プロローグ 女子の嗜み②
……そう、化粧をされていたのだ。
先ほどまで唇が乾燥しているからとリップを塗られたり、今みたく目尻に筆を下ろされていた。
——そう、メイクをされていたのである……ッ!
彼女との距離がとても近く、恥ずかしくて仕方がなかった。
「ねぇ、今の自分を見てみる?とても可愛い顔してるわよ……?」
いじわるな微笑みをつい拒否してしまう。
「い、いやです……そんな、恥ずかしい……」
「真っ赤になっちゃって、そんなに恥ずかしかったのね」
強引にも手鏡を手渡してくるので受け取った。
今日の自分はどうなってしまったのだろう。
そんな懸念とともに鏡を覗き込むと、そこには——
「うわあああああああああああ——ッ⁉」
——茶の湯や絵画などでお馴染み、安土桃山時代の風物詩。
石川五右衛門が映っていたのだ。
眉が『逆への字』となって吊り上がり、目の周りは隈よりも大きく縁どられた『楕円』が描かれている。
しかも頬には、二か所ほど赤いラインが入れられていて、歌舞伎俳優や宝塚に引けを取らぬほどの濃いメイクが施されており、自分の素顔が判別できないほどだった。
夢だったらどれほど安心できただろうか、にわかに信じがたい光景だった。
「……ふふっ、可愛いわぁ……皆本渚ちゃん」
衣玖の類稀なる手捌きによって、美少女に生まれ変わる予定だったのだが、この結果。
どう手を尽くせばこうなるのか分からない。
「まぁ、渚は元が良いからイジる必要ないのよね」
「それを免罪符に変な顔にするのはやめてくださいよぉ……」
……そんな一日の日課が終わる。
そろそろメイクは自分で出来そうな気もするが何とも難しいもので、たまに彼女の助言を頂くのだ。
すると、音を立てて階段を昇ってくる音が聞こえてくるではないか。
そして乱暴に扉が開かれるなり、美少女が現れたのだ。
「ちょっと、なに勝手に人の渚をイジめているの!」
彼女の名前は撫子さん、学園一の美少女に助けられました。
けれどごめんなさい、既に汚されてしまいました。
「あら、いつの間に貴女のモノになったの?」
「なななっ……いや、そのね! 渚ったら無防備だから、他の女の子にあんなことや、こんな事をされるかもしれないじゃない……だから私のモノに……」
「き、気持ちだけ受け取っておきます……」
助けてくれて嬉しいモノの、妙な妄想を繰り広げられ素直に喜べない。
二人とも可愛いのだけど、癖があり過ぎるのだ。
普通にしてくれると嬉しいのになぁ。
「あ、それと朝食が出来たから、降りて食べにきてね」
「あっ、ありがとうございます!」
撫子さんの料理はとても美味しい。
才色兼備で、何をやらせても上手にこなしてしまう罪な女性だ。
お嫁に行けば円満な家庭を築けるのは間違いないのだが……
「いや、妙な勘繰りはよしておこう」
「どうしたの渚?」
「いえ、なんでもないんです、なんでも……」
そうして、階段を降り洗面台へと向かった。
変わってしまった自分の姿に対し、切なさや寂寥感のような感傷に浸っている。
ぱしゃぱしゃと水の音を立て、クレンジングの類で顔の異物を取り除くと元の自分が映っていたので、とても安心した。
「今日も一日頑張ろう……っ!」
すると、醤油を煮詰めたお腹をくすぐる匂いがしてきた。
撫子さんの料理だ、これは煮物だな……と思いリビングへ向かう。
そしてドアを開くと、エプロン姿に身を包んだ可憐な少女——撫子さんがいた。
「あらおはよう、今日も可愛いね♪」
「そ、そんなことないですっ!」
朝の挨拶とばかりに『可愛い』と言ってくる。
なかなか慣れないモノで、ついつい話題を逸らしてしまう。
「ご飯ありがとうございます、今日は何を作ってくれたんですか?」
コンロからお鍋を持ち上げ、こちらにやってくる。
それをテーブルに置くなり、ふんわりとした表情でこう言い放った——
——「今日はホモの佃煮よっ♪」
…………。
……。
「はぁ、ハモの佃煮ですね……」
呆れてそう返した。
「それと、お味噌汁と目玉焼きのカップリングはどうかしら、どっちが攻めか聞きたい? もちろん水攻めに関してはこの味噌——」
「朝からえっちなのは禁止ですっ‼」
「やっぱり、渚は総受けが好みなのかしら……?」
「あなたは何を言っているんですか……」
そんな問いに対しても、撫子は堂々と答えた。
「ナニって、もちろんウインナーの話よ?」
「そのネタの為に和食にウインナーを持ち出すのはやめてくださいっ!」
目玉焼きに添えられたそれを指刺す撫子に、泣きそうになりながらツッコミを入れた。
そんなやり取りをニヤニヤしながら衣玖は見ている、どうにかしてください。
そして、羽の生えたような軽い足取りで、今日もキッチンを駆け回る。
この残念な女性たちは、超が付くほどのお嬢様である。
言ってみれば、すれ違う者全てを振り返らせるほどの、男の願望の体現。
容姿、性格ともに優れた一面を持つ理想の女性なのだ。
女子校でなければ争いは起き、派閥は生まれ、果てには村社会特有の社会現象を起こしてもおかしくないハズなのだが——
「もうっ、渚は私の料理に対してはノンケなんだから」
「朝から食べる気なくすような事を言ってるからですっ!」
そこに衣玖も便乗し始めてしまう。
「このハモ可愛くないわね。あ、こんな所にケチャップがあるじゃない」
「こ、こらこらあ~~っ!!」
——そう、彼女たちは病気だ。
感染すると、時と場合をわきまえずに頭がおかしくなる……もはや重症だ。
こうなった経緯はさておき、彼女たちはボクとのやり取りを楽しんでいる。
「渚はいつも可愛いわね」
「あ、ありがとうございます……じゃないですよぉっ!」
だが、飴と鞭なのか、撫子さんから聖母のような表情でお叱りを受ける。
「待って渚、朝一番に会ったら言う事があるんじゃなくて?」
それは彼女が常々、口うるさく言う挨拶のこと。
そういえば、彼女に対して今日はまだ一度も言っていない、失礼だ。
「えっ……こ、こんな所でですか⁉」
「こんな所だからよ」
けれど、罰ゲームなのだ。それもとっても恥ずかしいやつ。
しかし、この場にいるのはボクと葵さんと衣玖の三人だけ、別に恥ずかしがる事はない。
もうどうにでもなれ——
「撫子さん——ほ、ほもようございます……っ!」
「うふふ、ほもよう」
笑顔のまま固まるボクと、ニッコリ微笑む二人。
まるで、そこだけ世界が隔離され空間が閉じられているのかもしれない。
もしくはその逆……今日も二人との壁を感じた。
友人同士の訳の分からないノリや、冗談は誰だって少なからず経験はあるだろう。
活舌の悪い友達や先生の物真似とか、変なあだ名の付け合い……そんな青春も悪くないハズだ。
けれども、恥ずかしい。
こんな美少女に囲まれたからには、良い格好の一つや二つはしたいものだ。
だからボクは心の中で囁いた。誰にも、悟られないように——
「(あぁ、どうしてボクは男の子なのだろう……)」
——そんな投げかけも虚しく、ボクの中で常識が瓦解していく音が聞こえてくる。
そして今日も、女の子としての生活が始まるのだった。
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