おかえりの音楽

西しまこ

夕方五時の幸せ

 夕方五時――音楽が流れる。ああ、もう夏だから、四時半ではなくて五時に鳴るんだ、おかえりの音楽。子どもたちの笑い声、軽やかな足音、自転車をこぐ音――みんな、うちに帰るんだ。「ばいばい! またね!」なんて、幸せ。


 私の子も帰ってくる、ほら、もうすぐ玄関のチャイムが鳴る――ママ、まほだよ! ただいま!

 まほちゃん、おかえりなさい。楽しかった? 

 うん‼ じゅんちゃんとね、公園で遊んだの。ブランコをいっぱいこいだよ。

 よかったね。

 うん、高くこげたよ! あのね、それでね、じゅんちゃんとおやつも食べたよ。まほがもって行ったのと、じゅんちゃんが持ってきたのと、わけっこして食べたの。

 そう、おいしかった?

 うん!

 もうすぐ、ごはんよ。手を洗ってきてね。

 うん、ママ! まほ、お手伝いするよ!


 夕方五時――おかえりの音楽が流れる。あの子が帰ってくる。明るい足音で、スキップをするように、うちに向かう。嬉しそうにチャイムを鳴らす。私は夕方の五時になると、いつもあの子に会いたくて、あたたかい気持ちになる。夕ごはんの支度をしながら、あの子の笑顔を待つ。あの子の好物を作りながら。夕方五時のおかえりの音楽――それは、幸せの音色ねいろだった。幸せのリズムを刻む調しらべ



 でも、ある日、まほは帰って来なかった。音楽が鳴り終わっても、日がどんどん暮れて行っても。ママ、ただいま! というまほの声がしなかった。じゅんちゃんのママに電話をしたら、公園で別れたと言われた。心臓の音が煩かった。頭の中でわんわんと不協和音が鳴り響いた。スマホを操作する指が震えた。まほ、どこに行ったの? まだ小さいからとキッズスマホも持たせていなかった。ああ、どうして持たせていなかったのだろう? まほ――どこに行ったの? 公園も小学校も友達の家も探した。まほが行きそうなところは全て探した。――どこにいるの? まほ。


 まほは帰ってくる。だって、おうちも私のことも大好きだから。私は知っている。まほは帰って来ようと、今でも頑張っている。そうして、チャイムを鳴らして言うの。「ただいま、ママ! 遅くなってごめんね」うん、だいじょうぶ。帰って来てくれたのだから。「ママ、手を洗って来るね。夕ごはんのお手伝いするよ」ありがとう、まほ。今日もまほの好きなごはんだよ。ねえ、まほ、帰って来てくれてありがとう。いてくれるだけでいいの。私のかわいいまほ。


 夕方五時――音楽が流れる。今日こそ、まほが帰って来るかもしれない。私は夕ごはんの準備をする。今日もまほが好きなメニューだ。もうすぐだ。きっと、チャイムが鳴る。そして愛らしい声がする。「ママ、まほだよ! ただいま!」わたしはまほを抱き締める。「ママ、苦しいよ」でも、まほを抱き締めたい。「ママ、遅くなってごめんね」いいの、まほ。帰って来てくれただけでいい。ここにいてくれるだけでいい。


 夕方五時のおかえりの音楽――幸せを運んでくる調しらべ

 ただいま!




            了

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おかえりの音楽 西しまこ @nishi-shima

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