2 No,Mickey Mo◯se is a Mascot.

「最初にも言ったが、事件自体はごく単純なんだ」


 浦丸うらまるに詳細を話す前に、俺はもう一度そう繰り返していた。


 密室で人が殺されていたとか、凶器がどこからも発見されなかったとか、そんな奇妙な謎があるわけではない。


 ただ、容疑者が世界的な有名人なので、マスコミに嗅ぎつかれて大騒ぎになる前に、犯人か否かを確定させておきたかった。そういう意味での難事件だったのである。


「事件が起きたのはつい先週、『銀山荘ぎんざんそう』ってホテルでのことだ。午前11時18分頃、隣室から悲鳴のようなものが聞こえてきたのを、不審に思った客がフロントに連絡をした。

 だが、ホテルマンが内線電話を掛けたり、部屋の外から声を掛けたりしたものの、いずれも返事はなかった。その上、部屋のドアには鍵がかかっていなかった。

 緊急事態だということを察知したホテルマンは、やむを得ず客に無断で中に入ることにした。すると、ナイフで刺殺された女の死体が見つかったわけだ」


 当時の現場の写真を、俺はテーブルに並べていく。


 絨毯を赤く染めるほどの大量の血。致命傷以上につけられた体中の傷。激痛に歪んだ被害者の末期の表情…… しかし、浦丸は眉一つ動かさない。


「また、ホテルマンが中に入った時、被害者のそばには一人の男が立っていた。それがミッキームウスだったんだ」


 すでにテーブルに置いてあった容疑者の写真を、俺は改めて指差す。


 ここに来て初めて、浦丸は眉をひそめた。


安原やすはら刑事、そういえば『飛行船ティリー』には、ミッキームウスがナイフでトマトを切るシーンがありましたよね?」


「ああ、そうなんだよ」


 だから、凶器にもナイフを選んだのではないか。警察内部でもそう考える人間は少なくなかった。


「ただミッキームウス本人は、『廊下を歩いていたら悲鳴が聞こえてきて、そのあと部屋から若い男が慌てて出てくるのが見えた。だから、何かあったのかと気になって、ホテルマンよりも先に中に入っただけだ』というような証言をしてるんだ」


ホテルマンホテリエの呼びかけに答えなかったのは?」


「『死体のひどさに気が動転していたからだ』と言ってる。『そのせいで、通報したり救助したりすることも頭になかった』と」


「初代ミッキームウスは勝手に飛行船を運転するような、やんちゃな性格のはずですが……」


 浦丸は再び映画での描写を引き合いに出してきた。俺も捜査のために何度も視聴したから、その主張は分からないでもない。


「けど、実際にミッキームウスは、現場の928号室から少し離れた921号室の宿泊客だったようだ。それに被害者はめった刺しにされていたにもかかわらず、ミッキームウスの体や衣服からは一切返り血が検出されなかった」


 雨がっぱを着て、服に返り血がつかないようにする。あるいは、着替えをして返り血をなかったことにする。そういった方法は考えられるだろう。しかし、ホテルマンが来るまでのわずかな時間で、雨がっぱや着替える前の服を処分するのは難しいのではないか。


「ナイフから指紋は?」


「出てきてない。まぁ、これは誰のものもだけどな」


「なるほど……」


 指紋についても、返り血と同じことが言える。つかないようにすることはできるが、それに使った道具を処分する時間がないのだ。


「すぐ隣に部屋を取らなかったということは、二人は以前から面識があったわけではないということでしょうか?」


「ミッキームウスはそう言ってるな。『事件に巻き込まれるまで、顔も名前も知らなかった』って」


 彼の関係者――恋人のミニームウスや上司のビート船長も、同様の証言をしていた。特にビート船長は、不真面目な勤務態度からミッキームウスを嫌っているようなので、彼をかばうために嘘をついているということはないだろう。


「ただ家族や友人に聞き込みをしたところ、被害者がミッキームウスの熱狂的なファンだったことが発覚してな。特にテーマパークには、年間パスポートを買うくらい通いつめていたみたいだ。

 だから、ホテルでミッキームウスを見つけた被害者が、ストーカーまがいのことをしでかして、それにカッとなって殺してしまったんじゃないか……という声が上がってるんだ」


 日本ではあまり聞かないが、海外では被害者がストーカーに暴力で反撃したケースがあるという。中には、中国河北省淶源らいげん県の事件のように、武装して家に押し入ってきたストーカーに抵抗した結果、相手を死に至らしめてしまった例まで存在するようだ。


「他に動機のありそうな人物はいないんですか?」


「それが熱狂的ファンってことを除けば、被害者はいたって人当たりのいい性格だったみたいでな。子供の頃まで遡って調べてみても、特に恨みを持っていそうな人間は確認できなかったんだ。

 その上、現場には被害者が持っていた現金や貴金属が手つかずのまま残っていた。だから、物取りの線もないだろうな」


 確かにミッキームウスの犯行を裏付ける物証はない。しかし、彼くらいしか動機のある人物がいないのも事実だった。それで警察は、彼を犯人の最有力候補として扱うことに決めたのである。


「……それはどうでしょうか」


「どういうことだ?」


「被害者はミッキームウスにかなり入れ込んでいたんですよね? それなら、他のファンが羨むような、珍しいグッズを持っていたのではありませんか?」


「あ、なるほど」


 俺自身の好みと「怪しい男を見た」という容疑者の証言が先入観になっていた。けれど、ミッキームウスの人気を考えれば、男のファンがいてもおかしくはないだろう。強盗殺人だった可能性は十分ありえるのだ。


 ただ俺が見逃していたのは、どうやらそのことだけではなかったようだった。


「まぁ、真犯人が誰かは別としても、少なくともミッキームウスは犯人ではないでしょうね」


 浦丸はそう断言したのである。


「それはまたどうしてだ?」


「著作権法に反していないから、ミッキームウスはこの作品せかいにいられるということでしたよね?」


「ああ」


「また、著作権の切れた初代ミッキームウスは、現在のものと違って手袋をしていないそうですね?」


「ああ」


「だったら、ナイフから彼の指紋が検出されないのは不自然じゃないですか」


「あっ」


 俺はずっと、ホテルマンが来るまでの時間で、手袋を処分する方法がないかを考えていた。しかし、著作権法上の問題から、ミッキームウスはそもそも手袋をすることができなかったのだ。


「でも、指紋なんてあとから拭いたっていいわけだろ?」


「それはそうでしょうね。危険なのはあくまで手袋だけですから、ハンカチなんかを手に巻いて対策することもできるでしょう」


「だったら――」


 ミッキームウスが犯人ではないとは言い切れないだろう。そう反論しかけた俺より先に、浦丸が再反論をしてきた。


「ただ、その場合でも、被害者をめった刺しにしたことが問題になります。一般的な犯人だって避けたいでしょうけれど、初代ミッキームウスに限っては万に一つでも返り血を浴びるわけにはいかないですからね」


「そうか!」


 容疑者である初代ミッキームウスの写真と、現在のミッキームウスのポストカードを再び見比べて、俺はようやく気づく。


「ズボンが赤くなったら、著作権法違反になるかもしれないのか!」


 自分の存在がこの作品せかいから消えてしまう恐れがあるのだ。たとえ何らかの返り血対策を思いついたとしても、もしもの時のことを考えたら刺殺はできないだろう。他の殺害方法、たとえば絞殺や扼殺を選ぶはずである。


「ですから、ミッキームウスが犯人の可能性は0だと言っていいかと思います」


 浦丸は改めてそう断言した。


「ありがとよ! そう捜査本部に伝えとくよ!」と、俺は礼もそこそこに探偵事務所をあとにする。「今度はもっとたくさんケーキを買ってくるから!」と。


 もちろん、まだ真犯人が分かったわけではないので、これで万事解決とまでは言えない。ただ今回相談に来たのは、人気者を容疑者扱いしたことが世間に知られて、警察がバッシングを受けるのを防ぐためだった。


 だから、ミッキームウスが犯人ではないと分かった時点で、問題の九割は解決したと言っても過言ではなかったのだ。


 俺は思わず「ハハッ」と笑い声を漏らしていた。






(了)

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ミッキー◯ウスの殺人 蟹場たらば @kanibataraba

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