奇妙なレストラン

色街アゲハ

奇妙なレストラン

 家の前を東西に走る道路をずっと西に向かった突き当りから、その森は始まっていた。森と言ってもそこまで大きな物でもなく、外から見ると小島の様な小じんまりした物だった。その森の真ん中には嘗て一軒の家があり、其処には一組の老夫婦が暮らしていたのだが、ある日の事、夏の終わりの事だった、小さな長櫃が二つ運び出された後には住む者も無く、次第に人々の意識に昇らない様になって行った。


 だから、その場所に一軒のレストランが開店した時には誰しもが驚き、物珍しさも手伝って一時期結構な賑わいを見せていた。最初の驚きが過ぎてしまうと、その賑わいも落ち着きを見せた様であったが、それでも知る人ぞ知る隠れた名店として時折街の人々に利用されている様だった。


 出不精と物ぐさとを併せ持つ私にしても一度は訪れてみたいと、日頃思っていたのであったが、或る日、暇を持て余し沈み行く夕暮れを、窓からぼんやりと眺めていた折、ふと思い立って、取る物も取り敢えず家を出てその場所へと足を向けるのだった。


 道行く景色に既に夏の気配は何処にも見られず、すっかり深まった秋の足音が耳元に忍び寄って来ている事に今更ながら驚かされていた。森に行くまでの道すがら、両脇に並ぶ家々に茂る庭木の一つ一つが残さず秋の色に染まっている。この分だとさぞや、と思っていたら案の定だ。森の入り口に立て掛けられた幾分煤けた看板を抜け、白と褐に色分けされたブロック道の上には、色とりどりの落ち葉が折り重なって、踏む度に乾いた音を立てる。空は未だ明るさを留める中、森の中は一足先に夜の暗さが其処彼処に感じられ、さながら明るく揺れる水面の下、海の底を歩いている様な心地を味わっていた。



 辺りの幾分うら寂れた中、やがて見えて来た建物の洒落た造りに驚かされる。木組みを強調した造りに緑色のドアーに頬を緩めながら、すぐ近くに立て掛けられた小さな黒板に書かれたパステルカラーのメニューは、こう云った事に疎い私には、それだけでは何の料理なのかさっぱり分からない。


 快いベルの音と共に店内に入って思わず目を瞠る。出迎えた二人の若い男女、多分兄妹、いや双子だろうか? 二人はとても良く似ていたのだから。怖ろしくなる程に整った二人の顔立ちが、不思議と店内と調和している様に思えた。私は彼等の少し過剰に過ぎるのでは? と思える歓待を受けながら、店の奥の席に案内されるのだった。


 出された料理はどれも美味で、前菜のパンからメインの若鳥のソテー、付け合わせのサラダに至るまで、いずれも手間を惜しまず作られた事の分かる物で、普段適当に料理し、それを雑に淹れた珈琲で流し込む事の常態化してる自分としては、最早別の世界に入り込んだ様な経験であり、食事一つ取ってしても、ここまで違う物なのか、もう少し自分の生活態度を見直してみるのも良いかも知れない、そんな風に考えてしまう位には衝撃的な物だった。それに加えて、彼ら二人の話の運び方の巧みな事。別段穿った話題や言葉を選んで使っている訳でも無い。何と言うべきか、間の取り方が絶妙なのだ。知らず引き込まれて興の赴くままに色々な事を喋ってしまった様な気がする。その合間にこれ又絶妙な料理に舌鼓を打つ。食べ終わって一息ついた時には、今居る場所が何処か思い出すのに少し戸惑ってしまう程だった。

 外を見ると驚いた事に、すっかり夜も深まり、入り口や道に点々と灯る明かり。向いの壁の窓から見えるのは、幾つも折り重なる木々と、その間を縫う様に落ち葉が舞っている様子。奇妙な眺めだった。強い風が吹いているのだろう、煽られた落ち葉が斜めになったり、真横になったり、中には一旦落ち切ってから再び舞い上がっている物まで入り混じって、さながら透明な容器のの水に茶色の粉を流し込み、滅茶苦茶に掻き混ぜたみたいな眺めだった。ただの落ち葉とばかり今まで思って注意した事も無かったが、こんなにも表情豊かな物だとは。一つ一つがまるで生きているかの様だった。何時しかすっかり見惚れてしまっていた。しかし、そればかりではない、同時にこんな静かな狂乱の内に包まれている店自体も、それ等と一緒になって斜めに横に、或いは垂直に、と舞い上がり舞い下がりしているのではないか? などとそんな眩暈にも似た感覚に捉われるのだった。

 

 私の座る位置と窓とは離れている為、地面を見る事は出来ない。今や窓外の光景に心奪われていた私は、謂わば自身の足元を失った格好になっていた。恐らくそれが助長したのだろう、その感覚は弱まるどころか、増々強く確かなのもとなろうとするので、流石にこれはいけない、と腰を浮かし掛ける私を、いつの間に間近に来ていたのだろう、かの二人の男女が、二人して私の腕を取り押し留めよう押し留めようとするのである。


「アラ、もうお帰りですの? まだ良いじゃないですか、ねえ、兄様?」

 

 すると、兄と呼ばれた青年も、


「そうですよ、これも私達の為と思って。」などと言い出すのであった。しかし、どうも言っている意味が摑めない。


「私達の為って?」(そう尋ねる私の声は、どういう訳だか、少し震えていた様に思う。)


「実は……、今日で店を閉めようと思いましてね。」


 青年はそう言いながら、額に軽く手を添えながら、こう付け加えた。


「貴方が最後のお客様、と云う訳で……。」


 嘘は言っていない。しかし、そういう彼等の言葉にの裏に、何か隠している様な節が覗われた。言葉通りに取れば、いよいよ今日で閉店と云う時に最後の客の名残を惜しんでいると云う意味に受け取れるのだが、どうしてもそう思う事の出来ない、何か私の知らない所で得体の知れぬ何かが進行している様に思えてならない。例えば、妹の言葉、「もうお帰りですの?」彼女は、この「お帰りですの」をいやに強調した。まるで端から帰す積りなど無いかの様に。更に、兄の方の「私達の為と思って」も、その後に「貴方も御一緒に……」という言葉が隠されている様に思えて仕方なかった。

 しかしながら、どんな理由であれ‶御一緒″する気になれない私は、口の中でモゴモゴと断りの言葉を呟きながら立ち上がろうとする。すると、これはどうした事か、身体中の力がすっかり抜けてしまい、フラフラと倒れ掛かってしまう。思わず傍らの二人に身体を預ける格好になってしまったのだが、途端、ゾッとした。その感触が、冷たくグンニャリとして、言ってみればどうあっても生きている人間のそれとは思えなかったのだから。私は恐る恐る彼等の顔を見上げる。向こうまで透けて見えるかと思える程に、今や彼等の顔は青白さを増し、それがまた彼等の人並外れた美しさを強調していた。

 彼等の表情からは、何の感情も認める事が出来ず、それに代わって外で吹き荒れる木の葉は、その激しさを増して行く様だった。気の所為か、店の中もそれにつれて薄暗さを増し、何処か現実離れした青白い物になって、そのままスゥッと消えて無くなりそうな雰囲気を帯びている様に思えた。

 もうこの時には、私は身体だけでなく意識すら怪しい物になっており、立っているのか座り込んでいるのか、それすら覚束ない有様だった。薄れていく意識の中で、私の見たもの、それはかの兄妹が微かに微笑みながら踊っている姿だった。部屋の輪郭は次第に薄れて行き、代わって部屋一杯に映し出された落ち葉の影が、そんな二人の周りをすさまじい勢いで駆け抜けて行く。それに合わせるかの様に二人の踊りも激しさを増して行く。

 彼等の恍惚とした表情とその踊りをぼんやりと眺めながら、私はふと、以前此処に住んでいた老夫婦に関する奇妙な噂を思い出していた。あの老夫婦が、実は本当の夫婦ではなかった、と云う事、そして、二人の棺が運び出される際、まるでそれ等が何も入っていないかの様に軽かった、という事を。


 しかし、こんな事に気付いても、最早私には何の感情も起こっては来なかった。何を今更? 彼等の実に幸せそうな顔を見るがいい。それを見れば誰だって彼等の立会人となって、どんな遠い処へだって一緒にその席に連なる栄誉に浴する事を躊躇わないだろう、と。

 だからこの時、もし一片の木切れが窓を打ち、音を立てなかったとしたら、私は今此処にこうしていなかっただろう。しかし、偶然か、それとも何らかの意思か、それは起こったのである。その音を聞いた途端、私は弾かれた様に立ち上がり、倒けつ転びつ、数瞬後には店の外へ転がり出ていた。しかしそれが限界だった。ガクリ、と膝が折れ、その場に倒れ込んでしまった。其処へ一際強い風が吹き付けて、起き上がろうとした私の身体を再び地面に叩き付けた。風はそのまま怖ろしい勢いで舞い上がって行った……。


 少ししてから向き直ると、その場所に店は無く、ただガランとした空き地が広がるばかり。しかし、そこには確かに何かが在った跡が残っている。ではあの店は何処に?

 ふと空を見上げると、見よ! 上空には地上から吹き浚われた落ち葉が塊となって舞い狂い、その中心では、あの店が同じくクルクルと高く高く舞い昇りながら小さくなって行く……。



                                終

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

奇妙なレストラン 色街アゲハ @iromatiageha

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ