後編
6
車を会場の裏に回してもらう間、俺はツムギと待機室でのんびりとしていた。こういうとき、コーヒーでも飲めたらいいのだが、憑依体は飲食不可かつ水濡れ厳禁である。
「ツムギ、家に帰ったらカフェオレ作ってよ」
「この間、レシピデータは渡したでしょ」
「ツムギに出してほしいの。わかんないかなぁ~」
「僕がやってもタスクがやっても、寸分違わず同じものができるのに」
「情緒がないねぇ、ツムギが出すからいいの」
「タスクくんは甘えたい年頃かぁ」
「途端にキモく思えてきた……」
「ふふ、ごめんごめん。カフェオレは出してあげるよ。あとね、戻ったらタスクに話したいことがあるんだ」
「話したいこと? 今、言えばいいじゃん」
「えー、情緒がないねぇ」
「真似すんなって! あはは!」
俺もツムギもリラックスした状態で会話していた。完全に気が緩んでいた。
壊れるくらいの勢いで部屋のドアが開けられる。ドアと壁がぶつかる、ガンッと硬質な音がした。シワ一つない綺麗なスーツに身を包んだ男が、機材でも入っていそうな黒の斜めがけバッグを持って、飛び込んできた。
潜入カメラマンとかパパラッチとかそういうのが頭に浮かんだ。けれど、男の正体はそんな穏やかなものじゃなかった。
「人形が人間をふりをしているのに、どうしてみんな気がつかないのか!」
あっ、これマズイやつだ。男が発した短い言葉から即座にそう判断した俺はツムギを引き寄せようとする。その瞬間、スーツの男が蓋の開いた瓶を思い切り投げつけてきた。
「タスクッ! 痛ッ!」
瓶がツムギにあたって、割れた。辺りに独特の異臭がまたたくまに広がる。
「ガソリン……!?」
カチッ、カチッと不吉な音を耳がとらえる。音の方向に目を向けた。オレンジ色、火、男の手元で火がついている。男が振りかぶった。
「僕から離れて、タスク!!」
ツムギが叫んでいる。火が飛んできた。
ボアッ!
ツムギの憑依体が一瞬のうちに火に包まれる。
「あっ、あっ、あああ…………うわああああああああああ!?」
俺は腰が抜けた。ツムギの憑依体が燃えている。
ガンッ……頭になにかあたった。血ではない液体が流れてくる、強烈な異臭からそれがガソリンであることはわかった。
スーツの男がなにか喚いているけれど、まったく聞き取れない。ただ悲しいことに、こちらをひどく憎悪していることだけは理解できた。
「接続解除……」
俺は意識を焼き切られる前に自分から憑依体との接続を切った。
7
「はあ……」
起き上がって十数秒、仮想空間に戻ってきた俺はすぐには動けなかった。熱くも痛くもない。どこも怪我をしていない。だけど、動けなかった。
思考の海に沈みそうになるのをこらえて、俺はツムギの名を呼んだ。ツムギはいつものソファに座っている。
「大丈夫か?」
くるりとツムギが振り向く。目を丸くして、キョトンとしている。
「タスク……なにが起きたの?」
「俺にもよくわかんねえ……。デジタルヒューマンの過激アンチの仕業だと思うけど……」
ツムギは慌てた様子で俺に荒木賞の式の主催者に連絡しろと言ってくる。
「そりゃ、するけど……。警察の坂崎さんと蘭堂さんが先のほうがいいだろ、たぶん心配してる」
「でも、受賞式が始まる直前じゃないか!」
「えっ?」
俺はここでようやくツムギに起こっている異常に気がついた。
「受賞式は無事に終わったよ。ツムギも見ててくれただろう」
「……終わった、受賞式が?」
「ツムギ……もしかして記憶が、飛んでるのか」
「僕が覚えてるのは会場に向かう途中で、一瞬通信が乱れたところまでで……。そうか、式はちゃんとできたんだな……」
ツムギは安心したように笑っていた。だけど、同時に泣き出しそうに見えた。
「俺の記憶になっちまうけど……受賞式の間の記憶、送ろうか」
「うん……送ってほしいな。タスクがいいなら僕も覚えていたい」
「わかった、編集してから送るよ」
受賞式終了までの記憶を、ツムギには送ろう。待機室に向かってからのは記憶はいらない。
「どうして、僕たち仮想空間に戻ってるの? タスク、さっき過激アンチになにかされたって話そうとしてたよね。もしかして受賞式の後に事件があった?」
「ううん……。隠してもニュースになるだろうから、言っといたほうがいいか……。燃やされたんだよ、俺たちの憑依体。ガソリンぶちまけられて派手にブワァーっと……」
人間に燃やされたと聞いて、ツムギは少なからずショックを受けているようだった。俺はツムギを抱きしめた。
「憑依体は燃えたけど、俺もツムギもここにいる。だから、その……元気出してこ……?」
ツムギの体が震える、泣いてるのかなと、ドキッとしたのにツムギが押し殺していたのは笑い声だった。それが数十秒もするとこらえきれずに表に出てくる。
「小説家なのに、気の利いた言葉はとっさに出ないもんだね」
「うるせぇやい! だいたい俺、格好いいタイプの小説家じゃないし! 親近感、持たせる派だから!」
「そうだね、格好いいよりは面白いだよね、タスクは」
ツムギが屈託なく笑った。気分がかなり沈みそうになる出来事だったが、ツムギの顔を見ていると俺も落ち着いてきた。ツムギには、セラピー効果があるのかもしれない。
「警察から電話だ……。はい、廻神です。こちらはなんとか無事です。あのあと……犯人ってどうなりましたか?」
ちゃんと逮捕されて裁かれてほしいと思ったから尋ねた質問だったが、警察からは予期していなかった返答が来る。
容疑者死亡。焼死だったらしい。
「そこまでして、俺たちを否定したいものですかね……」
なかなか言葉が出てこない。頭が働きたくないとごねているみたいだった。
通話を切ってから、ツムギになんて言うべきかわからなくて口を閉じた。話しかけられても、あまりまともな返答ができなかった。
こういうとき睡眠時間をとれる人間が羨ましい。なにも考えない時間、思考を強制終了させられる時間。デジタルヒューマンにもそういうのがあったらいいのにと思った。
俺は虚空を見つめた。ツムギみたいに仕事をしているわけじゃない。なにもしたくなくて、目を開けたままソファでだらけた。
8
次の日、警察から事情聴取を受けた。といっても仮想空間からだ。憑依体に入っているところを二度も襲われているので、憑依体はしばらく使わないことにした。それに仮想空間からの対応なら、人間の取材班に囲まれるなんてことも防げる。メディアも民衆も、みんなの関心事は事件に巻き込まれた俺たちにあった。
デジタルヒューマンの二人組、焼かれる。まあ、そうだね、俺も自分自身のことじゃなけりゃ面白そうだと思うかも。
評論家やコメンテーターが険しい顔をして、デジタルヒューマンやその取り巻く環境なんかをテレビや配信で喋ってくれている。SNSはさらにカオスでいろんな立場の素人の意見、批判、お気持ちで溢れていた。俺はこの状況を望んでいたはずだ、デジタルヒューマンについて認知を上げて、人間と変わらないと感じてもらおうと思っていた。
でも、実際そうなってみると、みなさん議論に忙しそうでなによりですねと思ってしまう。これは俺たちの待遇を改善するのに必要なことのはずだし、いずれは社会が通ることになる道だった。それが今回たまたま俺たちの事件がきっかけになっただけ。
「タスク〜、眉間にシワ寄ってるよ」
「ん、ちょっと……事情聴取に疲れたんだわ……」
「休憩にしよ」
ツムギがパチンッと、指を鳴らした。空中に湯気のたつカフェオレが出てくる。
「あっ……」
「どうかした?」
「いや、カフェオレだなぁって……」
「違うのがよかった? 替えよっか?」
「これがいい。カフェオレ、いれてもらう約束してたから」
「…………もしかして、僕と約束してた?」
「ああ、飛んじまった記憶の中の時間で話したことだ。覚えてなくても気にすんなよ」
「気にするよ。カフェオレを飲ませること以外には、なにか話さなかった?」
そういえば、家に帰ったら俺に話したいことがあるとあのときのツムギは言っていた。だけど、今のツムギはもうそのときのことを覚えていないわけだし、そんなことを伝えられても困惑するだけか。でも、話したいことに心当たりはあるかもしれない。言っておくべきか。
「俺に話したいことがあるって、言ってた」
「その場で話さなかったの? ふたりっきりだったんでしょ?」
「情緒がないねぇ、って言ってお前が話さなかったんだよ。家で話したかったんだろ、たぶん……」
「タスクに話したいことぉ? えー、なんだろう、全然思いつかない……」
「なんか……重要そうなことを話したい雰囲気だったぞ」
「タスクに話さなきゃならない重要なこと…………まーったく思い浮かばないね!」
あっけからんと言い放つツムギに、思わず苦笑いしてしまう。
あのときのツムギの思考は永遠に失われてしまった、もしかしたらそれはとても大切なことだったかもしれないし、とてもくだらないことだったかもしれない。
「俺が聞けたはずのツムギの言葉を持っていかれたわけかぁ……そう考えると無性に悔しいな……」
「まあまあ、一緒にはいるんだし、そのうち僕が話したいと思ってたことは聞けるんじゃないかな。もしかしたら、もうとっくに聞いてるかもしれないし」
「それもそっか」
ツムギがにこにこしている。なんかすべてがどうでもいい。投げやりなどうでもいいじゃなくて、こいつがいればなにもかもどうでもよくなる。
人間との付き合いとか自分がデジタルヒューマンであることとか、社会に果たす義務とか責任とか役割とか、そんなのどうでもいいよ。
消滅するそのときまで、ツムギと遊んでいられれば、俺はもうそれでいいや。
了
デジタルヒューマン 棚霧書生 @katagiri_8
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