ミッキー◯ウスの殺人

蟹場たらば

1 Is Mickey Mo◯se a Murderer?

浦丸うらまる探偵事務所』という看板の掛かった雑居ビルに入る。


 部屋のあるじは、俺の姿を見るなり言った。


「また厄介な事件みたいですね」


「分かるのか?」


「顔色がよくないし、スーツもくたびれている。安原やすはら刑事は仕事でもう何日もまともに家に帰っていないのでしょう。

 一方で、手土産には律儀にも、『ガッティーノ』のものを用意している。確かいつも行列が途切れないと評判の人気店ですよね。

 つまり、立て込んだ状況にもかかわらず、僕のご機嫌取りに必死にならなきゃいけない理由が刑事にはあるわけです。これはもう難事件に遭遇したとしか考えられないでしょう」


「ああ、その通りだよ」


 ぴたりと言い当てられたことに俺は舌を巻く。


 探偵といえば、一般的には素行調査や浮気調査などを生業なりわいとするものである。この男も、普段は先ほど見せた観察眼や推理力を使って、主に人探しの仕事をしているという。


 しかし、ある時、捜索中だった行方不明者が何者かに殺されるという事件が発生。民間人でありながら、浦丸は関係者として警察の捜査に協力することになった。そして、その結果、館の構造を利用した殺人トリックを暴いて、警察よりも先に事件を解決に導いてみせたのである。


 それ以来、俺は難事件が起こるたびに、浦丸に助言を求めるようになっていた。この日もそうだった。


「正直、事件ヤマ自体は単純な殺人事件なんだけどな。ただ容疑者が世界的な有名人なせいで……」


「本当に犯人ならともかく、他に真犯人がいでもしたら大変ですね。どうしてあの人を疑ったんだ、と世間からバッシングを受けかねない」


「だから、マスコミに話が漏れる前になんとかしてもらえないかと思って、何時間も並んでケーキを買ってきたってわけだ」


 交渉成立ということだろう。俺からケーキボックスを受け取ると、浦丸は来客用の席を示す。もう成人して久しいのに、この男は未だに「甘いものが好き」という子供っぽい味覚と、「犯罪をなくしたい」という子供っぽい正義感を持ち続けているのだ。


「でも、警察がそこまで危機感を覚えるほどの有名人というのは一体誰なんですか? 大谷翔平選手? それとも北野武監督とか?」


 俺のような中年男としてはその二人の方が馴染み深いが、世間的にはおそらく彼の方がより知名度が高いのではないだろうか。


「ミッキーだよ」


「ええっ!?」


 自分の耳を疑うように、浦丸は身を乗り出してくる。


「ミッキーってまさか、ミッキーですか?」


「おう、アニメ映画やテーマパークでお馴染みの、ミッキーだ」


 驚きのあまり、今度は放心してしまったらしい。俺が念を押すと、浦丸は全身の力が抜けたように、椅子の背もたれに体を預けていた。


 しばらくして、ようやく状況が飲み込めてきたらしく、浦丸はぽつぽつとまた話し始める。


「あの、安原刑事、それは殺人かどうか以前に、著作権法違反なんじゃあ……」


「なんだ、知らないのか。ミッキーはもう著作権が切れてて、作者以外でも自由に使っていいことになってんだよ。いわゆるパブリックドメインってやつだな。それで他の作品せかいの人物でありながら、この作品せかいにもいられるようになったってわけだ」


 青い顔をするので、てっきり容疑者のファンなのかと思った。味覚だけでなく美的感覚も子供っぽいのかと。しかし、探偵のくせに、ろくにニュースを見ていなかっただけだったようだ。


「いえ、その話なら僕も聞いたことがあります。アメリカでは個人の場合は死後70年まで、法人の場合は作品の公表から95年まで著作権が保護されるんですよね。で、ミッキーが初登場する映画が公開されたのが1928年のことですから、2024年の1月1日をもってパブリックドメインになったんだそうで。……でも、これはあくまでもアメリカに限った話でしょう?」


 誰かに聞かれたらまずいとでも思っているらしい。浦丸はそこで一旦周囲を見回すと、ますます声を小さくする。


「日本では、著作者が個人か法人か以外に、著作物が映画か美術かでも保護される期間が変わってきます。そして、ミッキーがどれに分類されるかについては、専門家の間でも議論があります。

 ミッキーは映画に登場するキャラクターですから、映画の著作物の一部分だと見なせるでしょう。この場合、最長でも2020年にはもう著作権が切れていることになります。

 ところが、アニメ映画というのは原画を何枚も書いて作るものですから、ミッキーは絵画つまり美術の著作物と見なすこともできます。この場合、保護期間は最長だと2052年まで続くと考えられるそうです。ですから、この作品せかいにミッキーがいたら、まずいことになるのではありませんか?」


 ここまでよどみなく語れるということは、著作権法についてかなり勉強したに違いない。おそらく浦丸の主張は正しいのだろう。


 けれど、根本的なところに誤りがあった。


「ああ、違う違う。ミッキーはミッキーでも、ミッキーの方だよ」


 俺は手帳に挟んであった容疑者の写真を見せる。


 小さな耳、細長い顔、巨大な枝角…… 名前通り、どこからどう見てもヘラジカムウスをモデルにしたキャラクターだった。


「鹿の方のミッキーは映画としても美術としても、もう著作権が切れてるからな。お前の言うような問題は起きないんだ」


「なんだ、そうでしたか。僕はてっきりネズミの方かと……」


 よほど不安だったらしく、浦丸は大きな一息をついていた。


「一応、ミッキームウス自体が、ネズミの方のパロディとして問題になる恐れもあります。親告罪だからうやむやになっているだけで、本来はパロディも著作権法違反ですからね。

 ただ著作権法が保護する対象は、アイディアではなく具体的な表現だけです。デザインやストーリーが異なっている以上、法的な問題はないでしょう。……道義的にはともかく」


 実際、ミッキームウスは先の通り、ネズミではなくヘラジカをモデルにしていた。また登場する映画の大筋も、蒸気船で演奏をするのではなく、飛行船で演劇をするというものだった。


 浦丸の誤解はとけたようだが、まだ何か見落としがないとは限らない。念のため、俺は細かい点まで確認しておくことにする。


「ただミッキームウスの著作権が切れたと言っても、あくまで『飛行船ティリー』に出てくる初代のやつだけだ。そのあとで何度かデザインが変更されてるみたいだが、そいつらについてはまだ著作権法で保護されてるらしい。このへんはネズミの方のミッキーと大体同じだな」


「ちなみに、これが今のミッキームウスだ」と、俺はポストカードを取り出すと、容疑者の写真の横に並べた。


「こうして見比べてみると結構違いますね。初代は白目がないんだ」


「他にも靴が小さいし、手袋もしてない。それに今は赤いズボンや黄色い靴も、この頃は白黒映画だったから白く描かれてる。このへんもネズミの方と同じだな」


 また初代と現在のものにはないが、時代によっては眉毛のあるミッキームウスもいるらしい。それについても、著作権はまだ切れていないという。


「さらに言うと、著作権が切れたあとでも、作品を完全に自由に使っていいわけじゃないんだとよ。なんでも著作者人格権とかいうので、作者の名誉を傷つけるような使い方は禁止されてるとか」


「ああ、そうですよ。それなら、ミッキームウスが人を殺すような真似は、この作品せかいではできないことになるのでは?」


「いや、それがそうでもないんだ。『飛行船ティリー』には、犬を振り回したり仔羊を蹴とばしたりするっていう、今なら動物虐待だと批判されそうなシーンがあるからな」


 元の作品せかいで前科があるなら、この作品せかいで殺人犯扱いしたとしても、名誉を損なうことになるかは微妙なところだろう。


 てっきり子供の手本になるような模範的な性格だと思い込んでいたので、捜査の一環で初めて映画を見た時には少し驚いた。一方、浦丸はすでに視聴済みだったらしく、「そういえば、そうでしたね」と納得したように頷いていた。


「容疑者とこの作品せかいの関係性についてはよく分かりました。著作権を気にしなきゃいけないような有名人だということも」


 当然、俺たち警察が、早期解決をしなければならない状況だということも理解してくれたのだろう。浦丸は話の続きを促してきた。


「それで肝心の事件はどんなものだったんですか?」

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