今日も地球の人口は知らないうちに減っている

烏川 ハル

今日も地球の人口は知らないうちに減っている

   

 その店は、小さな街の裏通りに佇んでいた。

 入り組んだ小道を何度も曲がった先にある、かなり奥まった場所だ。


 赤煉瓦の塀も、濃い灰色の屋根も、そのほとんどが蔦に覆われている。既に店は潰れてしまい、そのまま打ち捨てられたようにも見えるが、実はきちんと営業中。入ってみれば、薄暗い照明の下、様々な品物が置かれていた。

 アクセサリーやバッグなどのファッション小物、ノートや手帳、ペンなどの文房具、ハンドクリームやメイク用品など美容系。キッチンや浴室で使う日用品もあれば、ガーデニングやアウトドア関係の道具もある。

 棚に並べられた商品をザッと見た感じでは、普通の雑貨屋にも思えるが……。

   

――――――――――――

   

「ごめんください」

 入り口のベルがカランと鳴ると同時に、来客の挨拶が店内に響く。

 ベージュ色の外套を着た、二十代なかばくらいの女性だった。

 わざわざ声をかけながら入ってくるほどだから、ウィンドウショッピングのたぐいなどではなく、何か目的の品があって、それを買うために来たのだろう。

 そう判断したからなのか、あるいは特に意識せずとも同じなのか。店の奥から店主が出てきた。

「はい、いらっしゃい……」


 カウンター越しに来客の相手をするのは、しわがれた声の老婆だった。

 身に纏っているのはフード付きの黒ローブで、外国の映画に出てくる修道士とか、漫画やアニメの魔法使いを思わせるような格好だ。

 その怪しげな雰囲気にひるんだのか、客の女性は一歩、思わず後退あとずさりしてしまう。

 しかしすぐに、自分の気持ちを抑えるみたいに、逆に前のめりな姿勢になると、毅然とした声で老婆に尋ねるのだった。

「こちらで魔法のポーションを扱っている、と聞いて参りました。つらい失恋を完全に忘れられる薬だそうですが……。そんなもの、本当にあるのですか?」

      

「はいはい、癒しのポーションね。もちろん、ありますよ。うちの一番の売れ筋ですからね」

 老婆が口元に小さな笑みを浮かべる。

 ほがらかな微笑みではなく、むしろ不気味に感じられる笑い方だった。


 客の女性は、子供の頃に読んだ絵本を思い出す。お決まりのように性悪しょうわるな魔女が登場して、それが物語の悪役になっていた。目の前の老婆には、そんな魔女を彷彿とさせる雰囲気もあるのだが……。

 若干失礼な考えをいだき始めた彼女の前から、いったん老婆は姿を消す。再び店の奥へと引っ込んだのだ。


 カウンターの前で一人残されて、体感時間としては長く感じたかもしれないが、実際には二、三分もっていなかったのだろう。

 客の女性が手持ち無沙汰気味に、店内をボーッと見回すうちに、老婆が戻ってくる。薄水色の小瓶を一つ、手のひらの上に乗せていた。

 パッと見では爽やかな色合いであり、瓶の大きさ的にも、客の女性は目薬を思い浮かべる。しかし、そんなはずもなく……。

「それが……。魔法のポーション? 失恋の痛手を忘れさせてくれるという、すごい薬ですか?」

 彼女が恐る恐る尋ねると、老婆はニヤリと笑いながら、力強く頷いた。

「そうですよ。うちの自慢の商品、その名も『忘却の雫オブリビオン・ドロップ』さ」

      

 目薬サイズの瓶なので、10ミリリットルくらいは入っているだろう。

 しかし全て使う必要はなく、二、三滴で十分だと老婆は説明する。

「だけど、残りをとっておいてまた別の機会に使おう……なんて考えちゃいけませんよ。この手の薬は、長持ちしませんからね。いったん開封したら、すぐにダメになっちまう」


 要するに、また失恋して同じような薬が欲しくなったら、また買いに来ればいい。老婆はそう言っているのだろう、と客の女性は解釈する。

 二、三滴しか使わず、残りは破棄するしかないのであれば、なんだか勿体ない気もする。それならば、もっと極小サイズの瓶で売ってくれればいいのに……。

 そんな考えも頭に浮かぶけれど、軽く横に振って掻き消した。ある程度は無駄に過剰に買わされるのも仕方がない。怪しげな商売とは、そういうものだ。

 自分にそう言い聞かせて、納得することにしたのだ。

「わかりました。では、これをほんの二、三滴、私が口にすれば……」


「ちょっとお待ち!」

 老婆は大袈裟に手を振りながら、客の言葉を途中で遮った。

「話はきちんと、最後まで聞かないと、大変なことになるよ。この『忘却の雫オブリビオン・ドロップ』は、自分で飲むわけじゃない。相手に飲ませる薬ですからね」

「……え?」

 客の女性が、困惑の色を顔に浮かべる。

「でも、これ……。私が彼のことを忘れるための薬ですよね?」

「そうですよ。だけど、魔法のポーションだからね。作用機序とか何とかが、普通の薬とはちょっと違う。その『彼』に飲ませてこそ、あなたが『彼』を忘れられる……。そういう仕組みになってるんです」

   

――――――――――――

   

 数日後の朝。

 いつものように寝室で目覚めた老婆は、壁に立てかけてある姿見の前で、背筋をシャンと伸ばして……。

「鏡よ、鏡。教えておくれ。地球の人口は、今どれくらいだい?」

 無機物であるはずの姿見に対して、優しい声で問いかけていた。


『現在の地球の人口は、80億4963万7957人です』

 少年みたいに軽やかな男性の声で、姿見が老婆に答える。

 老婆の寝室に置かれているのは普通の姿見ではなく、正真正銘の『魔法の鏡』だったのだ。


「ふむ。それでは、次の質問だ。鏡よ、教えておくれ。この24時間で、新たに生まれてきた人数は……」

 机の上に帳面を広げて、鏡の言葉として出てきた数字をメモしながら、老婆は質問を重ねていく。

 これが彼女の、毎朝の日課だった。

 毎日全く同じ時刻に世界の人口を記録すると同時に、前日のチェックからの24時間以内に生まれてきた数と、死んだ数も鏡に答えさせる。

 生まれてきた数から死んだ数をマイナスすれば、それが一日の増加人数になるはず。今日の人口の総数から前日のそれをマイナスしたものと、同じあたいになるはず。

 ところが、実際には一致しない場合も出てくるわけで……。

 例えば今日も、一人分だけ数が合わない。「死んだ」とはカウントされずに、消えた人間が一人いる計算になっていた。

      

「なるほど。また一人、この世から存在を消された人物がいたんだね……」

 呟きながら老婆は、何度も首を縦に振っている。自分では納得している、という態度だった。

 続いて彼女は窓の近くに歩み寄り、外の青空を見上げながら、その『この世から存在を消された人物』に対して、語りかけるのだった。

「あんたには悪いけど、あんたには存在そのものも含めて完全に、消えてもらう必要があったのさ。そうしないと、きちんとあんたを忘れられないからね」


 ある人物について誰かが忘れたとしても、別の誰かがまだ覚えていたら、例えば前者と後者の接触などをきっかけにして、忘れた記憶が蘇ってしまうかもしれない。

 それを防ぐためには、その人物を覚えているような「別の誰か」が一人もいてはならない。つまり、全ての人間から忘れられる必要があるわけで、そのために対象者の存在自体を抹消させるのが、魔法薬『忘却の雫オブリビオン・ドロップ』の仕組みだった。

 老婆が所有する『魔法の鏡』にすら「死者」としてカウントされないような、存在の完全な「抹消」だ。最初からこの世界に生まれてこなかった扱いになるのだから、ある意味では恐ろしい話なのだが……。


 そんな『忘却の雫オブリビオン・ドロップ』を「癒しのポーション」という名目で売って回っていても、老婆が罪悪感を覚えることは一切なかった。むしろ「地球の人口増加に歯止めをかけている」と前向きに考えて、清々しい気持ちになるほどだった。




(「今日も地球の人口は知らないうちに減っている」完)

   

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今日も地球の人口は知らないうちに減っている 烏川 ハル @haru_karasugawa

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