Devote to you.

落ちこぼれ侍

今年はヤスダにかける!

セミの悲鳴にも似た鳴き声が響き渡る夏休み直前のある日。通学路にある雑木林で、カケルは唐突に口を開いた。


「俺、決めたわ……」


短く切りそろえられた髪。めくられたワイシャツから覗き出る血管の浮き出た筋肉。いかにも運動部の高校生って感じの彼。そんな彼の言葉は風に消えるかと思うほどだったが、確かに聞こえた。


「んがッ!」


とてもかっこいい雰囲気をセミが台無しにした。いわゆるセミファイナル。死んでいると思っていたセミが突然動き出したのだ。カケルは奇声を発しながらずっこけた。


「クククッ、また、変なことに費やすんでしょ」


虫が苦手でもそこまでなるかと思いながら、こらえきれなかった笑い声は蒸し暑いなかでもカラカラしていた。悲しいことに私からは鈴のなるような笑い声は出ない。

話は変わるが、私の幼馴染のカケルは毎年似たような意気込みを語っている。「今年の夏は『 』にかける!」と。今年もそんな季節かと思った。夏の風物詩である。セミの声よりも、風鈴の音よりも夏を感じられる。去年は確かUFOだった。夜中に学校に侵入して、校庭にナスカの地上絵みたいなのを描いて2人で待ったけど、結局何も見つからなかった。何も起こらないと分かっていたのに、カケルがどうしても待ちたがってたんだっけ。懐かしいなぁ。私はちょうど超常現象などにハマっていた時期だったので楽しかったが、結局先生に見つかって二人してお咎めをくらったんだった。カケルは時間を無駄にしたとか嘆いていた。それでも、今年も続けるのか。



彼はスラックスをパタパタとはたき終えると、いつもは私から目を逸らしがちな真っ黒で大きな瞳を輝かせて拳を握りしめた。


「俺は今年の夏はに全部かける!」


ん!? と思い2度見をする。


「ロッテは今年調子がいい。やっぱり安田が一番だ。朗希のピッチングと安田のバッティングが組み合わされば、1位を狙えるぞ!」


野球か。なんだよ、青春を楽しめよ!私と頭1個分くらい差のある頭を睨みつける。しかし、少年のように無邪気な笑顔にカウンターを食らった。これはイケナイ太陽だ。さながら太陽のような笑顔で日焼けをしそうだったので下を向く。小さな石が目に入る。ローファーを飛ばさないように、石をコツンと蹴った。トテトテと転がった石は側溝に入る直前で大きなカーブを描いて電柱に衝突。惜しい!そのままもう一度石を蹴ろうとするとカケルに歩道の内側に追いやられた。後ろから車が来ていたらしい。


「やるじゃん!」

「まぁな」

私は車が来ないのを確認してもう一度石を蹴った。


「毎試合、会場に行って応援でもするっていうの?」

つま先を見つめながら声を掛ける。

「残念ながら、俺にはそんな金が無いから基本画面越しだな。でも数回くらいは見に行くつもりー」


もうその景色に慣れてしまった通学路はなんの面白みもない。この付近はいつも変な匂いがするだとか、この家には猫がいるだとか。もう分かりきっていることだらけ。きっと彼にとっての私もそんなもの。もう10年以上、友だちでいる。なんかその関係性にモヤモヤする。セミの鳴き声がさっきよりも大きくなっている気がした。そんなときに黄色い声が聞こえたので、その出所を探ると同じクラスの女子たちがいた。ニヤニヤしながらも「ヤっさーん」と呼んでくれたので、カケルの方を向いて言った。


「応援頑張ってね〜。じゃ、あっちの集団と合流するから〜」

「オウ」


運動部らしい返事をした彼であるが、実際に野球部で高校1年生から先発ピッチャーとして活躍中らしい。ちなみに千葉ロッテマリーンズファンである。

私はセミと恐怖の死闘を繰り広げているカケルを残して、マーくんのストラップのついたカバンを肩にかけ直し、スカートを気にしながら女子の集団へと脚を進め、カケルから離れていった。



その日の夜、カケルから連絡があった。内容は一緒に野球観戦に行かないかというもので、日付は明後日である。んな急に言われても、と思って予定を確認するが、何も予定がないし、断る理由も思いつかないので承諾した。ベッドの枕に顔を勢いよくうずめると隣にあったイルカのぬいぐるみが跳ぶのが視界の端に写った。

その日は寝る直前まで下校途中に聞いたセミの鳴き声が耳について離れなかった。


当日、私の家の前まで迎えに来たカケルは言った。


「お前、ユニフォーム持ってないのか」


彼は少し困ったように言った。でも、私はその言葉にムッとして、強く言い返してしまった。せっかくおしゃれしてるのに何だその言葉は!まず褒めろ!


「逆に何故持っていると思ったの?」

「お前ファンじゃねぇの?」

「違うよ!」

「じゃあ何でマーくんのストラップつけてんだよ!」

「お兄ちゃんがくれたからつけてるだけ!」


いつも通りどうでもいいことで言い合った。私の選び抜いたコーデは無駄になり、結局彼の安田のユニフォームを着ることになった。カケルは「……なんか毎年空回りしてるよな」と呟いていたが、その意味はわからなかった。カケルは井口のユニフォームを着るらしい。引退した選手のユニフォームを着るなんて、よっぽど好きなんだろうなぁ。



ナイトゲームなので、もちろん夜なのだが、未だに暑い。ムシムシするし、ミンミン、ジージー、ツクツクホーシとうるさいし。セミは夜でも彼女づくりに勤しんでいる。ZOZOマリンスタジアムの近くの自販機は値段が高いとのことだったので、近くのコンビニでポカリを買った。会場につくまでに少し汗をかいてしまったので、隣を気にしながら汗を拭く。臭くないかな。大丈夫かなと思ってちらりと見ると、真っ黒な瞳は遠くを見ているので、気にしただけ損だった。この野郎!



彼は外野席で見たかったらしいのだが、私が初心者だということでベース裏で見ることになった。奇跡的に隣が空いていますようにと願ったが、そんなことはなかった。私が前を歩いていたので、奥の席に座るのが自然であろう。ビール片手のおじさんが隣になるので一瞬躊躇したが、なんのこれしき!と思い、座ろうとすると、カケルに腕をガシッと掴まれた。いつもだったら文句を言うが、彼の言葉を聞いたらそんなものは蒸発してしまった。


「こっち座れよ」


指さした方は手前の席で、隣は仲睦まじい子連れの家族だった。


「なんで?」


気を使ってくれているのはなんとなくわかっていたけど、何も考えずに聞いてしまった。すると顔を背けて


「……俺はこっちのほうが見やすいから」


なんか気まずくなったので、私はご飯買ってくるとだけ言って席を立った。


試合中、ふと隣を見るとカケルはおじさんに絡まれていた。ユニフォームが井口だったから、古参だと思われたらしい。ただ、カケルもカケルで楽しそうだった。


試合の結果はというと接戦の末、ロッテは負けてしまった。


「今日は誘ってくれてありがとう。楽しかったよ!でも、残念だったねー、結構いいところまでいったのに……」

私は感情が高ぶっていたため、両腕を所在なさげに動かしていた。

「ん?あぁ」

「そっちから誘ってきたのに、何よその返事は〜!」


冗談半分でポスっとカケルを殴る。口先だけでイテーと言いながら、真っ黒な大きな瞳でじっとこちらを見てきた。夜だと深みの増すその瞳に、吸い込まれそうになったので顔を背けた。

「顔になんかついてる?」


いや、とだけ言って頭をかきながら言った。

「俺言ったよね?今年の夏はヤスダに捧げようと思うって」

「うん。でも今日はヒットなしだったねー」

「でも、ヤスダと一緒に来れた」

「もしかして……」


背中を一滴の汗がゆっくりと滑り落ちていく感覚がした。



私の名字は安田。


「今年の夏はヤスダに……、いやこれからは君にかけるよ」


このままカケルの顔を見たら、私の中のが決壊しそうな気がした。私は顔を見せないようにカケルの手を勢いよく取って、すぐそこにある海浜公園の砂浜目指して駆け出した。うおっ、という変な声を出したカケルには見えないであろう、ゆであがったタコのような顔で海に向かって言った。


「待ちくたびれたよっ!!」


耳の奥で鳴き止まなかったセミはもう飛んでいったようだ。

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Devote to you. 落ちこぼれ侍 @OchikoboreZamurai

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