缶詰・絶望入り

真花

缶詰・絶望入り

 夕食の途中だったがココは箸を置き、テレビの前に正座した。ココが心酔している歌手のインタビューだから当然の行動だし、僕もココがそこまで好きなら一緒に聞いてみようと思って、ココの隣に座った。その歌手は黒い花嫁衣装のようなドレスを着て、煌びやかなティアラを頭に差していた。スーツ姿のインテビュアー。落ち着いた雰囲気のセット。歌手だけがコラージュのように浮き上がっていた。インタビュアーが画面を見てから歌手に向き直る。

『今日はノブコさんに来て頂きました。よろしくお願いします』

『よろしくお願いします』

 ココも頭を下げる。僕はそのまま観ている。

『さっそくなのですが、ノブコさんはライヴのときに缶詰を置いていると言う噂は本当なのでしょうか?』

『本当です』

『それは、何の缶詰なんですか? サバとか、カニとか、色々ありますけど』

『絶望入りの缶詰です』

 インタビュアーは短く絶句する。ココが目を瞬かせる。

『絶望? ですか?』

 ノブコは真顔のまま頷く。

『開けると絶望が出てくるんです。きっと死にたくなるでしょう。でも、私はそれを決して開けない。逆に私に生じる絶望を缶の中に封じているんです。そうやって歌うんです』

 ココは魂を抜かれたような顔をしてインタビューの続きを観ていた。僕には演出が過ぎるように思えて、食卓に戻ってとんかつを食べた。インタビューはそんなに長くはなかったようで、マリオネットのようにココが戻って来た。呆けたままとんかつを食べて、食べ終えるまで僕達は何も話さなかった。ごちそうさまの直前にココが急に意を決した顔になって、箸を強く茶碗に置いた。

「私、絶望入りの缶、買う」

 僕は、え、としか反応出来ず、自分のお箸を丁寧に置いた。ココは僕の次の言葉を待って、待って僕は何かを絞り出さなければならなくて、息を吸う。

「必要あるの?」

「どうしてそんなこと言うの? あるに決まってるでしょ」

 ココの目がアルミホイルを貼り付けた独楽みたいにテラテラくるくると僕も睨む。

「絶望が必要なの?」

「違うって。絶望を封じ込めるんだよ。インタビュー聞いてなかったの?」

「じゃあ、封じ込めないといけないような絶望があるってこと?」

 ココの舌がカメレオンみたいに伸びて僕の喉を刺した気がした。

「あるよ。何かは言いたくないけど」

「僕じゃ、その絶望を受け止められないのかな」

「そうだね。無理」

 僕は顔を思いっ切り叩かれたみたいな衝撃を受けて、僕達が育んで来たものは何だったのだろう、それとも僕達の終わりが近いのだろうか、僕の全部が熱を持ち始めた。だが、別れの可能性を言葉にしてしまったら、それが本当は通過されるだけの危機のはずが、本物の危機になってしまうのではないか。僕にとってココは代わりの効かない人だ。失うリスクのあることはしたくない。

「残念だ」

「うん。残念だけど、それでもレイトのことは大好きだよ」

 ココの目はまだぐるぐるしているから、言葉の信頼度はあまりない。ないのに、溺れていたところに浮き輪を投げられたみたいにほっとしてしまっている。僕がココの働き蟻のような気持ちになるのはこう言うときだ。ココには中毒性がある。きっと、ココにとってノブコがそうなのだろう。ココは食卓を片付けるよりも早く、タブレットで絶望入りの缶詰を注文した。ノブコが買ったところと同じ店らしく、値段が高騰していたが一切構わずに購入ボタンを押した。その直後のココのため息はバラの色をしていた。まるで、これでココを苦しめる全てのことから解放されるかのようだった。


 二日後、缶詰が届いた。

「ノブコと同じなんだよ」

 十回以上聞いたセリフを再びココは僕にぶつけて、梱包を解いた。出て来たのは結構大きくて、僕の手くらいの広さと、親指を立てたくらいの高さのある缶だった。ココがまじまじと生まれた我が子を検分するかのように缶を見た後に、僕に手渡された。プルトップで、いつでも缶切りなしで開けられるようになっている。缶の側面は青と黒の二色がマーブル紋様になっていて、そこに白抜きの四角いスペースがあり、その上に「絶望」と書いてある。おどろおどろしいフォントではなく、書き初めの如く美しい書体だ。

「これでいつでも絶望に沈める」

 ココは目を輝かせる。

「その目的じゃなかったでしょ」

「はーい。ま、観賞用ってことだね」

 絶望なんて入っている訳ないから、ココが信じなくなった時点でこの缶詰は詐欺だ。だが、ココが信じていれば詐欺ではない。つまり僕にとっては値段の高いゴミである。ココは缶詰を戸棚の一番いいところに置いて、にんまりとしている。信じているのならそれなりの価値はあるだろう、放っておこう。

 そのうち忘れると思いきや、ココは折に触れて缶詰のことを言った。曰く、ベストセラーになったとか、缶詰を開けた人が死んだとか、死ななかった人もいたとか、中に入っているもののことは誰も言わないとか、いつかは開けたいとか。そんな言葉を聞きながら、日々は日々として時間の分だけ進んでいった。


 仕事をクビになった。能力が足りてないと言われた。明日から来なくていいそうだ。

 いきなり無職。家賃どうしよう。ココに頼むしかないか……。

 部屋に帰ると、ダイニングテーブルの上の電気だけがついていた。テーブルの上には紙が一枚置いてあって、遠目に見ても手紙だと分かった。僕は駆け寄って、餓鬼が貪るように手紙を手に取る。

『レイトへ。

 突然のサヨナラでごめん。本当はこんな形じゃなくて、ちゃんと話すべきだって言うことは分かってる。でも、待てなかった。言いたいことはいっぱいあるけど、私のわがままでいなくなるのだから、何も言わない。レイトと暮らすようになってリストカットが減ったのはありがとうだったよ。

 絶望入りの缶は私にはもう必要がないみたいだから、レイトにあげる。必要なときに開けてね。

 最後に、今日までありがとう。

                                ココ』

「マジか」

 だが、違和感がある。部屋の物がそのままになっている。もし出て行くなら貴重品以外だって持って行くはずだ。ココはいつだって僕を振り回す。だから、この手紙も狂言なんじゃないか。……思ってみて、自分が言い訳を探しているだけだと言うことを突き付けられる。宝物である缶詰を置いて行くのだ。身一つで出るに決まっている。ため息も出ない。

 目の端に、灯りを捉えた。バスルームの電気が付けっぱなしになっている。

 僕は、嫌な予感がしてバスルームの中を確認する。

 ココがいた。

 真っ赤な手首をだらりと垂らして、床に座って壁にもたれていた。

 脈はなかった。

「待てないって、こう言うことかよ」

 それでも救急車を呼んで、病院に行ったりして、結局ココは死んで、僕はやっと部屋に戻った。

 僕の前にはココの宝物、絶望入りの缶詰がある。ココは缶を開けることなく死んだ。だからもしかしたら絶望して死んだのではないのかも知れない。死ぬつもりもなくて、助かる目論見でやったことで、うっかり死んだだけなのかも知れない。だが、本当のことはもう分からない。永遠に分からない。缶にはココの絶望も封じられていることになっている。ノブコはそうやって自分を強く保って歌うと言っていた。ココは死ぬ方に行ってしまった。僕のせいだ。僕の愛が足りなかったからだ。僕は後を追うべきじゃないのか。仕事だってなくなったし。僕は責任を持って、絶望の缶を開けて、そしてきっと、死ぬ。それが正しい姿なんじゃないのか。

 僕は缶を手に取る。プルトップに指をかける。呼吸が荒くなるのは、来たる未来を予測しているからだ。開けてしまえば後は流れるように進むだろう。

 だが、力を入れることが出来ない。

 僕は絶望なんてしていない。状況は最悪だが、これで終わりとは思えない。缶が元々インチキだったとしても今日だけはココがかけた魔法で、開けたら僕を絶望へと導くろう。だから、開けてはいけない。指を離す。缶を元の棚に置く。大きな息が漏れる。

 僕にとって絶望入りの缶詰は、ココの命の証だ。ココの想いが幾重にも重なって、絶望が何重にも吹き込まれている。だから、それを開けることはココを完全に失うことを示している。確かに、それは絶望かも知れない。

 缶詰は静かに棚の上。僕はサヨナラが言えない。


(了)

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