第5話 自分の気持ちに正直に

「じゃあ、今度はこっちから質問」


 イーリスは軽く手を挙げて正面のユリアーナを見た。

 それに『どうぞ』とジェスチャーを返し、姿勢をただす。


「ユーナの話しぶりから察するに、呪いで眠らされていたあいだも意識はあった……というか、外のことは認識していたのかな?」

「はい。目は閉じていましたので見ることはできませんでしたが、触れられればわかりましたし、耳は聞こえていました。夢を見ているような、ふわふわぼんやりとした感じでしたけれど、近くで誰かが会話する声は聞こえていました。……どうしてわかったんです?」

「初めて顔を合わせて挨拶あいさつしたとき、ユーナはわたしが呪いを解いたと言ったよね。それに回復薬ポーションを飲んだあと、一年も眠っていたのにと言った」


 そうでしたか、よく覚えていますね、と苦笑するユリアーナ。


「ユーナの言葉は一言一句記憶してるから。……で、意識がなかったらユーナにとっては『眠って起きただけ』でしかないわけで、一年も経っているなんてわかるはずがない。それに、目覚めたら自分の寝室に怪しい魔道士がいる、って状況に驚くはず。でも全然驚く様子がなかった。だから意識はあったんじゃないかなって」

「その通りです。おぼろげでも意識がある状態で一年も動けないのはつらかったですよ……。特に、呪いを解こうとやってきた男性に触れられたり声をかけられたりするのが怖くて……中には、わいな言葉を耳元でささやく人もいて」

「よし。そいつをブチのめしに行こう。大丈夫、わたしは術式改変で『禁呪』も使えるから、ユーナは心配しなくてもいいよ」

「さっきの誓いをさっそく破ろうとしないでください! よほどのことがない限り使わないとおっしゃったではないですか!」

「ユーナの耳をけがすようなことを言うやからの成敗はそれに該当しますが?」

「私はもう気にしていませんから! お願いですから座って落ち着いてください!」


 満面の笑顔で席を立ったイーリスを全力で引き止め、ユリアーナはどこまでも本気の目をした伴侶を必死で説得した。

 それから小一時間が過ぎて。


「……まあ、ユーナがいいって言うなら……」

「ありがとうございます。私のために怒ってくださって」


 美味しいお茶とユリアーナ手製の甘いクッキー二十八枚を飲み込み、ようやく怒気を収めたイーリスにユリアーナは心底ほっとした。


「仕返ししたくなったら言ってね。ユーナのためなら何でもするから」

「そんなことのために禁呪を書き換えて使おうとされてはたまったものではありませんよ……と、そういえば。もう一つ疑問があったのを思い出しました。お訊きしても?」

「いいよ」

「イーリスの技術で簡単に術式を書き換えられるのでしたら、魔法で私の魔力を吸いつくすのではなく、のでは? そちらのほうが手間がないでしょうし、高価な回復薬ポーションを使わずに済んだと思うのですが」


 至極真っ当な質問だった。

 『生命吸収エナジードレイン』の術式を改変して魔力を吸収し、その後魔力を回復させた今回のやり方は、実のところかなり無駄が多い。

 しかもその魔力回復に使用した回復薬ポーションはイーリスのお手製で、魔力と体力を同時に回復させる効果を得るために希少な薬草を何種類もしげなく使った特製品である。その品質の高さから、売りに出せば通常の体力回復用の回復薬ポーションが三十本は買える金額になる。

 イーリスの技術のことを知ったユリアーナがそんな疑問を持つのは自然なことだった。

 それに対し、イーリスは非常に簡潔かつ欲望に正直な感じの答えを返す。


「ヤダよ。そんなことしたら解呪にかこつけてユーナにキスできないし」

「…………」

「…………」

「えぇ? 私とキスしたいがために、わざわざ人間には扱えない高度な魔法の術式改変なんて面倒なことをして、高価な回復薬ポーションまで使ったんですか……?」

「うん」

「…………」


 あっさりと認めたイーリスに、ユリアーナはやれやれと首を振る。

 それは例えて言うなら、キャベツを刻むのに包丁を使うのは嫌だからと、パワー系戦士が使う超重戦斧グレートアックスを女の子でも片手で持てるように改造して使ったようなものだ。無駄な労力もはなはだしい。

 少なくともイーリス以外にできる者はいないし、そもそもやろうとする者はいないだろう。

 あからさまに呆れたというようなジト目になるユリアーナに、イーリスは言い訳がましく言葉を続ける。


「いや、まあ、呪術を解体しなかったのは、解析に時間がかかりそうだったからで。術者がかなり複雑で面倒な術式を編んでいたから、解析して書き換えるのに丸一日は必要だったんだよ」

「そうだったんですか? そういえば……」


 自身にかけられた呪いが、解呪にけた高位神官ですらさじを投げたレベルのものだったことを思い出す。

 それを解析して一日でどうにかできると言うイーリスは、やはりとんでもない人物なのだと改めてユリアーナは思った。


「だから解体はやめて、魔力吸収で解くことにした。そこで普通の魔力奪取だっしゅの魔法を強化して使うことも考えたんだけど、ユーナの魔力量キャパシティと生成量がその辺の魔道士よりずっと大きいから、『エナジードレイン』クラスの強力な魔法でないと追いつかなかったんだよ。他の人が魔力奪取の魔法を検討しなかったのはそれが原因だと思ってる。『奪取』は『吸収』と違って取り出した魔力を自分のものにできないから、ユーナの魔力を吸いつくす前に術者の魔力が尽きちゃうし」


 君ってすごいんだよ、自覚あった? とイーリス。

 ユリアーナは驚いたように首を振って否定した。

 ちなみに、ユリアーナの魔道士としての潜在能力は宮廷魔道士を目指せる水準にあるとイーリスは確信している。


「あと……『エナジードレイン』の発動条件に『対象と接触』とあるから、じゃあキスするのも仕方ないよね、って言い訳が立つと思ったのも理由の一つ」

「それは相手の身体に手で触れるだけではダメなのですか?」

「ええと……」


 質問にイーリスは言葉に詰まり、しばし考えたあと、絞り出すように答えた。


「……黙秘します」

「ダメじゃないんですね。まったく、あなたという人は……」


 呆れたように息をつくユリアーナ。

 目的(欲望ともいう)のためなら面倒も手間も関係なく極限まで追求していく――というのは魔道士に多い性向だが、そういう意味ではイーリスは誰よりも魔道士らしいと言えるだろう。

 だがそれは一般人から見ればやはりでしかなく、改めてイーリス・ミィミルという最低ランク魔道士の変わり者っぷりを思い知らされたような気がした。

 だが、そんな変わり者だからこそ他にはない魅力があるのも事実。

 その魅力にユリアーナは強くかれているのだ。


「そうまでして私とキスしたかったんですか?」

「まあ、うん。ユーナにひとれだったからね」

「じゃあ、どうしてそれ以来、私に何もしていないんですか。私は引っ越してきてから一度も、イーリスとキスどころか手をつないだ覚えすらありませんよ」


 少し怒ったように頬を膨らませながらユリアーナは言った。

 イーリスはそれを意外そうに見つめ返す。


「いや、わたしが一方的にユーナに好意を持ってるだけで、ユーナはそうじゃないかもしれないし。できないよ」

「はあ? 何を言っているんですか」


 さらに柳眉りゅうびさかて、ずいっとイーリスに迫ると睨むように目を細める。


「私がイーリスに好意を持っていないと、いつ言いましたか?」

「言ってないけど……ユーナがここに来たのだって、呪いを解いた恩返しのためだと思ってるし」

「ただの恩返しのために名誉あるヒースウェル家を出るほど、私は考えなしではありません。私はその名誉よりも、あなたのためにこの身と一生をささげると決意したから家を出たのです。それはあなたが私を幸せにすると言った、その言葉が嬉しかったからです。信じようと思ったからです」

「いやいや、わたし、美少女が大好きなだけのポンコツ魔道士だよ? 美少女と見れば簡単に愛をささやくような人間だし、好意を持ってもらえるようなやつじゃないよ?」

「自分をポンコツと卑下ひげするのはやめてください。怒りますよ」

「もう怒ってるし……」


 目つきだけで魔物を倒せそうなユリアーナを前に、イーリスは遠慮がちに小さくツッコミを入れる。


「確かに魔力量が他の人よりもずっと少なく、ほとんど魔法が使えないあなたは普通の魔道士ではないかもしれません。ですが、あなたはそれを不断の努力で克服したのです。それどころか、魔法使いの最高峰と言われる宮廷魔道士や高位神官でも到達できない、唯一無二の場所に立つことに成功したんですよ。あなたが普通の魔道士だったら絶対に至ることはなかった高みに、あなたは立っているんです」

「それはさすがに良く言い過ぎ……」

「いいえ。私はあなたがポンコツだなどと、絶対に思いません。私が今までに出会ってきた人の中で、もっとも尊敬に値する人物だと確信しています。そんなあなたに愛されているなんて、こんなに嬉しいことが他にありましょうか。そんなあなたを愛せるなんて、こんな幸せなことが他にありましょうか」

「ごめんユーナ、もうわかったから。恥ずかしいからやめて……」


 まっすぐな瞳で。

 まっすぐな気持ちで。

 偽りのない想いを語るユリアーナ。

 それを直視できず、イーリスはテーブルに伏した。


「イーリス」

「……はい」

「あなたは簡単に愛を囁くとおっしゃいましたが、それが嘘だったことは一度もないでしょう?」

「それは、まあ……いつだって本気で美少女をでるし、ユーナのことだって……」


 ごにょごにょと独り言のように呟き、イーリスは少しだけ顔を上げた。

 ユリアーナが天使のような笑みを浮かべて見つめ返してくるのが見えて、慌ててまた顔を伏せる。


「ありがとうございます。私は私を愛してくださるあなたを心からおしたいしています。私はあなたのすべてを受け入れます。ですから……あなたのしたいことを、してください」

「そう言ってくれるのは嬉しいよ。でもね、ユーナ。そういうのはちゃんと段階を踏んで……」

「それは眠っているあいだに私の初めてファーストキスを奪った非道な人の言うことではありません」

「うぅ、何も言い返せない……。まいった……降参……」


 反論の余地など一片も残されていない言葉に、イーリスは白旗をあげるしかなくなってしまった。


「私を見てください」


 ユリアーナはテーブルに伏したままのイーリスの手を取り、強く呼びかける。

 その声に驚いて顔を上げたイーリスが見たのは、声色こわいろの印象とは全く違う、とても穏やかな笑顔だった。


「私はあなたのおかげで、今こうして、ここにいるのです。今の私はあなたの伴侶ヨメです。遠慮なんてしないで……いえ、違いますね。私が言いたいのはそういうことではなくて」


 途中で言葉を切り、緩く頭を振って伝えるべきことを改める。

 じっとイーリスの目を見つめて、しっかりと手を握って――恥ずかしさのあまり消え入りそうな声で。


「何もしてくれないのは……嫌です。いっぱい、してください……」

「ユーナ……」


 顔を真っ赤にしながらうつむくユリアーナ。

 同じくらい赤面するイーリス。



 二人が二回目のキスをするのに、さしたる時間が必要なかったことは言うまでもない。






          完


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眠り姫を起こす方法 南村知深 @tomo_mina

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