【番外編】極彩遊戯 〜空、彩街へ〜 ②

 翌日、着替えや洗顔、朝ごはんを済ませてそらが染め物の様子を見学していた時、元気な声が聞こえてきた。


 「おお、来たようじゃな」


 とびの声に空も顔を上げる。

 窓からは常磐ときわ七両しちりょう、それからオオカミの緋楽ひがくの姿も見える。

 空が引き戸を開けると、常磐が元気に手を振りながら、


 「おーい、空ー!」

 「常磐ちゃん、おはよう」


 空が駆け寄ると、ニコッと歯を見せて笑う。


 「おはよう。昨日はちゃんと眠れたかい?」

 「ええ、大丈夫よ。ありがとう」


 そう笑顔で返すと、今度は彼女の隣にいる七両に顔を向ける。


 「七両ちゃんもおはよう。昨日はありがとね」

 「……ああ。おはよう」


 なんだか七両が不機嫌そうに見えるが気のせいだろうか。

 空が不思議に思っていると、背後から緋楽が顔を出した。

 こちらに近付いて来ると腰を下ろす。穏やかな顔つきで空を見上げている。

 空はそんな緋楽と目線を合わせるため、その場にしゃがんだ。


 「おはよう、緋楽」


 声をかけると、返事をする代わりに尻尾を大きく揺らす。


 「ん? どうした七両?」

 「何でもねぇ」

 「何だよ、気にしてんのか? だいたいそんな長ったらしい髪してるからだろ、?」


 常磐が意地の悪い笑みを浮かべてそう言うと、七両は彼女を睨むように見た。


 「うるせぇぞ、常磐」

 「え? どういうこと?」


 二人のやり取りを聞いていた空が二人に顔を向ける。


 「七両は女の子じゃないよ?」

 「えっ? 嘘!?」


 思わず大きな声が出て、慌てて口に手を当てた。

 女の子にしてはずいぶんと口調が荒っぽいなと思っていたが、常磐も男の子に近い話し方をしていたのでそういう話し方をする子なのだろうと思っていた。

 女の子のような容姿に加えて、白花がで呼んでいたことも大きい。


 「何じゃ、どうした?」


 その時、鳶が近付いて来た。一体何が起きたのか分からず、不思議そうな顔をしている。


 「あの、私……」


 空は顔を伏せたまま経緯を話し始めた。

 

 ※※※

 

 「なんじゃ、そういうことか」


 鳶は笑ってそう言った。

 空たちは外から建物の中に戻り、座布団に座って長卓を囲んでいる。

 常磐はニヤニヤと笑みを浮かべているが、七両は仏頂面のまま。

 空は申し訳なさそうに七両に視線を送る。


 「まあ、ごめんなさいね。私がちゃん付けで呼んだから」


 白花がそう言うと、七両は「いや、別に」と呟くだけで他には何も言わない。


 「大丈夫だよ。おれも最初どっちか分かんなかったし」


 あっけらかんと口にした後、続けて、


 「なあ七両、今はこれから夏が来るし思い切って髪切りなよ? これじゃ洗う時大変だろ?」

 「春?」


 空が呟くと常磐は頷いて、


 「うん、そうだよ」


 その時、空は初めて自分が来た世界とこの彩街の季節が違うことを知った。

 長袖のシャツを着ているとはいえ、周りの人たちに比べたら自分の格好は薄着だ。もしかしたら不思議に思われたかもしれない。

 そんなことを考えていると、七両が立ち上がった。


 「七両くん?」


 空が声をかけると、こちらに顔を向けずに言った。


 「外出るぞ。帰り方探すんだろ?」

 「ええ……」

 「あっ、そうだった!」


  常磐が思い出したように口にする。

 七両はこいつ、またかよという視線を常磐に向けた。

 その後は、鳶と白花に見送られて外に出た。

 空は七両、常磐、それから緋楽と一緒に最初に出会った場所に向かった。

 

 ※※※


 「この辺りだったよな?」


 常磐が空を見上げて確認する。

 空が頷くと、今度は七両が質問した。


 「あんた、ここをまっすぐ歩いて来たのか?」

 「ええ」

 「この先を歩いて行けば何か分かるかな?」


 常磐たちは更に歩みを進めたが、どんなに歩いても土色の道が続いているだけだった。

 やがて見えてきたのは大きくて立派な門。閉じられているため中を窺うことは出来ない。


 「行き止まりね」

 「空、まさかここから来たわけじゃないよな?」


 常磐が門を指さしながら尋ねると、空は首を横に振って否定した。


 「ええ。さすがに門はなかったし……」

 「うーん、どうなってんだろうなぁ?」

 「七両くん、どうしたの?」


 空は黙ったまま顔をあげている七両に声をかける。

 顎に手を当てていた常葉も彼を見た。


 「曇ってきた。雨が降るかもしれねぇ」


 空と常磐も同じように顔を上げる。

 七両の言う通り、さきほどまでの青空は黒く厚い雲に覆われている。今にも雨が振り出しそうだ。


 「一度、鳶さんたちの所に戻りましょう?」

 「空、いいのか?」

 「うん。また後で帰り方を探してみるから」


 その時、ポツポツと雨が降り始めた。

 急いで来た道を戻ろうと早足で歩き出したが、あっという間に雨足の強さは増していった。

 空たちは一旦近くにある神社に向かった。


 ※※※


 「二人とも大丈夫?」


 神社の境内に着き、空が訊くと常磐と七両はそれぞれ、


 「大丈夫だよ」

 「ああ」

 「あーあ、傘持ってくれば良かったな」

 「さっきまで晴れてたんだ。いつ降るかなんて分からねぇよ」


 七両が雨空を睨みつけながら言った。


 「せめて小降りになってくれたらなぁ」

 「そうね……」


 常磐の独り言に空が答える。

 それから少しの間、雨が弱まるのを待ってみたが一向に止む気配はない。

 その時、常磐が言った。


 「そうだ! 空、を見せてあげるよ」

 「面白いもの?」


 空が首を傾げると、彼女は大きく頷いた。

 続けて七両に顔を向けると、


 「七両、なんかいらない紙ない?」

 「あるぞ」


 そう返すと、懐から台帳らしき紙の束を取り出した、

 適当にめくっていき、描きかけとおぼしきそれを破ると常磐に渡す。


 「ありがとな」


 常磐が礼を言うと、受け取った紙を軽く丸めてみせる。


 「空、見ててくれよ?」


 そう口にした瞬間、彼女が軽く握っていた紙が緑色に染め上がった。


 「えっ?」


 空は驚愕して、目の前にある緑色に染まった塊を凝視する。


 「これ、どうなってるの?」

 「。この街の住人は今みたいに能力を持ってるんだ」

 「色を操る?」

 「うん。おれは目の前にあるものを石みたいに固める能力を持ってる。空、ちょっと持ってみて?」


 空は言われた通り緑色の塊と化した紙を手の平に載せた。

 すると、感じたのはずしりとした重量感。本来軽いはずの紙の重さとはとても思えない。


 「重い……。本当に石みたいね」


 空が驚いて見下ろしていると、常磐は笑ってから七両に顔を向けて、


 「今度は七両の番だぞ?」

 「俺もやんのかよ?」

 「七両くんはどんな能力があるの?」


 空がくと、常磐が言った。


 「それは見てからのお楽しみだよ」


 七両はため息を吐いてから懐にしまった台帳を再び出してめくり始めた。

 白紙で手を止めた時、前から鳥の鳴き声が聞こえた。

 見ると、ちょうど雀が植え込みの葉の下で雨宿りをしているのが目に入った。

 七両は右手の指先を紅色に染めると、器用に雀を模写し始める。

 数分後に完成したのは一羽の真紅の雀。

 彼が描いたそれは本物そっくりで、目やくちばし、お腹の模様といった細かいところも忠実に描かれている。


 「すごい! そっくりだわ」


 空が驚嘆していると、常磐が楽しそうに言った。


 「面白いのはここからだよ」


 それが合図のように七両が口を開く。


 「おい、出てこい」


 するといきなり紙の中から雀が抜け出してきた。

 真紅の羽を羽ばたかせながら、一通り七両の周りを飛び回ると今度は空の元へ飛んで来た。

 同じように飛び回ると、彼女が差し出した両の手の平に大人しく止まる。


 「これが俺のの能力だ」


 七両がそう口にすると、続けて常磐が、


 「七両が描いた生き物はこうやって本物になるんだよ」


 そこで空はあることを思い出した。

 彼は緋楽ひがくのことを、自分が描いたと話していた。


 「もしかして、緋楽も……」

 「ああ、やり方は今と同じだ」


 これで合点がいった。最初は七両の話している意味が分からなかったけれど。


 (そういうことだったのね……)


 じゃあ、とび白花しらばなはどんな能力を使うんだろう。

 空がこうとした時、 


 「おっ、小雨になってきたぞ!」


 常磐の声に二人も顔を上げる。

 見れば向こう側に青空が戻っている。

 そのままもう少し待っていると、やがて雨が止んだ。

 空が試しに手の平をかざしてみる。


 「もう大丈夫そうね」

 「じゃあそろそろじいちゃんたちの所に帰ろう」


 七両は頷くと、空の肩に止まっていた雀を呼び戻して台帳に収めた。台帳を懐にしまってから空たちと神社の敷地を出た。

 鳶たちの作業場兼自宅に向かっていると、


 「あっ!」

 「うわっ!」


 空と正面から歩いて来た男がぶつかった。

 空はその場に尻餅を着き、男は持っていた湯呑みのお茶を盛大にこぼした。


 「空、大丈夫か?」


 常磐が慌てて空に駆け寄る。

 七両と緋楽も同じように彼女の側へ駆け寄った。


 「おい、何すんだよ!」

 「す、すみません」

 「こぼれたじゃねぇか」


 すると、もう一人の男が近付いて来た。


 「おいおい、どうすんだよこれ……」


 そう言いながら空を見ると、次の瞬間その男の顔つきが変わった。


 「おい。この女、もしかしてか?」

 「よりによって、ニンゲンかよ」


 男は舌打ちをして立ち上がる。


 「え? あの…」


 一体、何を言われているのか分からない。

 恐怖で頭が真っ白になる。

 言葉も上手く出てこない中、常磐が空を守るように前に出た。


 「おい、大体あんたたちがちゃんと前を見てないのが悪いんだろ!」

 「何だと!」

 「それに、ニンゲンだからって何なんだよ? いい大人がくだらないこと言うなよな?」

 「このガキ、言わせておけば!」


  男が常磐の胸ぐらを掴んだ。


 「常磐ちゃん!」


 叫んだのと同時にもう一人の男は空に近付こうとする。


 「緋楽!」


 七両が鋭く名前を呼ぶと、素早く空の前にいる男に襲いかかった。

 男が能力で応戦しようとした時、


 「何しとるんじゃ!」


 聞き覚えのある声に空たちが振り返る。

 駆け足でやって来たのは鳶だ。

 彼の背後には白花の姿も見える。

 鳶は自分の色を出すとそれを棒のように伸ばした。その伸びた茶色の棒を両手で掴むと男たちを次々と薙ぎ倒していく。

 空が呆気に取られていると、白花がしゃがんで彼女の背中に腕を回した。


 「これ以上、この子たちに何かしたら許さんぞ!」


 男たちに棒を突き付けながらそう言うと、今度は空たちを振り返った。


 「お前たち、大丈夫か?」

 「じいちゃん! おれたちなら大丈夫だよ」

 「ああ、怪我もねぇ」


 常磐と七両がそれぞれ答えると、空に顔を向ける。


 「鳶さん、ありがとうございます……」


 側にいる白花にも礼を言うと、彼女は微笑して頷いた。

 少しして袴姿の男たちが数名駆けつけて来た。

 空たちにいちゃもんを付けた男たちに事情を聞いているのが見える。

 次に空たちも事情を聞かれた。その時のことを詳しく伝えたのち、やがて解放され鳶と白花の作業場兼自宅に戻ったのだった。


 ※※※


 「雨が降って来たから心配していたのよ」


 白花がそう言うと続けて鳶も、


 「すぐに戻って来ると思っていたんじゃが、なかなか帰ってからこんから様子を見に行ったんじゃ。そうしたら、タチの悪い男たちに絡まれておったから」

 「本当にすみません。ご心配をおかけして」

 「いや、怪我もなくてよかった。気にせんで大丈夫じゃぞ?」

 「そうよ、気にしないで。それよりも、帰り方は見つかった?」

 「いえ、実は見つからなかったんです。常磐ちゃんたちと出会った場所の近くを歩いてみたんですが」


 空が俯き加減にそう言うと、


 「もうさ、いっそのこと彩街ここに住んだらいいんじゃないか? だってあんなに探しても見つからなかったんだしさ」


 常磐がそう言うと、七両も続けて、


 「本当に元の世界に帰りたいのか? あんたを見てると、そんな風には見えないぜ? ずっとここにいたいって顔してる」


 空は二人の言葉に目を丸くした。

 すぐに声が出てこない。

 顔を上げて、常磐と七両を見る。


 「さっきの男の人たちニンゲンがどうこうって言ってて……。あれは一体」


 さきほど感じた疑問を口にする。


 「時々、ああいう連中がいるらしいんじゃ。ニンゲンに偏見を持つヤツらがな。じゃが気にすることはないぞ?」


 鳶のその言葉に空は微笑して、


 「私、やっぱりもう一度帰り方を」


 そう言いかけた時、七両が口を開いた。


 「我慢を続けたらいつか壊れるぞ?」


 空は驚いて彼を見る。


 「あんたの住んでた世界が居心地のいい場所ならそれでいい。けど、違うんだろ?」


 七両はまっすぐ空を見据える。真紅の瞳は空を離さない。


 「せっかくだ、全部ぶちまけちまえよ?」

 「……」

 「俺たちが全部聞いてやる」

 「……私は」


 空は口を開いた。自分の声が震えているのが分かる。

 みなの視線が彼女に集中する。


 「毎日苦しかった。施設は次々に子どもたちが来て、年々構ってもらえなくなって。

 学校に行っても上手く馴染めなくて。

 どうして親がいないのって、クラスが変わる度に聞かれて。

 暗い性格だから捨てられたんだって言われて……。

 勇気を出して相談した先生にはしつこくされるし、あの子たちには悪口を書いた紙を入れられたり、体育着や外履きを汚されて」


 一度出た不満を抑えることは出来なかった。

 空は構わず話し続けた。

 鬱々とした記憶が脳裏を焼き尽くす。

 次から次へと不満が口を突いて出てくる。まるで洪水のようだ。止めることが出来ない。

 やがて空はピタリと話すのを止めた。

 顔を伏せたまま、動かない。


 「そ、空……?」


 動揺している常磐を一瞥してから、七両は再び空に顔を向けた。


 「あんた、本当は彩街ここにいたいんだろ?」


 そう言われた瞬間、空は膝から崩れ落ちた。


 「空、大丈夫か?」


 常磐が駆け寄って彼女の顔を覗き込む。

 その時、空の腕が常磐と七両に伸びた。そのまま勢いよく二人を抱きしめる。


 「本当は……! 本当は、ずっとこの街にいたい。ずっと、ずっと。もう、あんな所に戻りたくないっ!」


 空は泣きながら更に二人を抱きしめた。


 「空……」


 常磐も同じく彼女を抱きしめる。もらい泣きをしそうになって常磐の目は潤んでいる。

 七両はただ黙ったまま動かず、鳶もそのまま三人を見守っていた。

 白花も常磐と同じようにもらい泣きをしてハンカチで目頭を押さえている。

 空はしばらくの間、泣いていた。

 こんなに泣いたのはいつぶりだろうか。

 泣いた後は、不思議と気持ちがすっきりしていた。


※※※


 それから数週間が経った。空は正式に鳶と白花の養子になり、作業場の仕事を手伝うようになった。

 前から気になっていた白花の能力を聞いてみると、出した色を見た者を眠らせる能力があるとのことだった。色は白い花びらのような形に変形して、それを見た相手は眠ってしまうらしい。

 常磐と七両はほとんど毎日のように空の元に顔を出し、時には二人の友人たちも遊びに来ることもあった。空はその友人たちとも親しくなった。

 ある日のこと、いつものように常磐と七両が彼女に会いに作業場に向かっていた時、突然常磐が、


 「そういえばさ七両。空に抱きしめられた時、顔赤かったよな?」

 「赤くなってねぇよ。何言ってんだ」

 「おれ、ちゃんと見たんだからな? なあ、緋楽ひがく?」


 常磐は彼の後ろを付いて来ている緋楽に尋ねる。

 答える代わりに大きく尻尾を揺らしている。


 「おい緋楽、否定しろ」


 どうやら図星のようだ。

 バツの悪そうな顔をする七両に、常磐が声をたてて笑う。


 「あっ、空だ!」


 常磐は駆け足で彼女の元に向かう。

 そこで空の髪型が違うことに気付いた。肩にかかるくらいにまで伸びていた髪は耳の下あたりまでしか長さがない。


 「あれ? 空、髪切ったのかい?」

 「ええ。どうかしら?」

 「短いのも似合うよ!」


 常磐が笑顔で返した時、七両もこちらにやって来た。


 「空の髪、似合ってるよな?」

 「ああ」

 「なんだよ、七両。もっと何か言うことあるだろ?」


 何と答えていいか分からない七両を無視して、常磐が続ける。


 「やっばり、あんたも髪切った方がいいよ?」

 「うるせぇ」

 「二人とも、中に入りましょう?」

 「うん」

 「ああ」


 そこで思い出したように足を止めて、彼を見た。


 「ねぇ、七両くん。もし嫌じゃなければあなたの髪をかしてもいいかしら?」

 「……え?」


 間の抜けた声を出す七両に空が続ける。


 「少し絡まっているところがあるから」

 「いいじゃん、せっかくだし梳かしてもらえよ? 空、次俺もお願い」

 「ええ、もちろん」


 そんな会話をしていると、鳶に呼ばれた。空たちは返事をすると、自宅に向かって歩いて行った。

                                  (了)


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【番外編】極彩遊戯 〜空、彩街へ〜 野沢 響 @0rea

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