第14話 作戦、月夜のりんご
母屋の水場。
ここ数日はよく晴れていたので洗濯が捗り、今朝はそれほど混雑していない。わたし以外には三人の使用人の姿が見えるだけだ。
わたしは普通に自分の洗濯を終え、それでもすぐには立ち上がらず、布地を揉んでは伸ばし、揉んでは伸ばしして時間稼ぎをしていた。ときおり腰を浮かせ、水場の奥の方を見やる。さぞや怪しげに映ったことだろう。
奥の方では、母屋の洗濯係の年嵩の女性が作業をしていた。母屋づとめの侍女たちのものらしい。
衣服もあるし、寝具やら手拭いやらも相当の量だ。
そして、色が多い。鮮やかとまでは言わないけれど、染めたり、刺繍したりで、たくさんの色が使われている。個人の好みというより、担当する職務ごとに制服や使う布地の色使いが分けられていると聞いた。
裏づとめの使用人たちは、特に定めがあるわけではないけれど、なんとなく落ち着いた色の布地を使うことが多い。わたしもそうだ。いま着ているのも黄灰色の一枚着の作業衣だし、替えの服もだいたいはそんな色。寝具も掃除布も、まあ灰色一色だ。
わたしが先ほどから洗濯係の女性を監視している理由がまさに、そこにある。
と、ひととおりの布地を右のすすぎ桶から左の網籠に移し終えて、彼女はふうと息を吐きながら腰に手を当て、立ち上がった。背中を伸ばしてあくびしている。
よし、いまだ。
「……あ、あのう……」
わたしも同じように立ち上がり、ぎこちない笑顔を作った。我ながら表情が固い。別にやましいことをしようとしているわけじゃないけれど、やはり自分自身の行動が怪しいと思ってしまっている。
洗濯係の女性は、それでも特段いぶかしむでもなく応じてくれた。
「ん、なんだい」
「あの……よ、よかったら、そのお洗濯、わたしが干してきましょうか……?」
「え? なんでまた」
「あ、いえ、その、わたし今度、服を縫ってみようと思っていて……母屋の侍女の皆さん、制服がしっかりしてるから参考にしたくて。でも普段、じいっと見るわけにもいかないし」
「ああ、それで。縫製のやり方、確かめたいんだね」
「あ、はい、それに……先輩、お腰が辛そうにされてるから、助けにならないかなって」
秘技、先輩呼び。
腰を気遣ってもらったことにも気を良くしたのか、彼女は笑顔になって頷いた。
「そうかい? じゃあ今日は、お言葉に甘えようかな。悪いわねえ」
「いいええ。いつもお仕事、ご苦労さまですう」
わたしもさらに大きな笑顔を作って網籠を受け取った。
よし、目標達成。
自分の洗濯物と合わせて干場に運び、母屋に引き上げていく洗濯係さんを遠目に笑顔で見送る。姿が見えなくなったのを確認し、やおらもこもこと網籠の中身を検分してゆく。
目当てのものはすぐに見つかった。
濃い青地の一枚服。執事付きの侍女たちの制服だ。
それに……黄色い布地。縁に小さな装飾がある。棚に敷くものだろう。
赤の手巾も何枚かある。よしよし。
懐から書付を取り出す。上等な紙に走り書きをしたもの。
筆跡は、わたしのものではない。
なんとなく鼻を近づけて匂いを確かめ、なにやってるんだわたし、とひとりで顔を赤らめる。
書いたのは、
一昨日、ルキソエール家の別邸から戻る途上の馬車のなか。リディスさまは懐から筆記具を取り出して、さらさらとこれを
ぽかんとしているわたしに、リディスさまはぐいと顔を近づけて紙片を覗き込んだ。頬が触れそうな距離。のけぞるわたし。
が、リディスさまは気にするでもなく紙を指差す。
いいか、本作戦でもっとも重要なのは相互に情報を伝えられるということ、互いの意思を正確に合致させるということだ。
はい? という顔をしたわたしに、リディスさまはふふんと鼻を鳴らした。
正確な情報伝達は軍事行動の基本だ。そして今回、我々が企図しているのは極めて慎重に秘匿すべき、露見すれば甚大な被害を生じる恐れのある内密行為だ。軍事行動と比肩すべきである。よってこれを、俺は作戦と呼ぶ。
そうしてとんとんと、紙片の右肩あたりを指先で叩いてみせた。
作戦名、月夜のりんご。
太く、だけど意外なほどに柔らかな筆跡で記されたその言葉を、わたしはいま、改めて指でなぞっている。ふふ、と笑みがこぼれる。
子どもだ、と思った。あんなに強く大きい身体の中に、無敵の将軍の鎧の内側に、無邪気で繊細で甘いものが大好きな、小さな子どもがいる。
そういうリディス将軍を、わたしが……わたしだけが、知っている。
なんだかそのことが嬉しくて、小さく声を出してみた。
「……作戦、開始!」
左手に持った紙片を見ながら、右手で布地を選んでいく。
黄色、赤……赤、白。そして青、白。
できるだけ大きなもの、遠くからでも見分けやすいものを選り分けた。そうして選んだ布地を順番に、二枚ずつ隙間を空けて干し竿にかけてゆく。
干し竿はできるだけ母屋から見えやすいものを使う。
そうしてその左端に、大ぶりの黒のリボンを結びつけた。わたしが干したという目印だ。見えはしないのだが、小さくりんごの刺繍を入れてある。なんとなく、そうしたかったのだ。
干したあとで数歩さがり、様子を見る。うん、大丈夫。これなら母屋の三階からでも見えるだろう。
黄色と赤の布地は、準備ができた、の意味。
赤と白は、明日。青と白が、その日より後ならいつでも。
そう。これは、リディスさまに伝えるための暗号なのだ。
伝える内容は、わたしのところに忍んでくる日取り。もちろん艶めいた意味ではない。リディスさまの要望を受けてわたしが用意したお菓子、それを食べに来るのだ。
リディスさまが考案した合言葉、符牒は、ふたつの内容からなっていた。
ひとつはリディスさまがお菓子を食べたくなったときにわたしに伝えるためのもの。もうひとつは、その準備のほどをわたしが伝えるためのもの。
リディスさまが甘いものを口にしたくなったら、夕食の献立を厨房係に伝える。その献立の内容、素材の組み合わせで、どんなお菓子が食べたいのかの希望を伝えるようになっているのだ。
いま手元にある紙片の表には、その組み合わせがたくさん書いてある。
最初そのことを聞いたとき、わたしは首を傾げた。
献立なんて毎日、伝えるもの。それがわたし宛だというのをどうやって見分ければいいのか、と。でも、リディスさまは笑って首を振った。
リディスさまはこれまで一度も、食事の希望を述べたことはないらしい。子供の頃から、一国の将軍となった今に至るまで。幼少時の厳しいしつけの影響もあっただろうけれど、あまり食事に興味をもてないんだ、と、リディスさまは寂しそうに呟いたのだ。
だから、わたしは母屋の厨房に食材をもらいにいったときに、リディスさまが前の晩に料理の希望を出したかどうか、確かめればよい、とのことだった。
希望していれば、それがわたしへの合図。あとは食材を聞き取って、この紙にかきつけてある符牒に照らし合わせればよい、と。
そして今回のご要望は、クリームをたっぷり乗せたタルトかパイ。果物も欲しい、と。厨房で聞いてきたのではない。このあいだ、別邸から戻ったときに、母屋の前で要望は聞いていたのだ。
たっぷりの白い香草。大きな芋と、鶏肉。リディスさまはそう言った。
白い香草はクリーム、大きな芋は大きい焼き菓子、鶏肉は果物だ。
リディスさまは戻ったその日に、いきなり符牒を使ったのだ。
たぶん、はやく試したくて仕方なかったのだろう。
ほんとに、子どもだ。
母屋をふり仰ぐ。
雲ひとつない晴天から降り注ぐ光を浴びて輝いている。
三階建てのその建物の、最上階の一番奥が、彼の部屋。
覗いてるかな、と、その窓に目を凝らしてみたが、姿は見えなかった。
色とりどりの洗濯物を見つけた時のリディスさまの表情を想像する。知らず、頬が緩んでくる。
わたしは鼻歌を歌いながら軽い足取りで炭焼き小屋に向かった。
自分の洗濯物を干すのを忘れたことに気がついてすぐに戻ってきたけれど。
炎鬼将軍の隠れパフェ 〜最強武人を餌付けしたらふにゃふにゃに溶けちゃいました〜 壱単位 @ichitan
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