1話 天涯孤独

 ボクからのお願いだ。

 風邪を引いたらすぐに寝て欲しい。

 汗をかいて、身体の悪いモノを取り出して欲しいんだ。


 バカでも風邪は引く。

 風邪を引かれた側の気持ちを考えて欲しいものだ。


「はぁ、寒いなぁ……」


 ボクにとって、病は近所の猫のようなものだ。

 警戒してない時にふらっとやってくる。

 賢いから甘い人間に宿るのだろう。

 だからボクたち人間は、薬という水を汲んだペットボトルを庭に置くんだと思う。

 まぁ、猫みたく可愛ければいいんだ。


「ボクが世話してあげないと、誰も面倒見てくれないからね……」


 そう、そして『死』はいつも唐突にやってくる……。

 それは色や形もなく無機質で。

 何もかもを食い付くし、勝手に人の大事なものを奪って去っていく。

 身体だけでなく、その身近な誰かの、大事なものも……。


「……なんで死んじゃったの、ねえ」


 ——墓前に上がる焼香。

 両親が亡くなってしまったのだ。

 お墓を前にすると、本当にお別れしてしまったという現実が押し寄せてくる。

 だから、隣には何もない——帰る場所も。


 ボクはお祈りをするやいなや、ポツリと何をするでもなく立っていた。

 何だか気の遠くなるような切なさが込み上がってきたからだ。


「……く、くしゅん。はぁ」


 周りを見れば、しんしんと降り積もる雪。冷え性のボクには辛い季節だ。

 冬というのは「別れ」の代名詞なんだろう。

 冷たくて、心がキュッとするような痛さが積み重なる時期なのだ、この雪のように。


「はぁ、天涯孤独かぁ……」


 病弱な母はボクを産んで他界した。

 男手1つでボクを育ててくれた父も、呆気なく病死。

 いる時は鬱陶しい存在なのに、今やその煩わしさを感じることが出来ないんだ。


 祖父母も自分が物心ついた頃には亡くなっていて、他にはもう親しい類もいない。

 いたとしても、今更会った事のない親戚に頼るのもなぁ……。


 残された所持金は僅か。

 まぁ、その気になれば一人で生きていく事だって出来なくはない年だ。

 学校に行かずに働いて、やっていけるだろうか。

 けれども、やっぱりどこかの施設に行くべきなのだろうか……。


 この先の身の振り方をあれこれと考え頭を悩ませる。


「なんか、変なの……」


 じわりと涙が込み上げてくる。

 明日からの事よりも、唐突に襲い来る孤独に打ちひしがれている……そんな気がした。


「……泣いちゃダメだ」


 余計に悲しくなるだけだ。

 男なんだから、強く生きなくちゃいけないんだ。

 だって、そうしないと二人が心配するじゃないか……


「お父さん、お母さん……」


 今でもひょろっと現れてくるんじゃないかと期待してしまっている。

 そんなわけないじゃないか。

 だって二人は亡くなったんだ……。

 あぁ無理だ、込み上げてくる感情を抑えられない。

 そんな感情を燻らせていると、砂利を踏む音が聞こえてきた。


「……はっ」


 こんな所を見られるワケにはいかないと、すぐさま顔を拭う。

 足音が近くなっていく……音のする方を振り向くと、ある人物が立っていた。


「渚……私だよ」


 落ち着きのある澄んだ声、目鼻の整った顔立ち。凛とした仕草。

 そんな面影を忘れるはずもない。

 彼女はボクの幼馴染——東雲衣玖しののめいくだった。


「どうして、キミがここに……?」


 そう、それはもう昔のことだ。

 この地で一緒に遊んだのは過去の話。今や両親の仕事の関係で都会に行ってしまった少女だけど、以前にも増して女に磨きがかかってしまうとは。


「久しぶり。話は聞いたよ……大変だったね」


 旧友との再会。

 だけど、びっくり以前に、ボクはこの浸った感傷からは逃れられなかった。


「い、衣玖……」

「いいよ無理に話さなくても」


 だけど、そんな彼女は葬儀に駆け付けてくれた。

 その事実でボクの目頭は熱くなりそうだ。


「ちょっとごめんね」


 彼女はお墓の前で祈り始めた。


「お悔やみ申し上げます……今回の件は残念だったね。それにお葬式にも間に合わずにのこのことこんな所に現れちゃって、ごめんね」

「いや、そんなことは……」


 急ぎで来てくれたのだろう。

 でなければ、こんな場所で鉢合う事はなかった。

 ……きっと衣玖は、ボクのことを探しにここまできてくれたのだろう。


「渚のお父さん、とても優しかったよね。働き者で誰からにでも頼りにされて、私も大好きだったなぁ……」


 彼女の想いがひしひしと伝わり、ボクは動揺を隠せなかった。

 それは衣玖も一緒、声色もやや弱々しく感じる。


「なのになんで……まだ生きてたってよかったじゃない、また一緒に渚とお話ししようよ、渚を置いてくなんて、うぅ……」

「衣玖……」


 衣玖はボクから背けた顔を戻し、苦笑した。


「ごめんね、ツラいのは渚の方なのに」

「そんなことないよ。お父さんの事を想ってくれていてむしろ嬉しいよ」

「なんか変な気持ちだね、ふふっ」

「そうだね、あはは」


 そして、ボクたち二人は笑い合った。

 墓前には似つかわしくない行動だったかもしれない。

 だけど、空から元気そうだねと見ていて欲しいな。


「……ところで渚、これから先はどうするの?」

「ええと、ある程度は決まってるよ」


 けど、ちゃんとは決まっていない。

 少しだけ痛い所を突かれてしまい、嘘をついた。


「ウソね——聞いた話によると、働くらしいじゃない」

「そ、それをどこで——」

「周りに聞いたわ……それに渚の事だから何でもわかるわよ」


 だからなのか、彼女は言った。


「行く場所がないなら——うちに来ない?」

「い、衣玖の家に……?」


 唐突な誘いに驚くボク。


 そうだった、彼女の家はお金持ちだった。

 衣玖の父親は学園を経営しており、彼女もその理事を任されている。

 一人くらい雇う事は簡単なのだ。

 だからこそ、高校生という立場ながら彼女にも力があった。


「衣食を用意してあげる、寮も、仕事も準備してあげる。だから——」

「——そんなの、ダメだよ」


 ボクは言ってしまった。


「どうして!」

「衣玖に迷惑をかけられないよ、ボクの人生はボクが何とかすべきだ」

「迷惑? そんなことあるわけないじゃない」

「あるんだよ!」


 強く断言してしまった。

 もう引くことはできない。


「……だから、気持ちだけ受け取らせてよ」


 そういうと、衣玖は迫ってきた。


「……バカッ! どうしてこんな時まで意地を張るの!」

「意地なんかじゃないよ、これはボク自身の問題だから」

「それが意地を張ってるって言うのよこのバカッ!」

「だったらどうしたらいいんだっ! ボクは誰かに助けられる資格なんてない、なんで幼馴染だけの衣玖に迷惑をかけなくちゃいけないんだ——」

「——貴方のことが好きだからよ!」


 ボクは狼狽えた。


 ……衣玖が、ボクのことを?


「そうよ、渚はいつも他人のことばかり優先して、損をして……私はいつも渚に助けられてた! だから今度は私が好きな渚に返す番なの!」


 好きだという感情がどういうものなのか、幼いボクにはまだ分からなかった。


 気持ちは嬉しい。本当はすぐにでも「喜んで」と言いたい。

 しかし、若干の罪悪感もあってすぐには返事が出来なかった。

 そんなボクに、衣玖は説得しようと試みてくれる。


「そんな過去の話を持ち出されても……はっ」


 昔、彼女にプレゼントしたアクセサリーを身に付けていた。


「なによ、これでもまだ歯向かおうとするの?」


 ……まだ持ってたんだね。

 心の中で呟き、ボクは折れてしまった。


「……ボクは衣玖の気持ちに応えられるか分からないよ」

「応えられるかどうかなんて関係ないわ、私がしたいからするの」

「あはは、衣玖も相変わらずだなぁ……」


 まぁ、実際のところ行くアテもない。

 逆に懸念すべきは悪い人に騙されたらどうしようという所である。


 そもそも、幼馴染を疑う事なんてしたくない。


「わかった。じゃあおねがいしてもいい?」

「当然じゃない。良かったわ、渚が受け入れてくれて」


 そう言うと衣玖は嬉しそうに、踵を返していった。


「じゃあ明日、荷物をまとめて明日8時に春日居駅に来て。業者の手配は今からしておくから」

「あ、ありがとう……」

「いいのよ、これくらい」


 人生の転換期というのは、こういうモノなのだろうか。

 人生経験の少ないボクには分からないが、悪い気がしないのは事実。

 恩だっていつか返せばいいのだ。

 なので、ボクは衣玖の言葉に甘えて、お世話になる事を決めた。

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オトしたいのは化粧であって、お前じゃない ~女子校に通うことになったが女装が全く必要なくて悲しい件~ れっこちゃん @rekkochan

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