Funny Bunny

理性

ウォークマン

 ―今頃どこでどうしてるのかな―

 ―目に浮かぶ照れた後ろ姿に会いたいな―



1

 「それなんのうた?」

 「ええ!?知らないの!?Funny Bunny だよ!the pillowsの!」

 「お前みたいにバンド詳しくないの、俺は」


 もうこんなやり取りを何回しただろう。放課後に屋上に集まって特になにかする訳でもなくダラダラ話をする。どうやって始まったかもいつからかも覚えていない。

 咲はいつもウォークマンの音楽を右耳だけイヤホンをつけて聞く。俺は小説ばっかりだ。


 「じゃあ何だったら知ってんのよ!pillowsは義務教育レベルだぞ!?」

 「お前のせいで義務教育の範囲、日に日に広がってんだよ」

 気の抜けた右親指から風がページを戻していく。どこまで読んだか分からなくなったところを見て嬉しそうにニヤつく咲。ムカついてウォークマンのボタンを適当に押すぐらいは許されるだろう。


 こんな馬鹿げた毎日はいつか終わってしまうのだろうか。俺らが油断してるうちに風がページを戻してくれることもないのだろうか。



2

 「おい」

 「おい!」

 「おいってば!」


 「熟年夫婦か」


 ちょっとした俺のいじわるな反応に反撃する訳でもなく、いつになく真剣な顔で丸っこい目をこちらに向ける。

 「ねえ、広樹は高校卒業してどうするの?」


 「そりゃまあ、大学?」


 「大学いって?」


 「単位とって」


 「卒業して、、、って!なんであたしが答えてんだよ!」

 俺らが笑うと、鼻に秋を感じる。俺らの横を滑る滑らかな風がほのかに金木犀の香りを運んできているみたいだ。

 咲は目をやさしく開いてもう一度俺を見る。

 「それで?将来どうするつもりなの?」

 結局、咲が聞きたいのはこの質問だった。分かってはいたが、今まで自分の夢を真剣に語ることなんてなかった俺からしたら答えずらかった。

 「お前には教えねぇよ」


 「そっか」


 咲のスカートを揺らし、小麦色の細い足の間を通り抜けてきた風が俺の方に来ると、金木犀の香りは咲からしてるような気がしてくる。

 沈黙の間、何度野球部の「あぶなーい!!」が聞こえてきているだろうか。そのうち1回は何かが割れた音がしたが気のせいだろう。


 「私はね、教師になりたい」


 「ほう、、、その心は?」


 「陸上教えたくて、中学で」

 咲はここら辺では長距離でかなりやるとそこそこ有名らしい。それもあって、大学も陸上部の強いところから声がかかり、そこに進学する。


 「で、広樹は?」

 「だから言わねぇって」

 「ケチ」

 「なんとでも言え」


 正直、俺のやりたいことなんか分からない。ない訳では無い。でもそれが実現可能なのかなんかは、あまりに非現実的で想像つかない。



3

 海外進学の情報誌が冷たくなってきた秋風に吹かれてページを進めたり戻したりしている。俺も何度も情報誌を開いては途中で閉じ、また開いては閉じを繰り返していた。

 あの日、咲に将来のことについて言われた時からどうも落ち着かず、つい情報誌を買ってしまった。

 表紙の男子大学生の満面の笑みから覗く黒目が俺と目が合う。この人まで俺の心を悟っているような気がして気持ちが悪いから、そっと裏面にする。

 それを見ていたのか、前から気になっていたのか、咲が言いたげな雰囲気を醸し出してくる。


 「ちょっと考えてみることにしたんだよ」

 質問されるとどんどん詰められそうで、つい口走ってしまった。

 咲は鼻でふーんと答える。

 「で、その海外に行ってどうなりたいわけ?」

 先手を打った意味などなかった。


 「まぁ、ビッグになる!みたいな?」

 「真面目に答えて」

 俺のおどけもむなしく切り捨てられた。


 「パティシエになろうかと、、、、」


 「いいじゃん!あんた向いてるよ!前にも作ってくれたチーズケーキ美味しかったし!」


 「チーズケーキが美味いだけじゃなれないの」

 「第一、どんだけ修行しても上手くいかない人なんてごまんといるんだぜ。俺になれるわけねぇよ」


 「そんなのやってみなきゃわかんないでしょ!」


 「わかるの」


 「わかんない!だって、まだチャレンジもしてないのに――」

 「お前のチャレンジは成功しやすいチャレンジだろ。それとは違う話な、、、」


 咲の言葉を遮って放った俺の言葉は、誤ちに気づいて小さくなっていった。

 

 つい最近まで俺らの間を柔らかく駆け抜けていった風は俺らの心と顔を冷やすほど冷たくなっていた。

 


 ―世界は今日も簡単そうに回る―

 ―そのスピードで涙も渇くけど―



 咲の両耳に挿されたイヤホンから音が漏れてくる。

 咲は機嫌が悪いときや落ち込んでるとき決まって両耳にイヤホンを挿して、爆音で音楽を聞く。

 咲が俺の前を走り抜けて、屋上の扉の向こうに消える。吹き付ける風が咲の肩まで届かない髪を持ち上げ、顔を隠してしまっていたので気づかなかったが、咲が動いたために散った粒が風に乗って俺の左頬へと到達し、咲が泣いていたことに気づいた。

 咲の涙は俺の頬をつたって、灰色のデコボコした地面に落ちた。



 咲はあれから屋上に姿を見せなくなった。

 咲が最後にここに来てからもう一か月が経とうとしている。

 今までは制服姿のまま過ごすことができたが。今はコートとマフラーを着ていないと凍え死にそうだ。本当なら手袋をつけたいところだが、そうすると小説のページをめくれないため、手の寒さは我慢するしかない。 

 もう咲は来ないし、小説を読むだけなら屋上でなくてもできる。それでも俺は屋上へ行き続けた。

 咲が戻ってくることに期待しているからではない。

 高校1年生から続けたこの習慣がどうにもやめられなかった。

 別に何かを創り出すわけでも、悩みを解決するわけでもないこの習慣が、飯食って、風呂入って、寝るようなごくごく当たり前で、なくてはならないものになっていた。


 指先に風が針のようにチクチクと突き刺さる。息を吐いてあたためてもすぐに体温が奪われていく。

 立ち上がると全身に風が当たって、思わず身じろぎする。

 大きく息を吸うと、肺が凍りそうだ。でも、新鮮で冷たい空気が俺の腹の中いっぱいに入って、迷いとか不安といった悪い空気と入れ替わったみたいで心地がいい。


 おし、と気合いをいれて立ち上がると、屋上を後にする。なんだか鼻歌交じりになるほど俺は機嫌がいいらしい。



 青春の一ページはやはり風に吹かれても戻ったりはしない。俺の場合の青春は一ページはおろか三行程度で済ませられるほど中身のないものだっただろう。

 卒業式で大泣きするようなやつらは広辞苑並みに分厚い青春を送ってきて、それを振り返って大いに感慨深くなっているみたいだ。

 自分の青春にとくに見返すページも校閲したいページもない俺は、プロローグの場所だけでも記憶に残したいと思った。


 屋上へ続く階段に立入禁止の貼り紙がついた紐をくぐって、薄暗く埃っぽい階段を上がると、小さなすりガラスから外の明かりが漏れている扉へと着く。

 扉を開けるとまだ冷たく身体を包む風が春の香りを含んでいる。果てしなく青い空もここではすぐそこにあるような気がした。でももうこの空を俺たちはもう見ることができない。


 冬服のセーラー服に身を包み、柵の上においた手でリズムをとっているのは咲だった。

 俺に気づくと左耳のイヤホンをとって、おうと手を挙げる。

 俺が近づくと俺の胸についた花を見て、咲は笑う

 「あんたに花なんか似合わないね。そんな色も体型ももやしみたいだと死体に手向けられた花みたい」

 「俺は花より団子なの」

 「お、菓子職人らしいこというじゃん」

 「パティシエな」

 咲は少し笑うと、微笑んでこちらを見る。

 「今度最上のチーズケーキ食べさせてよ」

 

 「おう、楽しみにしとけ」

 

 冷たくも心地よい風が俺らの間を通り抜ける。校庭に植えてある桜の木はまだまだ咲く気配すらない。でもいずれはつぼみをつけ、見事に咲き誇り、散っていく。そのはかなさゆえに美しいんだ。春雨が降るとこれまで散々持ち上げられてきた桜は靴の裏にくっついたり、車にくっついたりして嫌悪の対象になる。それでもまた三月になると人々は桜の開花を待ち望み、はかなさに感動する。


 俺の短い青春はたしかにここで始まった。ここで四季を過ごしてきた。

 いったん俺の青春は終わりかもしれない。でもまた春が来て、桜が咲くようにまたプロローグから始まるんだ。

 俺はまだエピローグを書くつもりはない。



 足音とは別にゴロゴロとキャリーケースの音が足をつたって聞こえてくる。

 何度も人にぶつかりそうになっては、謝りをいれて、やっとターミナルへついた。

 大きく息を吸うと色んな人の匂いが混じった感じがするが、俺にはそれでも心地よかった。


 おし、と気合いをいれて、歩き出す。

 鼻歌から歌詞を口ずさむほど俺は機嫌がいいらしい。

 

 

 ―キミの夢が叶うのは誰かのおかげじゃないぜ― 

 ―風の強い日を選んで走ってきた―

 ―飛べなくても不安じゃない―

 ―地面は続いているんだ―

 ―好きな場所へ行こう―

 ―キミならそれができる―



 


 

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Funny Bunny 理性 @risei_ningen

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