第13話 その者に触れるな


 馬車はルキソエール家の本邸に戻ってきた。

 正門をくぐり、砂利を踏みながらゆっくり母屋に向かう。

 華美ではないが清楚で緻密な彫刻で飾られた正面玄関の前に横付けされる。

 当主の馬車と気づいた衛士なり馬周りたちが数人、走り寄ってきた。

 

 誰かが馬の口をとり、踏み台を置く。

 客車の扉が静かに開かれる。

 敬礼する衛士たち。


 と、彼らは一様に眉をあげ、訝しげな表情を浮かべた。

 客車から出てきたのは屋敷の主、リディス・ルキソエール将軍。だが、その背後に、申し訳なさそうに頭を低くしてにへらと笑う女を発見したからだ。

 わたしである。


 「……あ、し、しつれい、しまあす……」


 どんな表情でなにを言えばいいのかわからなくて、とりあえず失礼を詫びてみた。失礼なんだろうか。

 別邸で借りたリディスさまのお母さまの服から、元の自分の服に着替えている。つまり、野良着に近い普段着のままだ。化粧をしているわけでもない。髪もばっさばさである。

 うん。失礼かもしれない。


 こいつは誰だ、というような表情を浮かべていた衛士たちだが、うちのひとりが、踏み台に足を乗せたわたしの手を取ろうとした。仮にも当主が馬車で連れ帰った女である。いかに怪しい風体だろうが、どんな因縁があるのかわからない。ここは淑女として扱うべきと判断したのだろう。


 と。


 「触れるな」


 低く重く、しかし鋭い声が飛び、玄関前の石畳に反響した。

 リディスさまが左の肩越しに振り返り、射るような強い目を衛士に向けている。

 声を受けた衛士はびくっとして手を引き込め、目を見開いてリディスさまを見返した。周囲の衛士たち、馬周りも、そしてわたしも。全員、彼をみている。

 無数の視線を受けたリディスさまは、こほんと咳払いしてみせた。 


 「ああ、うむ。その者、国防にかかる極めて重要な事案について参考人として取り調べておる。よって身柄はきわめて慎重に取り扱わねばならない。軽々に触れて負傷などさせるわけにはまいらぬのだ」

 「あ、し、失礼いたしましたっ」


 衛士は弾かれたように敬礼の姿勢をとる。

 と、その横の、職位が上と思われる別の衛士が、わたしを上から下まで点検するような視線を向けてきた。

 わたしは虜囚に準じた扱いでこの家に預けられている身分だけど、周知されているわけではないのだろう。わたしも衛士たちは誰も知らないけど、あっちもわたしの顔が分からないようだ。


 「では、この者、屋敷内で勾留いたします」


 そういってわたしに歩み寄る。わたしは咄嗟に足を引いたが、相手の手がかかるのが早かった。右の上腕がぐいっと掴まれ、思わず、いたっ、と声が出てしまった。

 が、その力はすぐに弱まった。


 「ぐ……うっ」


 うめく声は、衛士だ。

 わたしの腕を掴む衛士の手を、リディスさまが握っている。眉を逆立て、口を歪め、紅い瞳に怒りの色を浮かべている。周囲の空気までも震えているように思えた。

 衛士の腕の骨が、みしり、という音を立てた気がした。その怒気と迫力にわたしまでも後ずさった。

 リディスさまがぽんと無造作に手を離すと、衛士は掴まれたところを押さえてよろめいた。

 

 「触れるな、と申した。聞こえなかったか」

 「……」

 「その者は隣国の貴族の娘だ。王命により当家が預かり、炭焼き小屋に留めてある。が、拘束は王命にない。王命にない処分は違法だ。そして俺は違法をなす者を断罪する権限を有する」

 「……も、申し訳……ござい、ません」


 リディスさまはふっと鼻を鳴らし、胸を反らした。改めて周囲を見回す。衛士たちは背筋を伸ばした。


 「よいか。この者、エーレアンヌ・リットヴァルデン・リジオは我が国、我が王にとって極めて重い意味を有する参考人だ。よって害をなす者、分別なき振る舞いを行う者は、それすなわち王に対する逆意ありと見做す。しかと肝に銘じよ!」


 叩きつけるように大音声で言い切ったリディスさまの声に、衛士たちは一糸乱れず、がつんと踵を打ち鳴らしてみせた。


 わたしはその後ろで呆然としている。

 名前を呼ばれた時点で、お願いあんまり言わないでという目線を懸命にリディスさまに送っていたのだが、届かなかったらしい。

 明日からわたし、屋敷の人たちにどんな目で見られるのだろう。


 と、そんなわたしをちらと見て、リディスさまは片眉を上げ、ふいと横を向いた。先ほどとまったく違う、照れたような、子供のような表情。踵を揃えてこうべを垂れている衛士たちには見えていないだろうけど。

 わたしとは目を合わせず、控えめな声を出す。


 「リジオ子爵令嬢」

 「あ……はい」

 「手数をとらせたな。今後については追って沙汰する」

 「……はい」

 「今日はよく休め。今後の詮議も厳しいものとなるだろう」


 わたしは言葉は返さず、胸の前で手をあわせ、礼をとってみせた。それを見届けたリディスさまは満足げに頷いて、空を見上げ、はああと息を吐く。両手を広げて伸びをする。

 と、そのまま、上空に言葉を投げる。


 「さあて。今日は……そうだな。白い香草……うん、白い香草で、大きな芋と鶏肉を炒めたものが喰いたい」


 大声でそういい、ひとり顎に手をやり、うむうむと満足げに頷いている。

 唐突に夕食の献立を大声で指示され、戸惑う衛士たち。顔をあげ、互いに首を傾げ合う。実直な衛士は懐から書付を取り出し、言われた内容を記録している。

 そして、わたしは。


 「えええっ?」


 しばらく考えた末、いきなり素っ頓狂な声をあげたわたしを、全員が睨む。集まった視線にわたしは、わたわたと手を振る。


 「あ、いえ、すみません……あ、あの、おっきな声で、驚いて」


 えへへ、と笑うわたし。

 と、リディスさまがが大股で玄関に向かった。衛士たちは慌てたふうに隊列を組み直し、追従する。

 衛士が開いた扉をくぐるとき、リディスさまは立ち止まり、再び斜め前方の空を見上げた。いたずらを思いついた子どものような表情。


 「白い香草は、多めがよかろうな。たっぷりと、ふんだんに」


 献立を繰り返して、リディスさまは玄関広間に入っていった。衛士たちが続く。全員が屋敷内に入るのを、わたしは頭を下げて見送った。

 ようやく扉が閉まる。残っているのは馬周りの使用人くらいだ。

 そこでようやくわたしは、全身の力を抜くことができた。ふううと息を吐いて、下げた頭をさらに下げる。髪も両手もたらんと垂れている。


 「……つ、つかれたあ……」


 物干しに干された掛け布のような姿勢で、わたしはひとりごちた。

 と、母屋の端のところから数人が走り寄ってくる。隠れて様子を見ていたらしい、裏周りの仲の良い使用人たちだ。


 「エルちゃん、ちょっと、大丈夫なの」

 「心配したんだよう」

 「お館さまの火急の用って、なんだったのさ」


 わたしに掴みかかるような勢いで矢継ぎ早に質問を繰り出す。

 あはは、と応じながら、わたしはちょっと目頭を熱くしていた。

 心配してくれてたんだ。わたしのこと。

 なんて答えようかと少し迷って、先ほどのリディスさまの言葉に寄せてみた。


 「うん、あの、ええと……わ、わたしの国、いまなんかいろいろ難しいことになってるらしくて。戦になる前の街の様子とか、政治のこととか、いろいろ聞かれたよ」

 「え、政治って……」

 「あ、うん、わたしが関わってることじゃないんだけど、参考に、って」


 不安そうに顔を見合わせるみんな。

 園庭係のナツァグさんが代表するように、わたしの目をじっと見る。


 「……エルちゃん、さ。どこにも……行きゃあしない、よね」


 わたしは、あはっと笑おうとして、失敗した。

 目の端から涙が溢れるのを感じたけど、拭う前にナツァグさんを抱きしめた。

 そこにみんなが覆い被さるように手を重ねてくる。


 わたしは、虜囚。

 身柄もいのちも、わたしが知らない誰かの言葉ひとつで簡単に消えてしまう。

 わたしの意思になど、なんの意味もない。

 でも、それでも。


 「……大丈夫だよ。わたし、どこにも行かない。みんなといる」


 ぐす、と鼻を鳴らしながら声を出す。みんなもうんうんと頷く。胸がいっぱいになってしばらく動くことができなかった。

 でも、そうしているうちに、わたしはひとつ残念なことを思い出してしまった。うう、となる。

 でも、約束だ。やらなければならない。

 みんなにぎゅっとされたまま、遠慮気味に小さな声を出す。


 「……ところで、さ。牛乳、たくさん余ってるひと、いないかな……?」


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