第3話 わたしが欲しいのは

 唐突なイーリスの行動に虚を突かれたはくしゃくは一瞬硬直して動けなかった。

 しかし、かつては戦場を縦横無尽じゅうおうむじんに駆け回った騎士だったという経験が無意識に床を蹴らせ、ベッドサイドのイーリスに迫るとその腕を掴んで引き倒した。

 予想以上に素早い動きを見せた伯爵に対応できなかったイーリスは、腕を引かれた勢いのままゴロゴロと勢いよく後転し、壁に思い切り背中をぶつけてようやく止まった。


「いててて……いきなり何をなさるんですか……」

「それはこっちのセリフだ! 何をしている!」

「何って……キスですが?」

「なぜそんなことをしたのかと訊いているんだ!」


 日に焼けた顔を真っ赤にして怒声を上げる伯爵。

 対するイーリスは痛む背中をさすりながら立ち上がり、さらっと一言。


「呪いを解くためです」

「馬鹿かお前は! そんなもので呪いが解けるはずがないだろう!」

「おや、伯爵はご存じないのですか? 千年以上も昔から、眠り姫を目覚めさせるのは『王子様のキス』だと決まっているのですよ」

「童話やおとぎ話の中ではな! 現実はそんな都合よくできてはいない! ふざけるな!」

「ふざけているつもりはないんですけど……ねえ、?」


 言って、イーリスは伯爵の後ろに視線を移した。

 それに気づいた伯爵はベッドを振り返って――


「そんなに大声を上げてはお身体にさわりますよ、お父様」


 上体を起こし、ふあ、と小さくあくびをしながら微笑む伯爵令嬢と目が合った。


「ゆ、ユリアーナ……? 目が覚めたのか……?」

「ええ、おはようございます。お父様」

「これは……いったい……」


 混乱して事態が把握できない伯爵は、うろたえながら娘とイーリスを交互に見やった。その表情から説明を求めているらしいとイーリスはわかっていたが、それを無視してベッドに歩み寄り、伯爵令嬢ユリアーナに一礼した。


「初めまして、ユリアーナ嬢。イーリス・ミィミルと申します」

「このような格好でご挨拶あいさつする無礼をお許しください。ユリアーナ・ヒースウェルです。あなたが私にかけられた呪いを解いてくださったのですね。感謝の言葉もありません」


 深々と頭を下げる。

 ……と、突然令嬢の身体がかしいで、ぽふっと横たわってしまった。


「ユリアーナ……⁉」

「大丈夫ですよ、伯爵。一時的な魔力切れで倦怠感けんたいかんが出ているだけですから」

「なんだと? どういうことだ」

「ユリアーナ嬢、これをお飲みください」


 説明しろとせっつく伯爵をまたも無視して、イーリスは手のひらにすっぽり収まる程度の大きさで青色の液体が入った小瓶を令嬢に渡した。


「これは?」

「わたしが作った回復薬ポーションです。ずっと眠ったままでいらしたので体力が落ちているでしょうし、その倦怠感だるさは魔力がかつしているのが原因です。これで魔力を補えば症状はなくなるでしょう」

「…………」


 令嬢は小瓶を明かりに透かし、しばらく見つめ、やがてイーリスのほうを向いた。市販されている回復薬ポーションにはあまり見られない色をしているので不審に思っているのだろう。


「わたしを信じてください」

「……わかりました」


 まっすぐな瞳をした魔道士から悪意を感じられないと思ったユリアーナは、イーリスの介助を受けて起き上がり、小瓶を開けて一息で中身を飲み干した。


「……!」


 飲み込んだ薬がすうっと身体中に染み込んでいくような感覚とともに、倦怠感や頭痛がまたたく間に消えた。何かがのしかかっているように感じていた身体から重さが失せ、ぼんやりと白くがかかっていた意識も鮮明になっていく。


「ユリアーナ……大丈夫か?」

「ええ、お父様。なんだか元気が有り余っていて、今すぐ庭を駆け回りたい気分です。一年間も眠ったままで身体がおとろえていたはずですのに、すっかり回復しているようです」

「そうか……よかった」


 以前と変わらぬ笑みを見せた娘に安心したか、ほう、と伯爵は深く息をついた。



 依頼を達成した功労者を歓待したいという伯爵の申し出を受け、イーリスは伯爵一家と夕食を共にすることになった。

 できることなら散々嫌味を言ってきた伯爵と同席することなくさっさと報酬をもらって帰りたいところだったが、要求しようとしている報酬の準備に時間が必要だろうと思って仕方なく滞在することにしたのだ。


「さて、魔道士殿」


 豪華すぎる夕食が済み、伯爵は話し合いの場を書斎に移した。黒革のソファに伯爵とユリアーナが並んで座り、テーブルを挟んだ正面の三人掛けソファの真ん中にイーリスが着く。


「まずは数々の無礼をびたい。すまなかった」

「別にいいです。慣れてますし、気にしてません」


 深々と頭を下げる伯爵に軽く返し、ひらひらと手を振った。


「寛大な言葉に感謝する。それで、何が起きたのかを訊きたいのだが……魔道士は手の内をさらすようなことをしないと聞いているし、それは求めないでおこう。呪いが解けて娘が目覚めた、その事実があればいい」

「ご配慮はいりょ、感謝します」

「では、報酬の話をしよう。何を所望しょもうかな? 遠慮なく何でも言ってくれ」

「はい。ではお言葉に甘えまして……」


 ようやくメインイベントに突入したとばかりに満面の笑みを浮かべ、イーリスは弾む心を抑えきれず、高らかに望みを口にした。


「ユリアーナ嬢をわたしにください!」


 一点の曇りもない、キラキラ輝く瞳で伯爵令嬢を見つめる。

 見つめられたユリアーナは驚いた表情で「まあ」と呟いたあと、少し恥ずかしそうに頬を紅に染め、イーリスに視線を返していた。

 その横で伯爵が真顔で硬直し――たっぷり三分ほど経ってからようやく、


「…………はい?」


 と間の抜けた声を上げた。


「君は、何を、言っているのかね……?」

、と申しました。必ず幸せにしてみせます」

「何を考えているんだ貴様はァァァァァァっ!」


 ゆっくりと噛み砕くように告げるイーリスに、伯爵は猛然と立ち上がって声を荒げた。

 一年ぶりに家族勢ぞろいとなった夕食に感極かんきわまり、思わず高級ワインのボトルを二本も空けて真っ赤だった伯爵の顔が怒りでさらに赤くなる。


「そんなことができるわけなかろうが! 常識で考えろ!」

「えー……何でも好きなものをくれるって言ったのは伯爵じゃないですかー。ヒースウェルの名にけた約束を破っちゃうんですかぁ?」

「そんな安い挑発に乗る私ではない! だいたい、ユリアーナには王家にとついでもらわなければならんのだ! 貴様のような最低ランク魔道士ふぜいに渡せるものか!」

「でも、ユリアーナ嬢は第二王子との縁談えんだんを蹴ったんですよね? わたしは庶民なのでわかりませんが、それでまた王家と縁談を結べるものなのですか?」

「うぐ……っ」


 一度破談になった婚約を戻すことは体裁ていさいが悪く、特に王家や貴族にはできないと知りつつ嫌味を少々盛り付けて返すと、伯爵はイーリスのもくどおり言葉に詰まった。


「き、貴様に心配されるいわれはない! どちらにしてもユリアーナは貴族の家に嫁がせるのだ!」

「ほほぅ、王家が無理ならこうしゃく家で妥協する、と?」

「黙れ! 庶民が口出しすることではない!」

「そう言えば、王子と破談したあと、そういった家柄の男性も何人か令嬢に求婚してましたよね。なのに、それもすべて断ったと聞いています。どうしてですか、ユリアーナ嬢」


 激昂げっこうする伯爵からその隣でイーリスを見つめていたユリアーナに視線を移し、問いかける。

 いや、それは問いかけに見せかけただった。

 ユリアーナはその意図に気づくと、小さくうなずいて、ゆっくり顔を伏せて言った。


「お父様には秘密にしていましたが、私……なのです……」

「な……?」


 予想外の吐露とろに伯爵の言葉が詰まる。

 対照的にイーリスは予想通りと内心に笑みを刻んだ。


「第二王子は素晴らしいお方だということはわかっています。求婚してくださった方々も素晴らしい殿方ばかりでした。ですが私は、男性に近づかれるだけで気分が悪くなり、震えがとまらなくなる性質たちなのです」

「そ、そうなのか……?」

「はい……。お叱りを承知で申しますと、今も隣にお父様がいらっしゃって、怖いお顔を向けられていると思うと、恐ろしくて、卒倒しそうで……。実の親子であるお父様でさえそうなのです。そんな私が男性と結婚するなど、できようはずもありません」

「……そう言えば、お前は家庭教師やダンスの講師だけでなく、剣術の師範も女性でなければ嫌だと言って聞かなかったな。それが理由だったのか……?」

「はい。今まで黙っていて申し訳ございませんでした」

「なんということだ……」


 娘からのとんでもない告白を聞き、伯爵はイーリスへの怒りや酔いも全部すっ飛ばしてソファに倒れ込んだ。真っ赤だった顔を真っ青にして口を震わせ、つむぐべき言葉を探す。しかし、それはなかなか見つからなかった。


「…………」


 いや、それで気づかないってどうなのさ。とイーリスは思うが口には出さず、事の成り行きを見守っている。

 ちなみにイーリスは、比較的早い段階で気づいていた。

 目覚めたユリアーナはずっと笑顔だったが、常に伯爵を怯えたような目で追っていた。周囲の人間を警戒しているにしては初対面のイーリスにはそれがまったくなく、得体の知れない回復薬ポーションまで信用して飲んでいる。そこに男性からの求婚をすべて蹴ったという情報が加わると、ユリアーナが男性を恐れているのではないかという推測が立っても不思議ではない。

 そう思って、イーリスはユリアーナがそのことを告白できるように誘導したのだ。


「お父様」


 ユリアーナは席を立って父親に一礼し、言葉を続ける。


「私は第二王子との縁談を断り、他の男性の求婚をけて、それが原因で呪われてしまうというていたらくをさらしてヒースウェル伯爵家に泥を塗ったのです。私のような結婚もできず、跡取りを望めない親不孝な娘など、この名誉ある家には相応ふさわしくありません」

「ユリアーナ……? 突然何を……?」

「お父様、お願いです。。そして、。生涯ただ一度の私のわがままをお聞き届けください。お願いします」


 床に膝をつき、手をつき、ひたいをつけて。

 ユリアーナは懇願こんがんした。


「わたしからもお願いいたします、伯爵」


 ユリアーナに並び、イーリスも床に伏せて願った。


「…………」


 伯爵はそれをソファからじっと見下ろして、この光景は夢でも見ているのかもしれないと思い込もうと長く沈黙し――


「ユリアーナ」

「はい」

「王子との縁談は、嫌だったのか?」

「……はい」

「私がそばにいることも?」

「……申し訳ございません……。ですが、悪いのは私です。お父様は何一つ悪くありません。私はヒースウェル家現当主を心より尊敬しております。そして、私に深い愛情をかけて育ててくださった父親に、言葉で言いつくせないほど感謝しております。私はお父様が大好きです。それだけは、いつわらざる本心です」

「そうか……」


 問いかけに答えるユリアーナの少し怯えの混じった眼差しに、当主として、父として思うところがいろいろあるのだろう。複雑な表情を浮かべて長い息をつき、沈黙する。

 当主としての振舞いが娘を傷つけていたこと。それに今の今までまったく気づいていなかったこと。それでも娘が父を慕ってくれていること。

 その想いが伯爵の中で巡り巡って――


「いいだろう。認めよう」


 二人の願いを叶える決断した。

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