記憶の森のほとりにて
宮田秩早
森のほとりで出会った男に聴いた話
あんたももの好きなもんだね。ふつうこんなド田舎、一時間もいたらうんざりするぜ。おれがそのへんの葉っぱ毟ってこいっつったら馬鹿正直に持ってきやがるしよ。脳みそ湧いてんじゃねえの? 村道、塞がってたろ? あれ、五十年前の大水で地崩れしたのがそのまんま。この村は見捨てられてんのさ。民俗学のフィールドワークだって? ピシュタコ調査?
……ピシュタコねえ……たしかに聴くね。いつのまにか村に紛れ込んでるとか、隣人が成り変わってるとか。で、血と脂肪を吸い取るんだろ? だいたいそんなの見つけたって金儲けになんのかよ。いくらシケた田舎だって、アンデスのここらじゃ、未盗掘の遺跡だってある。そこ掘りゃ、金無垢がたっぷり出てくるぜ。
近くにイケてる町もねえ。森に囲まれてる。いろいろ噂の絶えない森でさ。実際、へんなのがうじゃうじゃいる。気味ワリィからさ。道に迷ってやってきた余所もんは尻尾巻いて逃げ出すね。
とはいえ、おれたちにとっちゃここが故郷なのさ。
帰るところはここしかねえのさ。
おれのおやじは農民だった。じじいの代にはバナナと養豚やってたそうだ。だが目端の利いたじじいはコカに目をつけた。
儲かったよ。楽な儲けだったんで、あっというまに村中がやりはじめた。村でコカ栽培をやらなかったのは偏屈なマリアばあさんたったひとりさ。
バナナと豚じゃ、町に売りに行くのも一苦労だ。二日かけて町に売りに行く。
二日のうちに夏はちょい腐る。で、買いたたかれる。
でもコカ・ペーストならウェストバッグに詰め込んだ程度の量を売りさばけば、半年、一家十人が楽に暮らせた。もちろん、慎ましく暮らせば、だがね。
じじいとおやじの口癖は、『ヤクには手を出すな』だ。
もちろん二人とも死んだよ。アル中にヤク中。一家は赤貧さ。最後はマフィアのカネに手を出して、頭に一発、ズドン。おやじなんか死体まで持ってかれたよ。内臓は酒とヤクでぼろぼろだが、角膜とかは売れたんじゃないかな。おふくろと姉ちゃんたちは出てったよ。
ま、そういうわけでオレはずっと腹を空かせてた。八っつだったかな……忘れたね。もう百年もまえの話さ。
マリアばあさんがおれを生かしてくれた。インゲンのスープと鶏の屑肉ばっかり喰わされたがね。喰いっぱぐれはなかった。結局、ばあさんが正しかったのさ。
おれはちいさいときから変なものが見えた。
コカの葉っぱのなかに時々、真っ黒い葉が見える。あとは森のそばに黒い影も見えた。黒い葉を摘む。それを森の黒い影に渡すと影は駄賃をくれた。チリモヤや、ジャボチカバ。このあたりに生えてる果物さ。
珍しくもなかったし、美味くもなかった。あいつら熟してる、熟してないの見分けがつかないんだよ。
真っ黒な葉は、おれには真っ黒に見えたが、大人たちには普通の葉っぱに見えるようだった。
「やあ、君。それをわたしにくれないか?」
ある日、森の端で、おれはそう声を掛けられた。影じゃなかった。影はしゃべらねえ。金髪の男だったね。神父みたいな服を着てさ。でも、肌は真っ白だった。名は、カトルってったよ。
「食い物と交換さ」
おやじが生きてた頃から、おれは損をするのが嫌いだった。チンケなワルだったよ。
そいつはどこかで捥いできたマンゴーを食わせてくれた。このあたりにはない食い物だったな。美味かった。
おれはマンゴー目当てに真っ黒な葉っぱを見つけるたび、そいつのところに持ってった。カトルは煙管に刻んだ葉を詰めて、煙草みたいに吸ってたな。夢見るみたいにうっとりしてた。実際、夢見てるのさ。見る夢はそれぞれだ。あいつはなにを見てたのやら。教えちゃくれなかった。
あるとき……マリアばあさんが病気になった。医者を呼ぼうにもカネがいる。薬だ、栄養だって言われたら、さらにいる。
もちろんおれは文無しだった。カトルに貰ったマンゴー、ばあさんに食わしてみたけど、治らねえ。全身に紅いブツブツができて、高い熱で唸ってた。
おれはカトルに相談した。村中のコカの木を探し回って黒い葉っぱを手のひらいっぱい毟ってきてさ。もう日が暮れそうな夕方だったな。
「カネは無理だが、カネめのものならたぶん、なんとかなる」
カトルはそう言って、おれの手を引いて森の奥に入っていったね。
昼の森には入ったことがあった。昼は普通の森なんだ。村からすこし離れた斜面でトウモロコシと芋を育ててた。
でも夜の森は昼とはまるで違った。
月のない夜さ。夜光茸が光ってた。もちろんそんな光じゃ歩けねえよ。ランプを持っていきたかったが、それはカトルに止められた。
「これから行くところにいるモノたちは、人の生み出す光を嫌う」
カトルはそう言ったね。で、おれは森の変なやつらに会いに行くんだってわかった。森から出てきた影はおとなしい。でも森のなかじゃ、人を食うだの、人を惑わすだのと村の連中は言ってたよ。
カトルはたしかな足取りでどこかに向かってた。
森の奥から、こうこうと鳥の鳴き声がした。きいきいとサルが仲間を呼んでた。
ビビりのおれには、みんな妖魔の声に聞こえたね。
でも、カトルがおれの手をしっかり握っててくれたから、怖くなかったな。
行き着いたさきは、湿っぽい場所だった。水音はしなかったが、森の木々や下草はどこもしっとり濡れているように輝いていた。光もないのにさ。
まあこのへんは湧き水が多いんだ。そういう土地なんだよ。
広場があった。
中央に石組みの囲いがあって、そこで火が焚かれてた。でも音も臭いもないのさ。
パチパチ木切れが燃える音もしねえし、重油か石炭でも燃やしてるのかと思っても、そんな臭いもしねえ。
ただしずかに青い炎が天に向かって立ち上がってた。
石組みの囲いにはたくさんの模様が彫られてたよ。ほら、ケツァルコアトルや、ウィツィロポチトリ……そんなむかしの神さまさ。
「『記憶』だ。対価と引き換えにしたい」
カトルがだれかに語りかけていた。
いつも見かける影だった。でもだいぶ『しっかり』してたな。濃いっていうのかな。森のそばの影は表情なんてわからない、人の形に見えるもやもやしたものだ。けど森の奥の影は表情が分かるような気がしたな。そんなのが青い火のまわりにいくつもいるんだ。
交渉は成立したらしい。おれには影の声は聞こえなかったが、カトルは黒い葉っぱと引き換えに金のイヤリングをひとつ手に入れた。
遺跡の棺のなかに入ってるようなやつさ。
用は済んだ。ばあさんも心配だし、おれたちは急いで村に帰ろうとした。帰り際、影たちが黒い葉っぱを火にくべたのが目に入った。するとどうだい。
昼になったのさ。
森はなかった。小高い丘の上にあの石組みがあって、太陽が真上に輝くなか、炎が燃え盛っていた。石組みのまわりに刺青をした男たちがいた。なかにひとり、きらきらした首飾りをたくさん巻いた羽冠の男がいて、炎に向かってなにかを高々と捧げていた。そいつはなんとなく、カトルに似てた気がしたな……
「影の記憶だ」
目を丸くして棒立ちになってるおれの耳元で、カトルが囁いた。
そのときさ。
刺青の男たちがおれを見たんだ。気のせいじゃない。
やつらは手に手に斧を持っておれを追いかけてきた。
おれは分かった。さっき火に捧げられたのはイケニエの心臓かなんかだ。
イケニエはきっとガキだ。
おれみたいなガキなんだ。
カトルがなにか叫んだ。スペイン語じゃなかったね。意味は分からなかった。それで刺青の男たちは怯んだんだ。その隙に、カトルはおれを小脇に抱えて走り出した。
カトルの足には羽が生えたようだったよ。飛ぶように速かった。太陽は消えてた。夜光茸が光る森を、足元だって見えない森を、いちどだって躓くことなくまっすぐに走り抜いた。
村まで戻ってきたとき、カトルは森のほとりでおれをおろして
「すまなかった」
と言ったもんさ。
マリアばあさんの病気は抗生剤で治ったよ。
ばあさんはちったあ養生するようになって、それから五年生きた。
八十二歳だったから、このあたりじゃ長生きしたほうさ。
おれはそのとき十五。なんとか力仕事もできる歳になってたな。街に出て、学もねえから石炭運びだの倉庫番だの、あくせくだ。そしたら考えることはひとつだろ?
どうやったら楽して美味いもん食って女を抱けるか、ってことばっかりさ。
で、水が低いところに流れるように、おれはこの村に舞い戻ったのさ。
黒い葉っぱとカトルがいれば、あの黒い影が金無垢を持ってきてくれるんだ。楽な商売さ。おれは手に入れた黄金を、街に持って行って売りつける。
カタギは買っちゃくれなかったな。ガキが持ってくる純金なんざ、信用ならねえ。マフィアの下っ端に売って、そのカネで遊んで暮らしたよ。買いたたかれたがべつに構いやしなかった。
そんな生活なんざろくでもねえってことは、カトルは分かってなかったと思う。
あいつはいろんなことを知ってたけど、街のことはよくわかってなかった。おれが「こうしたい」と言ったら、「ならそうしよう」って、頷いてくれた。
ツケはきっちり回ってきた。ほんとならおれがひとりで払うツケさ。でも、結局カトルが全部払ってくれたようなもんだな。
いつも金無垢持って街に来るガキのことは、そっちの界隈では有名になってた。だからおれはあとをつけられた。
マフィアが乗り込んできやがったんだよ。サツだっていやしない村さ、昼日中からやりたい放題さ。
隠してる純金をよこせ、お宝の眠った遺跡はどこだと村の連中に訊いて回ったが、もちろん知ってるわけねえな。マフィアは「ガキを出せ」って言いながら手当たりしだいに村の連中を殺りだした。
おれは森で震えてたよ。
そしたらさ、カトルがマフィアのところに出てったんだよ。
「わたしが知ってる。遺跡の場所に案内しよう」
カトルはマフィアどもの銃に囲まれながら森の奥に入っていった。
半時も経ったかな。突然、地鳴りとともに空にでかい鳥が現れた。
鳥っつーか、蛇っつーか。頭と尾は蛇で、翼が生えてんだ。
空に舞い上がって、キシャア、って咆哮ひとつ。尻尾で地面を打ち付けた。
山がおおきく揺れて地面が崩れた。で、大水さ。地下水が溢れたんだな。
おれもそうだが銃で殺られずに生き残ってた村人はてんやわんやさ。
マフィアたちの死体は土砂に埋もれてるのが見つかった。カトルの死体はなかったが、彼と会うことは二度となかった。
最初のうちはひょっこり戻ってくるんだとばかり思ってたんだ。
でも一日、一週間、一ヶ月経ってもカトルは戻らなかった。
二年くらい経って、井戸の水を汲んだとき、汲み桶にカトルの煙管が入ってたんだ。
煙管にはあの黒い葉が詰まってた。
乾かして、吸ってみた。
それでおれはカトルが死んだことを知ったんだ。あれが彼の最後のちからだったのさ。ふるいこの土地の神さまだったんだよ。羽毛ある蛇。それが彼の正体だった。ケツァルコアトル。それでカトル。
あんたもお人好しだね。おれの話を最後まで聞くなんてさ。
お人好しついでにものは相談だ。おれも一緒に連れてってくれねえ?
あんたほら、おれが黒っぽい葉っぱ毟ってこいってったとき、ちゃんと黒いの持ってきたよな。おれはあの黒い葉が見えなくなったんだ。人間が毟って木から離れたのだけが見える。だからずっと黒い葉が見えるやつを探してたんだ。
あんた『インディ・ジョーンズ』みたく探検すんだろ? いまのおれは結構役に立つぜ?
え? あれは考古学であんたは民俗学?
それ、違うのかい?
そうそう、あんたピシュタコ探してるって言ったよな? ほら、おれ。おれがピシュタコ。なんでか分からねえが、煙管を手に入れたあたりでおれは人間じゃなくなったんだ。カトルや黒い影と親しかったせいかもしれねえし、村のやつらに疫病神だ、吸血鬼だってうしろゆび指されてたからかもしれねえ。
噂のあるところにピシュタコはいる、っつーしな。
村のやつらにとっちゃおれはやっかい者だった。もちろんそれだけのことはした。だからずっとおれは村に残ったやつらの面倒をみてきた。五十年。街に行って、ときどき血を吸いながらさ。
でも、昨日その最後の一人のばあさんも亡くなった。晴れておれは自由の身さ。
なあ、頼むよ。黒い葉っぱを見つけてくれるのと、たまに血を吸わせてくれたら、炊事洗濯掃除、荒事解決、うぜえ相手を呪い殺すとか、なんでもやるぜ?
記憶の森のほとりにて 宮田秩早 @takoyakiitigo
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