後日譚
今年の冬も寒さは厳しい。風は冷たく、身に沁みる。
けれど、例年とは違って誰もが寒さにかじかみながらもその表情は明るい。そりゃそうだ、もう魔王軍は王国の地にいないから。
昨年、夏が終わり始めた頃に魔王が討たれた。敵地である魔王城に乗り込んだ勇者アレンが見事本懐を遂げたんだ。このとき四天王の残りもまとめて勇者に倒されたため、魔王軍は瓦解して魔界へと逃げ帰る。
こうして、カルマニア王国は十年以上の長い戦いをようやく終えた。その終戦の報を聞いた民衆は喜びを爆発させる。もう魔族に怯えて暮らす必要はないからな。
年が明けてもその熱気はまだ続いた。それもそのはず、今年の新年は勇者パーティと共に戦勝パレードが行われ、新年の挨拶まで勇者が国王と共同で行うからだ。当面、勇者のもたらす熱気は冷めないだろう。
片腕を失った俺はいつものように冒険者ギルドへと足を踏み入れた。今日はいつもより人が少ない。まっすぐ受付カウンターへと向かえた。待つことなく馴染みの職員に声をかけながら冒険者の証明板をカウンターに置く。
「これ返しに来たぜ」
「お前もついに辞めるんだなぁ。まぁ、歳も歳だし、その体だとしゃーないんだろうけど。これからやってくアテなんてあるのかよ?」
「あるぜ。滑り込みでなんとかなったんだ」
「そりゃ良かったな。食いっぱぐれて野垂れ死にする奴もいるんだ。ましな方だろうさ」
安心した様子の受付係に俺は肩をすくめた。軽い冗談みたいに言われたが、体を壊して引退する冒険者の末路は明るくない。そんな中、最後の最後で未来を勝ち取れた俺は間違いなく幸運な方だ。
用が済んで受付カウンターを離れようとした俺に受付係が声をかける。
「今日は大通りで戦勝パレードをするそうだが、見に行くんだろ?」
「そのつもりだけど、今から行ってもまともに見られる場所なんてなさそうなんだよなぁ」
「けど、魔王討伐記念のパレードなんて一生に一度もないんだ。行って損はないと思うぜ」
「ま、適当な場所を探して見学するよ」
最後までいつも通りのやり取りで知り合いの職員と別れた俺は冒険者ギルドの建物を出た。今日は快晴、吐く息は白いが実にすがすがしい。
大通りとは反対に向かって俺は歩いた。今日はみんなあちら側に人が集まるから進むほどに人が少なくなる。南の城門から王都を出た俺はすぐに城壁に沿って西に向かう。そのまま徐々に北へと足を向けて歩き続けると人だかりの凄い西の城門にたどり着いた。
西に伸びる街道の北側にはパレードに参加する諸侯や将兵、それに勇者とその仲間がいる。既に整列し、たった今、明るい調子の音楽と共に行進を始めた。ゆっくりと進むその先頭はアレンだ。
笑顔で手を振るアレンの姿は慣れたもので、歓声を上げる人々に分け隔てなく愛想を振りまいている。続く三人も同じだ。
しばらくすると街道の両脇に居並ぶ人々の陰にアレンたちの姿は隠れた。これから王宮までずっとあの調子だろう。
諸侯や将兵が次々と進んで行く中、俺は踵を返して歩き始めた。
畑の広がる平地の間に伸びる小道をあたしはゆっくりと歩いていた。今日も空の大半は青い。風はわずかに吹いていて暖かい日差しと絡まって気持ちいいわね。
周りの風景を楽しみながらあたしは先にある小高い丘に向かう。
「ん~、畑もだいぶ増えたわねぇ。最初は見渡す限り原野だったのに」
初めて来たときは本当に何もなくて逆に驚いたものだわ。あれを思い出すと頑張ったんだなと感慨深くなる。
目の前の丘の上にはいくつもの家が並んでいた。やや粗末だけど人が生活している様子がはっきりとわかる建物ばかり。
小道は奥にある屋敷に続いていた。屋敷と言っても田舎風の素朴な造りで都会の洗練されたものとは全然違う。だけど、あたしとしてはこっちの方が好感が持てるわね。
生け垣の内側には広めの庭があり、半分は畑、八分の一は納屋、そして残りは庭園になっている。掘っ立て小屋の頃を知っているあたしからしたら随分と立派になったものだと素直に感心した。
庭先では男の子と女の子が若い女とメイドの前で遊んでいる。若い女の方は知っていた。女の子と同じくらいのときに一度会っているから。
開けっぱなしの正門を通り抜けたあたしの足音に全員が気付いて顔を向けてきた。首を傾げる使用人の女や子供二人と違い、若い女だけが目を見開いている。
「なんてことでしょう! まさかいらっしゃるなんて! 本当にお久しぶりです、クレア様!」
「前に会ったのはこの子くらいのときだったかしら。本当に大きくなったわよねぇ、リビー」
「あれから二十年以上も経っていますもの。大人にもなりますわ。ケイト、お茶の準備を」
「はい、奥様」
使用人の女が頭を下げると屋敷に入っていった。
それを見送ってから、あたしはふと顔を下げる。木の枝を握りしめた男の子はぼんやりとあたしを見上げ、女の子は男の子の陰に隠れてあたしに目を向けていた。
しゃがんで目線を合わせたあたしは男の子に声をかける。
「あたしはクレアっていうの。あなたのお名前は?」
「ジョニーだよ。母上のお知り合いなんですか?」
「正確にはジョニーのお爺さんのそのまたお爺さんの友達だったのよ」
「えー、なんでそんなに昔からいるのに、顔がしわくちゃじゃないんですか?」
「それはね、あたしが永遠の美人だからよ!」
あたしの満面の笑みの返答はどうやらまだ子供には早かったみたいね。呆然としていて理解できていないみたい。
しばらく沈黙が辺りを支配したけれど、それを立ったままのリビーが上から打ち破ってくる。
「ジョニー、クレア様がお若いのはエルフだからですよ」
「あー、ずーっと長生きする亜人! 僕知ってる! ご先祖様と一緒に戦った人!」
「わたしも知ってる。お
「誰にそんなこと教えてもらったのかしら? お姉さん、とっても気になるなぁ」
「ひっ」
つい圧を強めた顔を女の子に向けてしまったあたしは怖がられてしまった。おのれ、一体どこのどいつがそんな余計なことを教えたのよ。
緊張したジョニーの背中に隠れてしまった女の子から目を離したあたしはリビーに顔を向けた。こちらは苦笑いしている。
「申し訳ありません。代々伝わる伝記を読み聞かせていたものですから」
「あいつの書かせたってやつ? あとで見せて。あたしのことが書いてあるところを確認しないと」
「えぇ」
困惑するリビーに言いつけたあたしは、ふと女の子の名前を聞いていないことを思い出した。今度は力を抜いた笑顔を女の子に向ける。
「さっきはごめんね。お姉さんはクレアっていうの。あなたのお名前は?」
「アラベラです」
「あら、いいお名前じゃない。きっと美人になるわよ」
最初に怖がられてしまったせいか、反応はあまりよくない。これは少し時間をかけるべきね。ずっと避けられるのは悲しいから何とかしてお近づきにならないと。
どうやってアラベラのご機嫌を取ろうかと考えていると、背後からさっきのメイドの声が聞こえてきた。お茶の準備ができたらしい。
あたしが立ち上がるとリビーが声をかけてくる。
「クレア様、こちらへ」
「あれから建物って増改築したのかしら?」
「いいえ、私と最後にお目にかかったときと変わりませんわ」
「なら、勝手知ったる他人の家ね」
先導しようとするリビーに続いてあたしが振り向くとメイド以外にも姿が見えた。リビーの両親であるランドルにマライア、それに兄のニコラもいる。みんな相応に歳を取ったわね。あのちっさかった坊やが立派になって。
そんな知り合いの中に初めて見る人間の男と女がいる。これは恐らく、リビーの夫とニコラの妻じゃないかしら。会いに行くのが十年単位になると、誰かしら知らない人が増えているわね。また名前を覚えないと。
気まぐれで始めた知り合いの屋敷の訪問はいつしかあたしの趣味になっていた。冒険者だった頃の知り合いの子孫で、今も続いている家はいくつかある。そこをぐるりと巡っているの。中には疎遠になったり途絶えたりしたところもあるけれど、結局ここが一番安定しているわね。さすが、あいつの子孫だけあってしぶといわ。
国が変わり、皆が昔のことを忘れても、かつてあったことを私は覚えている。魔王を倒すほどの力はなく、勇者のように輝く存在でもない。それでも、なくてはならない人たちだった。
そんな人たちのことを記した書物がこの家には代々伝わっている。世間に伝わる勇者伝説の裏側、世の学者が見たらきっと驚くことが書いてあるに違いないわ。
今まで見たことはなかったけど、いい機会だから今回見せてもらいましょう。あたしの記述については特に。
タイトルは確か、『勇者を支えた者たち』だったかしら。
-完-
勇者を支えた者たち 佐々木尽左 @j_sasaki
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