最終話 キヨの行く道

「君の決心は判った。ボクには止める理由はない」

「ごめんなさい」

「謝ることはない。ほら、華子ちゃんだ」

 二人は、森から一歩出た道の端に待機している。

 制服の警官が、毛布に包まれた華子を抱えて、玄関から出てきたのが見える。

 感極まったキヨは、遅れ馳せながら華子の教えを思い出す。

「助けてくださり、どうもありがとうございます!」

 キヨは、黒衣の青年に深々と頭を下げた。

 そして、恥ずかしさを懸命に堪え、お辞儀をしたまま言葉を続ける。

「さっきはごめんなさい! わたしのせいで、酷い目に……痛かったでしょう」

「ん? 何だ、あ、ボクをったことか」

 キヨは頭を上げない。

「ああ、痛かったぞ。一瞬、本当に気が遠くなった」

 キヨのお辞儀が、更に深くなる。

「だけど、うまくいったぞ。あいつはすっかり騙されて、ボクを車に乗せてくれたじゃないか」

「――え」

 キヨは勢い良く、姿勢を戻した。と、その拍子に蹌踉よろけてしまう。

 青年は喉をさすりながら、快活に笑った。


「あ、えっと、お名前をお聞かせください」

「そういえばお互い、名乗ってもいなかったな。だけど、キミの名前は知ってるぞ。岡本キヨちゃんだろ」

「え?」

「ん?」

 二人は顔を見合わせた。

「あの、わたし、真名井キヨ子だって、如月さんが……」

「そりゃ、とんだ大嘘だ」

 青年は鼻で嗤った。

「キミは、間違いなく岡本キヨちゃんだ。ボクが調べたんだぞ。間違いはない」

 きょとんとしたキヨに、青年はおどけたように胸を張ってみせる。

「ボクは頭が良いんだ」

 その声音には、少なからず本音が含まれていた。

「ボクの名前は難しいぞ。まず、漢字が珍しいんだ」

 青年は木の枝を拾うと、地面に五つの文字を書く。

「読めるか?」

「ううん」

「だろうな」

 片頬で笑うと、青年がそれを読んで聞かせる。

「――あ、待って、この字は判る。滋養の滋でしょう」

「へぇ、よく知ってるな。ボクのとは読み方が違うけど。これは――父様が付けてくれた名前なんだ」

「わぁ、素敵ね。――あのね、この字は華子様が教えてくれたのよ」

 近付いてくるエンジン音。

 青年は棒切れを捨てて、道の真ん中へと出る。

「やあ」

 手を振って、自動車の前に立ち塞がった。

 急ブレーキ。

「やあじゃない。お前、こんなとこで何してる」

 助手席の窓から顔を出したのは、腕を振り回していた背広服の男だった。壮年で、厳つい赤ら顔をしている。

「お勤めご苦労さん。ついでに、この子を頼む」

 青年は、キヨの手を引いた。

「その子は、まさか、今度の」

「詳しい話は、このキヨちゃんから訊いてくれ。その、後ろに乗ってる華子ちゃんの、妹さんに当たる子だ」

 キヨは、車を覗き込む。

 後部座席に、横になった華子がいた。隣に座る制服の警官が、その頭を支えている。

「華子様!」

「なんと、それなら一緒に乗せてこう」

 赤ら顔の男が、身を乗り出した。

「条件がある」

 青年が、その鼻先に人差し指を突き付ける。

「むっ、お前は毎度毎度、失敬な奴だな」

「難しいことじゃないぞ。キヨちゃんと華子ちゃんを、絶対に離れ離れにしないと約束してくれ」

 キヨが、弾かれたように青年を見遣る。次に赤ら顔の男を。そして祈るように両手を組んで、深呼吸した。

「そりゃ、お安いご用だが、この子の身元は?」

 ギョロリと目を向けられ、キヨは怯みそうになる。しかし、負けじと見つめ返す。

「天涯孤独だよ。他の子達と同じだ。それはボクが保証する。面倒な事にはならない」

 青年の手がキヨを軽く押し、一歩、前進させた。

「わ、わたしは、華子様の妹です! 妹になりました。どうか、華子様と一緒にいさせてください」

 キヨは瞬きもせずにそう言うと、腰を二つに曲げて、赤ら顔の男に向かい、深く深くお辞儀をした。

「あ、ああ。判った判った。こいつが保証人ってことで、引き受けよう」

「頼んだぞ。ボクはちゃんと見ているからな。万が一、その子たちを別離わかれさせようものなら、あんたの手柄がボクの仕事だというネタを、新聞記者ぶんやに持っていくぞ」

 青年は一息に言うと、挑戦的な目で男を睨んだ。

 男は、赤銅色の鼻柱をくしゃくしゃにして、応じる。

「ブンヤって、ああ、俺の嫌いなあいつのことか。勘弁してくれ。約束は守るさ。……おい、キヨちゃんとやら。後ろに乗んなさい。こっからは山道だからな、揺れが酷い。お姉さんに膝枕してやっとくれ」

「は、はい!」

 キヨは、瞬く間に車に乗り込んだ。一連の流れを微笑ましく感じていた、制服の警官がいそいそと場所を譲る。

「華子様、華子様」

 キヨは、そっと華子に呼びかけながら、その小さな頭を膝に乗せた。

「よかったな!」

 黒衣の青年は、身を翻す。

 キヨは慌てて目で追った。

 青年は、ひらり、ナナオにまたがり、颯爽と森へ。

「ありがとう」

 キヨの瞳から、涙が溢れた。

 それが華子の頬に、一滴ひとしずく

 華子の浮腫んだ瞼が、二、三度、震えて――ゆっくりと開く。

「華子様……、お姉様」

「――キヨ子、さん?」

 目覚めた華子は、キヨの姿を瞳に映すと柔らかく微笑んだ。

「お嬢ちゃん、車を出すぞ。早くお姉ちゃんを病院に連れてかないと」


 車窓の外の何処にも、もう、黒衣の青年も青毛の馬の姿もない。

  



      副題『嘘つき曲馬団』余話

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子買双紙(こかいぞうし) 黒実 操 @kuromimi

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