第4話 ポンコツゆえの能力

 はくしゃく令嬢の呪いが最低ランク魔道士によって解かれたという事実はことになった。公表すればユリアーナが家を出ることになった理由を説明しなくてはならないし、解呪できなかった宮廷魔道士や高位神官の名誉を傷つける可能性があるからだ。

 そうしていろいろな方面に配慮はいりょした結果、伯爵は『今も令嬢は眠り続け、呪いが解ける日を待っている』というスタンスを変えないことを選んだ。

 ただ、解呪の依頼にランク制限をつけて、誰もいないベッドに他人を近づかせなくなった以外は。


 その処置に関し、イーリスは何も言わなかった。彼女はユリアーナがそばにいれば他はどうでもよく、むしろそのほうが面倒がなくていいと思っている。



「イーリス、夕食ができましたよ」

「ありがと、ユーナ。すぐ行く」


 魔導書を読みふけるイーリスの耳に、ドアをノックする音とユリアーナの優しい声が届いた。本の山を掻き分けるようにして書庫を出ると、エプロン姿のユリアーナが待っていた。

 ここはイーリスの自宅で、場所は王都北部の山裾やますそにある深い森の中。喧噪けんそうを避けて研究に集中するためと、珍しい薬草が近くで採取できるからという理由で、数年前にこんな不便極まりない場所にきょを構えたのだ。魔道の研究(と可愛い女の子)にしか興味のないイーリスらしい盲目的な行動と言えるだろうが、その短慮たんりょのおかげで世間からユリアーナを隠すことができたのはぎょうこうだった。


「ユーナがごはん作ってくれるから助かるよ。しかもそれが美味しいから感謝しかないね」

「ふふっ、ありがとうございます」


 食卓に着き、温かな湯気を立てる料理にしたつづみを打つ。

 ヒースウェル家を去ったユリアーナがイーリスの伴侶ヨメとしてこの家にやってきて五日ほどになるが、案外早くここでの生活に馴染んだようだった。

 それどころか、まったくの未経験だった家事を持ち前の器量ですぐに覚え、生活能力が怪しいイーリスの食事や身の回りの世話を完璧にこなし、研究に専念したい家主を甲斐甲斐かいがいしくサポートできるまでに成長している。


「イーリス、食事が済んだら火魔法を教えてくれますか。料理のたびにあなたを呼んで火をおこしてもらうのは申し訳ないので」

「いいけど……わたしみたいなポンコツ魔道士がわざわざ教えなくても、ユーナは優秀だから魔導書を読めばできるようになるでしょ。水魔法だって軽く説明しただけですぐにできたし」

「私はイーリスに教えてもらいたいんです。……それくらい察してください」

「何この可愛い生き物……わかった、いくらでも教えるよ」


 自身が抱く理想の女性像の頂点に立つユリアーナにちょっとスネたような顔で言われて断ることなどできようはずもなく、イーリスは一も二もなくうなずいた。



 火魔法の使い方を一度説明されただけで会得してしまったユリアーナは、習熟のためにかまどに火を入れてお湯を沸かしていた。魔法に関する知識はこの家に来てからイーリスの魔導書を読んで得たものだが、その理解の速さはイーリスが舌を巻くほどで、とんでもない逸材がいたものだと感心しきりだった。


「ところでイーリス、引っ越しと片付けでバタバタしていたので聞きそびれていたのですけれど」

「うん」

「どうやって私の呪いを解いたのですか?」


 ユリアーナは沸いたお湯でお茶を入れ、イーリスの正面に座って問いかけた。

 そのお茶をすすりつつ、イーリスは決め顔で、


「王子様のキスで」

「そういうのはいいです。真面目に答えてください」

「……ユーナが冷たい……」


 素っ気なくスルーされ、がっくりとうなだれる。


「体内の魔力生成を止めれば呪いの効果が維持できず、解除されるのはわかっていましたが、そのためにはのでしょう? イーリスは私の命を止めたのですか?」

「まさか、そんなことするわけないでしょ」


 とんでもない、と首を振って否定する。


「だいたい、生命活動を止めても蓄積した魔力は体内に残ってるわけで、呪術がそれを使い切るまで待ってたら確実に『蘇生』は間に合わなくなる。それじゃあ呪いが解けてもユーナは助からないよ。だから宮廷魔道士も高位神官もその方法を取らなかったんじゃないかな」

「では、どうやったんですか? 目覚めたときに私の魔力は完全になくなっていましたし、何らかの方法で魔力だけを取り出したのだと思うのですけれど」

「おっ、鋭いね。ちょっと『エナジードレイン』を改変してユーナの魔力を全部吸い取っただけなんだ」

「……はい?」


 自分の耳がおかしくなったのかと、ユリアーナは眉根を寄せて首を傾げる。


「待ってください、イーリス。『エナジードレイン』を改変して使った、と聞こえたのですが」

「そうだよ」

「……冗談ですよね?」

「真面目に言ってるけど」

「…………」


 イーリスをじっと見つめる。

 確かに冗談を言っている様子はないが、とユリアーナは戦慄せんりつした。


「確認しますが、『エナジードレイン』はヴァンパイアやリッチーといった高位の魔物が使うという、接触した相手の生命力を吸い取る強力で恐ろしい魔法で、威力相応に消費する魔力が膨大なので使――と本で読みました」

「よく勉強してるね。その通り」

「それを使っただけでなく、魔力だけを吸い取るように改変したと……?」

「そうだよ」

「言うのは二回目ですけど、冗談ですよね?」

「言うのは二回目だけど、真面目に言ってる」


 やはりイーリスにふざけている様子はない。

 


「では、本当に魔法の術式を書き換えたのですか?」

「うん。吸い取る対象を生命力から魔力に変えて、消費魔力を極限まで小さくした。そうしないと魔力量キャパシティが生活魔法に困るくらい少ないわたしには使えないし」

「できるのですか? そんなことが?」

「簡単じゃないけどね。……ああ、その顔は信じてないね、ユーナ」

「それは……すみません。でも、新しく魔法の術式を編み上げることは長い時間をかければできるそうですが、既存の魔法の術式改変なんて聞いたことがありません。もしそんなことが可能なら、今まで私を目覚めさせようとした誰かが実行したはずです。でも、誰一人……」

「そりゃまあ、彼らには『必要のない技術』だし、できなくて当たり前というか」


 ふふ、と苦笑するイーリス。


「魔法の種類は実に多種多様さまざまでね。『エナジードレイン』よりずっと効果はおとるけど、生命力や魔力を相手から奪う効果を持っていて人間にも扱える魔法も、探せば見つかる。有用な魔法から無意味な魔法、危険な魔法、使い道がよくわからない魔法、趣味丸出しの魔法……人間に使えるか使えないかは別にしても、根気よく探せば必ずと言っていいほど望む効果を持つ魔法が見つかるんだ」

「そんなに種類があるんですか……? 魔法って」

「歴史書によると魔法の研究は千年以上前から行われているからね。その期間に作られたものは、効果が似ていたりのちに改良されたりを合わせれば何万何十万とあるよ。……ちなみにわたしが大笑いしたのは、使うと猫が寄ってきて強烈な猫パンチをお見舞いしてくるというものと、自分の左手の親指が猫の肉球の匂いになるという魔法だね」

「何ですか、それ。猫好きな人が作ったんでしょうけど……」


 突拍子もない魔法の登場にくすくすとユリアーナが笑う。


「今ではそうやって欲しい魔法が簡単に見つかるんだから、膨大な時間と魔力、それと天才的なセンスが必要な『新規作成』や、面倒で難解で解析に時間がかかる『術式改変』なんて誰もしない。『術式改変』に至っては不可能だと言われているから余計にね。で、から。これ、当たり前」

「…………」


 そう言って笑うイーリスを見つめ、黙考する。

 他の人間が『術式改変』をしない、できない理由は今の説明で理解した。

 だからこそ、目の前にいる生活魔法ですら苦労する魔道士がそれを可能としたとは信じられなかった。イーリスよりもずっと魔力量も知識もある高位魔道士にできないことができると言われても、すぐには信用できない。

 他の方法を使ったと言われたほうがまだましだとユリアーナは思う。


「ま、術式改変は口で説明するより体験してもらった方が早いね」


 その内心を読み取ったか、イーリスはテーブルのグラスを二つ手に取り、ユリアーナの前に並べた。続いて懐から一冊の本を取り出す。


「今からユーナに水魔法を使ってグラスをいっぱいにしてもらう。ただし、片方はわたしが教えたやり方で。もう一つはこの『幼女でもできる生活魔法入門』に書かれている方法で」

「……わかりました」


 いったい何なのだろうと思いつつ言われるままに水魔法を使い、二つのグラスを水で満たす。

 はたにはただユリアーナがグラスに水を入れただけに見えるが、それをやった当人は不思議そうに目を丸くしていた。


「……驚きました。呪文が入門書と少し違うだけで、イーリスから教わった方法はほとんど魔力を消費しませんね。体感で五十倍くらい差があるような……」


 二つのグラスを見比べ、自分の手を見つめて、ユリアーナは感心したように呟いた。

 イーリスは満足気に拍手をする。


「さすがユーナ、正確な分析だね。それが術式改変の効果だよ。実感できた?」

「はい。すごい……本当に改変できるんですね……」


 いくら改変できると言われても信じられなかったが、こうして自分の手で効果を体感してしまった以上、現実に可能なのだと考えを改めざるを得なくなった。


「ま、できてなきゃわたしは多分ここにいないよ。幼児にも劣る魔力量しかないポンコツだから生活魔法がロクに使えないわけで、魔力消費量を抑えるのに成功するまで、井戸や川で水を汲んで、マッチでかまどに火をつける生活をしてたんだ。大変だったけど、そのおかげで術式改変の研究を必死でやろうと思えたし、できるようになった今ではいい思い出かな」

「そうだったんですか……」


 イーリスのことだから単なる趣味で研究していたのだろうと勝手に思っていたユリアーナは、そんな切実な背景があったことを知って自分を恥じた。

 同時に、最低ランクのポンコツであるがゆえに成し遂げた研究の可能性を理解し――に背筋が凍るような気がした。

 イーリスの知識と技術を使えば、『エナジードレイン』よりもはるかに危険な『禁呪』と呼ばれる超威力の魔法であっても、すべて使用可能となるのではないだろうか。

 それどころか、生活魔法である火魔法の威力を『禁呪』並みに極大化することも可能なのではないだろうか。

 それは魔法を使う者の頂点とも言われる宮廷魔道士や高位神官ですら手にすることができない、ではないだろうか――


「大丈夫だよ、ユーナ。わたしはこの技術と知識が危険だって十分わかってる。生活魔法で不便な思いをしなくなった今、研究を続けるのは知識欲を満たしたいだけだし、よほどのことがない限り誰かに教える気も使う気もないよ。誓ってもいい」


 悪い想像で顔色を変えて黙していたユリアーナに、イーリスは安心させようと優しく声をかけた。

 声色、表情、雰囲気――そのどれもに冗談やおふざけが入り込む余地もなく、本気でそう思っているとわかる。

 これは決して破られることのない約束である、と。


「わかりました。私はあなたを信じます」


 自分の心配が無意味だと安心させてくれたイーリスに、ユリアーナは深い親愛を込めた笑みを向ける。


「ありがと、ユーナ。信じてくれて」


 答えて、イーリスも嬉しそうに微笑んだ。

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