第9話
一歩引いた目で見ると、まるで人間と変わらない普通の女の子に見える。
しかし、その肌も髪も服装も、透き通るように白く、まるでアメのいる空間だけが世界から切り抜かれたように存在感がなかった。
ただ、まっすぐ前を見つめるその瞳は闇をも飲み込んでしまうような薄気味悪い漆黒のようだ。
ふと、アメと目が合う。
綿毛のような純白のまつ毛が、丸い闇を一瞬遮る。
彼女の薄い唇が柔らかくほどけ、どうしたの?と伝えた。
容姿も、仕草も、まとう雰囲気も、すべてが彼女の美しさ儚さを物語っている。
「いや、美しいなと思って」
気が付けば、喉の奥にしまっておいた感情が口から零れ落ちてしまった。
再び彼女の澄んだ闇が俺の瞳を捉える。
「ありがと」
彼女は一言そう言って、少し頬を緩めた。
彼女の笑みに、胸が少しだけざわついた。
この笑顔が、ただの“人間らしさ”に見えたことが、不思議だった。
それからしばらく散歩のようにゆったりと闊歩した。
廃墟同然の町の中、俺とアメは寂れた公園に来ていた。
傘をさしベンチに座る俺と、その近くのブランコをこぐアメ。
キー、と甲高い声を上げながら、ブランコが前後に揺れる。
「わたし、実は誰かに逢うの初めてなの」
アメがぽつりとこぼす。
だろうね。と俺は前後に揺れるアメを見ながら答えた。
再び沈黙が二人を襲う。
錆びた金属のきしむ音だけが空へ消えていった。
かつての賑わいを見せていた公園も街も、何もかもが静まり返っている。その静けさが俺の心を逆なでしたのか、気付けば口が勝手に語りだしていた。
俺は、アメにかつての日常を語った。
子どもたちの笑い声。喧騒。パン屋の焼き立ての匂い。
彼女はただ、黙って聞いていた。
二人の間を雨の音だけが、静かに流れていた。
ブランコの揺れる音が止まっている。
ふとアメのほうに視線を動かすと、アメが真っすぐ俺を見つめていた。
彼女を頬を一粒の雫が伝う。
泣いているのか、それとも雨粒なのか、俺には分からなかったが少なくとも彼女の眼の暗闇が少し、揺らいでいるような気がした。
にゃぁぁ
雨音を搔き消すように、か細い声が聞こえる。
茂みが、がさごそと揺れ、中から薄汚れた猫が這い出てきた。
よく見ると、その姿は輪郭が淡くなり、しっぽの先や耳の先がすでに消失している。
無色雨を浴びすぎたのだろう。存在がもう消えかけている。
「この猫ッ、茂みから出る気かよ」
目の前で潰えようとする命を見過ごすわけにはいかないと、心の底の正義感のようなものが奮い立つ。
咄嗟に駆け出し、傘を被せようとした。
しかし、傘をつたって落ちた雨粒が足元に水溜まりを作っていたのか、そのぬかるみに足を取られ、膝から崩れ落ちてしまう。
クソっ!何やってんだよ!俺!
急いで立ち上がろうと、顔を上げるとすでに茂みから全身を出した猫の姿があった。
雨粒が猫の毛を打つたびに、その猫の輪郭が曖昧になっていく。
その時、ピタリと雨音が消え去る。
正確に言うと、雨があがっていた。
本能的にアメの方を見ると、葛藤と複雑さと迷いと不安を合わせたような、そんな顔をしていた。
「アメ、お前がやったのか?」
俺は、分かり切ったことを敢えて聞いた。
それが、アメの意志なのか、偶然なのかを知りたかったから。
「分からない……でも、ただ……消えてほしくなかった。そう思ったときに、雨がやんだから……たぶん、私なんだと思う」
そう言うアメの声は震えて、今にも消え入りそうだった。
雨の彼女 黒色不透明 @nigrum-opacum
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