「第五十六話」落ちぶれ巫女と姉としての矜持
そして、抱きかかえられる。
強く、逞しく、しかし何処か優しい気持ちにさせられる腕に。
「……らい、か?」
「姉貴……」
浮いて沈むを繰り返すような混濁した意識の中、私の視界には妹の顔が映っていた。目元には大粒の涙が流れ続けて描かれた、一本ずつの濡れた線が入っていた。顔面はぐしゃぐしゃ、彼女が持つ普段の自信や、妖魔をも震え上がらせる気迫は何処にもない。
「なん、で……」
「喋らなくていい。大丈夫だ、今助けてやっから」
そう言って、ライカは私の鳩尾辺りに両手を押し当てる。──直後、外側から手を通じ、身体の中に莫大な霊力が流れ込んでくる。
「なに、してんのよ……」
「黙ってろ」
朧気な視界の中にいるライカが、揺れる。
押し当てられた手を通じて分かる、分かってしまう。この子は、自分の霊力を私に分け与えようとしているのだ。すり減っていく魂の崩壊を、少しでも食い止めるために。
「やめて……こんなの、意味が」
「喋んな、死にてぇのか?」
今すぐにでも噛みついてきそうな怒りと気迫、そして何より動揺があった。死にかけの私の制止など意味を成さず、彼女は必死に命を溝に捨てていた。穴の空いた壺のような、壊れてしまった器である私の中に。
「……フウカァッ!」
ライカが叫んだ直後、周囲に爆風が吹き荒れる。
舞い上がる砂埃の中から出てきたのは、顔を真っ青にしたフウカだった。
「お姉様!」
「フウカ……?」
「ぼさっとしてねぇで手伝え」
「で、でも……こんなのもう」
「お前は姉貴を、ヒナタ姉様を助けたくねぇのか?」
恫喝。いいや、どちらかというと叫びのようにも思える。
助けて、と。
他人に必死に頼み込むという、この天才肌の妹には考えられない叫びだ。
「……いいえ、いいえっ!」
浮き出ていた涙を拭いフウカは拳を握りしめる。額を汗でびっしょりと濡らしたライカは、それでも妹に笑ってみせた。
「霊力はアタシがやる、お前は風で家まで運んでくれ!」
「はいっ!」
直後、私とライカが宙を舞う。吹き荒れる爆風により身体が浮遊し、そのまま風を切り裂きながら進んでいく……その最中であっても注ぎ込まれる霊力の、命の量は変わらなかった。
「ぐ、ぐぅ……はぁ、はぁぁああああ……!」
「……ぁ」
駄目だ、やっぱり戻ってこれない。
ここは余りにも『深』すぎる、ここはどうしても『暗』すぎる。どれだけ水面から手を差し伸べられようと、どれだけ空から光が差し込もうと……この『深』く『暗』い底には、私のいるここには絶対に届かない。
もう、やめてくれ。
十分だ。私には勿体なさすぎるぐらい、沢山の物を貰った。──命まで、あなた達の未来まで遠慮無く受け取れるほど、私は薄情じゃないし強欲でもない。
「なっつかしいなぁ、フウカ」
「……ええ、そうですね」
声だけが、聞こえてくる。
苦し紛れの、ギリギリで踏ん張ってくれているライカの声が。
「姉貴も覚えてねぇか? 昔さ……アタシらがまだガキだった頃、アタシら姉貴に黙って妖魔退治に行ったんだよ。覚えたての術とか、父上から貰ったピカピカの弓と矢とか……そういうのを試したくて仕方なかったんだよ」
ああ、あれか。
覚えているとも、忘れるわけがない。
「まぁ案の定、ガキだったアタシらじゃ妖魔には叶わなかった。矢は使い果たして、弓はポッキリ折られて……使える術を全部使っても、あの妖魔には全然敵わなかった。──そこに、姉貴が来てくれたんだよな」
ああ、行った。行ったとも。
まぁ所詮は親父が来るまでの時間稼ぎ、ひたすらに逃げて嬲られて注意を引き付けることしか出来なかったが。その後当たり前に死にかけて、確かこうやって今みたいに……二人が怒りながら私に霊力を注ぎ続けてくれたんだっけか。
「なんでアタシらよりも弱いくせにこんな事するんだって、アタシもフウカも滅茶苦茶言っちゃったっけ」
「霊力もない、弓矢が使えるわけでもない……なのにお姉様、木の棒一本で飛び掛かるんですもの」
なんともまぁ、我ながらカッコ悪い。
「アタシ、あの時からずっと姉貴に憧れてたんだ」
……え?
「私もですよ、ヒナタお姉様。あの時からずっと、ずぅっと……お慕いしていました」
「……なん、で」
「そんなの決まってます。──ねぇ、ライカ姉さま?」
「ああ」
疑問が脳裏を埋め尽くす。されどそれが整理される前に、二人の妹は口を揃えて言う。
「『私はあんたたちのお姉ちゃんよ? 姉が命がけで妹を守るのは当然なのよ』」
「『だからあんたたちは、これからもあたしの背中をヒィヒィ言いながら追い続けなさい』」
臭くて、気持ち悪くて、恥ずかしくなるような……それでいて、懐かしい台詞だった。
「だからっ、追わっ……おわせて、くれよぉ!」
声を詰まらせ、目元を拭いながらライカが言う。抑えていた何かが溢れ出しているのか、とめどなく溢れてくる涙と比例して、なだれ込む霊力も増えていく。
「アタシっ、まだ姉貴の隣にいたい……あんたの妹でいたいっ!」
「ライカ……」
「ヒナタ姉さま」
増していく風の中を進みながら、フウカの落ち着いた声が響く。
「私達の願いはただ一つです。生きてください、あの時のように……醜く、滑稽に、最後までしぶとく私達に生かされてください」
なんだ、そういうことだったのか。
馬鹿な私はようやく気づく。この二人は、いくつになっても私の背中を追い続ける気なのだ。そこが平和だろうが、戦場だろうが、この世だろうがあの世だろうが。
「……ない」
「姉貴……?」
だったら、まぁ。
姉の私が導いてやるしか、無いじゃないか。
「死にたく、無いっ……!」
泣きっ面を派手に晒しながら、啜りきれないほどの鼻水で顔面と服をベチョベチョに濡らしながら、私は進むべき道を、こいつらが追うべき背中の方向を決めた。
「……任せろ、姉貴」
「ええ、任せてください」
噛み締めるように、二人は口角を釣り上げていく。
「帰ろう、アタシ達の家に!」
「ええ、全員生きたまま……絶対に明日を迎えるんです!」
加速する。風も命の流れも加速する。
踏ん張る。このままでは、どうやっても死ねない。
死と生の間、確かに向こう側に引きずり込まれながらも……私は必死に、差し伸べられた手と光を目指して藻掻き続ける。
(死んでたまるか……)
「こ、んんぁ……とこぉで」
生きたい。
まだ生きたい。
まだ、この子達の前で胸を張って生きていたい!
「死んでたまる、もんですかぁっ……!」
しがみつく、這い上がる。醜く、滑稽に、ただひたすらに叫び続ける。
沈みゆく夕日、夜に染め上げられていく空の下で。
明日の空の下、新しく昇り輝く太陽の下で生きたいと。
そう、叫び続けた。
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