第12話 笑顔でお礼を
「エル」
流れゆく外の風景を眺めている。
ルキソエール家の別邸を出て、馬車に揺られているのだ。
街道沿いには丁寧に手入れのされた街路樹が並び、ほどよく入り混じった商店と住宅が色とりどりの街並みを作り上げている。店先に並べられた商品、荷車に山と積まれた野菜。行き交うひとの装束も表情もさまざまで、邸の外に出ることのないわたしにとっては眺めているだけで楽しく、嬉しかった。
「エル……エーレアンヌ」
たまにはこうやって外の空気に触れたいと改めて思う。囚われ暮らしなのだから、望んではならないことなのだろうけど、やっぱりいろんなひとの姿を見て、暮らしの匂いをたくさん吸って。そうじゃないとわたしの中身が固まっちゃう。
「……リジオ子爵令嬢」
もうすぐ夏。実家でひとりで生きていた頃は、夏に外に出るたびに近くの森に流れる川で、足先をぱしゃぱしゃした。濃い緑の葉っぱが揺れて、お日様がきらきらと降ってきて。ああ生きてる、って感じだったなあ。
「……リットヴァルデン領のエーレアンヌ」
あ、そうだ。おうちに、炭焼き小屋に帰ったらポタージュを仕込もう。たくさんお豆もらったんだった。早めになんとかしなきゃ。
「うぉおっ、ほん!」
わざとらしい巨大な咳払いにわたしは少し肩をすくませ、仕方なく向かいの席に顔を振り向けた。じっとりと目を細めてみせる。低い声を出す。
「なにか」
「なにか、じゃないだろう。さっきから呼びかけている。なぜ返事をしてくれない」
「あら、そうでしたか。聞こえなかったもので、失礼をいたしました」
それだけ言ってまたぷいと横を向く。
リディスさまは、あう、というような小さな声を出し、わたしに手を伸ばそうとしたが、取りやめたらしい。かくりと顔を下に向けているのが横目に見える。
「……なにをそんなに、怒っているのだ……」
「怒ってなどおりません」
「怒っているではないか」
「わたくしめに怒る理由などございましょうか。お作り申し上げた菓子を気に入っていただき、その上、過分にも金銭までご下賜いただけるというのです。ああ、まことにありがたくかたじけなく、涙が浮かんでまいります」
「……そこ、か……」
首の角度をさらに深くし、厚い両肩を力無く弓形に落とす。
わたしも首を捻じ曲げ、リディスさまの姿が目に入らない角度を設定する。
「……言ったではないか。俺はひとの心を察するのが不得手なのだ。君が作ってくれた菓子を、また食いたい。だが、材料なり手間なり、君に一方的な負担をかけるのが嫌なのだ。だから、せめて費用を出させてもらって、あわせて感謝の気持ちを……だな……」
向かいの緋毛氈の座席の半分を占める体躯。その背を丸め、膝をそろえ、小さく呟くような声を出す当代最強の武人、
わたしは横目をちらりとそちらに向けた。
大型犬、と思った。叱られてしょんぼりと俯いている、長毛種。
こちらに向けている紅い暴れ髪をしばらく眺めた後で、わたしは大きなため息をついた。身体の向きを変え、彼の膝にあたらないように相対する。
「……わかりました。もう、いいです」
彼はぱっと顔をあげ、紅い瞳を向けてきた。
腕を伸ばせば届く距離でまっすぐに見つめてくるその強さに、わたしは頬が熱くなったように感じて、少しだけ目を逸らしてしまった。
「本当に……そのあたり、苦手でいらっしゃるのですね」
「……慚愧に絶えぬ……」
「では、こういたしましょう」
わたしは咳払いをし、背を反らしてみせた。リディスさまも居住まいを正す。
「お館さまと二人の時には、持って回った言い方、やめます。そういう振る舞いも控えます。思ったこと、感じたこと、してほしいこと。そのまんま、お伝えします。これ、小さな子どもへの接し方です。それでもよろしいですか」
さすがに怒るかな、でもいいんだ、ちょっとした意趣返し。
そんな気持ちで出した言葉に、だけど、リディスさまは深く頷いてみせた。
「よい。いや、むしろぜひ、そう願いたい。思ったことを言ってくれ。俺は相手の気持ちを読み解くのが苦手だが、敵を見抜くことはできる。目の前の相手が自分に悪意があるのか、自分を思ってくれているのかは、わかるんだ。だから、俺は怒らない。君になら、なにを言われても」
「……え」
「君はずっと、俺のことを思ってくれていた。だから、怒らない」
ひゅ、と息を呑んだ。改めて彼の顔を見る。
が、リディスさまはきょとんとした瞳を向けてくるだけだった。
しばらくそのままで固まって、今度はわたしがかくりと首を落とす。
ですよね。
そういう意味ではない。わかってます。
慣れてゆくことができるか不安だったけれど、でも、リディスさまというひとの形をようやく掴んだような気がして、わたしはどこかほっとしたような気持ちになっていた。
ふん、と気合を入れ直し、再び背を伸ばす。
「では、申し上げます」
「む」
「先日、わたしがアップルパイを差し上げたのは、そして先ほどパフェを作ったのは、お礼が、お代が欲しいからではないのです。お館さまに召し上がっていただきたい、お菓子でお心、ほぐしていただきたい、そう思ったからなんです」
「……うむ」
「だから、美味しかったよ、ありがとう、っておっしゃっていただけるだけで、作った労力なんて何倍にも報われるものなんです。ぜひ次は、笑顔でそうおっしゃってください。もし、わたしにお礼をしたいと、お考えなのであれば」
リディスさまは瞬きもせずにじっとわたしの話を聞いていたが、やおら、だんっ、と膝に拳を叩きつけた。揺れる馬車。のけぞるわたし。
「あい、わかった! しかと承知した! このリディス・ルキソエール、いまの君の言葉、胸に刻んで終生忘れぬと誓おうぞ!」
「あ、は、はい……よ、よろしくお願い、いたします……」
「そうか。礼の言葉か。対価ではなく、価値の釣り合いでもなく、行動時点の気持ちを言語に置き換えること、そしてそれを明瞭に伝達することこそが肝要、と……」
うん、うん、とひとりで頷きながら膝をぼんぼん叩いているリディスさま。なんだかその様子が、喧嘩の後で仲直りの方法を母親に聞いている男の子のように思えて、わたしはぷっと吹き出してしまった。
「そうです。何かしてもらって嬉しかったのなら、まずそのことを言葉で伝えること。これはお菓子のことだけじゃないですよ。お屋敷のみんな、お仕事をご一緒される皆さま、どなたにも、どんなことでも、です」
「む。承知した」
「これからはきっと、お屋敷の厨房でもお菓子を作っていただく機会が多いと思います。そのときも美味しいと思えば、ぜひ作った方にそうお伝えください」
と、リディスさまが妙な顔をして黙ったので、わたしも口をつぐんだ。
「……いや……屋敷では、食わん……」
「え」
「菓子。甘いものは、外で……君に作ってもらったものだけ、だ」
「なんで、ですか」
「……俺は、敵が多いのだ。いくさの場での敵だけではない。国のなかにも、軍の内側にもいる。少しでも気を抜けば、後ろから刺される。気を抜くというのは隙を見せるということだ。だから、隙をできるだけ作りたくない」
「……それと、甘いものが、なんの関係が……」
「わかるだろう」
わからない。
自分は相手の気持ちに鈍いくせに、ひとには察することを求めるのだなあ。
黙っているわたしに、リディスさまはやおら眉を逆立て、厳しい顔を作ってみせた。
「俺が甘いものを食えば、使用人たちの噂に立とう。そしてすぐに外に伝わる。いままで甘いものを食わなかった男が、食うようになった。なにか心境が変化したのだろう。体調を崩したのかもしれない。契機だ、そこを突いて追い落とそう。敵は、必ずそう考える」
「……そう、かなあ……」
「そういうものだ。そもそも、似合うか。菓子が。この俺に」
ふん、と胸を張ってわたしを見下ろすような表情。威張られても困る。
「似合う似合わないで食べるものじゃないと思いますけど……」
「とにかくだ。食わん。ひとの見ているところではな」
「……じゃあ、これから、どうするんですか。お菓子、欲しくなったら」
「符牒をつくる」
その言葉を知らなかったわたしは首を傾げてみせた。
「合図だ。互いにしか通じぬ、合言葉のようなものだ。それを君と俺とで共有する。必要が生じれば、合図する。君は準備する。準備ができたらそれも符牒で返す。そうしたら俺は、忍んでゆく。夜に」
「……よ、夜に、ですか」
「夜しかあるまい。昼ひなかに君の小屋に訪ねていってみろ。大変な騒ぎだ」
「夜に見つかった方が、よっぽど大変だと……」
「俺を誰と思っている。夜陰に紛れた作戦行動はもっとも得意とするところだ」
ふふんと口角を持ち上げてみせる。
「それでだ、符牒の内容なのだが……」
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