眠り姫を起こす方法

南村知深

第1話 最低ランク魔道士

「あのタヌキオヤジめ……足元見やがって……」


 そう悪態あくたいをつきながら王都の大通りを行くのは、魔道士の少女イーリス・ミィミル。

 やや紫がかった長い銀髪と魔道士らしい真っ黒でシンプルなワンピースのすそを風になびかせ、小柄な体格に似合わぬ大きなバッグを背負っていしだたみを踏みつけるように歩いている。バッグの中には先ほど古書店で買い込んだどうしょが数冊入っていて相当重いはずだが、それを感じさせないのは彼女の表情が怒りに満ちているからだろう。

 訪れた古書店で希少な魔導書を見つけてそれに飛びついたまではよかったのだが、イーリスが欲しがっていると見るや、古書店の店主は値段を吊り上げたのだ。

 それにはイーリスも抗議したが、いかんせん相手は生き残り競争の激しい王都で長年営業している老舗しにせ古書店主である。値下げ交渉で多少は安くできたものの、結局は相場より割高で買わされることになってしまった。

 自分好みの美少女店員に入れ替わらない限り、次からあの店では買わない! と強く天に誓いつつ、珍しい本を手に入れられたからまあいいやと無理に機嫌を直したイーリスは、その足で冒険者ギルドに向かった。


 王都の冒険者ギルドは世界最大級で、建物の大きさも抱えている冒険者の数も他を圧倒している。今がちょうど昼食時で比較的空いていなければ、小柄なイーリスが人混みに埋もれて動きが取れなくなるほどの混雑があっただろう。


「……この辺でいいか」


 数多あまたの依頼が貼り出されている掲示板をじっと見つめ、イーリスはその中から三枚の依頼書を手に取った。それを受付に持って行く。


「あら、イーリスさん。お久しぶりですね」

「一年ぶりですかね」


 顔見知りの職員と軽い挨拶あいさつを交わし、依頼書を差し出す。


「この仕事を受けたいんですけど」

「三件ともFランクの薬草採取の依頼ですね。期限は……」

「ああ、全部手持ちがあるんで、大丈夫です」


 言いながらバッグから鮮度を保つ処理をほどこした薬草を取り出し、カウンターに置く。王都に用があるときは、事前に依頼が出やすい薬草を何種類か採取しておくのがイーリスのやり方である。依頼を見てから採取に行くのは面倒だし、仮に依頼がなくとも集めた薬草は持ち帰って実験に使ったり回復薬ポーションを作ったりするので無駄にはならない。


「確認しました。三件とも依頼達成となります」


 依頼完了確認書といっしょに職員が差し出した小袋を覗き込み、依頼料がきちんと入っていることを確認して――イーリスはため息をついた。

 薬草採取は駆け出し冒険者のような初心者向けの依頼なので、たいした金額にはならないのだ。三件まとめて達成して得た小袋も、魔導書で散財したイーリスを笑顔にするだけの力はない。

 とはいえ、イーリス本人が仕方ないと納得しているので文句は言わない。

 散財は自分の意志でしたことであり、初心者向けの依頼しか受けられない一番下の冒険者ランクにとどまっているのも自分で決めたことだからだ。


「手持ちの薬草を道具屋に買い取ってもらうかな……」

「もう少し稼ぎが必要なんですか? でしたら魔道士イーリスさんにちょうどいいのがありますよ」


 イーリスの独り言を耳ざとく聞いていた職員が、手元の書類束から一枚の依頼書を引き抜いて提示した。


「王都の隣の領地を治めるヒースウェルはくしゃくからの依頼ですけどね、『眠り姫』にかけられた呪いを解いてほしい、というものです。まだこの依頼を受けていませんよね?」

「ねむりひめ……? 初耳ですけど」


 何のことだろう、と首を傾げながら依頼書に視線を落とす。

 内容は――一年ほど前にヒースウェル伯爵令嬢が呪いをかけられ、それ以来眠ったまま目覚めなくなった。その呪いを解除できる者を探している――ということだった。報酬額の記載がなく、受注できる冒険者ランクの制限もない。

 この依頼に対してイーリスが受けた印象は、一言で言えば『怪しい』だった。


「ヒースウェル伯爵令嬢と言えば、一年半くらい前にこの国の第二王子との縁談えんだんがあった人ですよね。……あれ、でも、結局破談になったんじゃなかったですか?」

「そうですね。ある意味それで有名になった人です」

「そんな高貴な人がなんで呪われたりしてるんです? それが破談の理由だったり?」

「いいえ、呪いをかけられたのは破談のあとです。逆恨み、ですよ」


 疑問を何気なく口にしただけのイーリスに、職員はなぜか楽しそうに言った。


「伯爵から口止めされているのであまり大きな声では言えませんが、第二王子との縁談が白紙になったと発表があったあと、これ幸いと求婚してきた何人もの男性を令嬢は全部こっぴどく振ったそうです。その中の一人が恨みを持って、深夜に伯爵邸に忍び込んで呪いをかけた、と」

「へえ」


 口止めされていることをそんな簡単に話していいのだろうか、というイーリスの疑問はこの際さておく。このテのゴシップが好きな人というのは一定数いるものだ。


「呪術を使われるほど恨まれるなんて、よほど酷い振り方をしたんですね。……令嬢は性格が悪いんですか?」

「とんでもない。一度お会いしたことがありますけど、『眠り姫』なんて呼び名が付くのも納得の美しさで、とても物腰柔らかで優しく聡明な方でしたよ。王子様に気に入られるのも当然と思いましたね」

「ふーん……」


 どうにも伯爵令嬢の人物像が想像できず、気のない返事をするイーリス。ただ、その姫が美しいということだけはしっかり記憶した。


「で、この依頼がどう『ちょうどいい』んです?」

「伯爵は呪いが解ける解けないに関係なく、依頼を受けて何らかの手段を講じた者に銀貨三枚の報酬を約束しているんです。失敗のペナルティもありませんし。ただ、何をしたのかを詳細に説明する必要はありますけどね」

「それは……ごうなのか間抜けなのか。いや、かな」


 効果のない方法を除去していくことで解決策の見当をつけよう、というもくなのだろうとイーリスは思った。

 職員が同意してうなずく。


「多分そうでしょうね。それだけ解決が見通せなくてせっまっているということなんでしょうけど……銀貨三枚はやりすぎじゃないかと思いますよね。いえ、そのおかげでギルドは助かってるんですけど」


 一人送り込むたびに仲介料マージンが入りますし、と小声で職員が呟く。

 それをしっかり耳にし、イーリスは苦笑した。


「こういう言い方をするのはギルド職員としてははなはだ不適切ですけれど、お屋敷に行って何かするフリをするだけで銀貨が三枚手に入るわけですから、馬車代を引いてもおつりが出ますし、お金に困っている人や達成できそうにない人にもどんどん紹介しているんですよ」

「わたし、そんなふうに見られてるんですか……? いや、その通りですけど」


 薬草採取依頼の報酬でため息をついたところを見られているし、そう思われても仕方がないとあげかけた抗議の声を引っ込める。

 ついでに、イーリスには絶対にこの依頼を達成できないと思われていることに対する反論も控えた。

 それもだから。

 イーリスは冒険者ギルドに魔道士として登録してから数年になるが、受けた依頼は二十を超えない。それもすべて薬草採取という初心者用の依頼だけで、ダンジョンの調査や魔物討伐に出たことがなかった。ゆえに冒険者ランクは最低のままだ。

 理由は単純明快。

 生まれつきイーリスの魔力量キャパシティが魔道士として致命的なほど少なく、使だ。ろくに魔法を使えない魔道士が戦闘に出ても役に立たないのは言うまでもない。

 彼女が使う魔法は、飲み水や炊事洗濯の水を得る『水魔法』と、ロウソクやかまどに火を入れる『火魔法』――一般人の子供でも呪文を覚えて正しくえいしょうできれば使えるような、いわゆる『生活魔法』がほとんどである。それも魔力量の少なさゆえに一日数回が限界だった。

 それをどうにかしたいと思ったイーリスは、魔法を研究して魔力量を後天的に増やす方法がないかを探し始めた。

 冒険者ギルドに登録したのは冒険者の身分証明書として発行される『ギルドカード』を取得するためで、それがあれば一般人には販売を許可されていない魔導書が買えるからだった。依頼を受けて魔導書代の足しにするのはである。

 そうして買い集めた魔導書に埋もれた家にひきこもり、来る日も来る日も魔法を研究する。

 そんなイーリスをギルドの冒険者たちは『魔導書大好きポンコツ魔道士』と揶揄やゆするが、当人はさほど気にしていなかった。さすがに職員にまでそう思われていたのは予想外だったようだが。


「ともかく、銀貨三枚は少なくないお金ですし、一度伯爵邸へ行ってみてはどうです?」

「そうですね……」


 職員が親切心で言っていることはよくわかるし、現時点でお金に困っていることも事実。断れば夕食が水とパンだけになることを考えると、ここはそのこうを受けるべきだろうと思った。


「わかりました。行ってみますね」


 気遣いに感謝し、イーリスはヒースウェル伯爵領へ向かうべくギルドを出て、馬車を雇い……たかったがお金がないので、徒歩で行くことにした。

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