第50話 最終話とエピローグ

「たしか、五月の体育祭が終わった直後だよ。樹がなんか古臭い冊子を廃工場の机の抽斗に入れるのを見たんだ」


「ほんとかよ」

 翔太郎が叫んだ。

「嘘じゃねえよ。黙ってる代わりに、俺は人消しゴムをもらえるあの文具店を教えてもらったんだ」

 悠人はそう言ってから、ぶるっと体を震わせた。文具店での出来事を思い出したのだろう。


「じゃ、体育祭の前には、樹はもう、人消しゴムを手に入れてたわけね」

「だろうな」

 恵奈の問いかけに、悠人が応える。

「体育祭の前といえば、俺が転校してきた頃だな」

 翔太郎が誰にともなく言った。

「転校そうそう、嫌なことばっかりだったよ。体育祭の準備で保護者が集まっただろ? そんとき、うちの母親の時計が盗まれてさあ」


「盗まれた?」

 思わず颯真は樹の母親に視線を送ってしまった。

 樹の母親が怯えた目を返す。

「あれも、あれもあなただったんですか」

 秦野が呻いた。

「そうなんですね、あなただったんですね。あの盗難事件は、誰が犯人かわかっていない。だが、もし、樹が母親の犯行と知っていたとしたら、樹はあなたに知っていると知られたくなかったはずだ」


 だから、文集を隠した。

 父親が心神喪失に陥った理由を知っている担任と自分は交流があったと、母親に知られたくなかったのだ。


 なぜ、翔太郎が執拗に樹にターゲットにされていたのか。

 樹は恐れていたのかもしれない。翔太郎の母親が樹の母親の犯行と気づいて、翔太郎がいつか騒ぎ立てるのではないかと。


 樹は怯えていたはずだ。

 母親が盗みをやめないこと。

 それを誰かに知られること。


「もしかして」

 颯真は呆然となった。


「樹が人消しゴムを手に入れたかったのは――人消しゴムで消したかったのは」

 怯えた目をしたまま、樹の母親が呟いた。


「あの子は恐ろしい子よ。母親を消そうとするなんて」


 一瞬、空気が凍りついたかのように、誰もが息をのんだ。

「人を消せる消しゴムだと、あの子はわたしに何の変哲もない消しゴムを見せた。馬鹿馬鹿しいと思った。でも、あの子は消えてくれって言いながら、わたしの名前を書いて消そうとして」

「それで、どうしたんですか」

 颯真は息苦しさを感じた。母子の行動の結末が見える気がしたのだ。なぜなら、樹はいなくなったのだから。

「そんなもの信じてはいなかったのよ。でも、母親を消そうとするあの子に腹が立った。だから奪ってやったの。そして樹の真似をしてあの子の名前を書いて――」


「消したんですね」

 颯真が言うと同時に、母親の嗚咽が響き渡った。

「消えちゃったのよぉ、目の前で、ここでぇ」



         エピローグ



 よみがえりの鉛筆を使って、樹の母親は息子の名前を書き、樹がこの世界に戻って来た。

 母親が名前を書き終えた瞬間、居間のテーブルの前に、ふいに樹が現れたのだ。濃い霧が晴れたかのように、樹はそこにいた。


 樹は戸惑った、夢でも見ているような表情だった。人消しゴムが人を消すと聞いて、手に入れた樹だったが、ほんとうに人が消えるのか確信はなかったのだろう。ところが、母親が使ったことで、自分の体が消え始めた。驚いたまま、樹は消えていったのだ。


 樹が戻って来たことによって、奇々怪々と人々に噂されたこの町の失踪事件は解決した。



 二ヶ月が経った今、颯真は以前と変わらない日常を過ごしている。ただ、すべてが同じというわけじゃない。

 母親は智也さんとの仲を深めているし、亜由さんと婚約者のイツキさんは、結婚式の日取りを決めた。

 樹は、もう、誰かをターゲットにすることはなくなった。相変わらず悠人や健とつるんでいるが、悪意のない仲間になったようだ。


 大雅は、樹たちと離れた。といって、颯真と元通りの関係になったわけじゃない。 

 大雅は頑固で照れ屋だ。もう少し時間がかかるだろう。


 翔太郎は、恵奈へ思いを告白し、そしてフラれた。恵奈は樹と付き合い始めたわけではないが、翔太郎には、

「そんな気になれない」

と言ったそうだ。ただ、三人の間に生まれた絆はそのままだ。

 よみがえりの鉛筆が、颯真と翔太郎、そして恵奈をつないでいる。

 

 今後、どこかで誰かが人消しゴムを使ったとき、よみがえりの鉛筆を渡すと三人で決めている。


 消してしまってはいけないのだ。

 だが、消してしまいたい気持ちが起きるときもある。そして消してしまうこともある。

 そのとき、よみがえりの鉛筆を渡したい。颯真はそう思っている。

                                了


 


 

 





 

   

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人消しゴム popurinn @popurinn

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