第28話 夢でもいいから
「ここはどこだ?」
どうやら、俺は深い森の中を歩いているようだった。
うねるように地面に突き出た根を歩幅を合わせて超え、周囲をうかがう。獣の鳴き声も鳥の鳴き声もしない。辺りは静寂に包まれていた。
「俺は確か……。そうだ、サージゲートと戦っていたはずだ。ヤツはどこだ? 戦いはどうなった?」
独り言に答えるものはいない。
「エビラーニャ! エビラーニャは無事か!」
いくら叫んでも返事は返ってこなかった。俺の声は、森の木々に吸い込まれて消えていくだけだ。
深く息を吸い、そして吐き出してからもう一度周囲に視線をやった。
「色が……ついていない?」
周りに生える樹木には色が付いていなかった。森が根を下ろす土や、木々のすき間から見える空にも色が付いていない。まるでモノクロ映画の世界に飛び込んできたのではと、そう錯覚してしまう。
世界に色が付いていないのなら、自分はどうだろうか。手をかざし、体に視線を落とせば、自身の色合いがセピア色となっていることを把握した。
「エビラーニャも、アコラもいない。もちろん、サージゲートもだ。どうなってやがる」
これまでのダンジョン生活で培った気配察知能力をもってしても、生き物の気配を見つけることはできなかった。
ここはどこだ、誰かいないのか。
警戒心のままに周囲を見れば、俺の正面に人型の影が三体、歩いているのを発見した。
ぼんやりとした意識が覚醒するにしたがって、三体の影の輪郭がしっかりとした像を結ぶ。
先頭を歩く男は、身長二メートルに届くのではという大男だった。巨体に見合った怪力の持ち主なのだろう。身に着けた鎧や大楯は重量を感じさせる分厚いものだった。しかしその男は、装備品の重さを感じさせない足取りで、周囲を警戒しながら森の中を歩いていた。
大男の後ろをついて行くのは、背の低いやせた男だった。腰に数本の短剣を吊り下げ、左手をそのうちの一本に常に添えながら歩みを進めている。
この男もあたりを警戒しているのか、時折、森の奥に顔を向けたり、空に向かって手のひらをかざしたりしていた。
やせた男の後ろを歩くのは、ローブ姿の長身の男だ。
肩にかかりそうな髪を揺らしながら、背筋を伸ばして正面を歩く二人の男の後ろをついて行っていた。
右手には背丈ほどもあるだろう、木の根がうねるような見た目の長い杖を持っている。こいつは魔導士なのだろうな。
「おおい! お前たちはこの森を散策する冒険者か」
腹から声を出して正面の男たちを呼び止めるように話しかけた。三人の男たちは、ピタリと歩くのをやめた。そして、ゆっくりと振り返り、俺のことを見た。
「……!」
息を飲み、言葉が出なくなってしまった俺の様子を一目確認した三人の男たちは、何事もなかったかのように正面に向き直り、無言のまま森の中を歩き始めた。
俺はその男たちの背を追った。今すぐにその男たちを追い越して、正面から話しかけたかった。だけど足は一定の速度でしか動いてはくれず、前を歩く戦士たちの後ろをついていくことしかできなかった。
「ヴァラク! コーディ! ラッシュ! 何とか言えよ!!」
最初に話しかけた時よりもはるかに大きな声で俺は叫んでいた。話しかけずにはいられなかった。
「俺だ! ユウタだ! どうして無視しやがる! まさか俺のことを忘れたんじゃないだろうな!」
俺はこの数百年、一時も忘れたことはなかった。俺の人生における宝物のような思い出。目の前の男たちと過ごした日々。何度、夢に見たことか。今この瞬間だってきっと、戦いのさなかに気を失ってしまった俺が見ている夢なのだろう。だけど俺は声の限り叫び続けた。
「おいおい、まさか俺抜きで三人で冒険を続けてやがったのか!? 寂しいじゃねえか。どうして俺を呼んでくれない?」
目の前を歩く男たちは、かつての俺の仲間だ。
巨体と大楯で敵の攻撃を一身に引き受ける戦士のヴァラク。敵意を察知する能力がずば抜けており、斥候を務める盗賊のコーディ。魔術の才能にあふれ、強力な魔法で敵を一掃する、チームの攻撃のかなめだった魔術師のラッシュ。
あの日、俺と一緒にダンジョンで戦死した大切な仲間たちだ。
「俺はさ、今でもダンジョンを攻略してるんだ。俺たちが殺されたあのダンジョンをだ。なあ、またみんなで奈落を攻略しないか?」
返事は返ってこなかった。だけど構わず喋り続けた。
夢でかつての仲間に再会した時、現状を報告するのが俺のいつもの習慣だった。
「そうだ。なあ聞いてくれよ。俺に新しい仲間ができたんだ。今はそいつとダンジョンを旅しててさ。紹介するよ」
右手を腰へと持っていきながら話し続けた。俺の右手は空振りに終わった。
「……ああ、そうか。ここにはエビラーニャはいないんだったか」
空を切った手のひらをぶらぶらとさせながら、なおも男たちの背に向かって言葉を続ける。
「エビラーニャはさ、いい奴なんだ。人間じゃないけど、ウマが合うっていうか。きっとお前たちとも上手くやれると思うぜ。邪悪な雰囲気が駄々漏れだけどな。今度、紹介するよ」
不意に、数メートル先を歩いていたコーディの左手がブレた。腰に下げていた短剣が一本、姿を消している。
しばらくして、空から巨大な怪鳥が木々の枝を折りながら地面へと落下してきた。怪鳥の首筋には、一本の短剣が突き立っていた。コーディの短剣だ。
「ひゅー! やるじゃないか。とんでもなく腕を上げているな」
素晴らしい手際だった。
この怪鳥は、森の葉で姿を隠しながら、上空から俺たちのことを狙っていたのだろう。隠密に長けた魔物のようで、俺はコイツの気配に気が付くことができなかった。
間違いなく、奈落の9000階層以上でも生きていけるような強力な魔物だ。
コーディは無言のまま、二本目の短剣を怪鳥の胸へと投擲した。そこがその魔物の急所だったのだろう。闇を固めて生み出したような不気味な姿の怪鳥は、体が周囲に溶けて、やがて消えた。
この魔物をコーディは倒し慣れているのだろうな。
怪鳥の襲撃を皮切りに、先ほどまでののどかな散歩から一転、魔物が森の中から姿を現すようになった。
体組織が鋼で形作られた巨大な四本角の猪が木々を折りながら襲って来た。ヴァラクはそれを一歩も引かずに受け止め、足が止まった猪をラッシュの杖先から放たれた火球が溶かしつくした。
俺たちが歩く先から、揺らめく影の大軍がもろ手を上げながら進軍してきた。ラッシュの杖が横なぎに払われれば、影の魔物たちはまとめて鎖によって拘束されてしまう。ラッシュの得意魔法の一つ、チェーンバインドだ。
身動きを止めた獲物を逃すまいと、俺は魔法を唱えた。一滴の水が巨大な龍へと姿を変え、目の前の魔物の群れを一飲みにして全滅させる。水星龍の魔法だ。
魔術師のラッシュが、わずかに目を見開いてこちらを振り返った。
「ふふん、強くなってるのはお前たちだけじゃないぞ? 俺だって魔法を覚えたんだ」
得意げにそう発言すれば、ラッシュの口角がわずかに上がった気がした。俺の気のせいかもしれないが。
その後も、俺たちは魔物の大軍を倒し続けた。ああ、なんて楽しいんだ。あの頃に帰ったかのようだ。
「お前らは、やっぱり三人でずっと旅をしていたのか? なあ、どのダンジョンを攻略してたんだ。教えろよ、俺も行きたいからさ」
俺は自分の強さが人類最強であると自覚している。隔絶した強さを持っていると理解している。だが、そんな俺から見ても、目の前に存在するかつての仲間たちは怪物のように強かった。――俺と同じくらい強かった。
死ぬことなく、たゆまぬ努力を続け、ダンジョンを攻略し続けていれば、あいつらはどのくらい強くなったのだろうか。旅の合間にしていた空想が、眼前で形になっていた。ああ、そうだ。あいつらなら、間違いなくこのレベルまで強くなっていただろうな。
「――いや」
空想が形になっているだなんて、我ながらおかしな表現だったか。
あいつらは死んだんだ。あの日、あの時、俺の目の前で。
『――――』
声が聞こえた気がした。どこか遠くから、誰かを呼ぶ、叫び声のような声が。
それと同時に、モノクロの大地がかすかに振動を始める。最初は、注意していなければ気が付かないほどかすかな揺れだった。しかしそれはすぐに大きなものとなり、世界全体を揺らし始めた。
「なんだ? 地震か?」
何気なく背後を振り返れば、そこには赤黒い光の柱が天を貫いていた。光の柱からあふれ出す光が洪水となって、辺りを満たしていく。血のような光の壁が木々を飲み込みながらこちらへと迫ってくる。まずい、このままだと飲み込まれてしまう!
「とんでもないことが起こってるぞ!」
警戒の声を仲間たちへと発しながら正面を向けば、十数メートル先の空間にぽっかりと穴が空いていた。
楕円形の穴だった。馬車が何とかくぐれるほどの大きさだ。赤黒い空間が波打っており、何か不思議な力の流れを向こう側から感じる。おそらく、転移ゲートと似た性質があるのだろうと、直感的に判断した。
あそこに潜り込めば、光の波動から逃れられそうだ。
仲間たちも俺と同じ判断をしたのだろう。滑るような足さばきで、あっという間に穴の側まで移動していた。
出遅れたか、俺も早く移動しなければ。
そう考え、足を動かそうとしたが、俺の足は大地に根が生えてしまったかのように一歩も動かなかった。
「くっ……。なんだ!?」
思うように動かない足をもどかしく思いながら視線を地に落とす。俺の右足が鎖によってがんじがらめになっていた。
「これはチェーンバインド! ラッシュの仕業か!?」
ラッシュは空間の裂け目の前に立ち、背丈ほどもある杖を俺の足元へと向けていた。
なんとか鎖による拘束から逃れようともがくものの、食い込むようにして足に絡まる魔法はびくともしない。そうこうしているうちに、背後からは光の洪水が迫ってくる。時間の猶予はない。あと十数秒もすれば、俺はあの光に飲まれて跡形もなく消えてしまうだろう。
「どうしてだ! なぜ俺を遠ざける! 仲間だろう!? なあ頼むよ、俺はまたお前たちと旅がしたいんだ。魔法を解いてくれ」
必死に叫ぶが、拘束が緩められることはなかった。ラッシュもヴァラクもコーディも、眉一つ動かすことなく俺のことを見つめていた。まるで、俺が光に飲み込まれるのを待っているかのようにさえ見える。
俺は精一杯、仲間たちに向かって手を伸ばした。伸ばした手は届かない。あの時と同じだ。あの時も、俺は仲間たちを失うのを見ていることしかできなかった。
強力な魔物に襲われ致命傷を負い、地に這いつくばることしかできなかった俺は、それでも仲間を助けたくて必死に仲間たちへと腕を伸ばした。せめてこの体を盾にすることで仲間たちを救いたかった。
だけど伸ばした俺の手は届くことはなかった。俺の目の前で、ヴァラクもコーディもラッシュも食い殺されていった。そして最後に、俺も同じように殺された。
「もう二度と繰り返さない……。俺はあの時とは違う。そのために力を付けたんだ……!」
拘束された右足に、両手を添えた。俺の今の力なら、足を引きちぎるくらい簡単なことだ。そして、欠損した足を瞬時に再生することも、息を吸うのと同じくらい容易いことだった。
たとえ夢でも、もう二度と仲間たちと離れ離れになりたくなかった。
そもそも、これが夢かどうかも怪しいものだ。モノクロの世界に満ちた不思議な気配や、仲間たちから感じる懐かしい息遣い。
これは本当に夢なのか? もしも夢じゃないのだとしたら、俺は――。
光が轟音を響かせながら背中へと迫ってくる。俺は右足を引きちぎるべく、両腕に魔力を込めようとした。その瞬間、俺は見てしまった。
ヴァラクとコーディとラッシュが、うっすらと微笑みながら俺に向かって話しかけていたのを。
光から発せられる音がうるさくて、何を言っていたのかは聞こえなかった。だけど唇の動きを読んだ俺は、かつての仲間たちが何を伝えたかったのかを理解することができた。
『俺たちの分まで生きてくれ』
空間のはざまへと消えていく仲間たちを見送りながら、俺の体は光に包まれていった。
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