第十三話 明かされる真実

 木々の隙間を縫い、ナナオは早足で進む。

「人を乗せてないナナオなら、この程度の森は摺り抜けて、助走を付けることくらいできるんだ」

 青年が、キヨに語りかける。

「ナナオは利口だからな。あのときだってボクを置いて逃げたわけじゃないぞ。様子を伺って、ちゃんと後を付けたんだ」

 こういうことは初めてでもないし、と、青年は愛馬の首筋を優しく撫でた。

「よし、ナナオ、止まれ。……ほら、判るか?」

 青年の指差す先。

 屋敷の、あの仰々しい門があった。

「ここって……」

「ああ、ぐるっと回ってきたんだ。ほら、お巡りさん達がいるぞ。もう大丈夫だ」

 玄関は開け放たれ、その前に見慣れない自動車が三台停まっていた。

 背広を着た肩幅の広い男が腕を振り回し、何やら怒鳴っている。それに合わせて、制服を着た警官達が右往左往していた。

「あ」

 腰縄を掛けられた都路が、姿を見せた。両脇を警官で固められて、自動車に乗せられる。そのすぐ後に、顔のほとんどを布で覆った如月が現れ、これは別の車に乗せられた。

「地下室に乗り込む前、ヒューズを落とすときに、ついでに警察に連絡を入れておいたんだ。この家のことは、裏ではちょっと前から有名だった。だから、すぐに話は付いたぞ」

 青年も、屋敷の様を見詰めている。

「だけど、あいつがピストルを撃ってきてからは、危なかったな」

 キミの大活躍のお蔭だぞと、青年は破顔した。

「華子様……」

 しかし、キヨは顔を曇らせる。

「華子様を、一緒に連れて行ってくれようとしたとでしょう? だけん、二階へ行ったとでしょう?」

「え、何を言っているんだ?」

 青年は、きょとんと目を丸くした。

「二階へ逃げたのは、時間稼ぎだ。僕らが外へ逃げると、あいつらも外に出るじゃないか。警察が来るまで、屋敷に足止めする為だ」

「なら、なら、華子様は」

「あの娘に必要なのは、まともな医者と病院だ」

 青年がキヨの言葉を切る。

「聞けば、華子ちゃんとやらは、当たり前の治療さえ受けてないじゃないか。あの如月って女は、医者でも看護婦でもないぞ。あいつがやったことは、」

 と、ここで青年は口篭る。

 ブルルッと、ナナオが鼻を鳴らした。

「……華子ちゃんのことも警察には話してある。お父さんは逮捕されたけど、あの子は大丈夫だ。警察が保護して、病院に連れて行くことに」

「お父さんがらんごつなって、お母さんも居らんで、華子様は――一人ぼっちになってしまうたい」

 今度は、キヨが青年を遮る。

「お友達だって、みんなみんな、みんな居らんごつなった! そぎゃんこつ、ひどか! そんなのって――酷い」

 キヨは、敢然と言い放つ。

「わたしは、華子様のところに帰ります」

 罪人を乗せた二台の車が、門を出た。

 キヨと青年とナナオが身を隠す脇を、土埃を上げて走り過ぎる。

「わたしは、華子様の友達ではなく、妹になろうと決めているんです。だから、お姉様の元に帰るのは、当たり前のことです」

 青年の上着を握り締め、キヨは懸命に思いを吐露する。

「ひょっとして、家に帰りたくないからか?」

 青年は、静かにキヨに告げた。

「……ボクは、キミをお母さんのところに帰す気はないんだ」

「――」

 唐突に母の名を出され、キヨは絶句する。

「あいつらを探っているときに、キミとキミのお母さんのことを知って、いろいろと調べたんだ。だから、キミを、お母さんのところには帰さない」

 キヨの気管が、ひゅっと鳴った。

「――言ってしまえば、もう、キミのお母さんはあの家にはいない」

「――」

 キヨは、反射的に喉元に掌を向ける。しかしその皮膚に触れることは躊躇われ、ようよう、その手を下げた。 

 見れば、爪が短い。

 駄目だ。

 こんなに爪が短いなんて。

 あの夜――。

 苦しくて、思わず、己の首を絞める手を引っ掻いた。長く伸びた爪が、意図せぬ深手を負わせる。赤く荒れたその手は、小さな叫びと共に引っ込められた。

 その隙にキヨは転がり、部屋の端まで逃げる。

 青年の姿が暗黒に溶け、代わりに母が、あれほど思い出せなかったはずの母の顔が、視界いっぱいの大写しで現れた。

 ――オマエ。

 ――オマエサエイナケレバアノヒトハ。

 キヨが寝付くまでお話をしてくれていた、あの優しい唇を奇妙に変形させている。唇だけではない。目も、鼻も、頬も、毛穴の一つ一つまで、捻くれ、歪み、崩れていた。

 声は――声は聞こえていない。

 何故なら――キヨのか細い、素っ首は、母の手にヨリ、キツクキツクシメアゲラレ――。

「しっかり! それは今じゃない!」

 青年が、焦点の合わない目をして震えているキヨを揺さぶる。

「……爪ば伸ばしとったから」

「もういい」

「わざとじゃなか。母さんば傷付ける気なんか、」

「もういい」

「かあさんの手ば引っ掻いたけん……、かあさんはわたしばよそにやってしまっ」

「もういい!」

 青年はキヨを揺さぶり、抱き締めた。

 ――暖かい。

キヨは、我に返るその寸前。

 ボクも君だった――と、聞こえた気がした。


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