第2話 : 揺らぐ現実、響く音

- 神奈川県 製薬工場 -


結翔はワイヤー降下をした場所に戻っていた。ハイドラーは上空で滞空飛行をしながらワイヤーを伸ばした。伸びたワイヤーを結翔は掴み、合図を送るとワイヤーは引き上げられ機体に収容された。ハイドラーに乗り込んだ結翔はヘルメットとプロテクターを外しインナースーツになり乗員室に移動した。


乗員室に入ると戻ってきた結翔を全員が見つめていた。鈴木も手に持っていたタブレットを置いて結翔に声を掛けた。


「大野隊員、よく戻ってきた。身体はなんともないか?」


「はい、スーツの装甲に守られました。特に身体にも異常はなさそうです。」


結翔の言葉を聞き安心したのか、鈴木は軽く咳払いをした。


「そうか、だが今回の異様なことがあった後だ。念のために精密検査を受けておけ。」


「わかりました。」


「スーツのボディーカメラの映像を研究部門に提出してくれ。」


「了解です。」


救助チーム達はディプト本部へ帰投した。


- ディプト本部 ブリーフィングルーム -


救助チームは結翔から今回の現場で起きた一部始終を聞いていた。隊員達は神妙な顔で結翔を見つめていた。チームメンバーの1人が結翔に話しかけた。


「未だに信じられない。突然揺れて気づいたら周囲の炎は消えて、大やけどを負ったはずの放火犯が何事もなかったかのように起き上がるなんて・・・・・・」


彼の名前は田中一郎(たなか いちろう)。チーム内での彼の役職は救助隊員である。18歳から消防士として活動していたベテランだ。


結翔は田中の驚いたような顔を見ながら話し始めた。


「自分も今も信じられませんが、あれは紛れもない事実です。」


田中と結翔の間に入るように1人の女性が歩み寄り口を開いた。


「まぁ、現場にいた大野さんは無事だし、放火犯は逃げたけど生きてて死者は出てない。放火犯の逮捕は警察の仕事だし、今はこれでいいんじゃない?」


彼女の名前は斉藤奈緒(さいとう なお)。チームでの役職は救急医療担当で、救急救命士の資格を持っているチーム内の紅一点だ。


「私達が今ここで話しても結論は出ないし、研究部門からの報告を待つしかないわ。それより田中さん、ロジスティクス部門への報告書は提出した?」


「今回は消火剤も資材も使ってないから報告は不要だよ。ピッキングした装備はまったく使ってないから報告書は不要だよ。こんなこと初めてだよ・・・・・・」


チームメンバーの話を静観していた鈴木が口を開いた。


「斉藤の言う通りだ。今は研究部門の分析結果を待つだけだ。森本のことだが、帰投中に送信したデータの分析がそろそろ出るはずだ。」


通知音が室内に響いた。鈴木はデスクのモニターをタッチした。


「来たな。」


ブリーフィングルームのスクリーンモニターに森本の顔が映し出された。


「現場の状況分析が完了しました。」


「相変わらず分析が早くてこちらも助かるよ。で、どうだった?」


モニターには現場で収集されたデータが共有された。森本は説明を続けた。


「現場での不可解な現象の正体ですが、熱エネルギーを取り込み音波に変換して冷却効果を得る熱音響冷却と研究部門は結論付けました。」


聞き慣れない言葉に困惑した表情で斉藤が質問する。


「熱音響冷却?何ですかそれは?」


斉藤の質問に対して森本は答える。


「あまり聞き慣れない言葉だと思うので、簡単に説明すると、熱を吸収してそれを音に変えて冷やすということです。工場などで発生する配管の熱を利用して冷却に使えるとして研究が進められています。」


なるほどという顔を浮かべた斉藤の顔を見て森本はモニター映像を切り替えた。モニターの映像が切り替わり、ハイドラーのサーマルカメラ(熱映像)の映像が映し出された。映像には2つの赤い点と青い点が映し出されていた。


「赤い点は大野隊員のスーツのGPSロガーから立っていた位置を推定し、青い点は大野隊員の証言を基に現場にいた男の位置を示しています。」


赤く動いている渦が、青い点の周囲に集まり施設の外側から温度が下がることが映像に映し出された。斉藤は何かに気付いたようで森本に質問した。


「青い点に熱が集まってる?もしかして・・・・・・現場にいた男のせいってこと?」


この質問が来るだろうと予見していたのか、少し困ったような表情を浮かべて質問に答える。


「私も信じがたいですが、研究部門の分析結果としてはそうなります。辺りには排熱を利用したそのような設備がないことも確認できました。」


森本から述べられた話に信じられないのか斉藤は口を開く。


「つまりはさ・・・・・・冷蔵庫人間が現れたってこと?」


斉藤の言葉に、しばらく間をおいて森本も答える。


「はい・・・・・・簡単に言うとそうなります。」


結翔も森本に質問を投げかける。


「もしかして、あの現場で周囲が激しく揺れたのも、あの男のせいではないですか?」


森本は驚いた表情を浮かべて結翔の質問に答える。


「はい!その通りです!私も周辺の地震計の情報を確認したのですが、あの時間帯に地震は起きていませんでした!」


鋭い質問を受けて、森本は歓喜しているようだ。森本が次の説明しようと口を動かそうとするが、結翔が先走って話し出す。


「その熱音響冷却が行われた際に発生する音波、つまり高周波による周囲の物質の共振現象によるものですね!」


森本はお互いが理解していることに喜びを覚えたのか、興奮気味に話し出す。


「その通りです!現場が火災により、周囲の床材や柱が損壊して、偶然ですが男の出す高周波と固有振動数が一致したものと思われます。」


森本の説明を受けて、結翔はすっきりと霧が晴れたような顔になった。


「熱音響冷却とは、考えつかなかった・・・・・・」


「おそらく、男が投げつけたのは燃料の残ったポリタンクを掴んで投げたんだ。燃料が凍ったことで真っ直ぐ投げられたんだろうな・・・・・・」


結翔の言葉を聞いて、森本が話し始めた。


「投げつけられたのはポリタンクで間違いないでしょう。現場からは破損したポリタンクがありましたし、スーツの腕部にポリタンクの破片と燃料が付着していました。」


続けざまに結翔は森本に質問した。


「ちなみに放火犯が撒いた燃料の分析は済んでますか?」


結翔の質問に森本は答える。


「燃料はガソリンと灯油を混合したものであると確認しています。大野隊員ならもう気づかれているとは思いますが・・・・・・」


森本の言いたいことを理解したのか結翔は口を開く。


「ガソリンが凍る温度は、だいたい-100℃くらい・・・・・・放火犯の体温はそれ以上なのに活動できていた・・・・・・」


結翔と森本の独壇場と化そうしているブリーフィングルームだが、田中が割って入った。


「俺は研究者やエンジニアではないが、人間がそんな低温で動けるはずがないじゃないか・・・・・・」


田中の言葉に周囲は静まり返った。数秒の沈黙の後に鈴木が口を開く。


「なんにせよ、森本さん達の研究部門の報告結果だ。俺はその結果を信じる。放火犯はそのありえないことをやってのけたというのは事実だろう。」


鈴木は数秒間目をつむり、部屋の周囲のメンバー達を見つめながら話を続けた。


「逃げた放火犯についてだが、大野の証言にもあったように、また放火を行う可能性は十分ありえる。」


救助チームをまとめる鈴木の言葉に室内のメンバー達は緊張感を感じさせる表情を浮かべた。鈴木は会話を続ける。


「次の放火もあると考えていいだろう。消防車の入れないようにして、消防ヘリのことも計算に入れた知能犯と考えていいだろう。次の放火が起きれば我々の出動する可能性もある。」


「森本さん、放火犯の素性は確認できているのか?」


鈴木の問いに森本は答える。


「今現在はまだ・・・・・・大野隊員のスーツに装着されたボディーカメラから放火犯の顔の抽出データを警察に提出済みです。」


森本の言葉に残念そうな顔を一瞬浮かべたが、すぐに引き締めた顔に戻り鈴木は喋り始めた。


「分かりました。詳細が分かり次第、再度、共有をお願いします。本日の報告共有はこれにて終了と・・・・・・言いたいところだが。」


鈴木はモニターに映る森本を見つめて口を開いた。


「森本さん、分析結果以外に俺達に報告したいことがあるんじゃないかい?」


森本は鈴木の言葉に驚いたような表情を浮かべて、モニターの映像を切り替えた。


「鈴木隊長のおっしゃる通り、今回の事件に関連性があるか不明ですが、実はSNSなどで不可解な現象や事象の報告があるんです。」


モニターに移された画像と映像、そこには日常では見ることはないありえないものが映し出されていた。狼のような獣人が暴れまわる映像共有サイトの映像、カニのような甲殻類のような上半身の人間がスクランブル交差点の人々を無差別に襲うショート動画。都庁上空を飛び回る大きな翼が生えた人間のSNSへの投稿画面。どれもこれも現実で起こり得ることがないようなことがネット上で騒がれていた。


モニターに表示された画像や映像を見ていた隊員達は、驚いたり疑ったりするような表情を浮かべていた。室内の空気が何を言えばいいか分からないような空気が漂っていた。鈴木は森本に呼びかけた。


「この画像や映像は本物なのか?」


ストレートな鈴木の問いに、モニターに映る森本は自身の座るデスクに目をおろし、口を少し曲げた。視線をカメラに戻し口を開いた。


「偽物である可能性は捨てきれませんが、ディープフェイクなどの判定をAIで行いましたが、ほとんどは・・・・・・本物です。」


森本からの答えを聞いた鈴木は納得がいったような表情で話し始めた。


「初めてモニターに写ったときにどうも、不安を抱えた顔をしていると思ったんだ。人が不安を忘れるためにすることは対象から気を逸らすことだ。大野との会話で安堵した表情を見るに冷蔵庫人間のことかと思ったが、報告結果を話し終えても不安が消えていない様子を見るに、この事に不安を感じているんだろう?」


鈴木の言葉を聞き、少し笑みを浮かべ森本は話し始めた。


「皆さんを不安にさせると思い、話すかどうか躊躇してましたが、今話せてすっきりしました。」


「ご覧になったとおり、ネット上での一連の騒動は今回の火災が沈下した時刻以降に発生しています。」


目をつぶり数秒、悩むような表情を浮かべて森本は話し続けた。


「発生規模は不明ですが、このような異様な能力を得た人間が多数確認されています。」


非現実的な事実を突きつけられた救助メンバー達は驚きと困惑が入り混じった表情を浮かべていた。研究部門からの分析結果報告の後、各自、報告書や備品の確認作業などを行った。結翔は現場での情報分析のために研究部門にあったスーツを受領し、自身の所属する技術部門に運び込んだ。


大野結翔はこのDPTO内にある救助部門と技術部門に所属している兼任者である。これは彼自身が望み、この2つの部門で救助活動と技術開発に従事している。


受領したスーツの状態を確認する結翔。破損がまったくなく、洗浄をする作業のみで済むことがわかった結翔は作業に取り掛かった。洗浄機に入れて洗浄を行うものとそうでないものを分けて金属製の深めのカゴに入れる。カゴを洗浄機に入れてスイッチを入れる。


スーツの洗浄が終わるまでの間に取り外したデータロガーのデータを自身のPCにダウンロードした。研究部門から送られた分析結果とスーツのデータを結翔が作成したプログラムに取り込み処理を実行した。


今回の事件について分析するためにボディーカメラの映像を確認していた。しばらくするとPCにチャットが飛んできた。


『話したいことがある。局長室に来てほしい。』


結翔は部屋から出て、局長室へと向かった。


- ディプト本部 局長室 -


結翔はドアのノックした。


「・・・・・・どうぞ」


ドア越しから男の声が聞こえ、結翔はドアノブに手を掛けドアを開けた。局長室に入ると、重厚な雰囲気が漂っていた。広々とした部屋の後方は大きなガラス窓になっており、外の風景が一望できた。窓際には観葉植物が整然と並べられ、緑が部屋に柔らかなアクセントを加えていた。


部屋の中央には、古風な木製の事務机が堂々と置かれており、その上には整理された書類やパソコン、デスクランプが置かれていた。机の端には、ミニチュアの装甲車や戦車の模型が並べられ、壁にはそれらの実物の写真が額縁に入れて飾られていた。


机の背後には、本棚が立てられており、並べられたファイルや書籍は整然としていた。その中には、緊急対応や危機管理に関する書籍が目立っていた。机の近くには、革張りの応接セットが配置されており、訪問者がゆったりと座れるようになっていた。


局長の佐藤剛士(さとう つよし)が椅子に座り、結翔を待っていた。佐藤はDPTOの局長であり、元自衛隊の特殊部隊指揮官である。彼の顔には、長年の経験と緊張感が刻まれていたが、その眼差しは鋭く、信頼感を与えるものであった。


「大野くん、よく来たね。」


佐藤は穏やかに言い、手元の資料を整理しながら結翔を見つめた。


「おそらくとは思いますが、今回の現場の件ですね。」


結翔は答え、局長室の重厚な雰囲気に少し緊張しながらも、前に進み出た。


佐藤のデスクの上には、結翔の今回のミッションに関する報告書が広げられていた。


部屋の中には、静かながらも強い緊張感が漂っており、今後の対応についての重要な会話が始まろうとしていた。


「今回の件について、君の意見を聞かせてほしい。」


佐藤は真剣な表情で切り出した。


結翔は深く息を吸い込み、今回の現場での出来事を詳細に説明し始めた。熱音響冷却や放火犯の異様な行動について、自身の見解を述べると、佐藤は静かに頷いた。


「君の話を聞いて、私たちもさらに対策を練る必要があると感じた。現場での迅速な対応に感謝する。」


佐藤は言い、手元の資料を一枚取り上げた。


「この資料は例の製薬工場の周辺で不法侵入と盗難事件が発生していて、それはその警察から提供を受けた資料だ。」


結翔は資料を受け取り、読み上げた。驚いた表情を浮かべた結翔は口を開く。


「この状況を見るに、犯人は例の放火犯で間違いないでしょう。」


佐藤は結翔の答えに表情を変えずに話始めた。


「盗まれたものを見る限り、製薬会社への報復をまだ企てていると私は見るが、君はどう思うかね?」


結翔は一瞬考え込み、答えた。


「私も同感です。こんなものを盗んだとしたら報復する以外に考えられません。」


佐藤は深く頷く。


「やはりそうか。だが我々は民間組織であくまでも救助支援を目的とする組織だ。放火犯を逮捕するのは警察の役目だ。この放火犯が製薬会社への報復を考えている可能性があることは警察に私から連絡しておこう。」


そう言うと、佐藤は話を続ける。


「この事件を見る限り、現行の救助組織では対応が難しい犯行を企てることだろう。その時は我々の出番だ。この情報から次の犯行予測を立てて対策を練ってくれ。」


結翔は真剣な表情で答えた。


「了解しました、局長。全力で取り組みます。」


佐藤は満足げに微笑んだ。


「よろしく頼むよ、大野くん。」


結翔に対して信頼と期待の眼差しを向けた。


結翔が立ち上がりかけたその時、佐藤は手を上げて制止した。


「もう一つ、今回の事件と関連しているかもしれない怪奇現象について話したいことがある。」


結翔は再び座り、耳を傾けた。


佐藤は少し眉をひそめながら続けた。


「研究部門から、ネット上で騒ぎになっている怪奇現象に関することだ、救助チームも聞いているね。」


結翔は静かに頷いた。


「はい、ブリーフィングルームで森本さんから説明を受けました。」


佐藤は深く息を吸い込み、少し考え込むような表情を見せた。


「これらの報告は、我々がこれまで対処してきた災害や事件とは全く異なる性質のものだ。これからの現実の脅威になる可能性がある。」


「やはり、局長もそう考えていましたか。」


結翔は落ち着きながら答えた。


「そうだ。研究部門の分析によれば、これらの現象は自然界では説明できないものだが、さらに、これらの現象が同時多発的に発生していることから、単なる偶然ではないと考えられる。」


結翔は真剣な表情で尋ねた。


「それでは、我々はこれからどう対処すべきなのでしょうか?」


佐藤は結翔を見つめ、話し始めた。


「これらの怪奇現象が我々の活動にどのような影響を与えるか、予測しづらい部分も多い。君たち救助チームの生命を脅かす可能性もある。君の開発しているパワードスーツの重要性がこんな形で強調したくはないが、君にはスーツの開発にも積極的に取り組んでほしい。」


「わかりました、局長。」


結翔は力強く答えた。


佐藤は満足そうに微笑んだ。


「よし、引き続き頼む。情報が入り次第、すぐに連絡する。くれぐれも気をつけてな。」


結翔は深く頭を下げ、資料を持って局長室を後にした。


彼の胸には新たな使命感と決意が芽生えていた。未知の脅威に立ち向かうため、結翔は一層の覚悟を決めたのだった。

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