第16話
そのオフィス用品店は、全国展開の有名店だった。オフィスで使う諸々が、ほどほどの値段で売っている。わたしたちは怪しまれないように客を装って、三人の様子を伺った。
「ねえ、聞いた?あいつ目、覚ましたらしいよ」
「そのまま死んでたらいいのにねー」
その発言にうっかり見本のペンを落としてしまった。カラン、と音がしてしまった、と思ったけど三人はこちらに目もくれない。何も気づかず、きゃははと品のない笑い声をあげてひどいことを言っている。まともに聞いていたらハサミをもって襲い掛かりそうなので、店内に流れる有線の音楽に耳を傾けることにした。
三人の様子は、事務服を着ていることをのぞけば女子高生が学生御用達の雑貨店にたむろしているように見える。精神が成長してないってことだ、取るに足らないぞ。わたしはそう言い聞かせ、もう一度三人を見た。
「でもさ、ササオカだったらそれはそれでむかつく。あいつ美人だって自分でわかってる振舞いだよね」
「わかるー。もうさ、わたし美人でしょオーラが半端ない」
おうおう。ササオカさんは確かにきれいだが、それは負け犬の遠吠えにしか聞こえんぞ。頑張って心の中で威勢のいい言葉で三人に切り返す。実際は何もできないんだけど。それにしても何も持ってないけど、何の備品飼うのかな。店員さん待ちかな。
「キジョウさん、俺見とくから、君トイレ行ってきな」
マキウチさんにそう声をかけられ、わたしがひどい顔をしていることを自覚した。恥ずかしくて俯いて小さい声で返事をして、お手洗いに向かった。手洗い場で鏡を見る。……メイク直すか。あんま慣れてないけど。とりあえず化粧ポーチを出して、アイシャドウを塗りなおした。
意識的に濃い目に色をのせてみる。でもチークや口紅はやりすぎるとただのコントだしな。……デパコス見に行こうかな。一回プロに似合う化粧とか教えてもらおうかな……。
そんなことを考えながら、何とか武装しなおしてフロアに戻った。三人はまだしゃべっている。おい仕事さぼってるのか。本当に何しに来たんだろう。そう思っていたら、店員さんがお待たせしました、とすごい甲高い声で叫びながら(本当に叫んでいるとしかいいようがない)三人に近寄った。
「ご注文のデスクですが、生憎人気商品のため、在庫薄でしてえ……。入荷予定はありますが、一か月ほどお待ちいただくことになるのですが」
「そうなんですかあ。ちょっと上司に確認します」
蕁麻疹が出るかと思った。前職でのトラウマ、あのクソアマを思い出す声。今思えばミサキさんは声がアニメ声というか、そういう感じなだけであいつとは全然違った。ごめんなさい、ミサキさん。あとでお菓子買おう。妊婦さんだから、ドライフルーツのほうがいいかな。
一人が電話を架けて、残り二人は店内を見まわしている。あの嫌な声が時々聞こえてくる。じゃあ、そのまま注文しますね、と言って電話を切ったようだ。そして店員さんにそのまま注文しますう、となんかくねくねしてそうな声で返答した。殴りたい。
「かしこまりました。お届けはオフィスでよろしいですか?」
「お願いしますう」
そういって三人はぞろぞろと店を出て行った。店員さんがまたのお越しをお待ちしております、とやっぱり甲高い声で見送った。それにしてもこの人すごい声量だな。合唱団とかやってるのかな?
三人が出て行った以上、追いかけるべきかなと思ったけど、マキウチさんがなぜか首からかける名札ホルダーを買ったので、その会計を待つことにした。ついでにわたしも何か買うように言われたので、近くにあった油性ボールペンを一本取った。会計を済ませて領収書をもらい、三人の後を追う。と言っても行き先はわかっているわけだけど……。
「あいつらさあ、人の命なんだと思ってるんだろうね」
そう言ったマキウチさんの顔が、ものすごく鬼の顔になっているの気づいた。ひぇ……。わたしの怒りなんて目じゃなかった。でも、この人がこうやって変な茶化しを入れるんじゃなくて、まっとうに怒る人でよかったと思う。
「痛い目は見てほしいんだよな。死んだらさすがに、あのササオカさんも嫌だろうし」
そうかな。案外喜ぶ……というと語弊があるけど、死んで当然ぐらいは思うんじゃないかな。この感想のほうがササオカさんに失礼かもしれないのあいまいに笑っておいた。
「とりあえず、オフィスの前で張り込みかなあ。喫茶店あったから、ちょっとそこで粘るよ。ついでにランチしちゃおう」
そう言って二人で距離を置きながら、三人の後を追うようにした。最後の信号でわたしたちが渡ろうとする直前で赤信号になった。うん、危ないからね。ここはスクランブルではないが歩行者分離式なので、三人も信号で待っていた。なので追いつけなくなる、ということはない。そもそもわたしたちのこれからの目的地は、道を挟んだ向かいにあるこじんまりとした喫茶店だし。
信号長いなあ、メガホンじゃない、スピーカーが憑いてるってことは鳥の鳴き声が聞こえる奴だ。あれは目の不自由な人に渡れますよって教えるためについてるんだっけ。それならすべての交差点に付けるべきじゃないのかしら。あれ大きいとこにしかついてないよね。
というどうでもいいことを考えながら、信号が変わるのを、待っていた時だった。信号待ちをしていた三人のうち、一人の身体が前のめりになった。えっと思った時には、制限速度を十キロはオーバーしてそうな軽トラックが突進していった。ドン、という強い音がしたと思ったら、ぽーんとその一人の身体は高く飛んで、地面に突き付けられた。
何が起こったのか、脳が完全に理解するまでに時間がかかった。とにかく救急車、警察も呼ばなきゃ。あれ、何番だっけ……。まずスマホを探さなきゃ。でも、うまく手が動かなくてカバンからものをうまく出せない。どうしよう、どうしよう……。
気づいたらマキウチさんがわたしの肩に手を置いて、喫茶店はいろう、警察呼んだからと言った。わたしはそれに促されるまま、よろよろと蔦が這った喫茶店の中に二人で入った。
マスターと思われるひげを生やした男性がお冷を持ってくる頃になって、ようやくわたしの手の震えは止まった。一口、その冷たい水を飲む。ここで、何が起きたかをようやく理解できた。
突き飛ばされたのは、ナカオマキ。救急車のけたたましいほどのサイレンが響く。窓際だからちらりと見ると、残り二人はへたり込んでいた。道路に血だまりが見えたような気がして、目線をそらした。
初めてだ、事故を見るのは。こちらに引っ越すまでは、いわゆる郊外に住んでいたから、必要だろうとオートマ限定だけど免許を取った。なので教習所で、事故の怖さを啓蒙するビデオを見せられた。嫌だなあ、とその時は思うだけだったが、いざ目の前で人がはねられたのを見ると、心底いやだ、と思う。死ねばいいのに、と思っていた人間でも。
「キジョウさんさあ、やっぱり向いてないよ。交通事故に見せかけて殺すなんて、うちじゃ一番よくやるんだから」
そんな言葉は聞きたくなかった。でも、そうだよな。今まさに私は、殺し屋失格の態度を取った。冷静になれなかった。マキウチさんは水を一気に半分くらい飲み干すと、天井を見上げた。
「いいよ、俺からちゃんと所長とヨシカワさんに言っとくから。キジョウさん、向いてないって。安心しな、口封じで殺すとかそういう物騒なことはしないから。箝口令は敷くけどね」
「いえ、すみません。怯みました。二度とやりません」
「……なんでムキになるかな」
マキウチさんは、呆れたような声だった。でも私は、ここで引きたくない。確かに怖い、と思った。でも、わたしはこの人に認めてほしい。人生で初めてそんなことを思った。わたしはマキウチさんの隣で……。いや違う。なんかあらぬ方に思考が行ったぞ。
「もう止めないからね」
そう言ってマキウチさんは、メニュー表を渡してきた。決まった?と少したってから聞かれ、こくりとうなずいた。そのタイミングで、マキウチさんは手を挙げて店員さんを呼び止めた。そのままホットコーヒーとレモネードを、と注文する。店員さんはメモを取ると察そうとキッチンの方へ向かった。
「この後、どうなるんでしょう。見張ってたのに、こんなことに」
「多分これで怒られたりはしないから安心しな。ヨシカワさんには報告した。悪いけどさっきのランチ計画はなし。コーヒー飲んだらいったん事務所に戻らないと」
「やっぱり、始末書ですか」
「あのねえ、話聞いてた?怒られはしない、でも俺ら以外が実行した。作戦の考え直しもいるから、方向のために戻るの。わかった?アンダースタン?」
なぜ英語。わかりました、というとじゃあレモネード飲んで落ち着きな、といつものニヒルな笑みを浮かべた。注文の品はドリンクだけだからか、はやばやと来た。白い湯気がもくもくと上がっており、あつあつなのが見て取れる。
目の前にカップが置かれた。明るい黄色を見たら、少しだけ元気が出た気がする。一口飲むと、レモンの酸っぱさと、はちみつの甘さが口の中で入り混じった。だんだん日常がとけてきたら、落ち着いてきた気がする。
大丈夫。わたしはあのくそブラックで働いてたんだ。大丈夫、わたしはやれる。
馬鹿みたいなことを念じながら、ゆっくりレモネードを味わった。ふっと外を見たら、野次馬はいなくなり、たぶんここの『日常』の、普通の往来だけが見えた。
喫茶店を出て、事務所に戻った。ヨシカワさんにササオカさんとの会話を含め報告すると、この前のオガワさんの件を含めレポートとして提出するよう指示が出た。現状私に関しては、ほかの案件はないため、それに集中していいとのお達しだった。
マキウチさんのメモなども参考に、書き上げていく。レポートって大学以来だ。こういう感じでいいのかしら、と書いたものをマキウチさんに見せた。するとじゃあそれメールで所長と吉川さんに送りな、とあっさり言われた。なのでその指示通りそのまま送った。ここまで二時間足らずである。……お昼少し過ぎたくらいだ。
「あ、スズキさんからメール来てるわ。……ナカオマキ、今ICUらしい。相当頭強くぶったっぽい」
サーっと血の気が引いたのが感じた。目の前で誰かがそういう目に合うのは、怖いと思う。リリアちゃんを追い詰めた天罰と思ったら、当然と思えるけど。それにしても突き飛ばしたのは誰なんだろう。一緒にいた二人は、気づいたらナカオマキが飛び出していた、と説明しているらしい。日尾込だったわけじゃないけど、かえって気づきにくかったらしい。わたしも突き飛ばされた、と思ったけど、誰がというのはわからないし。
スズキさん曰く、とりあえず残り二人はとても仕事をさせられる状況ではないので、もう帰宅したそうだ。その結果、わたしたちは仕事がいったん無くなった。夜勤組にもヨシカワさんがメールで連絡した。アプリのほうが既読通知付くからその方がよいと思ったけど、中には入れてない人もいるからメールらしい。でも今時いるかな……。
「とりあえず二人はナカオマキの様子を見に行ってくれい」
ついでに今日は時間になったら引継ぎして直帰でいいらしい。なのでパソコンの電源を落とし、事務所を後にした。今更だけど、もうすぐ冬なんだな。コートも新しくしよう。さすがに高校の時のコートずっと使ってるのはまずいと思う。気に入っているんだけども。
並んで歩いていると、マキウチさんが話しかけてきた。
「キジョウさんさあ、年内ならやめるって言っても許すよ」
「あの、マキウチさんは、どうしてわたしにそんなこと言うんですか」
「……イガラシさんに言われた時は否定したけど、君が妹と同じ名前で、ちょっと似てるから。お兄ちゃんとしては、こんな仕事じゃなくて、もっと堅気なことしてほしいわけさ」
「でも、わたしは」
わたしは、マキウチさんの妹さんとは違う。そう言いかけて、飲み込んだ時だった。向かいの歩道で、誰かが言い争っている。よくみたら、カノウさんだ。あれ、夜勤だからまだ出勤じゃないんと思うけど。マキウチさんも、あいつの家そんなに近くないはずだけど、なんかあったかなと不思議そうだ。
言い争いの内容はわからない。とりあえず通りすがりの人が遠巻きに見ている。カノウさんが大柄だからか、相手はかなり小柄に見える。女の人かな。うーん、痴話喧嘩なのかな。
そう思っていた時だった。相手の顔が見えた。ウエハラユカ、だ。新たなターゲットの内の、一人。帰ったって聞いたけど……。それでなんでカノウさんと言い争ってるんだ。
二人の会話は聞こえない。言い争ってる、と思ったけど、カノウさんが一方的に攻められてる感じ。なんだろう、なぜか胸騒ぎがする。信号はなかなか変わらない。早く、近づいて、何の話をしているのか、聞かないと。不思議とそういう気持ちになった。
早く、早く変われ。そう思うのに、ちっとも変わりそうにない。何なら車が通る量が、増えてきたような気がする。地域の特性上仕方ないけど、もう少し丁寧な運転を心がけてください、皆さん。馬鹿なことを思っていた時だった。
ドン、と強い音がした。その時通って行ったのは、大型トラックだ。わたしたち側の車線の車はびゅんびゅんとスピードを出して通り過ぎていくが、反対側、つまりカノウさんとウエハラユカがいる方が近いほうの車道では、トラックのすぐ後ろを走っていた車が止まった。
なんで、と思った。道路を見て、赤い水たまりができているのが見えた。グラグラと、視界が揺れたのを感じた。
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殺し屋たちの日常 早緑いろは @iroha_samidori
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