第二十一話 Sunny side up/太陽の方を向いて

 エンブリオ第三地区。

 愛おしき我らがバックス福祉局を目指して、おれはボロボロになった事務所所有のピックアップトレーラーを走らせていた。


「しかし、ひでぇ目にあった」


 助手席には要が座っていて、変わらずにここではないどこかを見つめている。自分の身に起きた危機や変化になど、初めから気づきもしなかったかのように。


「毎度毎度こんなのばかりじゃねえか。俺は決めたぞ、ギギ」

『何をダ』


 荷台でうずくまったギギがけだるそうに聞き返した。無機質な合成音声は、どういうわけかいつも不機嫌そうに聞こえる。


「俺は長期休暇を申請する。南の島へ行って、バカンスだ。そうでもなきゃやってられん」

『クダらん』


 ギギは俺のナイスアイディアを、もはや笑い飛ばす気にもならないようだった。

 事実義体を用いた全力の戦闘は、ギギに多大な負担を及ぼす。ロゾロとの戦闘で負った損傷も相当なものだ。今こうして平気で話しているのは、ギギなりのドラゴンとしてのプライドなのだろう。


『お前が居ない間、その女ノ世話は誰がする。私はごめんダ』

「要も一緒に来るにきまってるだろ。お前も特別に連れて行ってやろうか、ギギ?」

『……フン』


 ギギは眠たそうに遠くを見ている。要と同じように。

 後方へ走り抜ける、隔離都市エンブリオの夜景。神様がノーと呟くたびに癒えない傷を負うように深い断絶に切り刻まれ、隔離されてきた異形の都市。そのうちに異形を抱え、異形を養成し、ついには何か恐ろしいものを産み落とそうとする、腐った卵。

 それでも都市には人が生きている。もはや自分を人間だとは思えなくなっても、それでも彼らはそこに居て、時に悪徳に身を浸しながらも、それでも生きている。それが正しい事か、否か。少なくとも、俺にはわかりようのないことだった。

 ギギのドラゴンの目には世界はどんなふうに見えているのだろう、と思った。

 ただ愚かなだけの、醜い人間たちの都市であるように見えているだろうか。

 それとも、もっと別の──少なくとも、壊さないだけの価値を持ったものに、見えているのだろうか。


『私の知ったことではデハない』


 それきりギギは何も言わなかった。

 俺も黙って車を走らせた。助手席の要が、車体の揺れに合わせて肩を揺らしていた。

 沈黙が夜を深くした。都市は嘘のように静かだった。


「ついたぞ、要」


 俺は事務所のガレージにトレーラーを停めて、助手席から要を担いで下ろした。

 ギギはこのままここで眠る。本人は常々不服を述べていたが、ギギの大きな義体を寝かして置ける場所は、目下のところこのガレージの中にしかない。

 ここでぐちぐちと嫌味を口にして車庫での寝起きを断固拒否するのが常の事だったが、さすがに今日は疲労が勝ったのか、ギギは何も言わずに自分の寝床に移った。


「じゃあな、ギギ。ゆっくり休めよ」


 尻尾を振るだけのおざなりな返事を返して、ギギは目を閉じた。

 俺はそのまま要を抱えて、ガレージから繋がっている事務所に移動する。


『……カブト』


 ドアノブに手をかけた俺を、ギギが呼び止めた。

 俺は振り返ってギギを見た。


「なんだ?」

『……』


 低く唸るような吐息だけを残して、ギギはそれ以上何も言わなかった。

 俺は少しの間だけそのあとに続くかもしれない言葉を待って、結局は黙ってドアノブを開いて事務所に入った。


「あら、おかえりなさい。遅かったのね~」

「ただいま、ヘルガさん」


 事務所で俺を出迎えたのは、柔和な笑みを浮かべた女性だった。体形はふくよかな丸みを帯びていたが、耳は長くとがっている──エルフの転生者の顕著な特徴。

 エルフの転生者は比較的に人間だったころからの認識の乖離が少ない。ただ、自分を植物のように長い時間を生きる長命種だと思っているのはギギ達ドラゴンと同じで、ひどく浮世離れした者が多い。ヘルガさんもその例に漏れず非常におっとりしているが、それでもこうしてキッチリ仕事はこなす。エルフにしては珍しい人物といえるだろう。

 人類愛の模範のような人懐っこい笑みを浮かべた彼女はこのバックス福祉局に雇われた企業複合体の認定介護士の一人で、俺と一緒に要やギギの身の回りの世話をしている。


「要、お願いします」

「は~い。私がお風呂に入れておくから、カブトくんはもう上がっていいですよ~。寝室に連れて行ってあげてくださいね~」


 俺や要は事務所に併設された宿舎で寝起きしている。仕事と私生活がちっとも切り離せないせいでまともなオフも得られない最悪の環境だが、それでも屋根がついて寝起きできるだけ上等な生活ではある。

 俺は要を彼女の部屋に担いで行った。

 若い女性の部屋というには、あまりに飾り気のない、殺風景な部屋。当然だ。要にとっては、自分が人間の肉体で生活をしているという現実のほうが夢の中の事のように思えているのだろうから。

 俺は要をベッドの上に座らせて、彼女の頭部にインプラントされた拡張器官サイバネティクスの機能を切ってやった。外付けの大型義体を操作するための、『ピグマリオン』と呼ばれる機器の最新型だった。昼間ロゾロが身に着けていたものより、遥かに小型化されている。

 『ピグマリオン』の接続が切れると、彼女の目が、ここではないどこかではなく現実に焦点を結ぶのがわかった。


「今日は疲れたろ、要」

「…………」


 俺はいつものように、要に話しかけた。いつものように、要は応えない。

 意味ならある、と俺は思う。すぐに結果は現れないのかもしれないが、少なくともそう試みることに、意味があると。

 

「じゃあな、ゆっくり休めよ」

「カブト」


 背を向けようとした俺を、要が呼び止めた。

 要の声を聞くのは久しぶりだったが、どういうわけか不機嫌そうなのは変わらなかった。


「どうした?」


 散々な目にあって、愚痴の一つでも言いたくなったのだろうか、と思った。要は、じっと睨むように俺を見ている。


「どこか具合悪いところはないか? 身体が痛いとか」


 ロゾロ・ラジーンはギギを攫った。

 それは何故か──アンジュが答えを口にした、一つのなぞなぞリドル

 ロゾロ・ラジーンは、人魚の肉を食って不老不死になろうとした。だが、当然のように思ったような効果は得られなかった。

 ──だから、必要だった。不死になるための、別の霊薬が。


「……私の知った事ではない」


 ジークフリートの神話。

 竜を殺した英雄は、その血を浴びて不滅の肉体を獲得した。

 ドラゴンの義体には血は流れない。

 だから、それを操作する人間の身体を──御堂要という人間を攫った。


「……」


 ギギは要を自分自身だとうまく認識できていない。

 というよりは、自分の精神を守るために積極的に自分と要を切り分けている。

 だから俺もそうやって接する。

 けれど、ギギにとって要は誰よりも守らなければならない相手なのだ。

 彼女にもそれをわかってほしいと思う。ギギにとってはどんなに忌まわしい存在であっても、どうしたって切り離せやしないのだ。

 それは虚しい願いだろうか。俺が何を思ってどうしようと、結局のところギギはいつかこの世界のどうしようもない悪徳やクソみたいななぞなぞリドルに嫌気がさして、いつかはこの世の何もかもを破壊する邪竜になり果てて、今度は俺も『竜殺し』なんて馬鹿みたいなあだ名で呼ばれる羽目になるのだろうか?

 錆釘蜜蜂が口にした問いリドル。奴はいずれそうなると言った。俺は、その問いには答えられなかった。


 要の目が、俺をジッと見ていた。

 どこまでも黒い、澄んだ瞳。

 固く引き結んだ唇が小さく開く。


「……礼を言う」


 ほとんど聞き取れないような声で、要は言った。

 きっと、ギギの体では恥ずかしくて言えなかったのだろう。ギギにとって要の体は借り物のようなもので、要の体で見る世界はきっとまどろむように曖昧だ。


 俺はなんとなく照れくさくなって、応える代わりに要の前に拳を突き出した。


「お手柄だったぜ、相棒」


 要はぎこちなく体を動かして、俺の拳に自分の拳を重ねた。

 なぞなぞリドルの答えには、今はそれで十分だ。


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アカシック・コード:000 転生都市怪奇事件録 アスノウズキ @8law

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