とあるボカロpの死

棚霧書生

とあるボカロpの死

 若いボカロPが死んだ。僕と同い年の二十歳だった。彼が使っていたSNSのアカウントから、彼の家族を名乗って投稿された内容はあっという間に拡散されて、バズって、僕の画面まで飛んできた。たぶん、彼の過去の投稿の中で過去一のバズ。彼が死んだことを知らせる投稿につけられたコメントは見なかった。それはなにか思うところがあって見なかったというわけではなくて、ただ単に手から力が抜けて寝ながら見てたスマホをうっかり顔面に落としてしまったからだった。

 スマホの角が直撃した頬骨がズキンと痛む。顔に穴が空いたかもしれない、と絶対にありえないことを瞬間的に思う。人の顔はそんな柔じゃないとわかっているのに痛みが爆裂するピークのレイコンマ二秒くらいは本気で顔が終わったと思ってしまう。でもすぐに痛みは引いていくし頭ではこの出来事を面白おかしい文体でSNSに投稿したら、いいねがもらえるんじゃないか、なんて打算を始めている。

 音楽活動用に作ったアカウントに久しぶりに切りかえる。最後の更新は半年前で、僕が自作したボカロ曲の宣伝で止まっている。半年も前の投稿なのに、いいねは三つしかついていない。

『夏休みの怠惰を極めてベッドで寝っ転がっていたところにヤルミーの訃報。見た途端に力が抜けてスマホが顔面ダイブしてきた……痛い、顔が……っていうよりも胸がすごく痛いよ……』

 自分の文章を読み直す。つまらなくて吐き気がしてくる。バックスペースキーを長押しして、文章を消し飛ばす。そのあと何度か違う文面で亡くなったボカロPヤルミーについて書こうとしてみたが結局、パッとしたものができなくてSNSを閉じた。

 こういうときこそ、音楽と向き合うのがアーティストっぽいんじゃないかと思って、部屋の隅の置いていたギターを構える。マイナーコードを適当に弾いてみるけれど、全然どれもピンとこない。次はヤルミーの一番のヒット曲のイントロを鳴らしてみる。やっぱりヒットしてるだけあって、人の心を掴む音の並びだった。けれど、その素晴らしい音が響くと同時に僕の中では霧が立ち込めていくようで、ますます自分の創作が見えなくなっていった。やめだ。

 ギターをスタンドに戻しパソコンを立ち上げて、いつも友人と一緒に遊んでいるネットゲームにログインする。追加データのダウンロードがきていたので許可を出してから、一階のリビングに飲み物を取りにいった。

「ちょっとアンタ」と僕を呼び止めたのは母だった。声色にちょっと棘を感じたので心の中で身構える。

「試験はちゃんと受けたんでしょうね」

「受けたよ。もう一週間も前にぜんぶ終わってるから大丈夫」

 母は小さな声でホントでしょうねと疑っている。それを軽く、大丈夫大丈夫といなして二階の自室に逃げ戻る。

 前の学期に期末試験を受けなかったためにいくつかの科目の単位を落とした。僕としては受けたところで落ちるのは確実の科目だけを切り捨てただけなのだが、母は一年生から単位を落としていたら卒業できなくなると思っているようだった。僕だって落としたくて単位を落としたわけじゃないのだから、あまりしつこくされても困る。試験について聞かれたって僕が、次は頑張りますとしか答えられないのはあっちもわかりきってることだろう。お互い嫌な気分になるだけなのだから、放っておいてほしい。

「あっ、飲みもの……」

 階段に足をかけたところでなんのために一階に降りてきたのかを思い出す。リビングにつながる廊下をチラッと見て、結局玄関から外に出た。

 玄関ドアを開けるとむわっとした熱気が肌にまとわりつく。玄関の周りにはドクダミが生い茂っていて、鼻の穴に癖のあるドクダミの匂いが飛び込んでくる。

 この家には僕と母と三つ上の姉が住んでいるがウチの人間は基本的に草むしりをしない。母は玄関を見るたびにそろそろ草むしりしなきゃとつぶやいているが行動に移ることは滅多にない。

 母に除草剤をまこうよと提案したことがあるが、ドクダミは白い花が咲くから枯らすのは嫌だと断られたことがある。他にも昼間に草むしりをしたら熱中症になってしまうかもしれないから、涼しくなる夕方にしようと言って結局やらない。僕は正直、ドクダミが生えていようがいまいがどっちでもよかった。でも、思い出したように母が草むしりしなくちゃ、と口にするのにはなんかムカついていた。

 家から出て徒歩十秒の位置に自販機が置いてある。そのおかげで僕はコンビニまで歩かずともジュースを手に入れることができる。スマホの電子決済アプリを立ち上げて支払いをすると、ピピッと軽い音がしたのちにガコンと缶コーラが取り出し口に落ちてくる。

 一本、百五十円の缶コーラ。僕はよくこれを買う。コーラは最高だ、シュワシュワして甘くて美味い。

「けど一本、百五十円だとしたらさ。十回買いにいったらもう千五百円だよね。家の麦茶飲んだほうがいいでしょ」

 昨日、姉に言われた言葉を思い出したくもないのにコーラを見た瞬間、思い出してしまった。コーラに悪い記憶がついた、最悪だ。なんでどいつもこいつも余計なことばかり言うのだろう。僕は腹立つままにもう一本缶コーラを追加で買ってから、家に戻った。

 パソコンの前に座るとチャットの新着メッセージの通知が目についた。中学のときからの友人でネットゲーム仲間の和馬からだった。

『アキラ〜! ヤルミーのニュース見たか!? 俺らと同い年なのに、早すぎるって……』

『見た、ビビった、ヤバすぎた』

『アキラ、ヤルミーのファンだったろ。キツかったら言ってな』

『サンクス。でも』

 そこまでタイピングして指が止まった。でも……なんだ……僕は何を思っているんだろう。そもそも僕はヤルミーのファンだったのか、そこからして怪しい。もちろんヤルミーのヒット曲は聞いたことはあるし、カラオケで歌ったりもしていた。でも、ファンというほど熱心だったわけでもない。マイプレイリストにはヤルミーの曲が入ってるし、ヤルミー音楽チャンネルのチャンネル登録はしてる。だけど、彼が出した楽曲をすべてを聴き通してるわけじゃないし、ライブにも行ったことはなかった。

『とりあえず、今んとこは大丈夫かな』

 大丈夫って便利な言葉だ。なんの情報もないスカスカな言葉なのに、会話を終わらせることができる。和馬もヤルミーのことを深く話すつもりはなかったのか、あっさり別の話題に移っている。和馬が次の話を入力している間に僕はチャットログを見返す。和馬と僕が短い間、ヤルミーについて喋ったログを眺めていると目頭がじんわり熱くなってきた。

 ヤルミー、死んだんだな。大して激しくもない悲しみの感情。こんな悲しみ方をしていいんだろうか。涙はこぼれなかった。


 ボカロPヤルミー、本名は矢田成実(やたなるみ)、学生アーティストとしてロック調のボカロ音楽をやってた人、性別は男、特技はギター速弾き、母子家庭、三つ上のお姉さんがいる、享年二十歳、エトセトラ……。

 僕はヤルミーに親近感を持っていたんだろうかと検索に引っかかってきたヤルミーのプロフィールを見て思う。僕のプロフィールを隣に並べたら音楽の実績以外は、かなり似通っている。しかし、その肝心の音楽の実績が月とスッポンなわけなのだが。

「次なに歌う?」

 和馬がデンモクを見せながら、ポテトをつまんでいる。僕は並んだ曲名をじっと見て、観念した。

「なあ、ヤルミー縛りやめない?」

「ヤルミー追悼会なのに?」

 和馬が提案したヤルミー追悼カラオケ会は開始から一時間が経っていた。

「僕が知ってるヤルミーの曲は歌い尽くした」

「たしかに有名どころはぜんぶやったか。でもあとちょっとでヤルミー全曲制覇だろ、カラオケに入ってるやつだけだが」

 この機種に入っているヤルミーの曲は残すところあと三曲だった。

「こうして見るとさヤルミーってめちゃくちゃリリース速い人だったんだな」

「速すぎて、実は複数人でヤルミーやってた説とかあったからな」

「投稿で『拙者は忍者の末裔ゆえ影分身の術が使えるのである』とか言ってたよね」

「懐かしっ……リプ欄が手裏剣の絵文字で溢れたんだよな」

「僕がふざけて刀の絵文字送ったら、奇跡的に反応が返ってきて」

「拝みの手の絵文字と一緒に、真剣白刃取り! ってやつな。ありゃウケたわ」

「たぶん、まだスマホにあのときのスクショが残ってるよ」

 ヤルミーはSNSでの活動が活発な人でファンの他愛のないメッセージにも軽いノリでからんでいた。だけど、ヤルミーの投稿にメッセージを送るやつなんてたくさんいるわけで、そのたくさんの中から僕のものを見つけてリアクションをしてくれたのは、奇跡的で幸運で、僕はまるで宝くじで一万円が当たったときみたいに騒いだ。そう、ヤルミーから返答をもらう経験は百万円ではないのだ。僕にとっては。なんだかな、気にすることでもないんだろうけど、僕が反応をもらったのってもったいなかったんじゃないか。もっとヤルミーの価値をわかってるやつに、もたらされるべきものだったんじゃないかと思ってしまう。

「なに難しい顔してんだよ」

「……感傷的になってた。無駄に」

「無駄じゃないだろ。ちゃんと想いは天国のヤルミーに届くって」

 僕の想いはヤルミーに届いてほしくない。こんなものが届いてしまったらヤルミーに失礼だ。スカスカの中身のないチャチな感傷。熱心なファンでもないのに勝手に悲しんでいる。こんなのヤルミーに申し訳ない。

「俺もアキラも一応はボカロPなわけじゃん。再生数百回以下の底辺だけど」

 和真が真剣さのこもった声で言った。

「急にどした?」

「評価されたいよなってつくづく思ったんだよ。今回のヤルミーの件で」

「なんで?」

「そりゃ、こんだけ多くの人に悼んでもらえるって人間としてステージが上っていうか。面白い人生を生きた感じがするじゃん」

 ヤルミーは面白い人生だったのか。彼の死因は発表されていない。事故か病気か、それ以外か。憶測ならたくさん飛び交っているけれど、僕らには本当のところはわからない。

「ロックだよ。ヤルミーはロックな人生をいった!」

 和真が興奮した様子でそう口走る。一方で僕はなにも言えなかった。

「そろそろお開きにしない……?」

「今、アツくなってきたところだろ!?」

「ごめん、歌う気分じゃなくなってきてさ」

「なら、あと一曲だけ。それで終わりするから付き合えよ」

 和真は相談もなしに最後の一曲を決めたらしい。すぐに激しいドラムとエレキギターの前奏とともに曲のタイトルが表示される。

「メーデー生命……」

 それはヤルミーが死ぬ直前に公開した楽曲だった。和真がマイクを押しつけてきたので渋々受けとる。


戦場をかけるメーデー生命! 呪っている暇はねえ人生はタイムリミットつきの爆弾

弾けるその日までメーデーメーデーメーデー叫びながらでも走れ!


 この詞を書いてたときのヤルミーは自分がもうすぐ死ぬことを知っていたのだろうか。どんな気持ちでどんな顔して、この曲を書いたのだろう。いまヤルミーのことをもっと知りたいと思っている自分がいる。けれど、きっと二週間も経てばこの熱は治まる。

 薄情な自分がわかっているのに曲の最後のサビにさしかかったとき、恥知らずにも僕はぼろぼろと大粒の涙をこぼしていた。

 ごめんなさい、ごめんなさい、ヤルミー……。


終わり

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