ある夢

月兎アリス

夢の中から始まる話

両親に「おやすみ」と一言言って、二階にある寝室に向かった。

申し遅れた。私は篠宮侑果しのみや/ゆうか。普通の高校二年生だ。

金銭のことは心配していないし、成績も申し分ない。至って平凡な人間だ。

ベッドに入って布団を被り、暗くなった部屋の天井をぼうっと眺める。明日の授業はなんだったかななんて、くだらないことを考えていると、自然に睡魔は襲ってくる。

無駄な抵抗はせず、大人しく眠りについた。








気づいたら私は、透明な青い世界にいた。

なんの違和感もなかった。

水の中みたいにゆらゆら揺れていて、時折波紋のようなものも見える。

前を向いた。そこには、女性がいた。

クセ毛の長い金髪。深い青色の目。雪みたいに白い肌。絹みたいな薄い服。

西洋の本に出てきそうな、泉の女神みたいだ。

その女性は、何も言わず、ただ腕を伸ばし、私に向かって手招きした。

不思議と足は動いた。

女性は言った。

「篠宮侑果。貴方は平凡な女の子。しかし平凡だからこそ私は信じられる。」

「……急に何? 貴方は誰?」

「私はベラ。そして貴方……偉大なる少女よ。他人を大切にしなさい。」

ベラという女性は、それだけ言うと、目を伏せた。

そして眼の前の景色が揺れ、水滴となって消えていった。















朝になった。窓から朝日が差してくる。

簡単に朝ご飯を食べて、制服を着て、支度を終えると、家を出る。全く以って当たり前のことだ。

その頃には七時四十分で、自転車を漕いで学校に着いた。

しかしその間、夢の中の女性――ベラの存在が、頭をちらついていた。

『他人を大切にしなさい。』

他人を大切にするなんて、小学生の道徳の授業であつかうような初歩的なことだろ、と思いながらも、いや、やってみようかと思った。別に苦労することじゃないし、もしかしたら自分が「良い者」になれるかな、とニヤつく。

駐輪場に自転車を停める。そのとき、片端に、ハンカチが落ちていた。

タグには名前が書いてある。

「Jのみやゆうか」

……え? 私?

とは思ったが、字形はつたないし、まして「し」は逆さ文字になっている。

ずっと年下の子が書いたんだろう。

しかし落とし物かもしれない。交番に届けようか?

けれども、同姓同名ということに、何か運命的なものを感じて、放課後に持ち主を探そうと、鞄にハンカチをいれた。







お昼休み。一人でお弁当を食べ終えて、購買へ向かった。

生徒たちで賑わう昼間の購買。そのためか、人気ナンバーワンの、抹茶味のタピオカゼリーは何度も売り場から姿を消した。

店の奥の方の在庫倉庫から、重いカゴを何個も積み上げて担ぐ従業員さん。

その人は細身の女性で、重さからか、何度も床や台にカゴを置き、休憩していた。

そのとき、ベラの言葉が、頭をよぎった。

『他人を大切に』

……そうか。そんなことでいいんだ。

私は従業員さんのもとへ駆け寄り、話しかける。

「あの、大丈夫ですか。手伝いましょうか。」

従業員さんは汗をかいていた。

「ありがとうございます。お言葉に甘えさせて頂きます。」

私が半分、従業員さんが半分カゴを持ち、売り場に商品を陳列していく。

レジの列の人達が、人を手伝う私を見て「偉っ」などと言う。

かごは重かった。購買の従業員さんって、こんな大変なことを毎日、何回もしていたのかな。

そう思えば思うほど、私って意外にヒドかったなと思う。こんなに苦労している人たちを横目に呑気に商品を選んでいた自分が恥ずかしい。

全ての商品を陳列し終えると、従業員さんは私に向かって笑顔で言った。

「ありがとうございます。本当に助かりました。とても心優しい素晴らしい生徒さんですね。」

えっ、と一瞬反応に困る。素晴らしい生徒さんなんて、私はベラさんっていう人の言葉に基づいただけなのに。

けれども、褒められて嬉しいな、というこそばゆくて単純な感情もこみ上げてくる。

恥ずかしいけれども、何とか口角を上げて、

「こ、困ったら、いつでも。」

なんて言った自分がいた。

困ったら、いつでも。だってさ。保証はあるの? とほほえみが自嘲の笑みに変わりそうになる。けれども、従業員さんはまた「ありがとうございます。」といった。

人助けしたんだなと気付いたのは、このときだった。












放課後になり、鞄から何気に物をあさっている時に、今朝のハンカチがでてくる。

この「しのみやゆうか」ちゃんに、ハンカチを届けないといけない。

よく見ると、ハンカチには刺しゅうがあった。マークだ。リボンを付けたテディベア。その下にはローマ字でこう書いてあった。

「KAMISAWA」

上沢はこの辺の地名だ。この近くには、テディベアのオブジェで有名な幼稚園がある。その名も「上沢幼稚園」だ。

自転車でそこに向かうと、ちょうどお迎えの子たちがお父さんお母さんを待っているころだった。

なぜこんな遅い時間にかというと、おそらくお預けの子たちだろう。

仕事をしている親の子たちが、親の帰りの時間まで、ここで遊んでいる。

園庭で気ままに遊ぶ園児たちの中に、ギャン泣きしている女の子がいた。

不審者扱いされると知りながら、思わず園庭に入った。

周りには他の子たちが群がっている。

「どうしたの?」

と声をかけた。けがをしたのかなと思ったけど、そうではないらしかった。

「ゆうかのハンカチがなくなっちゃったの……。」

ハッとする。

ゆうかのハンカチ。私が持っている(正しくは今朝拾った)ハンカチも、ゆうかのハンカチだ。

「もしかして……これ?」

鞄の中から、テディベアのハンカチを出した。

「駐輪場に落ちてたんだよ。」

目をゴシゴシこすっていたゆうかちゃんは、私の方を見てからハンカチを見た。

「ゆうかのハンカチ!」

と言って、やや私から奪い取る形でハンカチを抱いた。

やはりこの子のだったらしい。見つかってよかった。

「あのね、私も『篠宮侑果』って言うんだ。同じ名前だね私達。仲良くしようね。」

「おねえさんありがとう! ゆうか、おねえさんのこと好き!」

ゆうかちゃんはさっきの泣き顔を忘れるくらいのとびきりのスマイルで、私に飛びついてきた。

小さい子を相手にするのは初めてだ。私はどうしたらいいかわからず終始戸惑っていたけれども、ゆうかちゃんの背中に手を当てて、ぎゅっと抱きしめた。

ゆうかちゃんは温かい。愛の温度が高い。

この子は天使みたいに純朴で可愛い子で、誰にもいじわるなんかしない子。

そう信じられるくらい、その体温は特別に感じた。

「良かったねえ、ゆうかちゃん。良かったねえ。りおなも嬉しいよお。」

りおなちゃんは間延びした喋り方で、ゆうかちゃんの頭をなでた。はにかんで、「くすぐったいよ、りーちゃん。」と返すゆうかちゃん。

何だかその様子を見るのは久しぶりな気がする。いや、久しぶりだ。そもそも小さい子とこんなふうに触れ合うことすら、何年ぶりだろうか。もう十数年はたつだろうか。

ゆうかちゃんをしばらく抱き上げていたが、そろそろ腕がもたなくなってきたので、そっと下ろした。ずっと背の高い私を見上げて、ゆうかちゃんは言った。

「おつきさまだ。」

水色の空に、白い三日月が浮いていた。

周りのみんなも、「ほんとだあ。」と言いながら空を見る。

そう言えば私、昔は月を見ていた。

月の満ち欠けが不思議で好きだった。スピリチュアルな魅力を持つ月が好きだったから、親にねだって、天体の図鑑を買ってもらったこともあった。

それを肌身離さず持ち歩いて、行く先々で読んでいた。あの分厚い図鑑をだ。

そして毎度、重いから、という理由で、母親に持たせていた。

そんなこともあった。

「知ってる? 月って、動いてるの。」

そう言うとみんなは、「そうなの!?」と言うように飛び跳ねた。

そこへ、一人の女性がやって来た。

「遅くなってごめんね、ゆうか。」

「おかあさん!」

ゆうかちゃんのお母さんがお迎えに来たらしい。

その顔を見た瞬間、私は開いた口がふさがらなくなった。

「あ、あのときの……。」

購買の従業員さんだ。焦茶の髪をゆるくお団子に結んでいる姿、忘れるわけはない。

「あのね、おかあさん。このおねえさん、ゆうかのハンカチをひろってくれたの。」

大したことじゃないよ、と笑って返すと、従業員さんは脱帽して、

「ありがとうございます……! あなたにはお世話になってばかり……。」

と丁寧にお辞儀した。

「い、いえ……! 単なるめぐり合わせですよ。」

と言いながらも、内心では、スゴいことだなと思って従業員さんを見ていた。

「私、篠宮礼子っていいます。これからは名前で。」

「はい。礼子さん」

こうして、私と礼子さん、そしてゆうかちゃんとの関係が始まった。

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