第3話 : 氷の復讐 ~ 前編 ~
- 2027年8月10日 AM 11:30 茨城県 某所 総合病院 MRI室 -
結翔は、病院の白く無機質な部屋に横たわっていた。周囲の静寂を破るかのように、MRIの機械音が響いている。技士と看護師は、ガラス張りの別室にいて、モニターを見つめながら準備を進めている。
結翔は、硬いベッドに身を預け、ゆっくりと深呼吸をした。別室からマイクで看護師が優しく声をかける。
「大丈夫ですか?」
結翔は静かにうなずいた。彼の心臓は不安で少し速くなっているが、表情にはそれを見せないように努めている。技士がスピーカー越しに告げる。
「これから少しの間、動かないでくださいね。」
結翔はさらに深く息を吸い込み、目を閉じた。彼の体は、静かにスライドしながらトンネルのようなMRI装置の中に入っていった。狭い空間が彼を包み込み、耳元で機械が始動する低い音が響き始めた。
『ガガガガガガ』
激しい騒音が頭の中に響き渡る。結翔はその音に耐えながら、先日の事件のことを考え始めた。
あの時の異様な現場の光景。局長から渡された資料から、犯人の次の行動を予測しようとしていた。
次はどこを狙うのか。資料には現場近くにあった溶接工場のドアが破られ、盗難事件が発生した。ドアノブの破損から急激に冷やして強度が落ちたところを岩使って破壊されたとあった。
結翔はこの盗難事件の犯人は例の放火犯であると確信していた。
盗まれたものは以下のものだ。
・ 作業着
・ 酸化鉄
・ アルミニウム粉末
・ 酸化マグネシウム
・ 金属廃材
・ 作業車
盗まれたものから目的の察しはついた結翔であるが、次の犯行が何なのかをそれを考えていた、放火犯の目的はオルスト製薬への復讐である。
ターゲットは誰で、いつそれを実行するのか?それを見抜かないと、次の犠牲者が出てしまう。結翔の頭の中で、次々と推測が巡り、その一つ一つが騒音にかき消されることなく、明確な形を取っていった。
結翔は思考を巡らせながら、騒音の中で冷静さを保っていた。自分が見逃しているヒントはないか、もう一度すべての情報を頭の中で整理し直すが、場所と時間だけがわからない。
やがて、機械の音が止んだ。結翔の体が再びスライドして外の世界に戻ってきた。技士がスピーカー越しに告げた。
「お疲れ様でした。」
看護師がガラス越しに微笑みかけると、結翔は少しほっとした表情で返事をした。彼はベッドからゆっくりと起き上がり、事件の解決に向けて新たな決意を胸に抱きながら、検査室を後にした。
結翔は、病院の検査用着衣から私服に着替え、廊下を歩きながらスマートフォンでネットの情報を確認していた。昨日のネット上の騒ぎを思い出し、目の前の病院の光景と対比させるように頭の中で整理していた。
前日、ネット上では信じられないような映像と画像が次々と投稿されていた。モニターに映し出されたのは、狼のような獣人が暴れまわる映像、カニのような甲殻類の上半身を持つ人間がスクランブル交差点で無差別に人々を襲うショート動画、都庁上空を飛び回る大きな翼を持つ人間のSNSへの投稿画面。どれもこれも現実では考えられないものばかりで、ネット上で大騒ぎになっていた。
病院内を歩きながら、結翔は周囲の人々の反応を観察した。まだ報道規制が敷かれているのか、テレビなどのマスメディアでは一切報道されていない。ネットから縁遠いような高齢者たちは普段通りの様子を見せているが、ネットの情報に敏感な20代から40代の人々は、不安な面持ちでスマートフォンを見つめていた。
結翔は、待合室に設置されたテレビに目をやった。画面には、東京湾海上に建造されたAIセンターの稼働についてのニュースが流れていた。
『この、東京湾の海上に建てられたこのAIセンターは様々な企業の出資を受け建造されており・・・』
企業スポンサーロゴがセンター内の壁に描かれていて、その中に見覚えのあるロゴが目に入った。オルスト製薬のロゴだった。
明日にはAIセンターの稼働を祝うセレモニーが行われることが報じられていた。結翔は何かを直感した。
彼はすぐにスマートフォンで、佐藤局長に連絡を取った。
「局長、ニュース見ましたか?オルスト製薬が出資しているAIセンターでセレモニーが行われます。次の狙いはそこかもしれません。」
佐藤も同じ報道をテレビで見ていたようで、同じ考えに至っていた。
「大野くん、このセレモニーは急遽決まったことだ。君の直感はおそらく正しい。至急、本部に戻ってくれ。」
結翔はすぐに駆け足で病院を出て、ロボタクシーを呼び止めた。次の犯行を阻止するために、彼は本部へと急行した。
- 2027年8月10日 AM 11:45 ディプト本部 ブリーフィングルーム -
駆け足でブリーフィングルームに入った結翔を迎えたのは、救助チーム、局長、そして研究部門の森本だった。結翔が席につくと、佐藤局長が声を掛けた。
「電話の件はここにいる全員が知っている。AIセンターのある東京湾海上は海上保安庁の管轄で、連絡し、もしもの事態に備えて支援要請が来ている。事件詳細についての資料提供も警察から共有を受けている。これからその説明を行う。」
結翔は本部に向かうわずかな時間でここまで対応が進んでいたことに驚きながらも、すぐに状況を理解した。
「了解しました。説明をお願いします。」
ブリーフィングルーム内のモニターが切り替わり、放火犯の映像が映し出された。森本が説明を始める。
「まずは放火犯の身元からご説明します。本名、高橋健二。オルスト製薬の元研究員であることが判明しました。」
モニターの映像が切り替わり、医療器具の画像が表示される。
「高橋はこの投薬パッチの開発に従事していました。注射に代わる新しい投薬方法として去年認可を受けましたが、特許権を巡って会社と争い、敗訴しました。数年にわたる裁判の間に家族とも離婚しています。」
森本の説明が続く。
「裁判での控訴も棄却され、去年オルスト製薬を退職しています。これが犯行動機であるというのが警察の見解です。」
次に、明日に稼働予定の海上AIセンターに関する説明が始まる。表示が切り替わり、マップとAIセンター全体の3D立体データが映し出された。
「この施設は人工島で、地上部分にはオフィススペースがあり、中央ビルは20階建てです。海中部分にはコンピュータ施設があります。」
「本土からこの施設に入るには船かヘリでしか移動ができません。施設に壊滅的な破壊があれば、すぐさまパニックが起こることが予想されます。」
結翔は情報を整理しながら、自分の考えをまとめた。
「セレモニーが狙われる可能性が高いですね。高橋はオルスト製薬に対する復讐心を持っている。セレモニーの場でAIセンターを攻撃することで、会社に打撃を与えるつもりでしょう。」
佐藤局長が頷きながら、話を引き継いだ。
「その通りだ。私たちはすでに海上保安庁と連携してセレモニーの警備を強化する計画を立てている。さらに、我々も現場に出向き、万が一の事態に備える。結翔、君に頼みがある。」
結翔は真剣な表情で応じた。
「どんな任務ですか?」
「AIセンター内で災害が起きた際の救助活動だが、高橋の能力には通常の救助装備は役に立たない。君に救助チームと救助者の生命を守る装備を技術部門と共に至急、開発して欲しい。」
結翔は深く頷いた。
「了解です。全力で対応します。」
こうして、結翔は急ピッチで新装備の開発を始めた。高橋の冷却能力に対抗するための特別な装備、耐寒性能を高めるための装備が必要だ。
明日のセレモニーまで時間は限られていた。結翔は一刻も早く装備の開発を進めることとなった。
- 2027年8月10日 PM 14:00 ディプト本部 技術部門 装備開発室 -
ディプト本部では、結翔と技術部門のメンバー達が新しい装備品の開発に取り掛かっていた。前回のミッションでの問題点を洗い出し、それに対する対策を講じていた。
「まずは音対策だ。前回の現場では自分はヘルメットを装着していたので問題はなかったですが、他の隊員が完全密閉のヘルメットは逆に作業に支障が出てしまいます。」
結翔は、音の問題に対処するための新しいイヤーマフを提案した。
「隊員のヘルメットに後付けできるイヤーマフを作ろう。ノイズキャンセリング機能を持たせて、人の声は聞こえるようにするんだ。」
技術部主任エンジニアの中村隆はその設計を見ながら、さらに改良を加えるためのアイデアを出した。
「このイヤーマフのノイズキャンセリングの回路に無線機の音声を流せるようにしよう。これでチームの連携がスムーズにできるはずだ。」
中村隆(なかむら たかし)は主任エンジニアで、大学で物理学と工学を専攻し、その後民間企業で研究開発に従事していた。DPTOに参加して以来、最新の技術開発とメンテナンスを担当している。好奇心旺盛で、常に新しい技術に挑戦する人物だ。
次に、冷却効果に対する対策に取り掛かった。高橋の冷却能力は非常に強力であり、それに対抗するためには特別な装備が必要だった。
「熱音響冷却を反転して冷気を熱に変えることもできるけど、相手が放つ冷気の温度が未知数なら逆に高温になってリスクだし時間がない、パワードスーツの内部装甲に使われているエアロゲルと新型の熱遮断シートで耐寒シールドを作ろう。」
結翔は、これが高橋の冷却効果から救助対象と隊員たちを守るために必要だと提案した。中村はその素材と設計を検討し、試作品を作り始めた。
システムエンジニアの高宮明美(たかみや あけみ)は、そのアイデアに基づいて音声のノイズキャンセリングのプログラムを作成するための作業に取り掛かった。
「私はボディーカメラからの音声データを使って、熱を音に変化する際に出る音の波形パターンを抽出して、ノイズキャンセリングのプログラムを作成するわ」
高宮はシステムエンジニアで、ITセキュリティとデータ管理の専門家だ。ディプトの情報システムの管理とセキュリティ対策を担当し、分析的で緻密な仕事をするチームプレーヤーだ。
試行錯誤を繰り返しながら、新しい装備が次々と形になっていく。中村は物理学と工学の知識を駆使し、高宮は緻密な分析で開発をサポートした。
セレモニーまで時間は限られていたが、結翔たちは全力で装備の開発と準備を進めた。
- 2027年8月10日 PM 21:00 東京湾海上 -
夜の闇が深まる東京湾の海上。漁船が静かに波間を漂いながら、AIセンターへと近づいていた。漁船には、高橋健二が乗っていた。
「もうすぐだ・・・・・・」
高橋は漁船の甲板に立ち、AIセンターの灯りを遠くに見つめながら呟いた。彼は漁船のキャビンに戻り、潜水の準備を始めた。ダイビングスーツを着込み、酸素タンクを背負うと、甲板から飛び降り着水した。
甲板の上で男が高橋が着水したことを確認すると、別の男2人がキャビンから黒い円筒形の装置を抱え、それを海に投げ込んだ。
『ドッ・・・・プン』
装置が投げ込まれたことに高橋は気づき、手に握っていたリモコンを操作した。投げ込まれた装置は無人潜水ドローンであった。ドローンは勢いよくスクリューを回転させて潜水した。
潜水後、ドローンは高橋の前で静止し、機首からハンドルが伸びた。高橋はハンドルを握り締め、ハンドルの根本にあるタッチディスプレイを操作した。ドローンは高橋を乗せて海中を進んだ。
海中を進むうちに、ドローンはセンターのセキュリティエリアの手前で静止し、協力者からの合図を待っていた。
高橋はドローンのディスプレイに送られてきたメッセージを確認し、センター内部の協力者がセキュリティシステムを一時的に無効化したことを知ると、水面に浮上し、AIセンターの設けられた配管点検用ハッチから内部に侵入した。
配管点検用ハッチは、厚い鋼鉄製のドアで、錆びついた取っ手が付いていた。ハッチを開けると、内部は暗く湿った空間が広がっていた。高橋はドローンごとハッチに入ると、狭い通路を進んでいった。
ドローンのライトが薄暗い配管通路を照らし、壁には複雑に絡み合った配管が走っていた。高橋は慎重に進みながら、ドローンから荷物を取り出した。その中には、高橋の計画に必要な機材や装備が詰まっていた。
「これで全てが揃った。」
高橋は心の中で固く誓った。彼の目には冷酷な光が宿っていた。かつての研究員としての誇りを取り戻すため、そして家族を失った怒りを晴らすために。
高橋は荷物を抱え、決意を胸に進んでいった。明日のセレモニーに向けて、彼の復讐計画は着々と進行していた。
マルチバース・ディフェンダーズ : トルク ~ 救済のエンジニアリング ~ 出雲 天太郎 @amataro1001
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