「最終話」私だけの神様


 むくり、と。布団に寝かしつけられた私は、身体をゆっくりと起こす。


「……いい天気」


 縁側の方に目をやると、そこには目が眩むほどの陽光が降り注いでいた。雲一つ無い、青く広い空がどこまでも広がっている。


 布団の上にはうつ伏せのライカと、仰向けのフウカがぐったりと寝そべっていた。その奥には、胡座のまま項垂れて寝ている親父が座っている。

 起こそうかと思ったが、流石にこの疲れた様子だともう少し寝かしておいてあげたい。私は敢えて何もせず、ふぅ、と。小さく息を吐いた。


 あまりにも気持ちが良いものだから、伸びをしたくなった。私は両腕を組んで大きなあくびをかき、背筋をしっかりと気持ちよく伸ばす。


「っ……?」


 すると、体中に鈍く鋭い痛みが走る。

 痛覚を覚えた方に目をやると、そこにはぐるぐると布のようなものが巻かれていた。やけに清潔なはずのそれは、乾いた血で汚れていた。──そうだ、これは私の血だ。


「……生きてる」


 心の臓は脈を打ち続け、呼吸は楽に詰まること無く繰り返されている。死ぬような傷は塞がっているか、そうでなくとも適切な処置が施されている。

 なにより私の身体には霊力が満ちている。即ち、欠けたはずの命がしっかりと埋まっていた。──その事実を認知した瞬間、思い出す。


「っ!?」


 布団の上で寝そべっている二人の妹に触れる。焦りが、最悪の事態が頭をよぎる……呼吸が粗く、心音が早くなったところで、しかし妹たちの中にある霊力の流れは普通そのもので、何の異常も心配もいらない健康体だった。

 親父の方も、触れなくても分かるほどに練り上げられた霊力が周囲を漂っている。何の心配も要らないだろう。


「……はぁ」


 安堵の息を吐き、私はもう一度後方に倒れて布団に受け止めてもらう。ぽふっ、と。そんな優しい感触と音が心地よく響き、私はうとうとと再び微睡んだ。


 よかった、本当に。

 私を含めて誰一人欠けることも無く、私が……天道家の当主として付けるべきケジメを付けることが出来た。本当に誰一人、誰一人欠けること無く────待って、誰一人?


「……?」


 起き上がり、もう一度だけ

 誰も、欠けていない?

 私と、ライカと、フウカと、親父。……ああ、足りない。


 何が、誰も欠けていないだよ。

 アイツが、一番いてほしいアイツが足りないじゃないか。


「──私の、馬鹿ッ!」


 布団を蹴り飛ばし、私は寝間着のまま縁側を飛び出す。走る、走る。向かうべき場所は、アイツが私を待っている場所は、とっくのとうに決まっていた。


「……ぁ? ぁあ!? あ!? ちょ、姉貴!?」

「ごめんライカ! あとありがとう! ちょっと行ってくるから待ってて!」

「はぁ!? えっ、はぁぁぁぁぁっ!?」


 呼び止めてくる妹の声を振り切り、私は門から外へ出る。


「はぁ、はぁ、はぁ」


 走る度に体が痛む、骨が軋む。

 それがどうした、と。私は自分自身に怒りを以て鞭を打つ。


「忘れてんじゃ、ねぇよ……!」


 たった一瞬であろうが、生死を彷徨った後の朦朧とした意識の中だろうが。それでも私は忘れてしまっていたのだ、この命が天寿を全うするその時まで共に在ると、共に生きると誓ったあいつのことを。


 無我夢中で走っていると、私はあっという間に山道の一歩手前に立っていた。


「……!」


 迷わず突っ込む。微かだが、覚えの在る気配がほんのりとこの奥から漂ってきている。


(会いたい……)


 走る、とにかく走る。


(私、あんたに会いたい……!)


 無我夢中で、走り続ける。


「カゲル〜〜!」


 声を大にして叫ぶ、走る。──つま先に違和感を感じた瞬間、私は前方に思いっきり滑り突っ込んだ。


「ぐぇっ!? ……っ、たぁ〜」


 全身に迸る痛み全てを堪え、私はゆっくりと起き上がる。

 勢い余って転んだためか、擦り傷の他に寝間着が土と泥まみれになってしまっている。──いや、そんなことよりも。そこに大きな鳥居があることが、私にとっては重要だった。


「……廃神社」


 近い。

 気配が、近い。


 躊躇も遠慮もしないまま、私はその敷居を堂々と跨ぐ。

 入ると正面には社が、社の手前には狛犬の石像が左右に向き合って一体ずつ……しかしところどころが朽ち果てており、繁茂し、手入れがされていない。


 あの時と同じ、朽ち果て忘れられた神の社。

 ここに祀られている神がなんなのか、どんな神なのか知っているのは、多分私だけだ。


「……いるんでしょ、さっさと出てきたら?」

「おいおい、気づくの早くねぇか?」


 顕れる気配、足音。少しだけ減った身体の中の霊力。それらが私の中に残っていたかすかな不安を払拭し、もう大丈夫だという絶大な安心感を与えてくれた。


「当たり前でしょ? 自分が契約している神の気配を感じ取れないほど、私は落ちぶれ巫女じゃないですよーだ」

「……会うつもり、無かったんだけどなぁ」

「あ? なんでよ」


 振り返ると、そこには背を向けたアイツがいた。ほらやっぱり、生きてる。ちゃんと私の前にこうやって現れてくれたじゃないか。


「だって、俺はどこまで行っても祟神なんだぜ?」


 絶句した。

 何を今更。いや、まさか。いいや、まさか?


「……もしかして、家にいなかったのも?」

「てっきり悪縁が切れてホッとしてると思ってたんだけどな。いやぁまぁなんというか、嬉しいけど身構えてた分なんというか……杞憂だったなーって」


 あー、なるほど?

 そうかそうか、こいつは意外とそういうやつだった。──ならば、分からせねばなるまい。私は小さくため息を付いてから、堂々とそして迅速に彼の背中に接近していく。


「まぁ、お前がどうしてもってんならしょうがねぇよな。いいぜ、再契約してやる……本当なら生贄やら捧げ物やらをたんまりと貰うとこだが、今回はお友達料金ってことでお安く──」

「──ふぅ。あら失礼? その口があまりにもごちゃごちゃ五月蝿いものだから塞いじゃったわ」


 近づけていた唇を離し、ふふっと微笑みを浮かべる。

 でもカゲルは特に反応も示さず、なんと私にそっぽを向いてしまったのである。


「あら、これじゃあその『お友達料金』としては釣り合わないの?」

「違う。俺はただ、巫女としてそれはどうなんだっていうのをだな……」

「それとも、『お友達』じゃないほうがお得なのかしら?」


 ぴくり、と。カゲルの方が揺れる。


「私は、そっちに興味があるなぁ〜」

「……いいのか?」

「何が?」

「俺は祟神だし、そうじゃなくても元から厄災だ。だから……」

「あなたがいいの」


 向けられた背中をさすり、そして無理やりこっちを向かせる。

 浮かべた表情に大胆不敵さや、傲岸不遜なあいつはいない。ただただ、私のことを案じてくれている優しい神様がいるだけ。──だからこそ、言わねばなるまい。


「私はあなたがいいの。ってか、あなた以外考えてないから」

「──」

「それに、ね」


 その側頭部を優しく、優しく撫でて抱き寄せて……そっと、自分とこいつの額をくっつけた。


「私だけの神様、なんでしょ?」

「──ああ」


 強張り力が入っていた彼の緊張が、ようやく全て解かれていく。優しく、緩く……完全に開かれた心の赴くままに、彼は私に抱擁を返してきた。


「そうだ、俺は……お前だけの神様だ」

「今までも、今日も、そしてこれからもね」

「ああ、そうだ。……そうなんだよ」


 心底嬉しそうに、今すぐにでも泣き出しそうに、それでもやはり真っ直ぐな笑顔だけが彼の表情、彼の幸せを物語っている。

 私だってそうだ。ようやくだ、ようやく自分自身を縛っていたしがらみ……それを打ち破るきっかけをくれたこの人と、ずぅっと一緒にいることができる。


 誰かが何かを言うかも知れない。

 その度に心を傷めることがあるかも知れない。──それでも。


「ねぇ、カゲル」


 それでも、だ。


「なんだ?」

「今日の空、すっごくキレイだね」


 それでも私は、このお人好しな神様と共に生きることを選び続ける。

 何度折れようと、何度涙を流そうと。


「ああ」


 私が祈る神様は、カゲルだけなのだから。








「作者より」

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落ちぶれ巫女とタタリガミ キリン @nyu_kirin

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