あなたは目の前にいるのに。この声が届く距離にあなたはいるのに。

 胃のなかにパンパンに詰め込んだ魚。その先に待つ、雛のもとへ。一歩一歩。歩みは遅くとも、一歩を踏み出すだけで、確実に一歩分距離が短くなる。
 コウテイペンギンにとって、その「声」は非常に重要で。むしろそれ以外でなど、判別することはできない……。一瞬「難聴や、耳が聞こえない場合は……」なんて想像がふと頭をよぎりましたが、乱暴にかき消して読み進めました。ルーシーにしか感じ取れない、スーザンの違和感。その執念は、餌を待つ雛の為を思えば、何ら不思議ではないもののどこか不安はぬぐえずにいます。それでも、何とか到着したコロニー。
 何でもそうですが、終わりが見えないと「まだか……」と思うことの繰り返しでだんだんとやる気も気力も削がれていきますが、終わりが見えた途端に「あそこまで頑張れば……!」と思えるのは、人もペンギンも同じなのかもしれません。
 そのゴールともいえる鳴き声は、安心という言葉にも置き換えられて。今すぐ、この胃に収めた魚を雛に分け与えてやりたい! ルーシーもスーザンも他のペンギンたちも皆一様に、愛する者の元へ。
 見た目に頓着しない代わりに、「声」という部分に特化したペンギンという生き物の生態。それは生存本能に紐付けられた、古来からの標準装備でありながら、生まれながらにしてもつある意味最強の武器であり、リーサルウエポンのようなもの。……こう表現すると少々物騒ではありますが、勝利の、歓喜の号砲くらいは、ド派手に鳴らしていきたいじゃないですか(もちろん、鳴き声の話です。)
 ん……? スーザン? それはマイクですよ、あなたのつがいでは……ってちょっと待った! ローラの声で鳴いたらマイクが勘違いして……当のローラは……まだ到着していないのですかね……?
 ほら、本来のつがいであるボブが……あれ。ボブが身を捩るように、思わず身を捩りたくなるような事態に……。
 嘴以上に、究極に尖らせた聴覚で以て、お互いを判別しているというのに、それを逆手にとって、声色を変えてしまったら、ある意味永遠に出会うことができなくなってしまうのでは……不安がもくもくと雲のように立ち込めてきました。
 スーザンの口から語られる真実。ローラと雛を育てるために、ローラにボブとの子供を身籠らせて、それをスーザンと育てることになったと……。托卵ならぬ、託卵とでも言いましょうか。いや、雌同士で卵はできないけれども、ローラはそれでよかったのかどうか……非常に気になります。同じ痛みを味わったからと言って、それは「同じ痛み」ではないんですよね……なぜなら、「ローラ」はローラでしかないし、「スーザン」はすーざんでしかないのですから。
 そんな折、ローラから声がかかり、艶やかな声音で答えるスーザン。ローラの素振りが何というか、言葉を選ばずに言えば、痛々しく映るというか……当人たちにしてみれば、それが最善策なのは分かるのですが……。
 それに対し、スーザンの縋る姿……恋は盲目……いや、愛も盲目といいますか、盲耳とでもいうべきでしょうか。もうスーザンにはローラしか映っていないのですね。ペンギン本来の生態と相まって、それがより強調されているように感じられました。
 そして、ローラの言葉の先は、ルーシーへ。……ん? ローラがマイクや雛への贖罪を口にするというのは……これはいったい……。
 矢印を一旦整理しまして。
 スーザン→ローラ、ローラー→マイク・雛。しかし、スーザンに向けられるべきローラからの矢印はない……。むしろ、この段階で分かったのは僥倖といえるのかもしれません。今なら、まだ、まだ引き返せる。ちゃんとお互いの雛を育てることによって、雛を(諸問題を)その下腹部にすっぽりと収めることができるのですから。
 ……と思った矢先。まだ、そんな腹案を(そのお腹に)仕込んでいたなんて……。いや、それは卑怯……というのも、観察者の視点からすれば、野暮なのか……いやでもさすがにこれは口を挟んでも罰は当たらないと思います。
 フェードアウトするように。残ったのはローラとマイク。何もかもを包んで、覆い隠す白い世界で。真実も、ヴェールに包まれて。
 声という感覚を究極に研ぎ澄ませて言った結果、得たものは大きいと思います。それと同時に、複雑なペンギン関係を生み出してしまったという皮肉も生み出してしまったという事実には、目を瞑りたくも背けたくもなりますが。
 そして、こういう〆もいささか、幕引きとしては綺麗に引けているとは言えませんが、心のままに動く。それは生まれ持った本能であり、他を蹴落としてまで誰かの特別であろうとする姿を見て、一概に「それはない」と言えたものでもないのかもしれません。