第22話  彼らの追跡 海岸沿いを目指す


「こうなったら儂らもここを出るとするか」

利兵衛さんが、突然そんな事を言った。

日常の何気ない話をするのと同じ調子で、まるで何でもない事みたいに。

「私も考えてたよ。その方がいいかもしれないねぇ」

久栄さんは、そう言ったかと思うとすぐに部屋の奥へ行き、箪笥から何やら出して揃え始めた。

「あの・・・出るって?お二人ともこの家から出て行くって事ですか?」

この展開についていけなくて、私は聞いてみた。


「追手が来るかもしれないし、ここも焼かれないとは限らないからねぇ。

まあ焼かれたって鍋と釜と布団ぐらいしか無いけど」

久栄さんは答えながらさっさと荷物をまとめて、風呂敷包みを持って土間に降りてきた。

かかった時間はわずかニ分ほど。早い・・・

「私達のせいで・・・」

明日香ちゃんが言いかけると、利兵衛さんがそれを制した。

「それは言いっこなしだよ。儂らが世間の事に疎いから知らんかっただけで、そこまで開発とやらが進んでるなら、あんたらの事が無くても遅かれ早かれここにも来るだろうよ」

「若いとは言わないけど、私らがまだ元気で動ける間に移動できるなら、かえって良かったぐらいだねぇ」

本当に二人は気にしていないらしい。


「この村の人数が減り始めた頃に、海沿いで暮らす事を望んで出て行った人達も居たから。私らと同年代だけどまだ生きてるなら、そっちへ行けば会えるしねぇ。十年前に会った時は元気だったよ」

「ちょっとずつ人が出て行ってついに儂ら二人だけになった時は、ここに残るか移動するか、かなり迷った時期もあったからなぁ。あの時は引っ越さなかったが、今度こそその時期かもしれん」

利兵衛さんも、持って行く物をさっさと風呂敷包みにまとめて、庭に干してある植物、土間にある食糧も持てるだけ持った。

私達三人が、どうしていいか分からずただ突っ立って見ている前で、出発準備が終わってしまった。

出て行くと言い出してからここまで、せいぜい五分程度。

恐ろしく決断が早い人達だ。

だけど・・・ここにも追手が来るかもしれない事、家を焼かれる可能性を考えたら、ゆっくりしている余裕は無い。

これくらいでちょうどいいのかもしれない。


「私達はこの辺りの事何も知らないんで。お二人が道順に明るいならすごく助かります」

二人がもう出て行くことを決めているのを見て取ると、幸さんがそう言った。

確かにそれはその通りで、道を知っている人が居るというのは心強い。

だけどその一方で、高齢の二人が長時間険しい山道を歩くことが、体力的に大丈夫なのか心配でもあった。

実際「この道を行き来したのは十年前までで以降は行ってない」と、ついさっき聞いたばかりだし。

その頃の体力ならまだ何とかいけたのかもしれないけど、年取ってからの十年は大きい。

けれど二人はもう行くと決めているし、今更それを言うのは失礼かなと思い、私は口には出さなかった。

二人がこのままここに居たら居たで、別の意味で危ない可能性を考えると、体力的にきつかろうと出て行くしか無いのかもしれないし。



道を知っている二人が先頭で、私達三人が続き、後ろから梅吉がついてきてくれた。

お年寄りの足に合わせてゆっくり歩くという意味でも、この順番がいいのかなと最初は思った。

けれど歩き始めて一時間も経たないうちに、私の認識は大きく間違っていたことに気がついた。

利兵衛さんも久栄さんも、歩くのが速い。

舗装もされていない凸凹の山道も、慣れた様子でスタスタ歩いて行く。

二人とも、この年代の人としては標準くらいだと思うけど小柄で、歩幅も大きくないはずなのに。

それに80代半ばという年齢なのに。

私は、ついて行くのに必死で歩かなければならなかった。

最初は話しながら歩いていた明日香ちゃんと幸さんも、だんだん口数が少なくなり、ついに無言で一生懸命歩いている。

梅吉が、時々トコトコと私達の前にやってきて「大丈夫か?」という顔をして振り返る。

何とか頑張ってるなと確認して、また後ろからついてきてくれる。

私達って梅吉にも心配されているらしい。


先頭の二人は、余裕で会話を交わしながら歩いている。

「今のところ十年前と道がほとんど変わってない」とか話しているので、道に迷う心配は無さそう。そこはすごく安心した。

朝からずっと天気がいい事も、歩きやすい季節という事も幸運だった。

途中道が狭くなって、獣道のようなところを一列に並んで通らないと進めない事もあったけど。

道を知っていて案内してくれる人がいるのは、すごく心強い。

一緒に歩いてくれる明日香ちゃんと幸さんも居るし、梅吉も居る。

あの屋敷からどうやって抜け出すか考えていた時は、全て一人で何とかしなければと思っていたから。

根拠は無いけれど父が無事に生きている気がするという感覚だけが、唯一の救いだった。

屋敷から出て市街地に行き、そこから山間部を目指せば、どこかで父に会えそうという漠然としたイメージしか持っていなかった。


明日香ちゃんが居なかったら、屋敷から市街地へ簡単には出られなかったと思う。

あそこで手間取っていたら、彼らに追いつかれて捕まるか殺されたかもしれない。

幸さんが居なかったら、彼らの追跡を振り切って山間部までたどり着くことは出来なかったかもしれない。

そして今は利兵衛さん久栄さん、それに梅吉に、大いに助けられている。

食事をご馳走になったり泊めてもらえたことで体力を回復出来たし、道案内のおかげで知らない山の中を迷わず歩ける。

それに二人は、父に会っていた。この事は本当に大きい。

人との出会いって、本当に奇跡の連続だと思う。

あの屋敷から出ること。

そして父に会う事。

この二つをはっきり決めた時から、必要なタイミングで必要な人と繋がれる不思議。



途中でついに体力が持たなくなってきて「もう少しゆっくり歩いてください」と、先頭の二人にお願いしてしまった。

それで少しペースを落としてくれて、四時間ちょっと歩いたところで山頂に着いた。

普段こんなに歩くことは無いので、足が棒のようになっている。

幸いなことに靴擦れは無いけど、足の裏も痛くなってきた。

明日香ちゃんも幸さんも、かなり疲れている様子。

ここまで来ると平らな場所があるので、一旦休憩ということになった。

やっと座れる。

水筒のお茶と梅干し入りおにぎりをもらって、ゆっくり食べていると、疲れた体に再び活力が蘇ってくる。


「今のところ誰も追いかけては来ないみたいだけど、まだ来るかな」

明日香ちゃんが言った。

「燃えた納屋に誰も居ないのを確認したら、また来るんじゃない?安心はできないよ」

幸さんがそう言って、私もその通りだと思った。

「だけど原因はほとんど私なんだよね」

「あの街から逃げたかったのは私達も同じだよ」

「何で原因が希望ちゃんなの?」

「あの儀式の場面を見たのが私だから。彼らにとっては絶対知られたくないことだよね」

「それだったら、彼らだけが特別な生活をしてる事だって同じだよ。知られたら皆んなの不満が爆発するのは間違い無いし。危険区域だとか嘘吐いてる事もそうだよね。私は半年もあそこに居て全部知ってるから、彼らからしたら消したい存在だと思う」

「お父さんのノートに書いてあったけど、立場が上に行くほど人数が少なくなって、トップ近くに居るのはかなり少人数らしいよ。だから、色々バレるのを彼らの方が本当はすごく恐れてる」

「たしかに人数で比べたら一般庶民の方が圧倒的に多いもんね。多人数で反旗を翻されたら怖いからそうならないように、余計な事を知った者は生かしておけないって事でしょ」

「その話、あんたのお父さんからも聞いたよ。街では色々と大変だったんだなぁ。だけど、儂らの村ではそんな事知らずに暮らしてたし、その支配者とやらが居なくても庶民の暮らしは困らないって事だろうよ」

利兵衛さんが言った。

「本当にそうですよね。私はノート読むまで考えた事なくて、上の立場の人が居てくれるから社会が回るんだって信じてましたけど」

「希望ちゃんだけじゃなくてほとんどの人がそう信じてるから、今も彼らが安泰なんでしょ。本当の事が分かったら、もうあんな所に一日だって居たくないけど」


20分くらい座って休んだ後、私達は再び歩き出した。

追手が来ないとも限らないから、あまりゆっくりはしていられない。

今度は山を降りる。

歩き出す前、上るよりは楽だろうと思ったけれど、案外膝に負担がかかる。

少し急な下り坂もあり、足を滑らせないように踏ん張っていると筋力を使う。

滑り落ちて怪我でもしたら大変なので慎重に降りる。

明日香ちゃんと幸さんも私と同じような感じで、辛うじて進むのに一生懸命で、話す余裕も無さそうだ。

無言で不器用に山を降りる私達を、梅吉は今度も心配して時々見に来た。

「山道に慣れてないと下りはかえって疲れるかもしれないけど。慌てないでゆっくりおいで。この辺りも道は変わってないみたいだし、ここからは

分かれ道も少ないし、道順は分かりやすくなるよ」

久栄さんが私達の方を振り返り、そう言って励ましてくれた。


午後になっても晴天は続いていて、天候が崩れそうな気配は無い。

ここを降りて真っ直ぐ進めば、あとは海沿いに出られるはず。

このまま順調に行けば夕方までには山を降りられると、さっき利兵衛さんが言っていた。

明るいうちに目的地まで行けるのはありがたい。

山を越えたら安全というわけではないけれど、とりあえずそこまで行ってから、後のことを考えたい。


それから一時間くらいは、何事も無く歩いていられた。

下り坂にも慣れてきて、余分な力が入らなくなると少し楽に歩けるようになった。

「何あれ?もしかしてこっちに来てる?」

明日香ちゃんが、突然上を見て言った。

さっきから何か音がしてるなあとは思ったけど。

ヘリコプターか。

「追手が上から探してるとか?」

「下にも誰か居て、位置を知らせて捕まえるつもりかも」

辺りを見回したところ、今見える範囲には人は居ないと思う。

気配も感じられない。

「まだ見つかってないのかもしれないけど、道に居たら目立つかも」

「左右に分かれて、茂みの中を進もうかねぇ。もうそんなに遠くないし、この道に沿ってれば迷うことは無いから」

久栄さんがそう言って、私達は歩いていた道から離れた。

足場は悪いし丈の高い草が生えているし、木立をかき分けながら進むのは大変だけれど、捕まるよりはいい。

マムシでも出てくるんじゃないかと心配になるが、今は考えまいと思った。


突然、近くの枝がバシッと音を立てて折れた。

反対側でも同じ音が響く。

「危ない!隠れて!」

明日香ちゃんの声が聞こえた。

何が起きてる?

私は頭を抱えてしゃがみ込んだ。

「撃ってきてる!」

「バラバラに逃げよう!下へ向かって」

さっきのって銃撃だったのか。

しゃがんだまま草木の間から、恐る恐る上を見た。

一度通り過ぎたヘリコプターが、またこっちに戻ってくる。

まさか撃ってくるとは。

位置を確認して捕まえるのかと思っていたら、もっと直接的方法で私達を消したらしい。

「頭を上げるんじゃない。そのままこっちへ」

利兵衛さんが、先に立って草むらを掻き分けながら誘導してくれる。

梅吉が後ろからついてきてくれている。

私は、利兵衛さんの背中を見ながら必死でついて行った。

道の反対側を見ると、久栄さんについて走り降りていく明日香ちゃんと幸さんの姿が見えた。

大丈夫。皆んな無事逃げてる。


間をおかずに、彼らは再び撃ってきた。

すぐ近くの木の幹に弾が当たり、枝が弾け飛んだ。

撃ってきたらすぐに身を伏せて、また立ち上がって走る。

蹴躓いて転びそうになる。

生きた心地がしない。


すぐ近くを弾が掠めた。

私は素早く身を伏せて、再び立ち上がる。

そして一歩踏み出した時、足を滑らせた。

しまったと思った時にはもう遅かった。

草木にぶつかりながら、勢いよく斜面を滑り落ちていく。

落ちるのを止めようとバタバタしてみても無駄だった。

滑り落ちる自分の体を止められない。

利兵衛さんが手を掴もうとしてくれたけれど間に合わなかった。























  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る