第6話

 ミニョンが食べ終わった食器を台所に運ぼうとすると、ユーリックが食事の礼に洗い物と後片付けは自分がすると申し出た。


 三年半ぶりに会ったことで積もる話がありすぎて食事の時間がすっかり長引いたことが気になったらしい。


 長旅で疲れている彼にそんなことはさせられないと礼を言って一旦は丁重に断ったが、眠るまでの時間を考慮すれば、自分が洗い物をしている間にミニョンが入浴するほうが効率的だとユーリックは理詰めで説得した。


 理論的な提案に有無が言えなくなったミニョンは、彼と一緒に台所に食器を運んだ後に、有り難く彼の厚意に甘えることにした。


 ミニョンは入浴の前に洗濯して洗い上がっていたユーリックの服とローブを全自動魔力洗濯機から取り出して畳み、それらを持ってリビングに向かい、台所にいる彼にひと声かけ、ソファの上に畳んだ衣服を置いてから浴室に向かった。


 ミニョンが浴室に行くとユーリックが先に使ったとは思えないくらいに綺麗に掃除されていて、彼の生真面目で優しい心遣いがあちらこちらで感じられ、それを彼女は嬉しく思いながら、ふと磨き上げられた鏡に目をやって首を傾げた。


 (あら?私は、こんな容姿だったかしら?)


 鏡の中の女性は肩甲骨の辺りまで伸びている真っ直ぐな髪は濡羽色をしていて、パッチリとした二重の大きな瞳も黒曜石のように輝いている。


 細い眉と小さな鼻と、さくらんぼのようにツヤツヤした小さな唇がバランスよく配置されていて、薄っすら桜色に染まっている頬が映える肌は雪のように白い。


 一見すると華奢な印象に見えがちだが、体型は中肉中背で健康的な体をしている。


 この容姿は毎日見ている自分の容姿で間違いはない。そうであるのにミニョンは自分の姿は本当はこうではなかったのではないかという気持ちに突然なった。


 (本当の顔は、そう……。髪の見た目は変わらないけれど、顔貌や体格は今と真逆だったよう気が……。あれ?確か卒業式の前日に初めて男爵令嬢に会った時に、『学院に入学してから今まで一回も悪役令嬢と会わないから変だなと思ってたけど、ゲームの悪役令嬢と容姿が違うって、一体どういうバグなのよ!それに隠しキャラが隣国に留学なんて聞いてないけど、あれもあんたの仕業なの?私の激推しヤンデレ悪魔魔導士を返しなさいよ!』と怒鳴られたけれど、あれって、もしかして……)


 そこまで考えたミニョンは自分の違和感の正体を知ろうと、思い出せない何かを懸命に思い出そうとして、ふと前世の世界のことを思い出しかけた。……だが。


「ごめんね、ミニョン。先に聞いておくのを忘れていたことがあったよ。僕は君の好きだったカモミールの茶葉を持ってきているのだけど、湯上がりに飲むのは水とアイスカモミールティーと、どちらがいいかい?」


 ノックとともに扉の向こう側から聞こえるユーリックの声に、ミニョンはハッと我に返って返事をした。


「まぁ!私の好きなお茶を覚えていてくれたのね!凄く嬉しいわ!ありがとっ、ユーリック!急いで入ってくるわね!」


「フフフッ、そんなに喜んでもらえて僕も嬉しいよ。お風呂に入るのを中断させてごめんね。焦らなくていいから、ゆっくり入っておいで」


 ユーリックの気遣いに嬉しい気持ちになったミニョンは先程抱いた疑問をスッカリと忘れてしまい、ウキウキとした気持ちでお風呂に入っていった。


 だからミニョンは先程思い浮かべた容姿が……もしも物心つく前から前世の夢を見ていなければ、そうなっていただろう容姿だとは気付かなかった。


 ミニョンの生きている世界には魔法が存在していて、人は皆、魔力を多かれ少なかれ持っている。


 しかしながらミニョンの生まれた国の王侯貴族は昔から人々に傅かれ、自分は動かず、人々を顎で使う高慢な者達であったせいか、平民に比べて生まれつき魔力量が少ない者が殆どであった。


 平民よりも魔力量が少ないことに対して、貴族が劣等感を抱かないようにするためにか、いつの間にか貴族の間では、己の魔力を使うことは高貴な人間のすることではないという考えが浸透していき、やがて己の魔力を使うことは貴族の恥だと考える風潮が広まっていった。


 だが貴族よりも魔力が多い平民達の間では、魔力は適度に魔法を使って発散しないと、魔力の体内循環や代謝に支障が出て、凝り固まった魔力が澱となって体内に蓄積し、醜い容姿になるという悪影響が出るというのが常識であったため、平民達は率先して魔力をよく使っていた。


 ミニョンは実は生まれつき魔力が人よりも強く、本来なら醜い容姿に成長するはずだったのだ。


 だけど前世の記憶が魂に染み付いていたのか、物心ついた頃から夢で見たものがどうしても食べたくて仕方がなかった彼女は、ゲームの彼女とは違う行動を取るようになってしまった。


 周囲の大人が誰も彼女の話を真剣に取り合ってくれなかったせいで、彼女は自らアチコチに出向くようになり、しまいには魔導士の塔に押しかけて、悪魔魔導士と呼ばれていたユーリックと出会ったことで魔力を使うことの忌避感を持たずに済んだのだ。


 そして彼と一緒に魔力を毎日使うようになったおかげで、魔力が澱になることなく、美しいまま成長することが出来たのだった。


 公爵令嬢だったミニョンはそれを知らず、また彼女と出会ってからユーリックが彼女に対し、激重溺愛系スパダリ英雄魔導士になってしまったせいで、彼女はユーリックのあだ名の所以を知る機会を永遠に失うこととなった。


 そして自分が自分と男爵令嬢の前世の世界のゲームでは悪役令嬢であったことや、半年前にゲームが既に終了していたことも当然のごとく気がつくことは無かったし、今後も気がつくことは欠片も無いに等しかった。




「ただいま、ユーリック。洗い物をしてくれてありがとう。おかげで気持ちよくお風呂に入ってこれました」


「おかえり。僕の愛しいミニョン。体に揚げ物の匂いがついちゃったから、僕はもう一度体を軽く洗ってくるよ。これを飲んで、ゆっくりと休んでいて」


 湯上がりでゆったりとした部屋着に着替えて出てきたミニョンを優しく出迎えたユーリックは、彼女にアイスカモミールティーを差し出した後、洗面台に向かっていった。


 ミニョンはアイスカモミールティーが入ったコップを持ったまま台所を覗いてみた。


 すると台所が全てキチンと片付けられている上に明日の炊飯の予約までしていてた。

 

 おまけに家中についていた揚げ物の匂いまで取れていることに気がつき、流石はユーリックだとミニョンは感心しながら居間に戻っていった。


 そしてテーブルの椅子に座ってアイスカモミールティーを楽しもうとした所を速攻で戻ってきたユーリックに見つかり、ミニョンはユーリックにお姫様抱っこされて、一人がけのソファに二人一緒に座られてしまった。


「ユ、ユーリック!?」


 ソファに座るユーリックの膝に横座りに抱きかかえられたことにミニョンは照れ、膝から降りようとすると、ユーリックは更にキュッと苦しくない程度に彼女を抱き寄せた。


「やっと、ゆっくりミニョンの傍にいられる。ずっと会えなくて寂しかった。これからはずっと一緒だよ」


 ユーリックの腕の中にいたミニョンは、その言葉を聞いた途端、ジタバタするのを止め、おずおずとユーリックの胸に頬を寄せ、ユーリックの体を抱きしめた。


「……うん。ずっと一緒よ」


 ミニョンの返事に満足したユーリックは、ミニョンの黒髪を撫でながら尋ねた。


「また前みたいに君の夢……君の前世の世界のもので君が欲しいものを二人で作っていこうね。手始めに何がいいかな?」


 ミニョンはユーリックに頭を撫でられるのを心地よく感じながら、思考を巡らせて言った。


「そうね……。あのね、私の前世の世界では”トンカツにはトンカツソース”という言葉が一部の人達に言われていたくらい美味しいソースがあったのを思い出したの。作り方も材料もわからないのだけど、確か沢山の果物や野菜やスパイスを煮て作っていて色は茶色だったわ」


「そうなんだ。じゃ、明日から一緒に取り掛かるかい?」


 ユーリックが楽しげに言うとミニョンも嬉しげに一瞬微笑んだ後、ポッと頬を染めてから、コツンと頭をユーリックの胸に擦り付けた。


「それは凄く嬉しいのだけど、あのね、ユーリック。私ね、他にあなたとしたいことがあって……」


「ん?何だい?何でも言って?」


「ユーリック、あのね……」


 ユーリックがミニョンの顔を上げさせて覗き込むと、彼女は顔を赤面させて小声でユーリックの耳元で囁いた。


「うんうん……。へぇ〜、結婚指輪というのがあるんだね。……いいね、二人だけの永遠の愛の誓いか。うん、とても素敵だね!お揃いの指輪に死んだ後も一緒にいられるように術式を組み込もうね!……うん、それと海の見える白い教会で結婚式だね。うん、わかった!南の島を買おう!大理石で建ててあげるね!なるほど……新婚旅行というのもあるんだね。それって、どんな旅行なの?……えっ?それって旅行先で蜜月……うわぁ!君の前世の世界、最高だね!よし、世界中を旅しようよ。恋人の期間が無かったから、いっぱいデートもしようね。後は何だい?……え?……いいの?本当に……?今?今直ぐにしてもいいの?本当に?……ミニョン、本当にいいの?」


「……うん。いいよ。というか、私がユーリックとしたいの。お願い、ユーリック。私と……して?」


 ユーリックは黒曜石のような瞳を潤ませ、自分を見上げるミニョンを見つめ、思わず唾を飲みこんだ後、少しミニョンから体を離し、彼女が望むように自分の右手と彼女の左手を合わせ、お互いの指を絡ませた。


「ミニョン。僕は君が大好きだよ」


「ありがとう、ユーリック!私ね、恋人が出来たら、先ずは恋人と手を恋人繋ぎにするのが、前世からの夢だったの!夢がついに叶って本当に嬉しいわ!私もあなたが大好きよ!」


 二人の初めての恋人繋ぎは、初めてしただけあって、お互いがこれで合っているのかどうかが、わからなかったけれど、お互いが幸せな気持ちになれたから、まぁ、今はこれでいいかという気持ちになった。


 これからは毎日、一緒にいられるのだから、いつかは恋人繋ぎの正しい繋ぎ方もわかるだろうと笑いあった後、二人は相手にそっと近づいて、ようやっと両思いのファーストキスを交わしたのだった。







 《完》



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どれだけ悪役令嬢と隠しキャラのカップリングが好きなんだよとツッコミ入れながら書いたのだけど、書いてみたら悪役令嬢がトンカツを作って二人で食べてるだけの話になった話 三角ケイ @sannkakukei

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