第29話 進化
「ぐう……」
視界に真っ白な淡い光が入ってくる。ホワイトロードの空の光だ。
俺は確か……。そうだ、サージゲートに空中で殴りつけられ、そのままホワイトロードの大地へと叩きつけられたはずだ。
体の調子を確かめながら、ゆっくりと上半身を起こす。意識をあたりに向ければ、数キロほど先に巨大な荒ぶる魔力の塊を見つけた。間違いない、サージゲートの気配だ。
「随分と強い力で俺のことを殴りつけたようだ」
きっとここまで吹き飛ばされたのだろう。立ち上がってヤツがいる方を見れば、大地が何かで削られた跡が真っすぐに続いていた。おそらく、吹き飛ばされた俺が大地をえぐった痕跡だろう。
わずかな気配を感じて足元を見れば、そこにはエビラーニャが転がっていた。
「エビラーニャ。おい、しっかりしろ。大丈夫か?」
あの独特な可愛らしい声が聞こえてくることはなかった。その代わり、柄の宝玉がゆっくりと二、三回ほど点滅した。エビラーニャには、もう会話をするエネルギーが残っていないらしい。
エビラーニャの様子から、俺は現状を理解した。
「バカだな……。お前は聖剣になりたかったのだろう? 俺なんかにエネルギーを譲与しやがって……。こっそりと一人で逃げればよかったのに」
そうすれば、アコラが殺されてから世界が滅びるまでの数日間は面白おかしく過ごせただろう。最後の晩餐だって食えただろうに。しかしエビラーニャはそうしなかった。俺はエビラーニャに助けられたのだ。あれだけの攻撃を受けたのに、体に痛みはない。エビラーニャが生命力を分けてくれたから、こうしてまた立ち上がることができたんだ。目を覚ますことができたんだ。
バカな奴だよ。俺がサージゲートに殺されれば、エビラーニャだってきっと同じように破壊されるだろうに。だというのに、こいつは……。
「ほう、生きていたのか」
俺が地に視線を落としながら立ち尽くしていると、サージゲートの声が聞こえた。
「驚いた。手ごたえからして、我は貴様を殺したと思ったんだがな」
「俺だって驚いたよ。まさか生きているなんてね」
サージゲートから視線を切らずにそっと一歩前に出た。エビラーニャの刀身が俺の陰に隠れ、柄の宝玉が素早く明滅した。何かを言っているようだが、その言葉が俺に伝わることはなかった。
「こう見えて、しぶとさには自信があるんだ。何度死んでも生きているのが俺という男でね」
「フン。頭がおかしくなったのか? 死んだのに生きているとは、不可解なことを言う」
「……とっくにおかしくなっていたのかもな」
俺は静かに自分の魔力へと意識を向けた。全身を巡る血液のように緩やかに循環している。しかし一か所に集まったままとどまり続けている魔力もある。その魔力は、まるで雛が孵る前の卵のように、とある瞬間を今か今かと待ち望んでいるようだった。
かつての仲間たちは、俺に生き続けてほしいと望んだ。新しい戦友も、自分を犠牲にしてまで俺に生き続けてほしいと願った。そして新しい友人は、俺の好きにすればいいと、そんな表情を浮かべていた。
仲間たちは、形は違えど皆が俺の事を考えてくれていた。だからこそ、俺は決意することができたんだ。
――皆の想いを守りたいと思った。皆が住むこの世界を守りたいと思った。俺の存在のすべてを賭けてでも。
「進化」
呟くように一言そう告げると同時に、俺の全身から溢れるように魔力が迸った。溢れ出した魔力は光となって俺の身体を包む。青黒い光に包まれながら、俺の全身がみるみるうちに膨らんで巨大化していく。腕が、脚が、そして体が。より大きく、より強大に姿形を変化させる。まるで、魔物が上位種に進化するように。
光が収まった時、そこには一体の異形の生き物が立っていた。
くすんだ青色のボディに、三メートルを超える巨体。身体の至る所にまばらに散らばる水晶のようなドーム状の宝石。この姿は俺にとっての強さの象徴だった。
数えきれないほど俺の事を殺した魔物。何度も戦ううちに憧れすら抱いた存在。かつての仲間を失ったあの日にこの力があればと、何度夢想したことだろうか。奈落の大迷宮の9998階層のフロアボスを務める絶対的な強者。俺は今、それになったのだ。
「……」
俺はサージゲートに向かって無造作に手のひらをかざした。そこらパッと一筋の光が迸った。その閃光のような光はサージゲートの巨体を易々と吹き飛ばした。
「グゥッ……! バ、バカな! 見えなかっただと!?」
吹き飛ばされたサージゲートは、攻撃されたことに気付くと直ぐに受け身を取ってこちらに意識を集中させた。俺はサージゲートに対してレーザービームを何度も放った。
「グっ……! く、クソ! なんだ、なんだこのパワーは! ありえん、ありんぞ!」
光は幾度となく瞬き、その度にサージゲートの巨体を破壊した。ヤツも強力な再生能力を持っているため、砕けた身体は映像を逆再生したかのように元に戻っていく。しかし、俺が破壊する速度の方が早かった。
「下等生物が! 調子に乗るな!!」
世界中に響き渡ったのではと思える程の怒声を挙げた後、サージゲートの全身が紅のオーラに包まれる。濃密な魔力の波動だった。ついに絶対強者である侵略者が本気になったのだ。
身体能力を強化する術であろうか。地を蹴り宙へと跳んだサージゲートは、先程までを上回る速度でこちらに向かって弾丸のように飛んできた。俺が放つ光は小刻みな動きで回避されてしまう。どうやら動体視力も強化されているようだ。
だが、俺の心に焦りはない。この程度のパワーアップは想定内だった。変身を十回以上行うあのフロアボスに比べれば、一度や二度のパワーアップなど誤差の範囲内だろう。
「GUOAAAAAAAAAAAA!!」
気合の雄たけびと共に俺は拳を正面に向かって振り抜いた。俺の右ストレートがカウンターとしてサージゲートの胸に突き刺さる。やや遅れて、隕石が地表に衝突したような轟音が辺りに響き渡った。サージゲートの巨体が、再び上空へと打ちあがってゆく。
「ガァッ――! 毛なし猿の分際で……! 下等生物の分際で……!」
殺意をギラギラと迸らせた三つの瞳が空から俺の全身を射抜く。聴力が大幅に強化された俺の耳は、サージゲートの憤怒の呟きをすべて聞き取っていた。怒りに思考を支配されたからか、ヤツの警戒が一瞬だけ緩んだ。時間にすれば一秒にも満たない僅かな時間だ。だけど俺にとっては充分すぎる時間だった。俺の打撃が再びサージゲートに突き刺さった。
「グハッ……! クソがァ! クソクソクソ、ゼッタイニコロス!」
エルボーを正面から受けたサージゲートは、吹き飛ばされながらも体勢を整え、こちらに向かって宙を跳んだ。
紅の魔力に包まれた拳による連打が繰り出され、凶悪な風切り音が耳へと届く。それは俺の事を殺せるだけのエネルギーをまとった拳だった。しかしその拳は俺の事を殺せないだろう。一秒に数十発打ち込まれるその拳は、ただの一発すら俺に当たらないのだから。
「GIGAAAAAAAAAAA!!」
輝く閃光となった俺の拳がサージゲートの腕を砕く。右腕を引き戻しながら、左の拳をフックのように繰り出した。左右の連打を何度も何度も打ち出した。
サージゲートは砕かれた腕を即座に再生して打ち合いに応じた。だが、それがまともな打ち合いになることはなかった。
一度俺が拳を繰り出せば、サージゲートの身体のどこかが粉々に砕け散った。そして俺の拳はサージゲートの肉体だけではなく、戦意までも砕いていった。サージゲートの瞳に恐怖心が滲み始める。
「バ、化物め……!」
ああそうだ。俺は
「GUOOOOOOOOOOOOO!!」
鋭い風切り音と共に繰り出された蹴りがサージゲートの胴体に深くめり込む。巨大な岩石の身体が成すすべもなく吹き飛んでいく。もうそろそろ決着が付く。ヤツの生命力の低下が俺の目にはハッキリと見えていた。
「グウッ。せめて! せめて一匹だけでも殺してやる!」
吹き飛ばされた勢いをそのままに、サージゲートの行き先がやや右へと逸れた。そこからしばらく離れた場所にはアコラが立っていた。どうやらヤツはアコラを道ずれにする気だ。ダンジョンから膨大な魔力を供給できない今のアコラでは、襲われれば万が一にも生き残る可能性はない。
「GIOOO……」
俺は、こちらに背中を向け、アコラの頭上に拳を振り上げるサージゲートへと腕を伸ばした。そして一度、ゆっくりと瞬きをした。目を開けた時、俺の手はサージゲートの首を握りしめていた。
「シ、信じられぬ……。あの距離を転移しただと!?」
残念だったな。俺が進化したこの魔物は、相手の死角へと転移することが可能なんだよ。あの日届かなかった手が、今はこうして敵の首へと届く。――こんなにも嬉しいことはない。
「GUOAAAAAAAAAAA!!」
腕を力任せに振り回し、ヤツのゴツゴツとした身体を真っ白な大地へと叩きつける。僅かにバウンドした巨体を脚で踏みつければ、怯えた瞳を向けるサージゲートと目が合った。
「ミ、ミノガシテくれ……」
俺は何も答えることはなく、ただ無言でヤツの頭上に拳を振り下ろした。粉々に砕け散った頭部の後を追うように、ヤツの胴体はさらさらとした灰へと変わり、やがてどこからともなく吹いてきた風が灰を吹き飛ばし、ヤツが世界に存在した痕跡は消えていった。
「オわったか……」
ぐらりと、真っ白な地平線が揺れた。いや、地平線が動いたのではなく、俺の身体が地面に向かって倒れているのか。エネルギーを消費しきってしまったからか、どうにも身体の自由が利かなかった。
倒れ伏す間際に、真っ白な大地の向こうに土色の大地が見えた。異世界に繋がる『トンネル』になってしまったホワイトロードが、元に戻ろうとしているのだろう。
大地に横たわりながら、大地と同じ色の真っ白な空を眺めた。眠気が急速に襲って来て、もはや俺が意識を保っていられるのは後僅かだろう。無防備に眠ってしまうことになるが、俺は敵の襲撃など身に降りかかるかもしれない危険については何も心配していなかった。
何故なら俺の側には、数秒後に無敵の力を取り戻す、絶対強者である友人がいるのだから。
「ありがとうユウタくん。ほんっとうにありがとう」
「……」
「そんな悲しそうな顔しないで」
ああ、また心を読んだのか? まったく、困ったものだ。
「うふふ。読んでなんかないよ? ただ、あなたはきっとこう思ってるんでしょ。『人間でなくなったことが悲しい』と。心を読まなくたって、すぐにわかっちゃうんだから」
瞼が重い。身体中が重い。
「でも、そうだよね。あなたは人間だよっ」
「ナ……ぜ?」
「ユウタくんが自分は人間だって思っているからっ! 見た目だって能力だって関係ない。ユウタくんがそう思うなら、それでいいでしょう?」
そんな簡単なことでいいのかよ。そんな無茶な言い分が通るものかと思った。だけど、ああ、悪くない気分だ。誰かがそれを認めてくれることが、心の底から嬉しかった。
――ありがとう。
「どういたしましてっ!」
慣れ親しんだ土の感触が手のひらに伝わってくる。果てを見通すことができなかった長いトンネルが消えたのだろう。眠りに落ちる前に目に入ったのは、青空の下で微笑みを浮かべるアコラの姿だった。
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