第30話 エピローグ 旅の終わり

「ううん……」


「あら、気がついたのかなっ?」


 意識が戻ってすぐに、アコラの声が頭上から聞こえた。眠っていた頭が明瞭に働き始め、周囲の情報を脳が処理し始めるにつれて違和感がどんどんと強くなっていった。例えば……今のアコラの声は妙に近くなかったか?

 俺はおっかなびっくりと瞼を開けた。


「おはようっ! よく眠っていたね?」


「俺はなぜアコラに膝枕されているんだ?」


 後頭部に柔らかい感触を感じる。間違いなく、アコラの太ももだろう。程よく頭が沈みこんだ心地よい感触は、まるで人をダメにするソファのようだった。きっと、太ももの硬度をそのように変化させているのだろう。アコラの太ももは鉄よりも硬く綿あめよりも柔らかいのだ。


「ふふっ。お友だち同士なら、このくらい普通だよ?」


「いや普通じゃない。お前、俺がブライアンに膝枕されてる所を想像してみろ」


 アコラは珍しく顔をしかめた。

 わずかに硬直した隙を突いて、俺はアコラの膝から身体を起こした。そしてそのまま、アコラの隣へと座った。

 座り直す時に周囲の様子が目に入った。小高い丘の上に広がる草原だった。よく記憶に残っている場所だ。旅の終盤、ホワイトロードに到着する数日前に、この場所で朝まで酒盛りをしたからだ。


「無事かエビラーニャ」


「ふふん、誰にいってるのさ。ボクは伝説の聖剣様だよ?」


 俺の側の大地に、まるで伝説の剣のように突き刺さっていたエビラーニャに声をかければ、甲高いアニメ声で生意気なことをいってきた。どうやらすっかりとエネルギーを取り戻したようだった。おいエビラーニャ、なにが聖剣だ。刀身からどす黒いオーラが漏れているぞ。


「エビラーニャちゃんもありがとうね。私の・・ユウタくんを助けてくれて」


「……別に」


 どす黒いオーラがひと際強く刀身から噴き出した。エビラーニャめ、初めてのアコラとの会話で緊張してるのか?


「それにしても――」


 俺は、アコラとエビラーニャの間に発生した謎の圧迫感を意図的に無視して、努めて明るいテンションで話し始めた。


「どうして俺の姿が戻っているんだ?」


 太陽にかざした手のひらは、間違いなく人間のものだった。ごつごつとした鉱石の魔物の手ではない。使い込まれた武骨な男の手だった。


「ふふっ。ユウタくんは侵略者との戦いのさなかに、ファイナルガーディアンに進化したと思ったんでしょう?」


 えっ、なんだって? あの9998階層のフロアボスってそんな名前なの? ダサすぎだろ……。


「その口ぶりだと違うのか?」


「あの魔物はね『変身』をテーマにした魔物なんだ」


「それは知ってる。なんたって十回以上変身するくらいだからな」


「実はね、ファイナルガーディアンには決まった姿ってないんだ。それがどういうことかわかる?」


 質問の答えを求めてアコラの表情をうかがったが、ありえないほどの美貌溢れるその顔からは何も読み取れなかった。


「ユウタくんはね――ずっと前からファイナルガーディアンだったんだよ。その姿のまま、ずっと。ねえ、気づいてた?」


 まさか、と思った。だってそれが事実だとしたら、俺は自分でも知らないうちに魔物になってしまっていたということだ。


「まだ自分が人間じゃないだなんて疑っているの? ふふっ、そのちっぽけな精神性はとっても人間らしいね」


「ちっぽけで悪かったな。仕方ないだろう、俺は人間なんだから」


「そうだよ、ユウタくんは人間だよ。だって今までずっと、人間として生活できてたでしょう?」


 俺の頭の中に、ブライアンとの楽しい酒盛りの日々がよぎっていった。


「もしもだよ? ユウタくんが魔物として生きようとしてたら。きっとその圧倒的な強さで世界を支配しようとしただろうし、人間たちから『魔王』として恐れられたと思うんだ」


「……だろうな」


「でも、そうはならなかった。人間として生きたいならそうすればいいし、魔物として生きたいならそうすればいいよ。生き方を自由に選べるだけの強さを、あなたは数百年の過酷な冒険で手に入れたんだから」


 ダンジョンを作った私に感謝してくれていいんだよ、とアコラは付け加えた。アコラのことだ、俺が感謝しているのは百も承知だろう。


「ありがとうよ」


 だけど、俺は感謝の言葉を口にした。理由なんて特にない。あえて理由をつけるなら、アコラにお礼が言いたかったから。それだけだ。


 ――本当にありがとう。この世界に来て、放り込まれたのがお前のダンジョンでよかったよ。もしもほかのダンジョンだったら、きっと俺はこうして生きていることもなかっただろう。


「さあて、ユウタくんの感謝も受け取ったことだしっ!」


 その場におもむろに立ち上がったアコラは、身体をほぐすように伸びをしてから、ホワイトロードがある方角を見つめた。


「レボルス帝国、滅ぼしに行こっか」


 それはとても軽いトーンでの発言だった。『コンビニ行ってくる』と同じくらい軽いテンションで行われた発言だった。


「行けるのか?」


「無理かな。今はまだ、ね」


「まあ、そうだろうな」


 アコラがホワイトロードに足を踏み入れると、ダンジョンから力を供給できずに大幅に弱体化してしまうという問題がある。それが解決しない限りは、仇討のために異世界へ乗り込むことは不可能だろう。だが、その問題が解決するのは時間の問題ではないか? なんてったって、それをやろうとしているのはアコラなのだから。


「そろそろ帰るとするか。ダンジョンに潜って新しい力を試してみたいしな」


「それならカレンちゃんのダンジョンに行く? 私も少し身体を動かしたい気分なんだ」


 やめて差し上げろ。泣くぞカレンが。


「帰ろうぜ、奈落の街に。故郷の酒が恋しくなってきたんだ」


 俺はその場で体を起こし、先程のアコラと同じように背伸びを一度した。


「あれ? ユウタくん、怪我してるの?」


「何を突然。別にそんなものはしていないが」


「ほら、右足のところ」


 ズボンのすそから見える足首には、赤黒いあざがあった。すそをめくれば、そのあざは右足の全体を覆うように存在していた。そのあざは、まるで鎖のような模様をしていた。


「ああ、やっぱりそうだったのか」


「やっぱりって、何が……?」


「いいや、なんでもない。はぁ。なんか、死にたくなってきたな」


「ええっ! ユウタくん突然何を言い出すの!? そんなに傷が痛むの!?」


「ははっ、冗談だよ。別に本気で死にたいわけじゃないし、傷だって痛まないさ」


「本当……? ホントのホントに、死んだりしない?」


「俺は死なないよ。約束があるからね」


 なあみんな。酒場に行くたびにみんなで語り合ったような、偉大な冒険者に俺はなれただろうか。


「さあ、帰ろうぜ。ダンジョンが俺たちを待っている」


「待ってよユウタくんっ」


「ちょっと! ボクを地面に刺したままどこに行くつもりなの!?」


 これからも俺は冒険を続けるだろう。だけどいつか、冒険に疲れてしまった時、またそっちに行ってもいいかい?

 まあ、そう簡単にくたばるつもりはないけどな。

 何せ、今の俺には、新しい仲間たちがいるのだから。

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人類最強男、世界最凶モンスター娘に付きまとわれる 雪野ユキナリ @dangomusi121

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