第1話
「ふう……」
意味もなく溜息だけを繰り返しては男は歩く。
別に目的はなく、ただ彼の家に帰るためだけに足を動かしているに過ぎなかった。
男の黒髪はボサボサで艶もない、着ている服も長く着続けいるのだろうあちこちすり切れいている。
だからと言って特別、仕事に疲れたわけでもないし、体の調子を壊しているわけでもなかった。
元よりそんなに柔じゃない。
ただ街の空気が途轍もなく彼――力弥には重くて、生まれ住んで来た街だというのに未だに馴染むことも出来ずに、ただ何となく仕事だけを黙々と熟して一日を過ごす繰り返しだった。
ふと街に目をやればネオンが眩しい。
パレス、それがこの街の名だ。
『宮殿』という名にまさに相応しく、歓楽街が
そう、ここには何でもある!
人々が求めてやまない欲望が。
Sex、Violence、Drug……果たしてこの街で手に入らないのは何であろう。
ここを訪れるものは誰もが懐いっぱいの
そんな人の欲望を一心に受ける、美しく艶やかなセクサドールたちはまさにパレスの
彼らは一見街の主役のように言われるが、それはまやかしにすぎない。
所詮は欲望の
力弥はそんな彼らの運命を誰よりも知っていた。
街の産業を支えるセクサドールの修理屋、つまり機械人形修理工が彼の仕事であったから。
彼は職人としてとても優秀だったが、同時にかなり変わり者でも知られていた。
セクサドールを一時的にも恒久的にも買うという、この街で当たり前なことをただの一度もしたことがなかったのだ。
快楽こそが至上の悦楽という街でそれはまさに異常だと言えた。
何故ならパレスでは快楽に身を浸すことが善であり、それをなさないのは悪となる。
しかし彼、力弥にとってはそこには望むべくものが何もなかった。
街の溢れかえるネオンライトも
ねっとりとした呼び掛けが間断なく行き交う中で、間違いなく自分は浮いた存在だと思う。
どんなにドールたちを彼の技術を持って
それを思い知ったのはそう遠い昔でもない。
そう……あれは雨が酷く降った日だった。
その日、力弥は初めて給料という自分で稼いだ金を手に入れたのだ。
それ自体はとても嬉しく、自分のやっていることに対しての正当な評価だと感じていた。
彼にしては珍しく浮かれて街を歩いていたのだ。
鼻歌すら歌いたくなるほどに気分良く。
しかしふと入った路地でそれは見事に打ち砕かれてしまった。
そこには一人のドールがいた。
いや、かつてそう呼ばれたというべきだろう。
力弥が目にしたのはただの固まり、破壊され尽くされた無惨な物体だった。
そしてかつて腕だったろうものに彼の仕事場のマークが辛うじて残されていたことが例えようもない皮肉だった。
しかし彼、或いは彼女だったか分からないが、力弥が関わったドールではないのは確かだった。
なぜなら当時の彼はまだ駆け出しの新人であり、彼の手がけたドールは五本の指にも満たなかったからだ。
だが、それが何の慰めになろうか。
ただ一つ分かるのはそのドールは徹底した破壊のためにいかに優秀な修理屋であっても修復は既に無理だということだけ。
さっきまで力弥の中にあった高揚していた気分などもう何処にもなかった。
役目を終わったドールたちは正当な手続きを踏めば再処理を受けられるが、それよりももっと簡単な始末方法を取るのが常だ。
彼らには二種類あり、純粋に払い下げられたドールをまるごと部品として解体をする
彼らはドールをまさに骨の髄まで食い物にしているのだ。
破壊、陵辱、ありとあらゆる道具として扱い、そして馬鹿みたいな安さで売り飛ばし、莫大な利益を得る。
そう、現実はこうなのだ。
主人に見捨てられたドールは最早ただのスクラップであり、それを見せつけられただけに過ぎない。
セクサドールであった彼らを普通に『買う』ことは出来ずとも『処理する』段階で手に入れる者がいるということだ。
性欲処理を満たせなくなれば破壊行為で代償を支払わせる……何と短絡的なことか。
この街でドールたちに権利なぞ無いし、自分が関わったドールたちの末路を語っていた。
だからその日から幾度と無く出会った彼らのために彼なりの弔いをしてやることに決めた。
ドールたちが残した部品を拾い集め、そうして集めた部品は至極丁寧に磨き、せめて新しいドールたちのために使うのだ。
それが力弥の選んだやり方だ。
どういう形でもいいから生き残らさせてやりたいと思う……それが彼らの望みかどうか分からないけれどこのまま朽ちるだけよりは少しはマシではないのかと己を慰めながら。
そんなことが果たして何度あっただろうか。
慣れるものじゃないし、慣れたくもない。
だけどどんなに辛くても彼は自分の心を殺そうとは思わなかった。
誰もがたまらない思いを抱えたまま、それでも生きていく。
見た目は確かに派手だが、内面は寂しい街だ。
誰もが満たされなくてより贅沢を求めているだけなのに、ここでは財あるものが勝者だと誰もが言う。
だったらどうしてこの街はこんなにも孤独に満ちているのだろうと。
人との関わりもドールも次から次へと取っ替え引っ替え、欲望の街では昨日の宝は明日のゴミになることは珍しくない。
考えに付いていけないから、自然人と話さない日のほうが多くなる。
無理してもいいことはなく、自分が辛いだけだ。
この日もそのままいつもと同じ退屈で何にもならない時間を過ごすはずだった。
しかし何故か違う道を行ってみようという気になり、帰り道をいつもの裏通りではなく表通りを通ることにした。
それはほんの気紛れだった。
普段なら決して通らない表通りにはパレスで一番良くあるだろう、『人形売り』の店が建ち並ぶ通りである。
ドールたちはここで商品として売られ、何も言わずに従順に己が運命を受け入れていく。
切なさが去来するが、彼にどうできるわけじゃない。
悲しいがそれが事実だった。
どうして通る気になったんだろうと訝しみながらも歩を進める。
何故か足早に立ち去る気にはならなかった。
ぼんやりとショーウィンドウに飾られた無垢な人形達を眺めながら、力弥はふと足を止めた。
通り過ぎかけた小さな店が気になったのだ。
ひび割れた赤煉瓦の壁に木製の扉というこの街では見かけない作りをしていて、明らかに煌びやかな他の店と違う、何処か古くさくて暖かな感じがした。
へえ、こんな店があったのか。
他の店はどれも判で押したようにネオンが
ちらりと良く磨かれたガラス窓には恐らく店の名前なのか、『Antique Pole Star』と書かれている。
骨董の北極……?
どういう意味なんだろう?
それにしても変わった店だな。
力弥はまずそう思った。
そもそもショーウィンドウでドールたちが新旧型混在し、驚くことに起動していた。
通常売り物である彼らを動かしてはおかない。
それだけ痛むし、何よりも余分なエネルギーを食うのだ。
機械人形とて何の動力もなく動くわけではないので、勿論稼働には一定のエネルギーを使う。
そして人間と同等の動きをするドールたちは数ある機械人形の中でももっともエネルギーを消費するのだ。
無論人と同じくものを食べる、と言うことも出来るが一番効率のいいのは彼ら専用の食事をさせることだ。
しかしそれは高いし、どんなに繁盛している店でも稼働させるドールは制限するものである。
維持のみを目的とするならば倉庫で眠らせておくのが一番手間がかからない。
商売の基本であるし、第一ただでさえ一モデルのドールが高値で売れるのは期間が短く、はやり廃りの凄さは並ではないのだ。
だから普通は電光掲示板に売り出し中のドールたちのプロフィールを流すくらいで、終わらせてしまうのが常だ。
そうやって業者が無差別に垂れ流す情報から客は自分のドールを捜すのだ。
実物を見るのは買うことが成立した後であって、それまでは直接本物を見れるわけじゃないが。
つまりドール業者は手間も金もかかるドールをなるべく高く売りたいので、ぎりぎりまで起動をさせないのがセオリーだ。
一度でも主人を入力してしまえばそれは中古になってしまい、価値は下がるだけとなる。
中古市場はそう言った意味でも最悪と呼べるだろう。
そう、力弥がもっとも嫌っている壊し
ドールたちにも保護法はある。
建前としかなってはいないが、ドールの機能から考えても再処理が取れないような改造は違反とされている。
しかし旧型のドールは新型よりも性能が落ちるし、当然価格も下落する。
だから付加価値無しでは売れず、よって恐ろしい改造を施され、二目と見られない姿にされるものなどざらだ。
壊し
彼らには金をもたらす絶好の獲物であり、役に立たねば破壊するだけなのだ。
無論、改造依頼は力弥のところにも当然来ているが、改造を受けたドールたちの末路ををよく知る彼は決して応えない。
しかしそう言う依頼は得てして金払いはいいので同じ職人たちは迷わず受けてしまっているのがほとんどだ。
力弥がしているのは本当にささやかな抵抗に過ぎないが、ドールたちが好きだから信念を持って仕事を続けている。
自分が生きていけるだけ稼げればいい。
せめて自分だけはありのままのドールたちを覚えていたい。
そう思い、実践してきた。
だから普段ならドール売り屋などに近寄りもしないし、徹底的に避けていた
しかしその店に対しては不思議といつもの激しい嫌悪感は湧いてなかった。
ウィンドウ越しに行き交うドールたちは何処か他と違うように見えたからだ。
なんか違うなぁ……この店。
どう見てもそんなに流行っているようには思えないのにどのドールたちも苦しそうに見えない。
何処もこういうのならいいのにと力弥が思いつつ去ろうとした瞬間、身体が凍って動かなかった。
何故か。
今――彼の瞳に飛び込んできた、ひとつの機械人形に彼の視線は釘付けになったから。
何気なく現われたドールだった。
しかし今までそこに現われたどのドールとも違っていた。
陶磁器のような白い肌、緩くウェーブがかった青銀の髪、金色に輝く瞳……何もかもが浮世離れしていた。
ふと目があった気がした。
途端に胸の鼓動が激しく高鳴り、自分の耳まで届いてくる。
ああ、とにかく何もかもがあまりに美しすぎる――!
天使というものがいるのなら、きっとこういうものだろう!
神など信じていないが、目前の出来事に感謝せざるを得ないと力弥は思った。
「……綺麗だ」
この子と話をしたい!
キスをしたい!
一緒に遊びたい!
呟きとはまるで違うことを脳裏に走らせながら、しかしそれ以外に浮かばなかった。
力弥は興奮を抑えきれず店の扉を開ける。
今まで一度も彼の中で起きなかった衝動が彼を支配していた。
彼はドールを買おうなどと思ったことはないし、これから先もあり得ないはずだった。
でもあの子に逢いたい!
逢いたいんだ!!
彼の頭の中にはもうそれ以外ない。
早く早く!
この扉を開ければ逢えるんだ!
恐らく力弥を知っているものが見れば、さぞかし驚いたことだろう。
そうでなくても彼の異様さは周囲を歩くものを唖然とさせているが。
仏頂面の男が突然にやけているのだからさもありん。
周囲などまるで見えていない力弥はお構いなしとばかりに凄まじい音を立てて店の中へと入っていった。
店内に入ると不思議な匂いが力弥の鼻腔を
甘くて、何処か懐かしい感じのする匂いだった。
へえ……知らない匂いだけど、悪い気はしないな。
その香りのせいか、力弥は入ってきたよりも少し落着いた様子で辺りを見回すことが出来た。
店内は外側よりは古さを感じず、むしろ彼の仕事先と違ってホッとするような気もする。
力弥の仕事場は恐らく上等の方だとは思うが、満足するほどいい所でもない。
ドールを顧客の依頼通りにカスタマイズして、数をこなす。
そうすれば儲かるのだから当たり前で、周囲もそれに賛同しているし、生きるためには仕方がないとも思う。
個々のドールにはそれぞれ固有機能があるのだが、昨今はそれを無視してカスタマイズし、客の機嫌を取るような真似が横行している。
嘆かわしいが、客は絶対で流通の流れだと親方は言っていた。
だが、この店のドールたちには無理が見えなかった。
今時珍しいくらい素のままだ。
しかしあれほどいたはずのドールは店の中には見えない。
何処へ行ったのかな?
きょろきょろとなおも店を捜索していると、奥に人が一人いるのを見つけた。
彼が店の主人だろうか?
「あ、あの……!」
「何だね? お客人?」
ちらりと一瞥だけして、彼はそう言った。
年の頃は40代か、50代か。
さえない感じではあるが、やけに眼光が鋭い。
鼻眼鏡を直しながら、こちらの様子を窺っているのが分かった。
しかし……と力弥は思った。
その割にどうにもちぐはぐな服装センスだなあ。
人のこと言えた義理はないけど。
真っ赤な毛糸の帽子にボサボサしたセミロングの髪、よれよれの緑の背広に青いTシャツ……
見た限りセンスがあるように見えない見事な取り合わせだ。
確かに力弥もそれほど気を使う方じゃないが、しかし彼ほどにはなれないような気がした。
とにかく何か話さなければと思い立ち、
「あの、ショーウィンドウにいたドールたちは?」
「ああ、あれか? あれは
ホログラフィー……そうか、それなら納得する。
確かにあのくらいいたら店内はドールたちだけで埋まるに違いない。
冷静に見れば、店の中はさほど広くなかった。
でもホログラフィーを使うなんて随分上等だよな。
全然そうは見えないのに。
ホログラフィーは電光掲示板のような平面な二次元ではなく、画像を立体化した三次元映像のことである。
確かに商品を説明するのにこれほどいい手はないのだが、如何せん装置も維持費も馬鹿高いのでちょっとやそっとの店では扱えない。
さっき見ていたヤツはかなり出来がよかったよな。
本当にその場にいたみたいに見えたもの。
あんなの凄いの、初めてみたけど……あっただろうか?
「なんだ、あんたはそんなもんも分からんのか」
呆れたように男は言うが、それについては取り敢えず返す言葉もない。
実際に気が付かなかったわけだし、それよりもいい加減本題へ移ろうと決めた。
「あなたが
「他にいるのか?」
冷たい物言いに一瞬怯みそうになったものの、力弥は自分の望みを素直に伝えることにした。
こんな所で怯んでなんていられない。
それよりも早く逢いたい!
鼓動が再び高鳴る。
「……青みがかった銀髪で金色の瞳をした子、いるよね? その子を欲しいんだけど……」
途端に店主の眼が光る。
「ほぉ、お目が高いね、お客人? あれは滅多にない上物だよ」
「そのくらいは……分かるよ」
「ただし値段も一流だ! びた一ガイストたりとも負けたりしないからね」
「お金なら、ある」
「ほう、なら見せてもらいましょうか? ここでは口先だけの金持ちは山ほどいるから」
「……あんたを信用できるのか?」
「なんと、私を信用できないと仰る?」
「この店だってあんたのものとは限らないだろうし、」
「なるほどあんたは見かけほど馬鹿じゃないらしいね。いいだろう、私のカードを見るがいいさ」
男はそう言って自分の懐からカードを出した。
力弥はそれを受け取ると、ズボンのポケットから
一見はただの片眼鏡と相違はないが、その中に組み込まれた性能は恐ろしいほど高い。
当然誰でも持てるものではなく、またそれなりの技能と知識がなければ使いこなせない。
そう言う意味では一介の修理工に必要な技術ではなかったが、力弥には自分を守るために必要だったのだ。
鞄から取り出した端末を
力弥が店主のカードの提示を求めたのは理由があった。
パレスでは個人情報のすべてをカードに集約して持っているおり、それこそ遺伝子から何から登録されているので情報を読みとることさえ出来れば個人のすべてが分かるのだ。
もっともあくまでそれは正規のものであればの話だが。
暫くすると、端末から
膨大な情報すべてを見るつもりはないので、必要なところだけを重点的に見る。
ヴィルヴァール=フィーツェ、人形売り屋『Antique Pole Star』主人。
居住歴十三年年……
へぇ……
移住自体は特に珍しくはないが、それで店まで持てるとはかなり出来るんだなと感心した。
当たり前にこの街で生まれていてもある程度の生活を維持するのは難しい。
余所から来たものがこの街で生きていくのは並大抵では尚更だ。
だからそれを大概は隠すものだ。
何故ならパレスでは何かと『違う』ことは嫌悪の対象になる。
今回力弥の読む情報パターンは第一段階のものなので誤魔化すのは容易い。
確かにもっと情報レベルが上がってくれば分かることとは言え、それを為さないあたりは相当変わっているということだろう。
ちらりと見れば、店主は力弥に自分の情報が読まれることに抵抗がないらしく笑っている。
それどころか鮮やかに
「ほぅ、あんたは
「まあ、仕事だから……」
力弥はいささか拍子抜けを感じながら、ただそれだけを言うと店主にカードを返した。
まるっきりではないが、信用できるレベルのカードであったことは確認できた。
もとより誰が信用できる出来ないなど、最後は自分で決めることだ。
少なくともこんな風に自分のカードを素直に見せてくれるものなどほとんどいない。
ましてや
ここでは偽物など溢れんばかりにあるし、誰もが正規の道を歩けるわけでもない。
実際力弥とてカードを盗まれかけたこともある……極親しいと思っていたものに。
そいつを恨むつもりはないし、気持ちは分かる。
かつて力弥も昔カードを所持してはいなかったから。
二度と会うこともないだろうが、今となっては人を信じる難しさを教えてくれて感謝すらしている。
「本物だね、あんたを信用するよ」
「それは有り難いね。商談が成立するのは願ってもないことだ」
店主は言葉も商売にも辛辣のようだが、悪い人間ではないらしい。
少なくとも見た目で判断するような人間ではないのは分かる。
街の常識とばかりに金持ち礼賛が横行しているから、一介の労働者などが店に入れること自体珍しいのだ。
力弥は自分のカードを懐から出して店主に渡しながら、
「全額あんたにやるからあの子を俺に……」
そこまで言ってから
力弥にはどうしても『売って欲しい』とは言えなかった。
どう言っても売り買いに代わりはないのだが、それでも言うことが出来なかった。
力弥の持つものと違って汎用型の識別機のようだ。
しかしかなり古いものらしく、機械そのものも大きいものだから音がうるさい。
ガコンガコンと鳴る度にカード壊れたりしないかなとそれこそ心配になるほど……
さっきの立体映像機とはえらい違いだ。
あっちはどう見ても最新型、それに比べてこちらは……
変な店だな、やっぱり。
「……RIKIYA、力弥ね。ふうん、修理工さんやってるわけか」
いつの間にかカードの読み出しが無事に終わったらしく、店主が声をかけてきた。
力弥は彼からカードを受け取りながら素っ気なく応えた。
本心としては無事に終わって何よりと安堵していたのだが、それを素直に表せるような性格でもないから
「まあ、それなりに」
「ふむ、確かに残高もちゃんとあるやな」
「まあ、それなりに……」
「あんたはそれしか言わんな」
「……事実だから」
「面白いな、あんたは」
店主はクククッと笑い出した。
そしてパンッと膝を叩いて立ち上がった。
「まあ、いいだろう! あんたは資格がありそうだし。財産を
馬鹿と連続で言われるのは複雑な気分だったが、悪い意味では言われてないのでそのままにした。
「それで、だ……あんたのお求めの子だがね、あの子は特別仕様なんだ。おいそれと渡せるわけではないでな」
「! 逢わせてはくれないと?」
「待て待て、慌てなさんな」
葉巻箱から葉巻を一本取り出し、それに火を付けながら店主は言った。
「………通常、ドールたちには性別ってものがあるのは知っているよな?」
「うん、勿論」
「が、あの子ははどちらでもないし、どちらでもあるってヤツでな」
「どういう……?」
力弥には理解しかねる言葉だった。
通常、セクサドールというのは人と同じく性別を持つ。
彼らの機能を考えれば当たり前で、男型・女型の二つあり、その基本形は崩れない。
あとは年齢、姿毎に分かれているパーツをを組み合わせ、ある程度カスタマイズして商品とするわけなのだ。
「言葉の通りだ。要は両性具有とでも言おうかね?」
「……! あり得るの?」
力弥は驚いた。
確かに製造的には可能なのかもしれないが、彼の経験の中でも聞いたことがないし、実際には見たこともない。
もっとも力弥の場合には非合法の依頼は請け負わないので、彼が知らないだけなのかもしれなかった。
それよりも力弥はああそうかと思った。
あんなにも透明な、手を触れたら消えてしまいそうな……綺麗で儚い……少年でも少女でもあり、ないドール。
脳裏にさっきの光景が鮮やかに浮かぶ。
「まあ、現実にいるってやつだ」
「そっか……だからデリケートなんだね」
そう呟くと、力弥はそれでもう納得していた。
店主としてはもっと突っ込んでくると思っていたらしく、いささか拍子抜けしているようだった。
ドールを買う場合にドールの機能について説明するのは当たり前で、何も聞かないと言うのはあり得ない。
それだけの高い買い物をするのだから執拗に聞くのが当たり前なのだ。
大概、欲しい機能がなければそれを付け足すように要求するものだ。
しかし目前の若い男は何も聞かないどころか、素直に感嘆するだけ。
「呑気なヤツだな」
楽しそうに葉巻を旨そうに吸いながら、話を続けた。
こういうヤツなら大丈夫なのだろうか。
「無論、金持ちどもは欲しがったさ。ある意味では
力弥はその言葉に何処か皮肉めいたものを感じた。
「だけど上等なのはプライドもでね。あの子は今まで誰にも心を許さなかったし、身体も開かなかった。これがどういうことか分かるだろう?」
「……」
力弥が答えないので、店主は肯定と受け取り、そのまま続ける。
「んなわけだから幾度も返品済みの、ある意味常習犯だ。まあ、俺はちゃんと説明しておくんだが、連中は聞きゃしないんでな。勿論奴らが何も出来ないように高い保険をかけさせてもらっているがね」
気に入らないと言うだけでドールを破壊するヤツがいるから、店主は予防を先に張っておくようだ。
それは彼がドールをただのモノとして見ていない証拠だと証明していた。
だから力弥はこの人なら分かってくるのかもしれないと思った。
「……人がドールを選ぶなら、ドールが人を選んでもおかしくないよ」
真っ直ぐ店主を見て力弥は言った。
彼は実際ずっと前からそう思っていたのだ。
ドールだって『生きている』のにどうしてむごい扱いをされなければならないのかと。
「あんたなら大丈夫そうだね。この街特有の目をしてないよ、いやまったく珍しいね」
「俺、金で買うなんて本当は嫌なんだ。でも他に手に入れる方法を知らない……」
「……本当にあんたは随分真っ当らしいな」
力弥をそれはもう物珍しい珍獣のように店主は見る。
彼としては素直に言っただけなのでどうにも店主の反応は分からないのだが、店主の方はいたって満足げだった。
「さて話の続きだ。あの子の名前はSD-A013 MAYURA……マユラと言うんだ」
「マユラ……」
その名前を口の中で転がしてみると、なんか甘く感じた。
「こいつはしかし我が侭だぞ。金食いだし、何より主人と認めない限り身体も開かないとくる」
「それが何か?」
「何とも思わないのか?」
「別に? 何でそんなこと聞くの?」
「初めて会うのにそんなに簡単に好きになれないよ。そんな当たり前のこと誰も分からないんだな」
「本当に変わっているな」
葉巻を燻らせながら、店主はそう呟いた。
「ふむ……」
そして何か心に決めたように自分の顎に手を一撫ですると、何の前触れも無しに誰かを呼び立てはじめる。
「
大した広さではないだろうにとは思いながらも、呼ぶような人がこの店にいたことに力弥は正直驚いていた。
どんな人なんだろうかと予想してみるが、あまり想像できない。
間もなく奥から年の頃は20歳くらいだろうか、奥から女性が出てきた。
ストレートの黒髪にメイド服という出立で、身に纏う衣装は胸と足を誇張したデザインになっていて、彼女のプロポーションを引き立てている。
それでいてちっとも嫌らしさがないのは彼女の持つ雰囲気のためだろう。
微笑みながら、彼女は店主の膝の上に乗り、その首に手を回す。
「ヴィル、呼んだ?」
「呼んだ」
そう言って抱き寄せてキスをする。
愛嘉もそれに応えて、かなり熱い口づけを交わし始める。
力弥としてはどうすればいいのか分からず、その場で突っ立っている。
兎にも角にも彼らの話が終わらなければ先には進まないので、どうしようもない。
どうしようかな?
まだ逢えないのかな。
早く逢いたい……
あの店主の名前、ヴィルって言うんだな。
ヴィル……ヴィルヴァール=フィーツェだからか。
顔を掻きながら、取り敢えずそんなことを考えていた。
「何の御用?」
暫くすると愛嘉が問うた。
ようやく終わったようで本題に移るようで正直力弥としてはホッとする。
他人の恋路を邪魔する気はないけれど、あのままではいたたまれない。
自分はこれから恋人になれるかどうか分からない相手に合うのだから余計に。
「マユラを起こしてくれないか?」
「マユラを? また新しい買い手が来たの?」
怪訝そうな顔をして、ちらりと愛嘉は力弥のほうを見やった。
「あれがそうなの?」
「ああ、そうだよ」
「……アテになるの?」
「俺を疑うのか?」
「今までがあるでしょうが」
愛嘉は途端に不機嫌になり、店主を睨み付けている。
どうやら今までのいきさつはやはり順風満帆とは行かなかったようだ。
さっきまで聞いてた話だけでも十分だが、彼女の態度は更にそれを肯定していた。
「ではお前が見てみるがいいさ」
「そうするわ。私の方が見る目があるもの」
そう言って、つかつかと力弥のそばに来る。
その迫力に思わず緊張を感じざる得ない。
「こん……にちは」
「今の時間なら今晩はじゃない? あんたがマユラをねぇ……」
その物言いにはまったく好意を感じなかったが、取り敢えず彼女のするに任せた。
「ふぅん……?」
上から下まで隅々から万遍なく愛嘉は力弥を眺めた。
それはもうじっくりと力弥の後ろに回り、更に観察を続ける。
重い沈黙だけが店内を支配し、息苦しい。
「あの……あなたはあの人の奥さん?」
黙っているのも何だと思い、力弥は素直な疑問を尋ねてみる。
瞬間、愛嘉が物凄い勢いで顔を上げた。
その勢いたるや、思わず力弥が顎を庇おうとしてしまうほどだ。
「あの……?」
「……なんて言った?」
ギンッと睨みを利かせながら、愛嘉は聞き返した。
何か変なことを言っただろうかと思いながら、もう一度言ってみる。
「だからあなたは
「……」
力弥が繰り返し言うと今度は愛嘉は徐に俯き、押し黙ってしまった。
「あの……?」
やはり何か悪いことを聞いたかなと力弥は心配になったが、言ってしまったものは取り返しがつかない。
マユラに逢えないのかな……
そう思うと自分の迂闊さを呪わずに入られなかった。
所構わず泣いてしまいたくなる心境ではあったが、そんなことをしている場合じゃない。
打開するために何かしなくては!
「あの、俺、何か……」
そう言いかけた途端、愛嘉が顔を上げた。
「うふふふ~」
その顔にはさっきまでとはまるで違う満面の笑みを浮かべ、力弥の頭を撫で出した。
唐突な事態の変化に付いていけない力弥を余所に愛嘉は店主の方へくるりと振り返って、
「ヴィル、この人はいい人ね」
「お前、現金だな」
愛嘉の豹変ぶりに呆れたように店主は言うが、笑っているので悪い気は彼もしないらしい。
「悪い? だって奥さんよ、奥さん! 分かる? この喜び!」
「よかったな」
「まったくよ! なんて素敵な日かしらね」
「さーさ、喜んでばかりいないで」
「うふふ、そうね! 早速マユラを起こしてくるわね!!」
足取りも軽く、愛嘉は店の奥へと消えていった。
愛嘉が奥へと行ったのを確認した後に店主、ヴィルはそう呟いた。
「まあ、ありがとよ」
その口調はとてもぶっきらぼうだったが、力弥への感謝の念が見えた。
「……とても似合いだと思う」
「あんたはいいヤツだね、本当に」
葉巻をもう一つ手に取り、ヴィルは再び葉巻を旨そうに吸う。
「吸うかい?」
「いや、俺は吸わないから」
「まあ、そんな感じだな」
「美味しいのか?」
「俺には極上の味さね。愛嘉は吸いすぎだと怒るが」
「なら、止めればいいのに?」
「ふふふ、こればっかはあいつの願いでも聞けねぇのよ」
「そういうもんか」
「そういうもんさ」
煙をふーっと空に向かって吹くと、
「まあ、苦労すると思うけど、でも心根はいい子なんだ」
「別に苦労とはきっと思わないよ」
真顔で答える力弥に思わず葉巻を落としそうになり、慌てて拾う。
「何つーか面白いヤツだねえ」
クククッとヴィルは笑い出し、止まらない。
力弥としてはやはり複雑だった。
そんなに可笑しいことを言ったつもりはないのに。
困惑する力弥を余所にヴィルは笑い続ける。
笑い続けられる方はたまらないのだが……
「何を楽しそうに笑っているの? ヴィル?」
奥から愛嘉が戻ってきて、呆れたように尋ねてきた。
「いやあ、客人があんまりにも真っ正直なんでな」
「あらま、お客様にそんなことを言うなんて駄目な人ね」
諭すような言葉を言いつつも、まったくそんな風には聞こえない。
さっきと同じように店主の膝の上に乗り、彼の首に手を回した。
「で、起きたのか?」
「ええ、相変わらず寝起きが悪くてちょっと大変だったけど」
首を竦めて愛嘉は苦笑するが、その仕草でその苦労ぶりが窺えるようだった。
寝起きの悪いドールなんて聞いたこと無いけどな。
それでも愛嘉が嘘を言うようには思えないので恐らくそうなのだろうと納得していた。
……寝るのが好きなのか。
だとしたらいいベッドを買ってあげないといけないよね。
新たな情報を得て、力弥は新たな悩みに直面する事になった。
彼の部屋のベッドは寝れればいいと言うものなので、上等とは言い難い。
寝るのが大好きな子にとても使ってもらえるベッドじゃない。
新しいの、買わないと……
その前に意見を聞かないといけないよな。
そう思って顔を上げたが、肝心のドールはまだそこにはいなかった。
いるのは盛り上がりまくっている恋人同士だけだ。
「そいつはご苦労さんだったな」
「後でご褒美もらうからいいわ」
力弥の悩みなど知る由もない二人は勝手にムードを盛り上げ、唇を合わせ続けていた。
さっきよりも盛り上がっているらしく、より濃厚に長く強く口づけを交わしている。
たまに離れる互いの唇からは透明な糸が見えていた。
「たっぷりやるよ、ご褒美は」
「嬉しいわね」
ヴィルの手はいつの間にか愛嘉の放漫な胸をこねくり回しながら、反対側の手では尻のあたりをまさぐっていた。
隠そうという来もなく大胆そのもの。
一方の愛嘉もそれを喜んでいるらしく、手を払いのけるどころか、その手を更に奥へと導いていた。
二人の間の褒美、と言うのもいくら力弥でも想像はつく。
ほっとけばそのまま何処までも行くに違いない。
それは二人の勝手だし、力弥が干渉すべきことじゃない。
が、このまま付き合っていたらいつまでも逢えそうもない。
それは困る。
今すぐにも逢いたいのに!
そこにいるはずなのに!!
だから彼は意を決した。
「あの……あんたたちの邪魔するのは……えらくすまないんだが」
力弥の必死な声かけに二人は思わず顔を見合わせ、微笑み合ってから口を開いた。
「ああそうね。ごめんなさい。忘れてたわ」
悪びれた様子もなく、愛嘉はそう言った。
力弥としては何と言えばいいのかと困ってしまう。
何しろこれでも一応客なわけだし、そのために全財産払うのだしと色々頭を駆け巡る。
要は忘れていたというほうが悪いのだが、そう言う思考には辿り着かなかった。
「これこれ、仕事だぞ」
力弥の代わりにとばかりにヴィルはこつんと愛嘉の額を指で小突いた。
そうは言いながらも呑気に愛嘉の腰を抱き寄せたままだが。
忘れていたのはあんたもではないか。
力弥は思ったが、突っ込むのは心の中だけで留めておいた。
これからのことを思えば、そんなことはどうでもいいから。
早く逢いたい……!
それだけが彼の身体中を支配していた。
「それではお待たせしました」
ニッコリと愛嘉は微笑い、パンッと軽く手を叩いた。
「マユラ、さあさ、お出でなさいな」
その呼び声に答えるように奥から一人の少年がゆっくりと出て来た。
彼は静かに音すらなくそこに現われ、無言のままに部屋の中央へ向かって歩いている。
力弥は言葉すら出ないまま、少年が歩くのを見つめていた。
流れる銀の髪はしなやかに糸のように輝いて、宝石のような金色の瞳はどうだろう!
光がそこから生まれるようじゃないか。
それは決して夢ではなく、今そこにいるのだ。
ほんの数歩歩けば、触れられるほど近くに。
ホログラフィーで見たときより何百倍も何千倍も綺麗だと力弥は思った。
所詮いくら立体とは言っても映像に過ぎないことを改めて知った。
力弥は一つとて見逃さぬように少年を目で追った。
部屋の中央に来ると少年の動きは止まり、視線が静かに力弥の方へと向けられた。
「マユラ、ご挨拶なさいね。あなたの新しい買い手よ」
愛嘉に促されても、マユラの口は開かず、ただじーっと見つめるだけである。
しかし力弥には十二分すぎる行為だった。
彼としてはそれだけで鼓動は張り裂けそうになるくらい早くなっている。
ああ、聞こえてしまうんではないだろうか?
この音は。
みっともないと思われるのだけはいやだったが、こればっかりはどうすることも出来ない。
いつまでもこうしていてもしょうがないのだ。
だから彼はとうとう勇気を振り絞って憧れの君に声をかけようと心に決めた。
とにかく今目の前にいる彼の存在が夢でも幻でもないことを確かめたかったのだ。
「マユラって言うんだね、君は。綺麗な名前だ」
力弥はそう言い終えると思わず深い息を吐いた。
暫く答えを待っていたが、何も返っては来ない。
何かまずいことをいっただろうかと必死に考え、力弥ははたと気がつく。
そうだ!
まずは挨拶からが普通なのに何と間抜けな!
きっと彼はそう思ったに違いない!!
力弥は最初の一歩の
遅いけれども挨拶するのはこれからでも構わないはずだと思い直し、再び口を開いた。
何故か、一言目より緊張する。
「マユラ……こんばんは」
ようやっと言えた言葉だったが、マユラの反応は変わらない。
どうすればいいかと必死に考えるが、どうにも緊張しているから上手く話せない。
ふと気が付くと、マユラが口を開きかけていた。
力弥はドキドキしながらその口が発する言葉を待つ。
とうとう喋ってくれる!
どんな声だろう?
そう思うと否が応でも期待は高まっていった。
しん…とした店の中、マユラの声が響き出す。
「……誰だろうと僕を抱かせないよ」
それが力弥の聞いた最初の一言だった……
風の街、硝子の街 飛牙マサラ @masara_higa
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