第27話 切り札

「決まったね」


「ああ、そうだな」


 俺とエビラーニャの一撃は、これ以上ないほどの形でサージゲートの頭を捉えた。しかし、ヤツの頭を切断したという手ごたえはなかった。インパクトの衝撃でヤツは地上へと吹き飛ばされ、純白の大地に巨大なクレーターを作った。砂煙のようなものが周囲に舞い上がったため、ヤツが今どんな状態なのかを視認することはできない。


 しかし間違いなく言えるのは、サージゲートは生きているし、大したダメージを負ってもいないということだ。


「全力、だったんだがな」


「うん。間違いなく、ボクたちの本気だったよ。でも、届かなかったね」


 サージゲートの動きを見切り、溜めていた魔力をつぎ込んでの一撃だった。しかしそれでもあの怪物を殺すことはできなかったのだ。


「エビラーニャ。俺の心臓を捧げる」


「……やるんだ? ここはダンジョンとは違うんだよ。本当の本当に死んじゃうかもよ?」


「それでもやるしかない。サージゲートから逃げられない以上、やらなければ死ぬだけだ」


「――分かった」


 魔剣エビラーニャには、とある一つの能力がある。人間の心臓を捧げることで大幅なパワーアップを可能とする能力だ。

 初めてこいつと出会い、その話を聞かされた時は何かの冗談かとも思った。だがある日、ダンジョンの中で強敵と出会った際にダメ元で試してみれば、自分でも信じられないくらいの力を得ることができてしまった。――その反動で俺は死んでしまったが。


 エビラーニャは心臓だと言ったが、厳密にいえば支払う対価は人間の生命力なのだろう。

 支払った対価に見合う力をその身に宿すことができる。それがエビラーニャの能力だ。

 加減を間違えれば死んでしまう。今ここでそうなれば俺の人生は終わりだ。ダンジョンで試した時のように、コンティニューすることはできない。


「だけど、まあ。これしか方法がない。痛くしないでね」


「気持ち悪いこと言わないでよっ。もうっ」


 エビラーニャの刀身から、夜の闇を固めたような触手が幾本も伸びていく。宙にゆらりと揺らめいたかと思えば、それらは俺の肉体を次々と貫き始めた。


「ぐぅ……!」


 激痛が全身を走り抜け、目の奥がちかちかとしてくる。脳が焼けるようだ。したたり落ちた汗が風に流され、すぐに蒸発して消えていく。


 しっかりしろ、俺。もうあまり時間がない。サージゲートがやってくるぞ。

 溶け落ちてしまいそうな眼玉で地上を見れば、視界を覆い隠していた煙は晴れ、巨大なクレーターの中心にサージゲートが立ち上がっていた。


 交錯する視線。ヤツの目には、怒りの色が浮かんでいるように見えた。サージゲートからあふれ出す暴力的な魔力の奔流が、まるでヤツの今の感情を表しているようだ。


 膨大な魔力が両の足へと集まっていく。――来るッ!


「ヌアアアア!」


 ヤツがこちらへと飛び掛かってくると感じたその次の瞬間には、俺の真横から剛腕が振り下ろされていた。あまりにも早い一撃。先ほどまでの俺なら、なすすべもなく肉体を粉砕されていたことだろう。だが、間に合った。俺はヤツからの攻撃が身に届く前に、エビラーニャに対価を支払い終えていた。


「……!」


 闇色の炎のようなオーラが俺の右目から漂うようにあふれ出していく。体に納まりきらないエネルギーが、出口を求めて今にも爆発してしまいそうだ。体中にエネルギーが浸透し、肉体の性能がみるみると強化されていくのを感じる。サージゲートの電光石火の一撃が、急激に遅くなったと錯覚してしまうほどだった。


「あああああ!」


「ナニ!?」


 頭上に迫る剛腕を左拳で打ち払う。サージゲートの拳は俺の頬をかすめ、背後へと流れて行った。イケる、今の俺はヤツに力負けしていない。


 まさか力業で受け流されるとは思っていなかったのだろう。目の前の侵略者は、驚きのあまり自身の拳の行方を目で追ってしまっていた。俺は間髪入れずに左右の拳を連打した。


「うおおおおお!」


「ヌガアアアアア!」


 一撃ごとに鈍い重低音が響き渡る、激しい打撃の応酬が繰り広げられる。

 サージゲートは防御する姿勢を見せず、力任せに両腕を振り回す。叫び声からはむき出しの怒りの感情が伝わってくる。先ほど力で押し負けたことがよほどプライドを傷つけたらしい。


「ふんっ!!」


「グオッ――!」


 怒りからか、サージゲートの右フックがわずかに大振りになった。俺はその隙を見逃さずに巨体の懐に潜り込み、腹に向かって右のエルボーを叩きつける。するとサージゲートの体がくの時に折れ曲がり、ヤツの顔が俺の頭上へと下りてきた。俺は苦悶にゆがむその顔面を回し蹴りで蹴りぬいた。


「ガアアアッ! グヌウッ。調子に乗るなよ下等な猿がァ!」


 数十メートルほど吹き飛んだサージゲートは、すぐに体勢を立て直し咆哮とともにこちらに向かって飛び込んできた。

 風を切る音が周囲から無数に聞こえる。音がした方に意識を向ければ、サージゲートの巨体が残像を残し俺の背後へと消えて行くところだった。俺が背後からの攻撃に備えれば、頭上や左右からも風切り音が耳に届く。


「随分と慎重になっているんだな。そこまで入念にフェイントを挟むなんて」


 目を細め、口の端を吊り上げながら軽口を叩けば、正面から巨大な拳が迫って来た。俺はそれを宙を蹴ってバックステップでかわした。


「オラオラオラアアア!」


 拳が空を切った後も、サージゲートの打撃は止まらない。両手両足を自在に操り、一撃必殺の攻撃が俺に向かって放たれる。

 俺はそれを回避しなかった。する必要がなかったからだ。


 俺の体の周りから、闇色の触手が何本も姿を現しサージゲートの打撃を次々に打ち落としていく。

 この闇の触手はエビラーニャそのものだ。エビラーニャは剣としての実態をなくし、魔力の粒子として俺の周囲に存在している。


 ――防御はボクに任せて。


 テレパシーの魔法を超えた、タイムラグの一切存在しない意思疎通。今の俺たちにはそれが可能だった。


 ああ、分かった。頼むぞエビラーニャ。俺はヤツを殺すことにリソースの全てを使うよ。


 ――早く。できるだけ早くね。ボクたちにはもう、時間がないんだ。


 俺は一秒ごとにあの世へと近づいている。生命力の減少が止まらない。まるで穴の開いたバケツだ。さっさと決着を付けなければ。


「ぐああああああ!」


 気合の叫びと共に両拳に目いっぱい力を籠めれば、肉体に納まりきらない魔力があふれ出して腕にまとわりついていく。


 一歩、右足を宙に踏みしめれば、拳が届く距離にサージゲートの背中が見える。


「我の後ろを取っただと!?」


 驚きの声を上げるサージゲートの後頭部へと、渾身の右ストレートを叩き込んだ。


「グアッ!!」


 体を不規則に回転させながら、サージゲートが地平線に向かい吹き飛んでいく。今度は、ヤツが体勢を立て直すまで待ってやるつもりはない。再度右足で宙を蹴り、今も吹き飛び続けるサージゲートの背後へと回り込んだ。


「うおらあ!」


 オーバーヘッドのような軌道で左足をサージゲートの胸に振り下ろす。サージゲートの体は、空中で方向を九十度変化させて真っ白な大地へと落ちて行った。

 まだだ、ここでトドメを指す。倒せなければ、俺の負けだ。


 全身が焼けるように痛い。汗と一緒に体中から血がにじんできている。近づくタイムリミットに焦りを覚えつつも、冷静さだけは決して失うまいと自分に言い聞かせながら拳を握る。


「ああああああああああ!!」


 大地に向かって駆け下りれば、全身から噴き出した闇が尾を引き空に一本の黒い線を描く。飛行機雲、いや、人間雲か?


「あああああああああああああ!!」


 エネルギーを凝縮した右手が溶けるように熱い。溶けるように、ではなく本当に溶けてしまっていた。闇の粒子と肉体との境目があいまいになり、数秒後には全身がこうなって空気に混ざり合い、俺という存在がこの世から消えるのではと思えてしまう。


 きっと錯覚ではない。このままでは本当に消えてなくなってしまうのだろう。

 だから、その前に――。ヤツを殺す!


「これで終わりだあああああ!!」


 漆黒の右腕を落下するサージゲート目掛けて、ただひたすら力任せに振りぬいた。


「グオオオオオオオッ!」


 ヤツは防御すら間に合わなかった。俺の拳を正面からまともに食らったサージゲートは、きりもみ回転をしながら大地へとぶつかった。水切り石が水面をはねていくかのように、轟音と煙を上げながら地平線の彼方へと吹き飛んでいく。


 手ごたえはあった。殴りつけた拳には、ヤツの体を砕いた感触が今もジンジンと残っている。頼む、今ので死んでいてくれ。


「……」


 俺は答え合わせのために、神に祈りながらアコラの表情を見た。数キロは離れているのに、俺には鮮明にアコラの表情が見えた。眉根を寄せ、何かを考え込むような表情だった。それで、分かってしまった。俺はサージゲートを殺せなかったんだ。


 地平線の向こうに、膨大なエネルギーが空へと噴き出すのが見えた。そして噴き出すエネルギーの柱の根元から、押しつぶすような強烈な殺気が俺を襲った。


「お遊びはここまでだ」


 サージゲートがこちらへとゆっくり歩いてくる。その姿は見慣れてきた先ほどまでの物とは別物だった。

 岩石のゴーレムのような肉体をドラゴンのうろこのようなものがびっしりと覆っていた。額には三つ目の目が開眼している。腕や足を覆っているのは獣の毛だろうか。


 ああ、そうか。お前もそうなのか。奈落の大迷宮の9998階層で、ダンジョンの最奥を守護するモンスターと対峙した時のことを思い出してしまった。


「どうしてこう、強い魔物ってのは第二形態を持ってるんだ」


 一歩、また一歩と、サージゲートがこちらに向かって歩いてくる。強化された聴力で足音を拾えるくらいには、もう俺との距離は縮まってしまっていた。


「畜生……。ここまでかよ」


 ゆっくりと腰を落とすサージゲートを俺はただ茫然と見つめることしかできなかった。巨大な姿がブレたと思った時には、目の前にその姿が現れ、殺意に満ちた拳を俺に向かって振り下ろしていた。


「ぐっ――!」


 頭上から降って来た拳を、両腕をクロスして眼前に構えることでかろうじて防御した。エビラーニャの闇の触手も、すべてが俺の身を守ることに使われた。


 だというのに、サージゲートの拳の衝撃を防ぐことができなかった。


 痛みをこらえながら、サージゲートの気配を探る。押しつぶされそうなほどの量の魔力が、背後から突っ込んできた。


「ドラアアアアアアア!」


 何をされたのかは分からなかった。ただ、攻撃されたのだということだけは分かった。あまりにも動きが早すぎて、防御することもできなかった。まるで先ほど俺がサージゲートを吹っ飛ばした時の再現かのごとく、俺の体は大地をはね跳び地平線に向かっていく。


「フンッ!!」


 先回りしたサージゲートが、俺の顔面にうろこをまとった剛腕を突きさしてきた。俺の体はピンボールの玉のように反対方向の地平線へと吹っ飛んで行った。


「見えない……! なんて速さだ!」


 動き始めから、攻撃の終わりまで、俺は全くヤツの姿を捉えることができなかった。目の前から気配が消えたかと思えば、姿を捉えた次の瞬間にはヤツの攻撃が終わっている。わずかすらも勝ち筋が見えない。俺の心は、全身の骨と同じくバキバキに折れかかっていた。


「グオオオオオオ!」


 地平線を何度か行ったり来たりした後、俺の体は空高く打ち上げられた。消えてしまいそうな意識を必死につなぎとめて空を見上げれば、そこには裂ぱくの雄たけびと共に魔力を飽和させるサージゲートの姿があった。


 ヤツが何をしようとしているのかはすぐに分かった。


 俺にトドメを刺そうとしているんだ。


「くっ……。がぁっ……」


 必死に抵抗しようとした。

 全身の魔力を練り直し、体を再生して攻撃を回避しようとした。エビラーニャも手伝ってくれている。うごめく触手が俺の体をヤツの攻撃の軌道から逸らそうとしている。


 だけど、どうしようもなかった。


 俺が放った魔法も、エビラーニャの触手も、何もかも存在していないかのようにサージゲートが突っ込んでくる。わずかな時間すらヤツを足止めすることができなかった。


「これで終わりダ――!」


 摩擦熱のせいか、真っ赤に染まった巨大な拳が迫ってくる。防御することも、避けることもできず、その拳は俺の胸を痛烈に殴りつけた。


 轟音を立てて俺の体が真っ白な大地にクレーターを作る。

 サージゲートの姿を探そうとしたが、俺の瞳は何も映すことがなかった。先ほどまで感じていた、叫びだしそうなほどの激痛が徐々に消えていく。


 ――ユウタ! しっかりしてユウタ!


 エビラーニャが何かを必死に叫んでいる。

 どうした? 何を言っているんだ? 良く聞こえない、すまないがもっと大きな声で話してくれないか。


 闇が迫ってくる。俺の瞳はもう、わずかな光すらも感じることができなかった。

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