第2話 眠り姫はド真ん中

 味も素っ気もない携帯食料を昼食替わりにもぐもぐと食べながら街道を歩き、二時間ほどするとヒースウェルはくしゃく邸のある町が見えてきた。

 イーリスは町の入口近くの露店でお茶を買い、喉の渇きをうるおして一休みしてから伯爵邸に向かう。

 屋敷は領主にしては地味で控えめな大きさだが、代わりに前庭まえにわが王宮並みに手入れが行き届いていて、咲き誇る花々が非常に美しかった。伯爵の趣味なのだろうか、とイーリスは思う。

 その庭を取り囲む鉄柵の前に立つ衛士に身分証ギルドカードを示して依頼の話をすると、身体検査すらされずに門が開かれた。


「領主の家なのに無防備だなぁ……」


 ギルドカードが身分証明書として非常に高い効力を持つとわかっていたものの、招待された客のごとくパスできてしまう緩さを心配しながら前庭を抜け、執事らしい老紳士が開いた玄関扉をくぐる。


「よく来てくれたな、魔道士殿」


 外観からは想像できないエントランスホールの豪華さに目を丸くしているイーリスを迎えたのは、日に焼けた顔にシワを刻んだ総白髪の中年だった。年齢は五十近いと言われているが非常に若々しく、背が高く筋骨隆々で、かつて王国騎士団でくんを上げたという面影おもかげが色濃く残っている。少なくとも前庭の花をでる姿を想像できない武闘派に見えた。

 なるほど、この人なら暴漢など片手で制圧できそうだ。

 とイーリスは警備の緩さに納得した。

 ただ『眠り姫』のことで心労が大きいのか、表情や仕草に勢いがない。


「私が当主のヴィクター・ヒースウェルだ」

「初めまして、領主様。魔道士のイーリス・ミィミルと申します」


 挨拶あいさつし、身分証ギルドカードを提示する。

 伯爵はそれを目にするなり、「なんだ、最低ランクじゃないか」とあからさまに落胆した。はあ、とため息をつき、じとっとした目で来訪者の少女を見やる。


「君は、他の冒険者とは違う特殊なスキルなどを持っているのかな?」

「いえ、そういうのは特に」

「娘の呪いは解けそうか?」

「見てみないことには、何とも」

「では、さっそく見てもらおう」


 急かすように言って振り返り、伯爵はホールの奥にある階段を上り始めた。イーリスはそれについていく。

 二階の長い廊下を進み、三つ目のドアを開ける。広い部屋だが調度品はほとんどなく、天蓋てんがい付きのベッドとサイドテーブルが一つずつあるだけだった。


「娘はベッドの中だ」

「…………」


 投げやりな口調で言って伯爵はドアのそばの壁に背を預け、腕を組んだ。どうせ何もできないだろうと決めつけて、期待する気配すらない。

 イーリスはそれを『好きにしていい』という意思表示なのだと解釈して、天蓋から垂れる薄布うすぬのを開いて伯爵令嬢と対面した。

 真っ白なシーツに埋もれるようにして寝息を立てる『眠り姫』を一目見て――


(アアアアァァイッ!)


 イーリスは心の中で奇声を上げた。

 透き通るような水晶色の長い髪、白磁の肌、細く整った眉、長いまつ薄紅色うすべにいろの小さな唇。呼吸で胸が小さく上下していなければ作り物マネキンまがうような美少女がそこに横たわっていた。

 この世に生を受けて十七年、道を歩けば「どこかに可愛い女の子が落ちてないかなー」などとアホなことを考えている『美少女愛好家』のイーリスが、ここまで自身の感情を揺るがすようなに会ったのは初めてだった。


(こっ、これは何としてでもを……ッ!)


 適当に魔法を使うようなフリをして「無理でした」と銀貨三枚を貰って帰るつもりだったが、伯爵令嬢の顔を見てぜんやる気が出た。


「無理ならそれで構わない。今まで高ランク冒険者や宮廷魔道士、大教会の高位神官に依頼しても解けなかったのだ。君にできなくても恥ではない」


 ベッドを覗き込むなり動きが止まってしまったイーリスを、どうしていいかわからずほうけていると勘違いした伯爵がなだめるように言う。


「呪術というのは、術者が高位であれば他人に解除することはできないと聞く。中級程度の呪いなら高位神官に頼めば解けるそうだが、娘にかけられたものは複雑な術式をいくにも編み上げた高度なものらしく、解析すらできず手が出せないそうだ」

「はあ、そうですか」


 伯爵の突然の講義に気のない返事をする。

 イーリスが最低ランク魔道士なので知らないだろうと思っての説明のようだが、魔道士なら見習いでも知っているような『基本中の基本』を語られても反応に困るだけだった。


「だから我々は術者をさがし、捕らえ、解除させようとした。だが、術者は捕らえられると同時に、娘へのじゅの言葉を残して服毒自殺したのだ」

「え? 術者が自害したのですか?」

「それほど娘を恨んでいたのだろうな。逆恨みでしかないというのに……!」


 忌々いまいましそうに吐き捨てて、伯爵はぎりぎりと拳を握り締める。

 その様子をじっと見ているイーリスの視線に気づき、肩の力を抜いてゆっくりと頭を振った。


「……話を聞く限り、呪術は術者の魔力をかてに効果が持続するそうだな。だから術者が死んだなら呪いは消えるはずだ、と。だが、娘の呪いはまだ続いたままだ」

「そのようですね」

「普通の呪術とは違い、呪いをかけられた娘本人の魔力を吸って効力を発揮しているのではないかと宮廷魔道士が言っていた。そういう効果を持つ術式を新たに編み上げた術者はかなりの高位魔道士だったようだ」

「それは困りましたね」


 全然困ったようには思えない軽い返事をするイーリスに伯爵の目つきが変わる。


「今の説明の意味がわかっていないのかな?」

「理解していますよ。術者の能力はさておき、ご令嬢の魔力を使用しているのなら、それを止めないことには呪いは解けないということでしょう。他の方法を探そうにも術者が編んだ術式が高度過ぎて手が出ない、と」

「……そういうことだ」


 要点を外さない答えをあっさり出され、伯爵は少々不機嫌になりながらうなずいた。最低ランクとあなどっていたイーリスからの的確な返答が気に入らないのだろう。

 

「人間は誰もが大なり小なり、生きている限りは常に体内で魔力を生成しているものだ。魔道士でない者でも生活魔法が使えるのはそれが理由だな」

「はい」


 またも魔法の基礎知識を語り出す伯爵。

 それが魔道士の常識だとわからずに滔々とうとうと説明を続ける伯爵は滑稽こっけいですらあったが、イーリスに指摘することはできない。機嫌を損ねて追い出されては困るのだ。

 イーリスにできるのは、しっかり聞いているフリをしつつ右の耳と左の耳を一本の筒でつなぐようなイメージで聞き流すことだけだった。


「娘は魔力を呪術に吸われるより生成するほうが多いそうだ。だから魔力切れで自然に解呪されることはない。だが、魔力の生成を止めるには……」


 その先を口にすることができず、伯爵の言葉尻がすぼむ。

 魔力生成を止めれば伯爵令嬢の呪いは解けるが、その方法は一つしかない。

 しかしそれは、伯爵と令嬢にとってを迎える方法だ。


(まあ、そんなことはさせないけど)


 無言のまま伯爵令嬢をつめて術式を読み、このやり方でいこうと決めたイーリス。想定通りにやれば

 ただその前に、解決しておくべき問題が一つあった。


「領主様。一つ、確かめたいことがあるのですが」

「なんだね?」

「ご令嬢の呪いが解けた場合、どういった報酬をいただけるのでしょうか? 依頼書には記述がなかったと記憶しているのですが」

「……気の早い質問だな」


 そういうことは呪いを解いてからほざけ、とあざけるような調子でこぼし、伯爵は意地の悪い笑みを浮かべた。


「何でも望むものを与えると約束しよう。ヒースウェル伯爵の名にけて誓ってもいいぞ」

「何でも、でございますか?」

「ああ。金でも、領地でも、権力でも。好きな物を与えてやろう」

「ありがとうございます。


 明らかに「最低ランクにできるものならやってみろ」と馬鹿にする口調であったにもかかわらず、我が意を得たり、とイーリスは頭を下げながらニヤリと笑う。


「すべての問題はクリアされました。では、呪いを解いて見せましょう」


 再び伯爵令嬢に向き直り、その美しい寝顔を覗き込んで、イーリスは――


「っ⁉」


 静かに寝息を立てるその小さく可愛らしい薄紅色くちびる

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