第24話 最終章 ここから始まる25年後の未来へ

この建物は何年も、もしかしたら何十年も掃除などしていないらしい。

床のあちこちにカビが生えているし、埃が積もってザラザラしていて相当に汚れていた。

外の地面の方が、よほど清潔なんじゃないかと思えるほどだ。

それでも、追手が来た時の用心ためには、ここで寝た方がいいという話になった。

麻袋とか風呂敷とかビニールシートとか、持っている物を出し合って床の上に敷いた。

幸い寒くもないし、掛け布団が無くても気にならない。

歩いたり走ったり山の斜面で足を滑らせて落ちたり、かなりの運動量だったせいか、体中の筋肉が悲鳴をあげている。

鞄を枕にして横になると、すぐに眠くなってきた。



翌朝、目を覚まして周りを見ると、皆んなもう起きていた。

利兵衛さんと久栄さんは、早朝まだ暗いうちに出発したということだった。

梅吉には、こっちに残って皆んなを守ってくれと頼んで行ったという。

今は6時半過ぎだ。

空を見ると、昨日と違ってどんよりと曇っている。


「今のところ追手が来た様子は無い」

外を見回りに行っていた父が、帰ってきてそう言った。

「まずは山に入って死体があるかどうか確かめるはずだし、その間くらいは時間の猶予があると思う」

「どっちにしろいつまでもここに居るわけにはいかないよね」

幸さんが言う。

確かに、追手が来るのは時間の問題だと思う。

利兵衛さんと久栄さんは出かける前に、知り合いの家がどの辺りにあるかは教えてくれていた。

とりあえず全員で、その方向に向けて歩いていくぐらいしか今は思いつかない。

父が戻ってから数分後に、梅吉も戻ってきた。

危険を知らせる時は吠えて警告してくれるので、普通に戻ってきたということはまだ危険は無いのかと思う。


最後に翔太さんが戻ってきたのは、それから30分近く経ってからだった。

「俺達が逃げ続けてることは、おそらく奴らに知られてると思う。騒ぎになるのを避けてんのか、大々的に探したりはしない様子だけど。通行人を呼び止めて何か見せて、聞いて回ってる奴が居る。俺が気付いただけでも五人は居た。あまりしつこく観察してるとこっちが見つかる恐れもあるし、適当に切り上げて戻ってきたけど」

見回りに行ってきて分かった事を、詳しく伝えてくれた。

翔太さんは奴らに顔を知られていると思う。

父と同じく髭が伸びだことで少し人相が違って見えるだろうというのと、帽子を目深に被って顔を見られないようにしたと言うけど。

それでも見つかる可能性は十分あるし、適当に切り上げて帰ってきて正解だったと思う。


「警察の聞き込みみたいな感じでやってるんだね」

明日香ちゃんが言った。

「完全に犯罪者の扱いだよね。まあ彼らから見たらそうなんだろうけど」

「五人一緒に居たら目立つかな」

「それはそうかも。一人ずつバラバラに逃げて、向かう場所だけは決めておくのはどう?」

もう一度全員で、利兵衛さんと久栄さんが言っていた場所を確認した。

ここよりも、かなり海岸線に寄った場所。

船を出せる場所なんだから当然そうか。

まずは海岸まで歩いて、そこから更に海岸線に沿って、かなりの距離歩かないといけない。

その知り合いが今も同じ場所に居るのか、会えるかということ自体確かではないけれど。

うまくいきますようにと願うしかない。

そして、もしうまくいかなくても、奴らの支配から離れることだけは絶対に諦めない。

必ず何か方法はあるはず。


数分ずつ間を空けて一人ずつ出ようかと話している時、外から人の話し声が聞こえてきた。

声の感じから、若い男女が数人で歩きながら、賑やかに話している。

こちら側は、その声が聞こえて来ると同時に話すのをやめた。

相手が誰か、何を話しているか確認しておきたい。

私は窓の側まで行って、そっと戸外の様子を覗いて見た。

歩いているのは男性が二人、女性が二人。カップルかな?

家の裏手の方から近付いて来ている。

この辺りに遊びに来てる人達みたいな雰囲気だし、追手とかでは無さそうだけど。

「どうする?このままやり過ごせば大丈夫と思うけど」

私は小声で皆んなに伝えた。

鍵は壊したあとで、内側からも掛けられない。

「外から見たら空き家にしか見えないし、普通に通りずぎるんじゃない?人が近くに来たからって逃げたら余計に怪しまれるし」


私達は、息を殺すようにしてその場にじっとしていた。

外から、話し声が聞こえてくる。

「ねぇ。ここって空き家?」

「ボロボロだからね。誰も住んでないでしょ」

「幽霊とか居たりして」

「やめてよ。変なこと言わないでよ」

「ちょっと入ってみる?」

「勝手にそんなことしていいの?」

「誰も見てないし」

「ほんとに幽霊とか居ても知らないからね」


最悪だ。

入ってくるかもしれない。

この家には勝手口などは無いし、窓から出れば見られるし。

家の中に隠れられるほどの場所も無い。

それ以前に、ここまで近くに来られてから下手に逃げたり隠れたりすると、かえって怪しまれて面倒なことになるのは目に見えている。

だけど、玄関から入ってこられたら確実に鉢合わせてしまう。


父が、立ち上がって玄関の方に歩いて行った。

私達の方を振り返り、頷いて見せる。

任せてくれという事なのか。

おそらく扉のすぐ前あたりで、入ってみようとか幽霊がどうとか、外の人達はまだ話している。

父は、玄関の扉を中から押して開けた。

「ぎゃああああ!!」

「開いた!!」

「何?!」

扉の近くにいた四人は驚いて飛び退き、父の方を見た。

そこに居るのが幽霊でも何でもなく普通の人間だと分かって、少し落ち着きを取り戻したようだ。


「驚かせて悪かったな。外で話し声がするもんだから・・・」

「すみませんでした。人が住んでると思ってなくて」

「ごめんなさい」

四人は慌てた様子で口々に謝った。

「謝らなくていいよ。俺達も住んでるわけじゃないから」

父が「俺達」と言ったことで四人は、他にも人がいると認識したようで家の中に目を向けた。

私達は、特に隠れるでもなく積極的に出て行くでもなく家の中に居た。

「移動で最近来たばかりで、この辺りの事はよく知らないんだよ。今日は、行っていい範囲内でちょっと散策しようと思ってね。通りかかったらここの扉が開いてたから、何の建物だろうと思って入ってみだんだ」

父はスラスラと作り話をした。

聞いていて嘘っぽくは聞こえないし、このメンバーだと全員家族に見えなくもない。

うまく誤魔化せたかなと思う。

「そうだっんですね。良かったぁ。さっき幽霊がどうとか言っちゃったし。住んでる人が聞いてたらめちゃくちゃ失礼な話だし、怒らせたかもって思って焦りました」

女性の一人がそう言って、笑いが広がった。


結局全員で外へ出て、しばらく建物の前で皆んなで話した。

私達のことは勝手に家族だと思ってくれてるみたいで、それならその方がいいので誰も否定しなかった。

彼ら四人も、遊びに来ているだけでこの辺りの住人ではないと言う。

服装や持ち物からして見るからにお金持ってそうだし、信用スコアBランクあたりの人達かなと思う。

船を持っている友達がこの近くに住んでいて、今日はその友達との待ち合わせ場所に向かう途中だったと言う。

連絡を取り合って場所を聞いて、歩いていたら途中にこの建物があったから、ちょっと気になって近付いてみたということだった。


今、二人の友達が船の方に居るらしい。

ここから真っ直ぐ海岸沿いまで行った場所で待ち合わせだから、もし行く方向が同じなら乗っていくかと聞いてくれた。

「ほんとですか?五人も乗って邪魔にならないんなら、乗せてもらえたら嬉しいけど」

明日香ちゃんが言った。

「気にしないでください。どうせ船を出すわけだし、ちょっと人数増えたって同じですから」

男性の一人が、笑顔でそう言ってくれた。

「ありがとう。助かったぁー。普通に歩くつもりでいたし、乗せてもらえるなら有難い」

幸さんも、長距離歩くのはもう辛いようで喜んでいる。

たしかに有難い。

昨日からの疲れが抜けてないし、私もこれ以上あんまり歩きたくない。

利兵衛さんと久栄さんが言っていた場所は、海岸線に沿ってさらに長い距離を歩かないといけない。

それしか手段が無いと思ってた時は普通に歩く気でいたけど、楽な方法が目の前に来たら乗りたくなる。

いつ追手が来るかわからないし、ここから早く離れたい。

本当は、誰にもあんまり顔を見られたくないんだけど。

この人達が何も気が付いてないなら、大丈夫か。

行く方向が同じでついでだという事なら、大して迷惑はかからないかと思う。


海岸線まで歩きながら話して、結局乗せてもらう事になった。

ここから近い場所で、漁村があって船着場がある所というと一ヶ所しか無いらしく、聞けば私達が行こうとしている場所と同じだった。

利兵衛さんと久栄さんの知り合いも、きっとその村に居るんだと思う。

確実に居るかどうかはわからないけど、もし居てくれて船を出してくれたら、そこからさらに別の場所へ逃げられる。


海岸に近付いていくと、夏の間だけ営業しているらしい店もあり、山の麓よりは少し賑やかな感じになってきた。

それでも海水浴シーズンはもう終わっているので、人はほとんど歩いていない。

その事にホッとする。

私達が逃げて居なくなった事は、世間一般には公表されてないと思うから、人を見るたびに恐れなくていいんだけど。

一つだけ心配なのは、こうして歩いているうちに、もしも追手が来たらどうするかという事。

四人には申し訳ないけど、そうなったら黙って一目散に逃げるしかない。

今更本当のことなんて言えないし。


海岸沿いまで来ると、美しく整えられた景色が広がっていた。

店もあり、遊歩道もあり、海の中に突き出すような形で作られているテラスがあった。

船も沢山あって、どれも想像していたより大きくて美しい。

もっと田舎で、もっと自然な感じを想像していたので驚いた。

確かに綺麗なんだけど、あまりいい感じがしないのは、人工的な場所だからかもしれない。

支配層の彼らの手が入っているように思えてしまう。

実際そうなんだろうけど。

「綺麗なところだね」

「整いすぎてて意外」

明日香ちゃんも幸さんも、悪くは言わないけど感じていることは多分私と同じなんじゃないかと思う。

何となくそれが伝わって来る。

父と翔太さんは、それ以前にこの人達を信用していない。

それも何となく伝わって来るから分かる。

話しかけられれば適当に合わせて話すし、船に乗せてもらうことに反対はしなかったけど。

梅吉も、この人達には決して寄っていかない。

父と翔太さんが、信用していないにも関わらず船に乗ることを避けなかった理由までは、私には掴めなかった。


案内された船は、想像していたよりずっと大きくて美しかった。

「ちょっと曇り空だけど、雨は降らないみたいですし」

「甲板に居る方が気持ちいいかも」

「いい景色が見れそうですね。ありがとうございます」

「僕達は下に居るんで、どうぞ上でゆっくりしてくださいね」

「30分くらいで着いちゃうんで、ちょっとの時間ですけど楽しんでください」


四人は下に降りて行って、私達は甲板に上がった。

彼らの友人が操縦しているらしく、間もなく船は動き出した。

空が曇っているとはいえ潮風が心地良く、遠くまで見渡せる。

何となく感じる違和感で気持ちがスッキリしなかったことも、一瞬忘れてしまうくらいの気持ち良さ。

「泳げない人は居ないかな?」

父が皆んなの顔を見ていきなり聞いた。

私は泳げるし、皆んな大丈夫みたいだけど、何でこんなこと聞くんだろう。

泳ぎに来たわけでも潜りに来たわけでも無いのに。

「沖へ出る前に、飛び込んで泳ぐぞ」

父は、船の進行方向を指した。

「泳ぐ?!何で?!寒いし水着とか持ってないし」

利兵衛さん達と約束した場所は確かにそっちだけど、せっかく船で移動できるのに何でまた・・・

「邪魔になる服は出来るだけ脱いで、岸から見えにくいこっち側から行くか」

翔太さんまで、当然のようにそんな事を言った。

もしかしてここへ来るまでに、こっそり父と二人で打ち合わせてたのかもしれない。

「今のところ追手は来てないんじゃない?」

幸さんが聞いた。

追手が来てるのだとしたら、私も気が付いてなかった。

実は彼ら四人が支配層側の人間で、私達の事を上に報告してるとか?

もしかして船が着いた途端、そこに彼らの手下が待ってるとか?!

下に彼らが居るなら聞こえてはまずいと思い、私は声に出しては言わなかった。

だけど父と翔太さんはさっきから、普通の声で話してるけど・・・

「あの四人は、乗ると見せかけてすぐ降りたに違いない。おそらくもう居ない。それに自動操縦で、彼らの友人なんて最初から居ないと思う」

「まさかそんな事って・・・」

私が驚いているうちに、明日香ちゃんと幸さんは走って確かめに行った。


「ほんとだ。誰もいない!」

「こっちも無人だよ!」

「騙されたって事?」

「少しは気付いてたんじゃないのか?」

父がそう言って笑った。

「何となく違和感はあったけど、まさかそこまでとは。このままぼーっと乗ってたら、降りた場所で捕まるとこだったね」

「その可能性もあるが、奴らはそれよりもっと早く決着をつける気かもしれない」

「え?どういうこと?!」

「だから早く降りた方がいい」

「荷物は全部捨てよう」

「これだけは持って行くからね」

わけがわからないまま、私は上着と靴を脱いだ。

Tシャツとジーンズなら、何とか泳げると思う。

父のノートをビニール袋に入れて、借りた風呂敷に包んで背中に結え付けた。


9月の海だ。

冷たそうだけど、きっとそんな事は言っていられない事態なんだと思う。

一つだけ気になっていた事を聞いてみた。

「お父さんも翔太さんも、あの人達の事信用してなかったよね。そこまでは分かったけど、何で船に乗るのやめようとしなかったの?」

「俺達が死んだと思うまで執拗に追って来るなら、これが逃げるチャンスでもあるからだよ」

なるほど。父の答えを聞いてやっと納得した。ここで逃げるつもりらしい。

「天候も俺達に味方してくれたな」

翔太さんは、そう言って空を見上げた。

どんよりと曇っている上に、霧がかかっている。

岸からこちら側は、きっと見えにくいと思う。


私達四人と梅吉が、次々と海に飛び込んだあと、船はそのまま先へ進んで行った。

あっという間に距離が離れて行く。

そういえば、聞いていた進行方向より斜めに少しずつ沖の方へ向かっている。

外から見るとそれが分かるけれど、乗っている時は気付かなかった。


数分後、凄まじい爆発音が響き、火柱が上がった。





2055年 母のノートと私の日常


ここに座って海を眺めるのが好きだ。

子供の頃からずっと、これは変わらない。

海の色も、空の色も、雲の形も毎日違う。

瞬間瞬間、形を変えていく。

見飽きることが無い。


向こうに漁船が見える。

父が帰ってきた。

近付くのを待って手を振ると、父も私に気が付いた。

同じように手を振って応えてくれる。

今日は沢山釣れたかな。


私は岩から降りて、砂の上を裸足で歩く。

吹き抜けていく潮風が心地いい。


家に戻ると、祖父が畑から帰ってきたところだった。

シシトウ、ナス、ピーマン、トマト、ズッキーニ、キュウリ。

収穫してきた野菜を、カゴの中から出して並べている。

「沢山採れたね。ありがとう」

「暑すぎて枯れた物もあるが、何とかこれくらいはな」

「十分足りるでしょ」

さて今日は何を作るか。

父が獲ってくる魚を見てから考えよう。


母は、涼しいうちに屋根を直すと言って朝から梯子を持ち出していた。

明日香さんが手伝いに来てくれるみたいだし、私が行かなくても大丈夫と思うけど。

今年は梅雨の時期に一度雨漏りもあって大変だったから、屋根も限界なのかもしれない。

今のうちにしっかり直しておかないと。


祖父は野菜を置くと、早速日本酒の瓶を取り出している。

徳利に酒を注ぎ、猪口を二つ。

それと、つまみになりそうな物を探している。

「これ持って行っていいか?」

「いいよ。好きなだけ持って行って」

魚の干物は沢山ある。

食べ物の管理を任させれているのは私なので、祖父はいつも私に聞いてくれる。



シーフードカレーを煮込みながら、私は母のノートを開いた。

随分前に書いた物らしく、表紙の色も変わっている。

整頓していたら出てきたと言って、つい最近見せてくれた。

2030年の日付が書かれている。

母が、ちょうど今の私に近い年だった頃書いたものらしい。

ただの古い日記かと思ってたけど、昨日何となく気が向いて読んで見ると、これが突拍子もない内容だった。

読み始めると、私はすぐにのめり込んだ。

少しでも時間がある時は、これを読むのが楽しみになった。

あまりにも非現実的な内容だし、作り話かと思ったけどどうもそうではないらしい。

日記と言うからには書いてあるのは事実だよねと母に確認したら、もちろん事実だとあっさり返ってきた。

母が嘘を吐く人じゃないのは私も良く知ってるし。


祖父が前に、親友の幸さんのことを「共に死地を超えてきた仲間だ」とか言ってたけど。

「ただの飲み友達じゃないの?何だか知らないけど大袈裟な」って、その時は思ったけど・・・

母のノートを読んで、あれって本当だったんだと確信した。


父と母が出会ったのも、まさにその時だったらしい。

ごく少数の支配層によって完全管理された、何の自由もない世界。

それは、今でもどこかに存在しているのかもしれない。

私にはとても考えられない、監獄のような世界だけど・・・

そういう世界もあるんだなと思った。

母は若い頃、そういう世界を当たり前だと思って生きていたらしい。

今の母を見ると考えられないけど。

祖母が早くに亡くなって祖父と二人暮らしだった母は、祖父のノートから真実を知ったらしい。

支配者の存在。

この世界の仕組み。

自分達庶民が置かれている立場。

私には当たり前の真実であるワンネスということについても、母は20代半ばまで知らなかったと書いていた。


個人識別番号とか、信用スコアとか、AIによる監視システムとか、驚くようなことがあまりにも沢山書かれていて、どこか遠い世界の事のように思える。

だけど紛れもなくこれは国内で起きていたことで、それも大昔の事なんかじゃなくほんの二十数年前の事らしい。

祖父はそういう世の中に疑問を持っていて、その事を書いたノートを母が読んで、今度は母が書いたノートを私が読んでいる。


山の幸にも海の幸にも恵まれた、自然豊かな場所で私は育った。

母のノートに書いてある学校というものには行ったことがないけれど、読み書きや計算など必要な知識は、祖父や両親、近所の人達から教わった。

同世代の友達も近所に十人以上居るし、一緒に遊んだり勉強したりして子供時代を過ごした。

釣りも畑仕事も家の修理も掃除も何でもやれるけど、何と言っても一番好きなのは料理だから、それを任せてもらっている。

皆んなが持ってきてくれる食材を見て何を作るか考える時、メニューを決めて作っている時、私の料理を皆んなが美味しいと言って食べてくれる時、最高の幸せを感じる。


祖父と母が、管理社会から抜け出すと決めてそれを実行して、その時に父とも出会って、他にも一緒に行動した人、助けてくれた人が居て、皆んなでここに住居を定めて・・・その流れがあったから、私という存在が生まれて今ここで生きている。

そう思うとなんかすごく不思議な気がする。

私はここで生まれて育ってすごく幸せだから、この流れに関わってくれた皆んなにありがとうを言いたい。



「真っ黒な煙が上がり、炎が海に広がっていく様子を、私は呆然と見ていた。

あんな豪華な船でも平気で爆破して吹き飛ばすんだと、妙なところに感心したりしながら。

こっちを信用させるためには、それくらいやるのかなとも思った。


だけど・・・今度こそ私達が全員死んだと、彼らは思うに違いない。


幸いなことに波は穏やかで泳ぎやすい。

ゆっくりと泳ぎながら、皆の無事を確認する。

目指す方向は、こっちで合っているはず。


途中から梅吉が一番前に行き、私達を誘導し始めた。

しばらくすると、小さな漁船がこっちに向かって来るのが見えた。

漕ぎ手が一人。

それに、利兵衛さんと久栄さん兄妹。

知り合いには会えたらしい。

そして、私達五人のために船を出してくれた。

本当に有難い。助かった。


私達は一旦、利兵衛さんと久栄さんの知り合いだという漁師さんの所で休ませてもらった。

お風呂を使わせてもらった後、おにぎりと焼き魚、熱い番茶をいただいて、生き返ったような気持ちになった。

ここは、同じ船着場でも最初に見た所とはまるで雰囲気が違っている。

小さな民家が数軒あり、漁に使う船がいくつかあるだけで、おしゃれな施設や遊歩道などは一切見られない。

漁村らしく、ここで人が生きている生活感が伝わってきて、私はこっちの方がずっと好きだなと思った。


ここには、彼らの支配は及んでいないらしい。

さっきの場所とそれほど離れてはいないので意外だったけれど、家が数軒しかないし認識されていないのではないかという事だった。

利兵衛さんと久栄さんに会った時も思ったけれど、彼らの支配が全てのエリアに及んでいるわけではないというのを知って気持ちが明るくなった。


このままここで皆んなで住むというのもありだけど、念のためもう少し離れた方が無難ではないかという話になり、漁師さんに船で送ってもらうことになった。

少し離れても行き来出来ない距離ではないし、ここの漁村の人達とは連絡を取ることが出来るし遊びに来ることも出来る」


「ここに住むようになって、もうすぐ一年になる。

追手が来る様子は無い。

最初の頃は、もしかしたらまた来るんじゃないかと常に警戒していた。

けれど多分、もう大丈夫なんじゃないかと思う。

私達の個人識別番号は消されて、死んだことになってるといいけど。


明日香ちゃんは、流産したことでしばらく体調がすぐれなかったみたいだけど、今はもうすっかり元気になっている。

好きでもない相手の子供を産むのもどうかと思っていたので、これで良かったのかもしれないと話してくれた。


私達が行った場所にも、住んでいる人達は数人居た。

一軒一軒の家は離れているけれど、徒歩で行き来できる程度の距離だ。

ここの住民は全員がお年寄りだったけど、皆さんすごく元気そう。

隠さず事情を話しても嫌な顔をされるような事はなく、人が増えるのは嬉しいとむしろ歓迎してくれた。

皆さん親切で、私達がまだ住む場所が無いのを知って納屋を貸してくれたりテントを貸してくれた。



持ち主不明のようで、どう見ても数十年放置されているボロボロの家があったので、私達は時間をかけて少しずつそこを直していった。

ここの人達に聞いても、ずっと前から空いていて持ち主も知らないという事なので、多分問題無いと思う。

山の麓にあるその家は、徒歩で海岸沿いまで出られる場所にあり、近くに川もあった。

電気ガス水道の契約をせずに暮らしていた、利兵衛さん久栄さん兄妹も、生活のための工夫を色々と教えてくれた。

この場所なら、魚、海藻類、貝、山菜など、食材は豊富にある。

落ち着いたら畑を作る事も出来そうだ」


「翔太さんと付き合い始めたのはいつだったか。

はっきり付き合おうと言ったわけでもないのでよくわからない。

いつの間にかお互いに好きという気持ちが出てきて、気が付いたら一緒にいたという感じ。でもそれだけで十分だと思う。

個人識別番号も無い私達は、結婚という形は取っていない。

ただ、お互いに好きな気持ちがあり、一緒に居たいから一緒に居る。

それだけの事。

そして私達の間には、先月生まれたばかりの娘が一人居る。


考えでみると、もしここで暮らしていなければ、自分の好きになった相手と一緒に住む事さえ無かったわけで・・・それを考えるとゾッとする。

結婚なんて自分で決められるものではなく、許可という名の命令によって決められるものだった。

以前の私は、それを普通だと思ってたわけだけど。


出産は指定された病院で彼らの管理の元、行われるもので、子供が出来ても自分で育てられるわけではない。

生まれた時から子供は個人識別番号で管理され、彼らの持つ商品という扱いになる。

私達もそうだったように。


私は、周りの人達の手を借りてここで出産した。

そしてこれからも、周りの人達と一緒に娘を育てていく。

ここに来てからというもの、時間で管理されることはなく、好きな時に好きな事をして好きなように生きている。

娘もこれから、そんな人生を歩んでいくのだと思うととても嬉しい。

私は人生の途中まで、自由な生活というものを知らなかったけれど、だからこそ、それがどれだけ尊いものか分かったという事も言える。

娘が大人になる頃には、それも教えてあげたらいいのかも」



母のノートには、市街地に居た頃の生活の事、ある日突然祖父が連れ去られた時の事、命令による結婚で移動させられた事など、詳しく綴られていた。

そこで見たもの、体験したこと、そこから逃げた時の事も。

それはゾッとするような恐ろしい内容だった。

おそらく市街地に居るほとんどの人達は、その事は知らないんだと思う。支配層の彼らの正体。


その時の母は祖父とも離れてしまい、見知らぬ場所で一人で考え、行動して、突破口を見つけた。すごい事だと思う。

明日香さんと知り合ったのもこの時だったらしい。


今でも母と明日香さんは親友同士。

明日香さんのお母さんの幸さんは、祖父と親友同士。

母は父と知り合い、恋愛が始まった。


この時の皆んなを助けてくれたのが、利兵衛さんと久栄さんの兄妹。

二人の愛犬の梅吉。

私が子供の頃、すでに90歳を過ぎていた二人はまだ十分に元気だった。

梅吉ももう若くはなかったと思うけど、すごく元気だった。


私が15歳くらいの頃、梅吉が死んでしまい、そのあと続けざまに利兵衛さんが亡くなり、久栄さんが亡くなった。

100歳を超えてもまだ元気だった二人は、最後まで寝込むようなことは無かった。

梅吉もそうだったけど、ある日、朝起きてこないなあと思って見に行ったら亡くなっていた。

私もその時の事はよく覚えている。

エネルギーが肉体から離れて、フッとどこかに行った感じ。

今回の人生という体験を終えて、元々の意識体に帰った。

山でサバイバルな生活してたり、母達と知り合った後も、すごく濃い体験

してるし、きっともう満足したんだろうなあと思う。


祖父は80代後半になったけど、まだ早朝から畑仕事をするくらい元気だ。

幸さんや村の人達と、毎日昼間からお酒飲んで楽しそうに話してるし。


明日香さんは一人を貫いてきた人だけど、最近になって恋人が出来たらしい。

見た目には10歳は若く見えるし、まだまだ恋愛を楽しめるのも分かる気がする。


少数の支配層によって完全管理された市街地から抜け出して、この土地に来て、この家からスタートした皆んなが、今それぞれに人生を楽しんでいる。

そんな中で私は生まれて、子供時代は伸び伸びと育って、ここで大人になった。

村に居る子供達にも、この場所でこれから生まれてくる子供達にも、ここで面白い体験を沢山して欲しいと思う。

周りの大人達のおかげで私がその体験が出来たのと同じように、自由に生きる楽しさを存分に味わってほしいと願う。


母のノートの最後のページには、とても素敵な真実のメッセージが綴られている。

母が祖父からもらったノートにも、同じ事が書かれていたと聞いた。


「私達は肉体が本体ではなく、本体は意識体としての存在で、本当は全ての存在がそこから来ている。

元々は一つの意識から始まり、人間も、他の生き物も、肉体を持たない存在も、そこから分かれてそれぞれが違う体験をしている。

肉体を持っている場合、今の体験をするための乗り物が肉体。

その終わりが来れば、乗り物である肉体は滅びて土に還り、本体である意識は元々の場所へ帰る。

そうやって全てが循環している。それがワンネス」


私は、この肉体を持って唯一無二の体験をするために、ここに生まれてきた。






















































































 

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見えない檻 ゆき @satsuki88

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