第26話 レボルス帝国

「そう。そういうことだったの。あはっ、分かっちゃった。通りで見つからないわけだね」


 アコラの気配が変わった。泥水のように濁った殺気を目の前の存在へと叩きつけながら、誰に聞かせるでもない独り言を続ける。


「侵略者だったんだ。世界から世界に渡り、他の世界のリソースを奪う絶対的な敵対存在」


 前にもこんなことがなかったか。世界を我がままにできるアコラが、とてつもない殺意を特定の存在に対して向けたことがあっただろう。あれは、確か……。


「今日ここで、積年の恨みの一つを晴らさせてもらおうかしら」


 思い出したぞ。アコラの師匠や友だちを滅ぼしたやつが、確かこう名乗っていたはずだ。


 ――自分はレボルス帝国の先兵だと。


「まさか、こいつが……?」


「さあ、どうかしら。同一個体ではないかもね。でも、そんなのは関係ないでしょう? レボルス帝国自体が私の仇なのだから」


 俺はアコラを背にかばうようにして一歩前へと進む。

 今のアコラは力の大半を失っている。感情のままに目の前の存在に襲い掛かれば、その勝敗は火を見るよりも明らかだ。


 十数メートル先に、サージゲートと名乗った魔物が悠然と立っている。俺たちのことは脅威とも思ってないのか、その立ち姿には余裕が感じられる。


 体長は三メートルほどだろうか。鉱石で体が構成されたゴーレムのような魔物だ。プロレスラーのような逆三角形の体型から繰り出される剛腕はどれほどの威力があるのか、想像しただけで寒気がしてくる。


「お前は何をしに来たんだ?」


 まずは対話することを選んだ。アコラはこいつを殺したいようだが、今の俺たちでは難しい。戦いを避けられるのなら避けたい。


 俺の言葉は伝わっているだろうか。

 言語体系が違うだろうから、俺は自分の魔力に意志を乗せて声にした。原理としてはテレパシーの魔法と同じだ。こいつが先ほど話していた時も、テレパシーの魔法と似たような魔力の流れを感じた。だからこれで通じるはずだ。


「貴様たちの世界を破壊しにきたと、さっきそう伝えただろう」


「俺が聞きたいのは破壊する理由の方だ。戦争でもしに来たのか? 俺たちの世界を支配するためにやってきたと、そういうことか?」


「何故、我が低能な猿を飼わねばならん。破壊と言うのは言葉通りの意味だ。すべてを壊す。それだけだ」


 ようやく俺にも状況が理解できてきた。


 思えば、先ほどから既視感があった。はるか昔にどこかで感じたこの感覚は、一体どこで感じたものだったか。

 こいつとの問答が一つのきっかけになり、俺はようやくそれを思い出した。


 ホワイトロードで感じる気配は、俺がこの世界に迷い込んだ時と非常によく似ているのだ。


 アコラがさっき言っていたじゃないか。

 目の前のこいつは、世界から世界を渡る侵略者だと。


 サージゲートは異世界からやって来た魔物なのだろう。ホワイトロードとは、異世界と異世界をつなぐ道だったんだ。


「レベリングをしに来たわけか。自分を更なる高みへと押し上げるために、俺たちの世界を壊すということか」


 俺がダンジョンで魔物たちを殺すのと同じことを、サージゲートは俺たちの世界にやりにきたわけだ。


「ハハッハッハッハー! 下等な猿にしては随分と理解が早いではないか。まさしくその通り。貴様たちを糧とするために、我はやって来たのだ」


 これは戦いを避けられそうにない。殺すこと自体が目的だからだ。こいつはそれを達成するまで帰らないだろう。


「我から一つ、貴様たちに提案がある」


「提案だと」


「貴様たちの世界のマナスポットを我に教えよ」


 聞いたことない言葉だが、ニュアンスから言えば魔力が多く集まっている場所ということか?

 この世界で最も魔力が集まっている場所はダンジョンだ。つまりこいつは、ダンジョンの場所を教えろと言っているのか。


「その提案を飲むことで俺になんの得がある?」


「貴様たちの名を我の記憶の片隅に覚えておいてやろう」


「話にならないな。結局、用が済めばすぐにでも殺すんだろう? だったら、お前に従うことはできない」


 ダンジョンはこの世界にとってなくてはならない資源だ。こいつはそれを根こそぎ破壊したうえで、辺りの人間も皆殺しにするつもりだろう。

 こいつの提案は、何もかもが受け入れられないものだった。


「おやおや。矮小な生き物というのは、肉体やマナの総量だけではなく頭の中身まで小さいのか。高位存在である我のために働けるチャンスを不意にするとは、なんと愚かな生き物だろう。それともなにか。まさか、我と貴様たちの実力差を理解していないわけでもあるまい?」


「お前は強い。痛いほどに理解しているさ」


「だろうな。ハハッハッハ。貴様が我に向ける視線を見ていれば、貴様が我のことをどう思っているのか手に取るように理解できるぞ」


「頼む。この世界を侵略するのはやめてくれないか?」


「何故、我がそれを聞き入れねばならん。脆弱な者どもに生きる価値などない。むしろ、滅ぼすことで我の礎となる方が、貴様たちのためになることだろう」


 やはり戦いは避けられないか。

 エビラーニャの柄を握り、わずかに姿勢を低くする。勝ち目の薄い戦いは、何度だって潜り抜けてきた。今回だって、なんとか潜り抜けるしかない。


「なんと愚かな猿だろうか」


 この戦いは、俺にとって数百年ぶりの命がけの殺し合いだ。

 ここはアコラのダンジョンではない。この場所で死ねば、俺は今までのように生き返ることはできないだろう。


 心に這い寄ってくる恐怖を気合で抑え込み、魔力を練りながら戦闘態勢を取る。


「まあ良い。案内役は一人いれば充分であろう」


 サージゲートの体から、濃密なエネルギーが陽炎のようにゆらりと立ち昇る。そして風を切る硬質な音とともに、その巨体が消えた。


 魔力で視力を強化すれば、サージゲートの巨体がものすごい早さでこちらへ向かってきているのが見える。

 それを認識したと同時に全力で前へと駆け、エビラーニャによる刺突を叩き込む。


 ガツン、という鈍い音と同時に刃がはじかれる。ヤツの体をわずかに傷つけたものの、それが致命傷に程遠いのは一目瞭然だった。


 目の前から、サッカーボールほどにも大きい握り拳が迫ってくる。それが胴体へと突き刺さり、俺の体は空へとはじけ飛ぶ。


「ユウタ! 敵が来てるっ!」


 エビラーニャの声が耳へと響く。

 一秒にも満たないわずかな時間だが、俺は確かに気を失っていた。一撃でこの威力。俺の予想をはるかに超える戦闘能力だ。なんだ、この化け物は。


 宙を吹き飛ぶ俺の背後から、風を切る硬質な音が聞こえてきた。視線をやるとそこには、組んだ両腕を俺へと振り下ろすサージゲートの姿があった。


「ウオラァッ!」


 強烈な衝撃とともに真下へと吹き飛ばされる俺の体。勢いを殺すことができずに真っ白な大地へと叩きつけられ、その衝撃で俺を中心としたクレーターが出来上がる。


「ソラソラソラッ!」


 土煙が晴れる間もなく、空に浮かぶサージゲートの手のひらから幾数もの魔法が放たれ俺を襲う。球状の魔力の塊が空から降ってくるが、砕けた全身の骨を再生することに集中していた俺はそれを回避するタイミングを逃してしまった。


 魔法球の爆発が引き起こす熱と衝撃に全身が包まれる。熱い、痛い――。しかしそんな感情は無意味だ。苦しむ暇があるのなら、勝ち筋を探すために思考力を使うべき。俺はそのことを、長いダンジョン生活で自然と身に着けていた。


「ハハッハッハッハ―! どうした、もう終わりか!」


「そんなわけがないだろう?」


 魔法の衝撃により発生した土煙に紛れながら高速で移動し、俺はサージゲートの背後を取った。移動の勢いそのままに、魔力によって強化した蹴りを背中へとお見舞いしてやる。鈍い音とともに、サージゲートの体がピンボールのように吹き飛んで行った。


「ほう、生きていたか」


 空中で即座に体制を整えたサージゲートに、ダメージの色はない。

 半ば予想通りの結果だとはいえ、不意を突いての一撃ですらこの程度とは、さすがにため息の一つもつきたくなってくる。


「我の足運びを真似するとはな。猿真似とはいえ大したものだ」


「見て盗むのはそれなりに得意な方なんでな」


 サージゲートの体内の魔力の流れから、どのようにすればこいつのように高速で動けるのかがある程度理解できた。あとはそれを自分でもやるだけだ。


 ダンジョン生活で得た膨大な戦闘経験があればこそ可能なことだった。


「下等生物にしては少しはマシなようだ。いい経験値が稼げそうで嬉しいぞ」


「もう勝ったつもりか? なんとも気が早いことで」


 これ見よがしに構えた右の拳に思いっきり魔力を集める。すると、サージゲートの意識がわずかにそちらへと向いた。丁度そのタイミングで、ヤツの背後に飛ぶ斬撃による攻撃が命中する。


「何奴!」


 サージゲートの意識がほんのわずかに背後へと向かう。それと同時に俺は、集めた魔力を足へと移動させ一直線に空を駆けていた。


 斬撃はエビラーニャによるものだ。

 エビラーニャは無機物であるため、気配を消すのが俺よりもずっと上手い。砂煙に紛れてサージゲートの背後に回り、お互いにヤツの意識を散らしあうことで隙を作ったのだ。


「うおりゃあ!」


 突進の勢いそのままに渾身の力で拳を振るう。

 しかし不意を打たれながらも、サージゲートは俺の拳を左腕で防いだ。俺はそれには構わず、左右の拳を連打した。


「うおおおおおおお!」


「ハハッハッハッハ―!」


 激しい近接格闘戦が空のど真ん中で始まる。拳がぶつかったとは思えない鈍い轟音がとめどなく響き渡った。


 先制攻撃の勢いに乗って一気呵成に攻め立てたものの、攻守が目まぐるしく入れ替わったのは最初の数秒だけ。サージゲートの猛攻の前に、俺は徐々に後退を強いられる。


「ソラソラッ! どうした! その程度か!」


「こなくそおお!」


 サージゲートの蹴りが、拳が、一撃ごとに俺の体を壊す。骨なんて何本折れたか数えきれないほどだ。だけど止まれない。攻撃をやめれば、即座に打撃の嵐に巻き込まれて殺される。折れた骨を瞬時に再生しながら、必死に食らいついていく。


「オラオラオラオラァ!」


 一撃一撃が、とんでもなく重い。それに、鉱物で構成された巨体のくせに、目にもとまらぬ速さで動きやがる。当初の予想通りとはいえ、劣勢に立たされっぱなしの現状に苦々しい思いが心を満たす。

 果たして俺は、この怪物に勝てるのか? 弱い心が頭をもたげそうになるが、その度にダンジョンでの死闘を思い出すことで気力を保つ。いくら骨を折られようと、心まで折られてなるものか。


「ハハッハッハッハ―! 防戦一方ではないか! 所詮、毛なし猿の力などその程度か!」


 もはや、俺の攻撃に最初のような勢いはない。サージゲートの打撃の連打を防御するだけで精いっぱいだ。いや、その防御すらも完全にはできていない状態だった。


 だけどそれでいい。今はサージゲートの攻撃を見ることに集中しろ。それこそが、ジャイアントキリングに必要なことだ。


 狙うのは、隙を突いた渾身の一撃による必殺。まともにダメージレースを行えば勝ち目がない以上、それを狙うしかなかった。


「ヌウゥウン!」


 巨体から水平に繰り出された蹴りが俺の体を襲う。バキリと乾いた音が周囲に響いた。俺の骨が折れた音だ。どこかの骨が粉砕されたのだろう。今の一撃であまりにも多くの骨が折れてしまったため、怪我の状態を把握することは不可能だった。腕でガードしていなければどうなっていたことやら。


「くっく……。図体がデカいわりに大したことないな。お前、今まで雑魚狩りしかやってこなかっただろう? そんな動きをしているぜ」


 口内に鉄の味が広がるのを感じながら、宙に浮かぶサージゲートを挑発してやる。半分は強がりから出た言葉だが、もう半分は心からの発言だった。


 だってそうだろう? 戦っているのがアコラなら、俺はもうすでに十回は死んでいる。例え、アコラがサージゲートほどのエネルギーと魔力しか使わなかったとしてもだ。

 あの時の殺し合いは、確かに俺の血となり肉となっている。俺はまだ、戦える。勝利を目指すことができる。


「下等な猿が、我を侮辱するか。なんとも滑稽。口の端から生命力をたらしながら言ったところで、説得力はないぞ?」


「すまない。事実を言ったら侮辱になってしまったみたいだ」


 手の甲で口周りの血を拭いながら再びデカぶつを煽ってやる。さあ、どういう反応を示す? 感情の動きから、肉体の動きがどのように変化するのか。それを見極めるのが俺の目的だった。


「我を揺さぶろうとしても無駄だ。感情に体が引きずられるような時代など、とうに通り過ぎた」


「そうかよ。つまらない結果で残念だ」


「ふん。我の名誉のために質問に答えてやろう。我は確かに強者と戦った経験は薄い。だがしかし、それも仕方なかろう。なぜなら、我からすればほぼすべての生命体は雑魚なのだから」


 風を切るような硬質な音が耳へと届くと同時にサージゲートの姿が消える。どうやら、おしゃべりは終わりらしい。俺は体を前方へと投げ出した。背中に触れるか触れないかくらいの距離を鉱石の剛腕が通り過ぎて行った。


「ムッ」


 振り向きざまに裏拳を放つ。巨体に見合わぬ素早さでかわされてしまうが、俺は気にせずそのまま回し蹴りを打ち込んだ。

 つま先がサージゲートのアゴを綺麗にとらえた。十トントラック同士が正面から衝突したような轟音が聞こえたものの、当たった本人であるサージゲートは涼し気な表情を浮かべている。

 確かにクリーンヒットした。しかし、当たっただけだ。大したダメージを与えていないというのは明らかだった。


「やはりこの程度か」


 俺の打撃などなかったかのように、サージゲートはそのまま右足を振り上げた。蹴りを放ったばかりの体勢だったため、躱すことができずまともに攻撃を受けてしまった。――サージゲートにはそう見えたことだろう。


 真下から蹴り上げられた俺は、その衝撃でヤツの頭上を飛び越え空へと吹き飛んでいく。雲を手でつかめるほどに打ち上げられた辺りで、俺は空気を足場にして宙に浮かんだ。吹き飛ばされたその先には、すでにエビラーニャが雲に隠れて攻撃の合図を今か今かと待ちわびていた。


 空に立ち上がったと同時に、頭上に浮かぶエビラーニャを右手で掴む。更に左手もエビラーニャの柄に添え、体全体へと魔力を流す。


 ありったけの魔力を込めて肉体の性能を限界まで引き上げていく。それと同時に、エビラーニャからも魔力が迸った。闇のオーラが霧となって刀身を包み、紅の刀身は心臓の鼓動のようにどくどくと脈動していた。


「今更だがエビラーニャ。その見た目で聖剣は無理だろ」


「ユウタの方こそ、その魔力で人間は無理があるよね」


 ああ、エビラーニャ。お前がいてくれてよかった。お前と旅した数年間、悪くなかったぞ。

 俺は空を蹴って、大地に向かって駆け出した。一歩、二歩と足を踏み出す度に速度が上がる。


 俺は自身の肉体を全力で強化した。エビラーニャも同じく、エビラーニャ自身の魔力により刀身を限界まで強化している。

 

 サージゲートよ。お前はエビラーニャの動きに対して、そこまで気を配っていなかったな。きっと今まで侵略してきた世界は、剣というのは人型の生命体に使われる道具でしかなかったんだろう。

 この世界でも大体の場合はそうだ。エビラーニャほどハッキリとした自意識を持つ魔剣を俺は見たことがない。


 その認識の違いによりお前を殺す。お前は戦いが始まってからずっと一対一で戦っているつもりだっただろうが、俺は違う。最初から二人でお前を殺すつもりだった。

 お前は俺の力を見極めたつもりだろうが、今から放つ俺の一撃には、俺とエビラーニャの二人分の魔力が込められている。容易く受け止められると思うなよ。


「はああああああああ!!」


 闇の尾を引く一筋の流れ星となり、俺はサージゲートめがけて全力で駆けた。ヤツは手のひらから魔力弾を放ちこちらを打ち落とそうとしてくるが、今の俺たちにとってその程度の攻撃は足止めにはならない。


 迫る光弾をエビラーニャで切り払いながら一直線にサージゲートへと向かう。俺が止まらないと見て、サージゲートは両腕を眼前でクロスさせて頭部を防御する。その動きで理解した。お前はゴーレムのような外見をしているが、人間と同じく頭部が急所なんだな?


「うおおおおおおおお!!」


 サージゲートの頭上から魔力の塊となったエビラーニャを渾身の一撃で振り下ろす。壁のような巨大な腕にエビラーニャがぶつかる。


「グヌヌウッ!」


 凄まじい轟音と共に、サージゲートの剛腕が左右に吹き飛ばされた。エビラーニャの咄嗟の判断により、斬撃ではなく衝撃を生み出す魔法が使用された結果だ。

 強大な鉱物の腕を一刀両断するのは難しいだろうが、横方向へと衝撃を与え、ガードを逸らすくらいなら簡単にできるという判断だったのだろう。そして事実、それは上手くいった。サージゲートはガードをこじ開けられ、急所を俺たちの目の前に晒している。


「ああああああああああ!」


 再度、上段からエビラーニャを振り下ろした。闇の塊となった魔剣はサージゲートの頭部へと吸い込まれていき、そしてその直後、辺りは闇と暴風に包まれた。

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