第23話 父との再会と新しい出会い
滑り落ちていくのを止めようとするとかえって怪我をしそうで、途中からもう抵抗するのをやめた。
こうなったらどうにでもなれと思って滑り落ちるに任せていると、太い木の幹に体が引っかかって止まった。
あちこちぶつけて擦りむいて、顔や腕には無数に傷ができた。
服に覆われている部分は傷にはならなかったけれど、多分青あざだらけになっていると思う。
体のあちこちが痛いけれど、骨が折れたりはしていないらしい。
良かった。
これなら歩けそうだ。
私は、ゆっくりと体を起こした。
この木のおかげで止まれたわけだ。
「ありがとう」
私の体を受け止めてくれた大木の幹にそっと触れると、暖かさが伝わってきた。
枝を払ったり杖のように使うために持っていた木の棒も、風呂敷包みも、
途中でどこかに転がって行ってしまった。
たすき掛けにしていた鞄だけが、唯一無事だった。
もう一度滑り落ちないように慎重に、私は一歩ずつゆっくり斜面を移動した。
歩道から随分外れてしまったらしい。
落ちる時石にでもぶつかって切ったようで、右側の髪の生え際がズキズキと痛む。
手で触ると、べったりと血が付いた。
首から上の傷は小さくてもけっこう派手に血が出るらしいから、大した怪我ではないと思う。
けれど、血の跡をたどって彼らに追って来られても困る。
上着を脱いで、それを強く押し当てた。
しばらく押さえていれば、多分出血は止まるはず。
ヘリコプターの音はもう聞こえない。
諦めて去ったのか?
一緒に居た皆んなの姿も見えない。
まさか誰か撃たれたとか無いよね。
無事に逃げてくれたと信じたい。
皆んなも、私が撃たれて死んだか怪我したかと思って今頃心配してるかもしれない。
利兵衛さんは私が落ちたことを知ってるし、皆んなに知らせて探しに来てくれるかも。
だとすると下手に動かない方がいい?
でも、このまま誰にも見つけてもらえなくて夜になったら怖いかも。
私達を消そうと狙っている彼らが、まだ諦めてない可能性だってあるし。
追手が来るのは上空からだけじゃないかもしれない。
ここから真横に移動していったら歩道に戻れるかもしれないけど、それだと目立つし、追手からも見つかりやすくなってしまう。
このまま斜面を降りて、どこに出るかわからないけどとにかく下まで行くか。
そう思って下を見た時、何やら黒い物が、こっちに向かってくるのが見えた。
斜面を駆け上がってくる逞しい体が見えた。梅吉だ。
私を探しに来てくれたらしい。
真っ直ぐに私の方に走ってきた。
安心したら体の力が抜けて、私は地面にぺったりと座り込んだ。
「梅吉。ありがとう」
梅吉に抱きつくと、温かな体温が伝わってきて更に安心する。
梅吉は、慰めるように私の顔をペロペロと舐めてくれた。
血だらけで泥だらけなのに、梅吉は気にしない。
私の体が大丈夫なのか心配している様子が伝わってきたので、私はサッと立ち上がって三歩ほど歩いて見せた。
これを見て梅吉は、私に大きな怪我は無いと分かって安心してくれたらしい。
ついて来いという感じで、時々振り返りながら先に立って歩き始めた。
道を斜めに移動しながら歩道に戻って、そこからは歩きやすかった。
梅吉は迷いなく歩いていくので、私はただ信頼してついていった。
途中からは少しずつ道幅が広くなって、麓に向かっているのが実感できた。
時々上空を見上げて確認しているけれど、追ってくるヘリコプターの姿は見えない。
もし山の方から追手が来たとしても、私より先に梅吉が気がついてくれるだろうと思うと安心していられる。
私は歩くことだけに集中して、一歩一歩山を降りていった。
夕闇が迫る頃、私はついに麓まで辿り着いた。
ここまで来て、梅吉が急に走り出した。
どうしたの?
もしかして向こうに皆んなが居る?
人の姿が見えた。
誰か手を振っている。
日除けの大きな帽子をかぶっていて顔が良く見えないけど。
「希望ちゃん!」
向こうから大声で呼んでくれた。
明日香ちゃんだ。
すぐに走って行って再会を喜びたい気持ちはあるけれど、体がついていかない。
喉がカラカラで息が上がっていて、大声で叫び返す元気も残っていない。
私は手を振って応えるのがやっとで、ゆっくりと歩いて行った。
雑木林の中に、ぽつんと一軒だけ建っている家。
外から見た感じ、かなり傷んでいるようだけど。
正面の戸の横には、大きく枝を広げた大木が立っている。
その木陰には梅吉が居る。
明日香ちゃんは、家の前で手招きしている。
ここに何があるんだろう。
皆んな居るのかな。
明日香ちゃんの表情が明るいところを見ると、悪いことが起きたわけではなさそうだけど。
「希望ちゃん、ボロボロだね。私も人の事言えないけど」
「けっこう派手に落ちたからね。梅吉が来てくれてほんと助かった」
「私もお母さんも落ちたよ」
明日香ちゃんはそう言って笑った。
見ればあちこち傷だらけなのは、私と同じようなものだった。
私が見た時は、まだ二人は久栄さんについて走ってたけど、あの後落ちたのか。
「だけど安心して。皆んな助かったから。それとね。希望ちゃんが、めちゃくちゃ喜ぶことがあるからお楽しみに。入って」
「お父さん!」
部屋の中に皆んなが居て、その真ん中に父が居た。
髭が伸びてるけどそれ以外は、最後に会った時と変わらず元気そうだった。
「良かった・・・」
静かな喜びが、安心感が、ジワジワと湧き上がってきて胸がいっぱいになる。
「ボロボロだな。怪我は大丈夫なのか?」
「骨とかは平気だから。お父さんも大丈夫でほんとに良かった」
自然に涙が溢れてくる。
本当に良かった。
父は生きているという感覚はずっとあったし、利兵衛さん達に聞いてからはそれが確信に変わったけれど。
それでもやっぱり会ってみるまでは、確実に安心は出来なかった。
会えるまでに自分の方が死ぬかもしれない可能性もあったし。
「うまく誤魔化して薬は飲まなかったからな。たまたま誤魔化せる内容の治験だったのは、ただ運が良かっただけだが」
「あのノート、全部読んだよ。見本帳の方のメッセージもわかった」
「そうか。希望だったらきっと、読み取ってくれると信じてたよ」
父は本当に嬉しそうに言った。
「あのノートが無かったら、結婚許可が出た時大喜びしてたかも。移動させられる前にギリギリで読み終えて、これだけは没収されずに守ったよ」
私は鞄の中から、少し表紙が折れて傷んでしまったノートを取り出した。
ここに居る皆んなが、私と父の再会を心から喜んでくれた。
明日香ちゃんも、幸さんも、利兵衛さんも、久栄さんも、会ってからまだ間が無いのに、何だかずっと前から一緒に居たような気がする。
あの後、銃撃を受けながら藪の中を逃げて、明日香ちゃんと幸さんも私と同じように、足を滑らせて斜面を転げ落ちた。それでも運良く見つけやすい位置で止まったから、久栄さんがすぐに行って助けたらしい。
二人とも擦り傷だらけではあるけど、大きな怪我はしていない。
私の方が離れた場所まで行ってしまったようで、利兵衛さんが、自分で探すより早いかと梅吉に頼んだと言っていた。
利兵衛さんと久栄さんは「久しぶりに沢山歩いたねぇ」「まさか撃ってくるとはなぁ」とか言いながら、怖がっている様子も無く疲れた顔さえ見せない。
この人達って本当に、めちゃくちゃ強い。
体力的にも精神的にも。
この場にいる人の中で、一人だけ初対面の人が居た。
父と行動を共にしてきた男性。
私以外の皆んなはちょっと前にもう会っているものだから、私が入って行った時は特に紹介もされなかった。
明日香ちゃんが途中で「そう言えば初対面だよね」と気がついて紹介してくれた。
「この人は翔太さん。希望ちゃんのお父さんと一緒に居た人だよ」
「はじめまして」
私が挨拶すると、その男性は笑顔で答えてくれた。
「こんにちは。はじめまして。お父さんとそっくりですね。最初見た時娘さんだってすぐわかりました」
「よく言われます」
翔太さんは、私より7歳上の32歳だった。
仕事は建築業で、機械の修理を仕事とする父とは職人同士、話しも合ったらしい。
体格がガッシリしていてちょっといかつい感じなので、知らなかったらパッと見は近寄りにくいかもしれないけど。
笑顔は人懐っこい感じでとても素敵なので、私は初対面から惹きつけられた。
翔太さん含めここに居る人達は皆んな、会ってから間もないのに何の違和感も無く打ち解けている感じ。
同じように命懸けの逃走を経験してきたからかもしれない。
そういえばお互い名前もちゃんと知らなかったねと言いながら、それでも話が盛り上がっている事に皆で笑った。
あらためて全員が自分の名前を言って、父も「広一」という名前を皆んなに伝えた。
皆んな下の名前しか言わない。
これでも十分通じ合える。
治験の途中で脱走してきた時、父と翔太さん以外にあと2人居たらしい。
利兵衛さんと久栄さんは、少し前に父からこの話を直接聞いていた。
父達が参加させられたのは新薬の治験で、普通に生活しながら時間が来たら薬を飲むというもので、監視はそれほど厳しく無かったらしい。
普段居る住居よりも広い場所で、食事も普段の配給の物よりいい物が出るので、逃げようと考える人など滅多に居ないからだろうという事だった。
私が、Aランクの彼らの敷地内に行った時に見聞きした状況と似ている。
そうでなくても、つい最近までの私も含め、この世の中のシステムが普通だと考えている人間がほとんどだから。
逃げるなんていう発想は、まず持たないと思う。
それでも、父と同じように何かのきっかけで疑問を持ったのか、逃げたいと考えている人はゼロではなかったらしい。
治験を行う施設に行って数日経った頃、同じく治験に参加していた中の数人で、その意志を確認し合えたという。
監視役の者達の多くが居なくなる時間帯を狙って脱出。
何が生死を分けたかというと、体にマイクロチップを埋め込んでいたか否か。
逃げた事が知られたら、すぐに遠隔操作で始末される。
ほとんどの人間に対してこれが出来るから、施設では普段それほど頑張って監視していないという事もあると思う。
私達にしても、もしマイクロチップを入れていたら今頃ここにいなかったはずだし、支配層の彼ら以外は皆んな同じ事だ。
マイクロチップを入れていなかったという事も、ここに居る全員の共通点。
その選択があったから、誰も消される事なくここで会えて、この繋がりが出来た。
私の場合は、マイクロチップを入れる事に反対してくれた父のおかげだ。
この家は、以前は別荘か何かだったような造りで、使われないまま放置されて年月が経っているような状態だった。
管理会社の連絡先も何も書いてないし、売り物件なのかどうかも不明。
鍵は一応かかっていたけれど、簡単に開けられそうな物だったから父が開けたらしい。
錠前破りということになるし犯罪なんだけど、私達も逃げてくる間に色んな事をやってきている。
逃げ切ろうと思えば、それくらいは気にしていられない。
「これで逃げ切れたと思う?」
明日香ちゃんが言った。
「もしそうなら、このまま皆んなで暮らすのもありかもね」
なかなかいいアイデアかも。
このメンバーなら、何となくやっていけそうな気がする。
「ここの持ち主が来たらヤバいよ」
幸さんが言った。
たしかにそれはそうだよね。
「その前に移動すればいいんじゃない?」
明日香ちゃんは楽観的だ。
「だけど・・・移動するとなるとお金が要るよね。少しは持ってるけど、使ったらバレるし」
一銭も使わずに移動するのは難しい気がする。
「奴らが現金を無くそうと必死だった理由がこれだからな。キャッシュレスにして数字だけで管理すれば、誰がどこで何を買ったかすぐに把握できる」
ノートにも書いていた事を父が言った。
「たしか犯罪防止って理由だったよね。まあ彼らからすれば、今の私達って全員犯罪者なんだろうけど」
「彼らの作った世界と関わる限りはね。だけど離れたら関係ないでしょ」
明日香ちゃんは、またしても楽観的なことを言ってくれる。
「そんな事できるの?」
「それで生きてきた人がここに二人もいるじゃない」
「そうか・・・」
利兵衛さんと久栄さんは、個人識別番号も持ってないし、信用スコアのランク付けもされてない。
AIの監視システムも付いてない家で、何不自由無く暮らしている。
「儂らは昔ながらの生活だからなぁ。若い人だったら不便で大変かもしれないが」
「慣れてるとこれで何ともないし、けっこう快適なんですけどねぇ」
電気、ガス、水道の契約もせず自給自足。
その話は、二人の家でお世話になった時に聞いていた。
保険証も無いのかと驚いて聞いたところ、病院に行った事が無いから保険証の事など考えたことが無かったと笑っていた。
1ヶ月前だったら考えもしなかったのに、不思議と今は・・・そんな生活を私もしてみたいと強く思う。
「だけど、利兵衛さんと久栄さんはいいとしても、個人識別番号がある私達って全員、個人情報完全に把握されてるよね」
「銃撃があった時に三人とも足踏み外して落ちたじゃない?あれで、弾に当たって死んだって思ってくれてないかな」
「それは私も考えたけど、死んだかどうか確かめに来るよね。多分」
「来るとしたら明日じゃないかな。夜中に山を捜索するまでは、多分しないと思う」
翔太さんが言った。
たしかに、ここで話している間にも時刻は夕方から夜へと移っていた。
「今日はここで休んで、夜が明けたら知り合いに会いに行ってみるよ。前に行ってから十年経ったし、同じ場所に居るかどうか分からんが。船を出してもらえたら移動出来るかもしれない」
利兵衛さんが提案してくれた。
「私らの事は向こうの情報に無いわけだし、多分顔もはっきり見られてないし、もし見つかっても大丈夫だと思うよ」
久栄さんもそう言ってくれる。
そこまで世話をかけてしまうのはどうかと思い、皆で話し合ったけれど、結局他にいい案も浮かばなかった。
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