時を告げる鐘の音。


「…まさか、時が巻き戻っている…?」

「そんな馬鹿なことがあるか!」


 蒼白な顔色の殿下が怒鳴る。


「不思議ですわ。自害だからいけないのかしら…そこの騎士様、ちょっとわたくしを殺してみてくださらない?」

「できかねます!」


 即答されてしまったわ。


「な、何故平然としている…! し、死ななかったんだぞ!? 知っていたのか!」

「まさか。自害など、したこともありませんでした」


 試そうと思ったこともない。

 命は刹那。一度しかないのだから、断てば終わりだ。

 …終わりのはず、ですのに何故?


「ならばもっと取り乱したらどうだ! お前は何事も冷静で、無関心で、無表情で、気味が悪かったがここまでとは! この化け物め!」

「化け物…」


 怯えられ、首を傾げる。傷の塞がった首は、動かしても痛くない。

 何故。

 わたくしには心当たりがない。


「…わたくし自身が化け物なのか、時間が巻き戻っているのか、揃って幻覚を見ているのか…一体どれが正解だと思います? 魔術師様」

「うひっ」


 この中で唯一原因解明が可能そうな魔術師様に声を掛けると、彼は真っ青な顔で飛び上がった。


「…じ、時間が巻き戻ったんだ。時間が、ほんの数秒だけど、時間が」

「馬鹿なことを! 時間が巻き戻っただと? 私達はこいつが死ぬところを二回も見ているというのに!? 巻き戻ったのならその事実も忘れるだろう! だから巻き戻ったのではなく、システィーナがおかしいのだ!」


 それもそうです。時間が巻き戻ったのなら記憶も巻き戻るはず。

 しかし私たち全員が、わたくしが自害したことを認識している。


「じじじじじ十一時を告げる鐘が三度鳴りました! システィーナ嬢が自害した瞬間、自害する前まで時間が巻き戻っています! 我らにその自覚があるのは、巻き戻りを目撃しているからです!」

「ならばやはりシスティーナが原因ではないか!? 貴様は一体どんな絡繰りでこのような真似を!」


 青い顔で怒鳴られましても、わたくしも不思議に思っているのです。

 わたくしは首を傾げながら、下ろしていたナイフを再び掲げました。


「わかりませんわ。もう一度試しますので検証してくださらない?」

「おやめください!」

「何故躊躇わずに自害しようとする! 頭がおかしい!」


 魔術師様がひっくり返った声で悲鳴を上げて、ユージーン様が怒鳴り散らしています。

 わからないからこそ検証しなくてはいけないのに。何故怒られるのでしょう。それに頭がおかしいと言われるのは流石に心外です。


「ブシドゥー家の者なら皆そうします。偽りの告白をするくらいなら、腹を切ります」

「お前が切っているのは首だ!」

「介錯して頂かないと腹を切ったところで易々と死ねませんもの。手持ちは護身用の、敵を倒すのではなく時間を稼ぐためのナイフしかありませんでしたし…ああ、騎士様がいらっしゃいましたわね。介錯をお願いしても?」

「できかねます!」


 また即答で断られてしまいました。


「そもそも何故自害する! 自害するくらいなら罪を認めればいいだろう! 認められぬにしても他にやり方はあるだろう!」

「ですが殿下はわたくしに、罪を認めるまでここから出るなと仰いました。わたくしには身に覚えのない罪です。それを受け入れるくらいなら死にます。しかしわたくしが自害すれば時間が巻き戻りそれも叶わない…困りました」

「馬鹿者! 自害を選ぶなど極端過ぎる! 往生際が悪いのか潔いのかどっちだ!」

「自分なりに潔いと思っての行動です」

「愚か者! 命を軽視するな!」

「ですがやっていないことをわたくしの罪と認めるわけにはいきません。冤罪です」

「冤罪ではないだろう! お前はソニアに嫉妬して盛大な嫌がらせを…」


 殿下はそう言いながら振り返り、目を見開く。

 男爵令嬢は腰を抜かしてガクガク震えていました。床が濡れているので失禁してしまったようです。

 殿下は一歩、彼女から離れました。


「…貴様! 何度も自害シーンを見せられてソニアが怯えているではないか!」

「それは大変申し訳ございません。わたくしもまさか二回も見せつけることになるとは…三度目はできるだけ血が飛び散らぬように致します」

「そういうことじゃない!」

「ひ、ひぃっ! いやああああごめんなさいごめんなさい違うのごめんなさいー!」


 彼女は頭を抱え、震えながら後退しました。しかし腰が抜けていて、じりじりと地面を擦るように移動しています。亀の歩みに似ていますわね。


「死ぬほどなんて思ってなかったの! 死ぬほど追い詰められるなんて思ってなかったのよ!」

「ソニア?」

「だってあなた何を言われても表情を変えないし! ユージーン様に酷いことを言われても顔色一つ変えないし! 全然人間味ないし、反論しないし、何をしたって…っ」

「わたくしが人形のようだから、何をしても許されると?」


 喚く男爵令嬢に、わたくしは一歩近付きました。

 ユージーン様は男爵令嬢の脇に立ち、事情を把握できていない様子です。壇上の下に居た騎士様と魔術師様は何か察せられたのか、青い顔をして私たちを見ています。

 腰を抜かしたまま蒼白な表情で、男爵令嬢は近付いてきたわたくしを見ました。彼女は壇上にいるけれど、腰を抜かしているので見上げなくても視線が合います。


「確かにわたくしは、表情は変わりませんし顔色も変わりませんし反論も致しませんでした。ですがそれは王子妃教育で、表情を出してはならない。顔色を悟らせてはならない。夫に反論してはならないという教えを守っていただけです。今回発言しましたのは、この場を裁判と見立てていたからです」


 そうあるべきと教育されたので、そのようにしているだけ。

 ユージーン様は夫ではありませんが、夫となる人物ですので反論せず拝聴しただけです。今回は流石に裁判の形をとっている上に謂れなき罪ですので反論致しましたが…。

 普段から、思っていなくても建前なるものを使えとも言われていますが…わたくし、演技は大根ですので黙って相手を見つめる方が迫力あると言われております。圧を出すことも大事だと言われました。


「それと、人間味を感じない、ですか…感情を抑制するわたくしを見て、そう思われたのかもしれません。それでもわたくしは、人間でございますから…傷つく心もありますし、わたくしなりの正義もございますし…そのために命を賭ける覚悟もございます」


 王子妃となる人間がそのような考えではいけないと、王妃様には忠告されておりますが…亡きお爺さまの教えを好んでおりますので、わたくしはそれを変えたくはございません。


 我が家は正義に生きる。

 王家に忠誠を誓いながら、王家が道を外れたら、首をはねられるとしても必ず諫言する。命を賭して国のため、正義を貫くと決めている。


 実は婚約が整ってから聞いたのですが、王家はだからこそブシドゥー伯爵家の娘を嫁入りさせたそうです。あまりに過激な思考なので、我らブシドゥーの一族を妃に迎え、身内とすることで軟化しないか…と考えての婚約だったそうです。

 残念ですが、その程度のことで我らブシドゥー伯爵家の正義感は揺るぎません。

 両陛下曰く、忠誠はありがたいが、正義感が強すぎて重いらしいです。

 所詮伯爵家なのでお気になさらなければよろしいのに。


「ソニア・フローリン男爵令嬢。あなたは自分の発言に、覚悟はございますか」


 名前を呼ばれて、男爵令嬢は一層震え上がりました。


「殿下の伴侶を目指すということは、王子妃を目指すということ。発言一つで他者の命運を動かすことになります。今のこのようにあなたの発言でわたくしが命を賭けました。命を賭けたのはわたくしの勝手ではございますが、偽りの罪の押しつけは冤罪です。冤罪を押しつけられた者のその後は想像されましたか。場合によっては醜聞に塗れ、社交界から弾き出され、家族とともに路頭に迷うかもしれない…そんな想像はしましたか」


 わたくしが絶対辿らない道筋ではありますが、わたくしじゃなかったらこのように裁かれれば、冤罪だとしても心に傷を負います。わたくしはわたくしの正義を主張するため自害しましたが、心を病んで自害してしまう令嬢だって居るでしょう。

 目の前でするか、時間が経って世を儚んでするかです。


「冤罪での糾弾は、身に覚えがないからこそ証明が難しい。わたくしに罪を押しつけて、わたくしの人生を潰したかったのですよね。ならばわたくしが自害したのは、あなたにとって好都合だったでしょうか」

「ちが、ちがう。ちがうわ。そんなつもりじゃなかったの。わたし…っ」

「ではどのようなおつもりで、このような謀を?」

「あ、あ、ああ…!」


 ガタガタと震えながら、男爵令嬢の視線はわたくしの首元。

 恐らく、わたくしが首を切り裂いた映像が、網膜に貼り付いているのでしょう。

 品がないとはいえ彼女もご令嬢。生き物が血を流し息絶える瞬間など、見たこともなかったかもしれません。


 なにより冤罪で裁かれることが、無実の人にとってどれだけの重さなのか…想像できていなかったのでしょう。


 わたくしは、ふと顔を上げました。

 この講堂の奥に飾られた、正義の審判の彫刻が目に入ります。

 右手に剣を。左手に天秤を掲げた女神の彫刻。

 公平さを。偽りを許さぬ真っ直ぐ前を見つめる眼差し。


 …もしやわたくしは、偽りを口にできぬと自害しましたが…冤罪で裁かれたと女神に判断されたのでしょうか。

 冤罪を許さぬ女神だからこそ、裁判のやり直しのために時間が巻き戻り、わたくしの自害はなかったことにされた?


(…いいえ、女神様の采配など誰にも予想がつかぬこと…人の身で巻き戻りの解明などできませんが、自害は早計だと怒られたのだと思うこととしましょう)


 だって本当は、偽りを口にした考えなしの無神経さにわたくしが折れる必要など、どこにも無かったのだから。




 それから。

 わたくしとユージーン様の婚約は破棄されました。

 勿論、あちらの有責です。講堂であったことは、魔術師様がしっかり魔術で記録していましたから。

 時間が巻き戻ったところもしっかり記録されていたので、魔術師たちの間で「研究資料として永久保存だ!」「複製を作れ!」「一つじゃ不安だ。五つは作れ!」と騒いでいたので、これは歴史にしっかり刻まれる学生裁判となりそうです。


 告発する以前の調査が甘く冤罪を生み出しそうだったこと。そもそも婚約関係でありながら別の女性に想いを寄せて、そちらに偏った心境で裁判に臨む姿勢。そういった不公正さ。不誠実さが問題であるとされ、婚約はあちらの有責となりました。

 ユージーン様は元々王太子ではありませんでしたが、これを機に王位継承権の剥奪。臣籍降下して伯爵として、将来は兄の臣下として国を支えることとなりました。伯爵です。色々勝手にしたことが、しっかり影響しています。


 ソニア・フローリン男爵令嬢は嘘の告発。ユージーン様への教唆罪。わたくしへの不敬罪。色々積み重なり修道院へと送られることとなりました。毎日正義の女神に祈ることで、人を陥れる心を更生することが望まれています。

 わたくしが目の前で自害したこと、とてもトラウマになっているようですから、そこまで悪辣な性根ではなかったと思われますが…やらかしたことは事実です。反省も含め、祈りの日々を送ることとなりました。


 ちなみに魔術師様と騎士様は修行のし直しらしいです。王子殿下の決定に逆らえなかったとはいえ、学生裁判前にもっと調べるよう忠言することなく、鵜呑みにしたことが咎められています。彼らはわたくしに暴言を吐いたり暴力を振るったりしたわけではありませんが、あちら側だったので罰が必要でした。実際、流されてしまったわけですからね。


 そしてわたくしは。


「なんでじがいなんかしたの!」

「きせきはそうかんたんにおこらないんだぞ!」

「あのまましんでいたらどうなっていたと!」

「まごがぁあああああ! まごがぁああああああ!」

「いやああああああしなないでしすてぃーなぁああああ!」


 魔術記録を確認した家族に、鈴なりに縋られています。

 お母様、お父様。お兄様にお婆さま。更にお兄様の妻、お義姉様まで。

 わたくし、ブシドゥー家の者ならそうすると思っていましたが、決断が速すぎるととっても怒られました。

 偽りを認めることはできませんが…別にユージーン様の命令に従う必要は、なかったのです。彼らを振り切って講堂を出ても、あんな歪な学生裁判、無効でした。

 だというのに全部自分で決めて、誰にも頼らず自害したわたくしは…確かに決断が速すぎたようです。

 わんわん泣き喚く家族を見て、わたくしは…つられてほろりと泣いてしまいました。


「ご、ごめんなさい~っ」

「「「「ばかー!」」」」


 罵られながらもわたくしに縋る手はとても強く。

 大事な正義ではあるけれど、柔軟さも必要なのだと、わたくしはやっと受け入れたのでした。


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